俳優・佐藤 輝 -1

あそびごころの
佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 1
2003年2月〜7月
 
H O M E | プロフィール | 俳優・佐藤輝 | サンチョ写真館 | 俳句 | エッセイ | てるてる広場 | 縁あってリンク
 
2003年7月〜8月 新しいページ

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  
  21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34
35 36 37 38 39 40 41 42  
2003年2月〜7月

芝居創り

 降ったり薄陽が射したりのベランダ。ミントの香る中で、明日リハーサルがあるラジオドラマの台本確認と『ろば』の演出プランを考えた。

 芝居創りは苦労も多いが楽しく素晴らしいものだ。
 台本を土台にしてスタッフ、キャストが夫々の感性を総動員し、舞台と言う現実とは異った時間と空間を区切った新しい世界を観客とのキャッチボールで創り出す。その世界を最大限に創ると言う目標があるだけで、その途中経過は右に行ったり左に行ったりの積み重ねだ。その過程は苦労だけど、その一つ一つが積み重なって形が見えて来た時の喜びは大きい。その相乗効果で思いも掛けない成果が出た時の喜びは何ものにも勝るもので、それを目標に皆が苦労を厭わずに努力を重ねる。

 自分がやりたい作品を自由に楽しく作りたいので「一緒に創りましょう。手伝って」と頼まれることがある。が、こんな時は要注意。
 頼んだ台本が上がって来れば自分の思いとは違うと味噌くそにけなし、勝手にセリフを変え、演出がここは観客が想像して楽しむところだから間を取ってと言えば「ここで間を取ったら私は芝居が出来ない。そんなにがんじがらめにされると演技が出来なくなる。」と泣きが入る。段取りがほぼ付いた所で「協力できない人は要りません! 」と切り捨てる。そんな事にもなりかねない。他人に考えさせて自分に都合の良い所だけを利用する「良いトコ取り」。
 「自由に楽しく作れる」のは自分一人で、他の人はそのイメージに唯々奉仕する人にされ兼ねないのだ。金正日の喜び組じゃあるまいし、アマチュアか研究生仲間じゃあるまいし、そんな甘言に乗せられるプロはいない。そうしたいのであれば自分で台本を書き十分なギャラを用意してスタッフを集め演出から会場の打合せなど総ての段取りを自分で付けてやらなければ誰も手伝ってなどくれない。そんなことを言い出す奴に限って、自分でホンを書いたり、イメージを具体化したりする能力が欠けている上にケチと来る。
 こんなのには引っ掛からないように、皆々様、御注意なされよ。

                     輝 ☆彡 2003.7.21
 
『ろば』潤色・演出

 台本の直しがようやく上がった。

 11月に高校生向け演劇教室で何かを上演して欲しいと依頼を受け、幾つか候補が上ったが、以前から機会があったら再演したいと思っていた大藪郁子作『ろば』を取り上げることにした。演出・主演する。

 『ろば』は入歯を入れたろばとして知られ昭和40年に上野動物園で亡くなった、中国生まれの実在のろば・一文字号の数奇な生涯の物語。初めエノケンさん主演の『一文字一代』と言うラジオドラマだった。放送直後に僕が在籍していた劇団俳優小劇場が西村晃さん主演で舞台化し、その後僕の主演で劇団動物園が上演した作品だ。(プロフィール『ろば』を参照して下さい)
 その頃は全く気にならないことだったが、22年振りに読み返してみて世の中の変化の大きさに改めて気が付いた。例えば、戦争と言えば太平洋戦争やベトナム戦争が共通の認識だったのに、若い世代ではイラク戦争や古くても湾岸戦争のことなのだ。58年前に終った戦争は遥か昔の歴史上の事として相当噛み砕いた解説を付けないと理解して貰えない時代になっている。
 ろばの一生を通して描く戦中戦後の庶民史には解説が必要だ。

 そこで、僕が潤色することになった。スタッフとの打合せの都合上、7月上旬には上げろという注文だ。
 ラジオドラマとして書かれたシンプルなイメージのつながりの面白さを生かしながら、新鮮な興味を持って素直に観て貰う工夫を第一に考えた。導入部と幕切れのイメージがふくらんで一気に書き始めた。最初、とんとん拍子で進んでいた筆(と言うかキーボードと言うか)が、そろそろ出来上がるかという所になって進まなくなった。

 二宮さよ子さんの『牡丹灯籠』の稽古のことも気に掛かっている。そこへ急にテレビドラマの仕事が入った。リハーサルまで間が無い。先ずは時代劇のそのセリフを覚えなければならなくなった。受取った台本は未だ準備稿段階で表紙が白い。
 ようやくセリフを覚えてリハーサルに行くと、本読みが始まる直前に「チョット時代の言葉になっていないので佐藤さんのセリフを直させて貰います」とディレクター氏。はい、と素直に返事をした途端に、あらあらあら、2ページにわたるほとんどのセリフが直されて、言葉の差し替えだけでなく言い方のニュアンスまで変ってしまった。
 こんなことが頭の刺激になる、インスピレーションを与えてくれる。無事収録をおえた翌朝、原稿用紙(パソコン)の前に座ると、止っていた筆がすらすら好き勝手に動き出した。

 2003年版『ろば』上演台本はピンクの表紙となって机の上に待機している。今日、11月に向けてスタッフとの打合せが始まる。
  この台本を元にしてスタッフ・キャストがどんな舞台を創り上げてくれるか、期待でワクワクだ。
                     輝 ☆彡  2003.7.16


金田龍之介と『虹の断片』

 昨日は『怪談牡丹灯籠』の打合せで新橋演舞場昼夜公演の間に二宮さよ子さんの楽屋を訪ねた。
 照明や小道具、効果の細部と、これからの稽古などを確認して1階廊下に上がると、金田龍之介さんの楽屋の前に阿部裕見子さんが立っているのにバッタリ。

 阿部チャンは僕と同郷、山形県の庄内地方遊佐町の出身、学校は違うが酒田市の高校を卒業しているから共通の話題も多い。金田さんと一緒の舞台に出ていることが多いので、僕も出た帝劇の『明治太平記』や『近松心中物語』『マイ・フェア・レディ』などで何度もご一緒した。
 公演中の『新・乾いて候』は舞台稽古を見たがこの時は挨拶だけで帰ったので、久し振りにのんびりと舞台のエピソードから仕事の話をした。

 金田さんの楽屋の壁には自作の句を添えたサクランボや南瓜の手書きの絵手紙が貼られている。出番の合間に描かれるのだが、僕は楽屋でそんな余裕を持てる人が羨ましい。
 そのサクランボの絵から、先月の齋藤茂吉『白き山』大石田講演の話になって、思い掛けない話に繋がった。
 金田さんが、茂吉も良いねぇ、『封建の代の奴踊がをどりを居る進み居る尾花澤往還の上』と言う歌も茂吉の『白き山』じゃ無かったかな、動きのある良い歌だと思ったんだけど、と言い出した。金田さんも俳句を詠む人だが茂吉や『白き山』と関わりがあるとは知らなかった。
 昔、NHKが内幸町にある頃に伊馬春部(いまはるべ・放送作家)作のラジオドラマで『白き山』をやったんだよ、その時に覚えた、と言う。
 伊馬春部作のラジオドラマ『虹の断片』があった話は大石田で何度も聞かされてはいたが出演者の名前は聞いていなかった。そのドラマにこんなに身近な金田さんが出演していたとは。僕には不思議な縁で繋がった多くのエピソードがありこれも新たな不思議なご縁、人の縁とは実に不思議なものだとしみじみ思っていると「齋藤茂吉は面白いねぇ。茂吉は僕が演ったんだよ。」
 一瞬にして、講演の準備のために齋藤茂吉と『白き山』のことでいっぱいになっていた先月の頭状態に戻ってしまった。
 メイクを始めた金田さんが茂吉に見えて来た。これにはもう呆れるより他は無い。

 明日はドラマの収録がある。もう一度頭を切り換えなくては !

                     輝 ☆彡 2003.7.10
 

万緑(ばんりょく)とはこの世界
『白き山』の里、大石田町 
撮影・天童真理子


俳優佐藤輝 大石田 最上川 虹ヶ丘公園から見た最上川と大石田町
 


 天気男なのに台風6号と連れ立って行くのが嫌だと思う心が天に通じたか、台風は消えて、雲の切れ間から青空が見える大石田行きとなった。

 万緑(ばんりょく)。角川文庫の俳句歳時記には「見渡すかぎり緑一色といった状態。新緑より調子が強く、生命感が溢れる。」と説明されている。

 東京から3時間半、枝一杯に滴るような赤い実をつけたサクランボ畑を左右に眺めながら山形新幹線が着いた大石田町はまさに色濃い万緑の中にあった。1月に眺めたあの白一色の世界の面影はどこにも見当たら無い。茂吉が『ひとときに春のかがやくみちのくの葉廣柏(はびろがしわ)は見とも飽かめや』と謳ったエネルギー溢れる開放された世界。

 全国的に大雪となった1月に訪ねた時は、これから更に多く降る雪を思って町の人たちはもううんざりした表情だった。この大石田は盆地の町ではあるけれども山峡の町ではない。江戸時代には最上川舟運の要衝として幕府の船役所が置かれ、河口の酒田を経由して京・大阪の文化が直接入って来た歴史ある文化の町だ。今は新幹線も停まり、あの大正ロマンあふれる『おしん』の銀山温泉へ行く玄関口でもある。これだけ交通便利な所で、駅から直ぐに雪に埋もれた景色に出会える所はそんなには多くはない。四季の変化の大きさも感性を刺激する。

 NHK『名作をポケットに』では歌集『白き山』の中でも冬の歌を中心に取り上げたので番組には入らなかったが、最上川に架かる大橋あたりで夏に詠んだ『最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片』は、澄んだ自然の美しさと茂吉の美への憧れと希望が謳われていて好きな歌の一つだ。その虹が架かっていたであろうあたり、川全体を眺める事の出来る山の上に『虹ヶ丘』公園が作られ歌碑も建っていると町職員の岩井さんが歴史民俗資料館長板垣一雄さんと共に案内してくれた。
 左手上流の遥か先になだらかながらひと際高く見える山、あれが蔵王では無いだろうかと板垣さんが教えてくれる。晴れていれば右手街並みの真中あたりに鳥海山が出羽富士の名にふさわしい秀麗な姿を見せると言うが今日は生憎雲の中。茂吉にとってはドン・キホーテが目指した星のような存在の蔵王と鳥海。この片方しか見られないのは残念だった。もう少し下流に行けば月山も見えると言う。大石田は山形を代表する三つの山を見ることが出来る貴重な土地だ。

  講演前の腹ごしらえは名物・大石田そば。
 そばではただ1ヶ所、環境省「かおり風景100選」に選ばれたと言うだけあって、そば粉100%の香り高い板そば。口いっぱいにそばの甘みが広がり、噛み応えのあるそばの喉ごしが良い。美味い。それに自家製のわらび1本漬けや大石田独特の漬物なすのぺそら漬けが山ほど付いてくる。お椀にふっくらと盛り上がったそば粉のかい餅も、納豆餅にしてつるりっと咽喉を通る。町内14店のうち3店で食べたがどこも美味い。
 名物と言われるそばは全国各地にあり旅公演の折々に食べるけれども、「大石田町そばの里」のそばが正真正銘日本一美味いそばと言って間違い無い。嘘だと思うなら是非一度味わって頂きたい。(つづく)

                    輝 ☆彡 2003.6.22


万緑や『白き山』さがし大石田 輝

 事前の好きな食べ物アンケートにあざとく「サクランボ、そば」と回答していたこともあって、案内された先々では今が盛りの色鮮やかでとろける甘さのサクランボが、それも産地の誇りを背負ったピカピカの最高級品が待ち受けていて、サクランボ好きの私には本当に夢のような大石田だった。

 講演会場にはほぼ満席の60名程が入場。町民大学学長の阿部町長さんを始め教育長さんなど町の主だった皆さんが熱心に聞いて下さった。町の事業に町を挙げて対応する、こうした姿勢にこれから大きく発展していくだろう大石田町の姿が見える。
 驚いたのは下手最前列に陣取った一団。何と僕の高校同期の仲間6名が座っている。てるてる通信で案内したりこのホームページにも予定を掲載してはいるが、まさか車で1時間から2時間も掛かる所からわざわざ来てくれる人がいるとは思っていなかった。新庄、山形、酒田、一番遠いのは宮城県の古川からだ。高校卒業以来やら24年ぶりやら、大感激。故郷はありがたい。

 古関裕而作曲の町民歌は、さっき歌碑を見てきた『最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片』。町民歌の合唱から会は始まった。この美しい町民歌を誇りをもって歌える大石田町民は幸せだと思う。

 講演『絶唱 白き山〜名作の生まれたまちを訪ねて』は『ラ・マンチャの男』に始まり、表現者としての俳優・佐藤輝から見た表現者としての歌人・齋藤茂吉の人と歌について、齋藤茂吉を支えた人たちと大石田の自然、『白き山』の中にある大石田の宝、などを語り『見果てぬ夢』で終った。


俳優佐藤輝 大石田 斎藤茂吉 白き山 講演


 『白き山』には、秋田や庄内に旅した時の歌などもあるが、ほとんどは大石田の生活の中で感じ暮しの中で見た自然を詠んだ歌だ。今でも町民が日常極く普通ありふれたものとして目にしているものを、茂吉は繊細な心で新鮮な感動をもって詠んでいる。
  手本はそこにはっきりと示されている。町民が、茂吉が見て感じた場所に立って歌を口ずさめば少しでも茂吉の心に触れ歌の世界を追体験することが出来るかも知れない。あるいは私ならこう感じると思う新たな自分を発見するかも知れない。それらが住んでいる町と自己の発見につながり、地域を支えるパワーとなり、文化を発展させるエネルギーになると思う。大石田町にとって『白き山』は宝の山だ。

 主催者の心からのもてなしは、茂吉を支えた伝統を受け継いで恐縮するほどの手厚いものだった。
 何かの新聞に我が大先輩小沢昭一さんが「もし今度疎開しなければならない時は大石田に疎開する」と書いていたが、どこで大石田の豊かな懐の深さを知ったのやら、これは納得の文章。

 帰りにそばを食べた大石田駅の屋根は変った形をしていた。
 駅前広場から直接登られる階段状になっていて観覧席としても使える作りになっている。将来はここで何かの催しをする積りだろうか? どんな面白い事を企んでいるのか、気になる。
 大石田町は将来が楽しみな、気になる町だ。
 
                  輝 ☆彡 2003.6.24

                  大石田町ホームページ      

『怪談 牡丹灯籠』

上野の鐘がぼーん・・・カランコロンと駒下駄の音が聞えて来ると・・・。
夏の日を怪談で涼し〜くお過し下さい! !

ぷらざ文化サロンスペシャル  脚本・大西信行 / 演出・佐藤 輝
  二宮さよ子 ひとり語り『牡丹灯籠』

  日 時 8月8日(金)【昼の部】2 : 00〜2 : 50【夜の部】8 : 00〜8 : 50
  会 場 新宿・京王プラザホテル 43階/スターライト
  参加費 一般¥9,000(税・サービス料込み)
      参加費には入場料と、お好きなレストランでのお食事券
       ¥5,000が含まれています。


『怪談・牡丹灯籠』の稽古初日

 『牡丹灯籠』の稽古が始まった。
 二宮さよ子さんとはその前に軽い打合せをしていたが、作者の大西信行さんとは初めて。(とは言っても、かつて35年前劇団俳優小劇場時代にお目に掛かっているハズ)。
 四谷3丁目にある事務所応接室には、反応を見たいと言う大西さんの希望で事務所所属の中堅若手俳優と社長をはじめスタッフ・マネージャーが詰めかけ、稽古初日だと言うのにもう公演初日のような雰囲気。
 朗読や語りについての大西さんのお話の後、いよいよ塩沢つむぎ姿の二宮さんが台本を前に座り、「客電落ち」の切っ掛けから稽古が始まった。
 演出としての今日の僕は、内容のチェックは作者にほぼ任せて、全体の段取り、小道具や効果音、照明の切っ掛けをチェック。あの大作を40分に纏めた台本はテンポ良く一気にお露・新三郎のクライマックスへと持って行く。
 稽古に立ち合った俳優からは早くも「こんな形で自分も演りたい ! 」と希望が出るなど刺激的な稽古初日は気持ち良く終り、その勢いで会場となる京王プラザへ直行し打合せと会場確認をした。
 次の稽古からは内容を更に細かく掘り下げて、お客さんに楽しんで貰える面白く深く広がりのある表現を追求していく。二宮さんの魅力を会場に溢れさせるのが演出としての僕の仕事。ゾクゾクわくわくする作業に期待が膨らむ。
 8月8日は『牡丹灯籠』へ是非お出で下さい。

                     輝 ☆彡 2003.6.7


佐藤 輝 講演

「絶唱 白き山
    〜名作の生まれたまちを訪ねて」

 
2003年6月20日(金)
   18:45〜19:15 名作をポケットに『白き山』鑑賞 
   19:15〜20:30 講演

 会場  山形県大石田町福祉会館

 
大石田町民大学・齋藤茂吉没後50年特別講座「齋藤茂吉を学ぶ」並びに地域学講座「大石田学」の共催による講演です。
 齋藤茂吉の歌集『白き山』の舞台となった大石田町をNHKの番組『名作をポケットに』(1月に全国放送)の旅人として訪ねた佐藤輝が、歌集『白き山』と大石田町の印象、大石田町への提言などを語ります。
 大石田町は蔵作りの建物が点在し、芭蕉が『五月雨を集めて早し最上川』の句の元となった『さみだれを集めてすずし最上川』の句を詠んだ文化と歴史の町。
 1月、雪の大石田ロケの印象を
       ◆この岸も彼の岸も雪最上川
       ◆ぬくもりの雪のふとんや大石田
       ◆雪の原ふりわけ黒き最上川
と俳句に詠んだ佐藤 輝。6月、緑の大石田ではどんな印象を語りますか、お楽しみに。

  現在、受講生募集中。お問い合わせは山形県大石田町生涯教育センター生涯教育振興     0237-35-2094

                  

俳優佐藤輝 斎藤茂吉 白き山 大石田 最上川
最上川河畔で『白き山』について語る佐藤 輝 (撮影・天童真理子)


山形県内再放送決定 ! !
NHK 名作をポケットに『白き山』


 山形県大石田町でロケをしたNHK『名作をポケットに』斎藤茂吉『白き山』が好評にこたえて山形県内再放送されます。
 ◆山形県内放送 NHK総合テレビ 6月9日(月)午後4:15〜4:40
           「山形自由席」枠内での放送です。 
           ◆放送日時が変更になることがあります。
 佐藤 輝が斎藤茂吉の歌集『白き山』の舞台となった雪の大石田町を訪ね、作品について語り短歌を朗読した、名作をポケットに『白き山』。
 1月30日(木)にBS-2で全国放送され好評でした。
 3月20日に全国向けアンコール放送される予定でしたが、前夜から始まったイラク戦争による番組変更に伴い中止となっていました。
 皆様からの重ねてのご要望にこたえて山形県内だけですが総合テレビによる再放送が急遽決りました。
 佐藤 輝が語る茂吉の世界と冬の山形の美しさを再度堪能して下さい。

                        2003.6.5


東京松山会の皆様、楽しんで頂けましたね?

講演「“ラ・マンチャの男”とサンチョの私」
  
2003年5月25日(日) 
    12:20〜13:00 東京松山会講演
    会場  健保会館(はあといん乃木坂)
       
 東京在住の山形県飽海郡松山町出身者がつくっている「東京松山会」で講演しました。
 庄内の5月を『高曇り 鳥海 五月田に溶けて』と俳句に詠み、日頃から「サンチョの感性は庄内の風土と文化・歴史によって育まれた」と語っている佐藤 輝が、故郷への思いと95年以来378回演じている『ラ・マンチャの男』の大役サンチョに至るみちのり・エピソードを歌をまじえて語り、イメージでした帰省ゲームが好評でした。


JAZZ ! 植松孝夫, Kakko

 音楽も美術もジャンルにとらわれず興味があり、時間があればコンサートに行き美術館にも行く。ただし何でも良いかと言うとそうはいかない。オリジナリティーがあって自分の心に響く作品だけが、本当に好きだ。

 このところ久し振りにジャズ・ライブを聞く機会があって、ウキウキしながら出掛けたが、これが大当たりに素敵なライブだった。
 本物に出会った喜び! !

 南青山のBODY & SOULで聴いた植松孝夫さんのテナー・サックス。
 知的で落ち着いた響きの中に魂を揺さぶる熱いエネルギーが感じられてワインの酔いが心地良い。ステキな大人の時間を持てるしあわせを感じさせてくれる。ほとばしり出て来る楽しさに興奮した。
 ニューヨークでも活躍し、日本屈指のテナー・サックス奏者として知られる植松孝夫さん。6月、鎌倉ではテナー・サックスのデュオ・ライブもあると聞いた。鎌倉まで足をのばして聴きに行ってみたい。

 ジャズ・ヴォーカルのKakkoさん。
 魅力的なハスキーのかかったソフトな高音がセクシーで、熟成された大人の女性の雰囲気が聴く者の心を優しく包み込んでくれる。どうして今迄知らずにいたのだろう。ガキの音楽ばかりが大音量で垂れ流しされている時代に、本物は実に新鮮だ。京王プラザホテル45階スターライトラウンジで心癒される楽しい時間を過した。初対面ながら「ご一緒にライブが出来たら良いですね」とお互いにお世辞抜きの挨拶が出来たから、いつか『Kakko & Teru ジャズとミュージカル ジョイント・コンサート』なんて言う企画も夢では無いかも知れない。実現したら楽しいな。その時は是非おいで下さい。
 バックの大西バンドのトランペット、高橋正博さんの嫌みの無い軟らかな音もKakkoさんの響きに合って実に気持ち良かった。

 自分も本物でありたい! ああ、ホントに歌いたくなってきた。

                     輝 ☆彡 2003.5.15
 

俺、蛾次郎?
NHK少年ドラマ『あなたの町』


 何十年も前の出演作品のことなど扱っているホームページなどは無いだろうと思いつつ、試しに73年(昭和48)に主役を演じたNHK少年ドラマの『あなたの町』を検索してみて驚いた。出ている出ている、それも何ページにもわたって。

 大方は72年の『タイムトラベラー』から83年までの少年ドラマシリーズ全体の放送記録が主なのだが、30年以上経った今でも当時少年少女だった人たちの番組に対する熱い思いが積み重なって日々新しく語られ作られているホームページが幾つもあるのには感心した。嬉しくなった。

 そんな中でBBSの99年1月の過去ログに
「えっと、どうしても思い出せない作品あるので、どなたか教えてください。
1 町をでたいけど、橋が渡れない話。(佐藤蛾次郎さんがでてたような?勘違いか?)」と言うステテコ大将さんの疑問と、ろっちさんの答え「1は「あなたの町」(昭和48年放送)だと思います。出演者の佐藤輝昭さんと言う人は、佐藤蛾次郎さんの事なのかな?」と言う書き込みを見付けてこれはビックリの極み。

 おい! おい! おいっ!「佐藤輝昭」とはこの俺だよ。

 88年(昭和63)に松山善三監督の映画『母』出演を契機に現在の「佐藤輝」へ改めるまでその名前で出ていた。それが、時が流れたとは言え佐藤蛾次郎さんと同一人物にされては堪らない。僕自身が30年前にタイムトラベラー、『あなたの町』のヒロシになった。
  今迄、他へのカキコはした事が無かったが直ぐにそのBBSへレスを入れた。

 それからについては「てるてる広場」の小笠原功雄さんとの遣り取りの通りだ。

                     輝 ☆彡  2003.5.10


少年ドラマシリーズへの熱き思いのこもったホームページ『少年ドラマ伝説』とその掲示版をご覧下さい。 http://members.jcom.home.ne.jp/nino-p/

佐藤 輝 『あなたの町』出演記録


新緑や・・・
     
      5月3日 東京芸術大学構内の新緑
      この後でばったり野村萬斎さんと遭遇、「お久し振り」
      と立ち話。


『夢の仲蔵千本桜』初日

 わが旦那様・九代琴松こと松本幸四郎さん演出の『夢の仲蔵千本桜』初日の舞台を新橋演舞場で拝見した。

 面白い !
 僕は舞台の出来に素直で客席で良く眠る人だが、この舞台は全く眠くならない。いや、眠ってなどいられない面白さとテンポの良さ。

 江戸・森田座で初座頭となった中村仲蔵役の幸四郎さんと愛弟子・此蔵役の染五郎さんの息詰る丁々発止の遣り取り。芸と金と欲望と、今日でも思い当たることの多い劇場内での人間関係。ぐいぐい惹き付けられる舞台で、歌舞伎通、演劇通には必見の、そうでない人にも楽しめるサスペンス仕立ての舞台となっている。登場人物の思いがそのまま劇中劇の登場人物の思いにスライドして行く感覚は歌舞伎ミュージカルと言える構成で、とても楽しめる良い舞台でした。

 3月に『勧進帳』の弁慶700回を達成した幸四郎さんはますますお元気だ。

                     輝 ☆彡  2003.5.1  


再放送

 不景気になるとテレビに再放送番組が増える。これも景気のバロメーター。製作費を掛けずに放送時間を埋めるには一番手っ取り早い方法だ、が視聴者からは飽きられる。

 「先週、お昼の番組に出ていましたね。見ましたよ」と突然言われる。最近、こんな話が多い。がこちらは何の話しかまるで判らない。そうか、何かの再放送だ。

 撮影が済んだ後、最初の放送については予定がほぼはっきりしている。でも再放送については放送情報も無ければギャラも出ない。

 「どんな番組でした?」「ほら、お昼に○○チャンネルで今放送しているのよ」、と言われても毎日のテレビ放送欄をチェックしている訳では無いしなぁ。でも、再放送は時代劇かサスペンス。どっち?と訊くと「何とかの刑事よ」。これでも未だ未だ判らない。サスペンスは「○○の刑事」がいっぱいあるんだから。「続」が付いているのもある。「ほら、□□が刑事の! 」また、ほら! が付く。このごろの人、他人も自分と同じ生活をして同じものを見ていると思っている人が何と多いのだろう。でも、それで結論が見えて来た。もう一声だ。
 「雪の中で車運転していたよ! 」
 そこで初めて番組が確定する。あれだ ! その瞬間、自分の役や撮影の状況、ロケで泊まったホテルの食事をした宴会場までを思い出す。(セリフはもう忘れているが)
 それにしても、あんなに古いものが再放送 ?
  アーカイブスでもあるまいし、それだけ深刻な不況だと言うことだ。

 野茂100勝、おめでとう ! !

                     輝 ☆彡  2003.4.21


竹の子汁

 近くの並木の桜もそろそろ見納め。
 まばらになった梢からひとひらふたひら花びらが舞い落ちてくるのを手のひらに受け止めようと、真新しい制服姿の幼稚園児が必死に追いかける。その小さな足が起す空気の流れが散り敷いた花びらを巻き上げて小さなつむじ風を見せている。
 地面の白さと若葉越しの春の陽。雪の朝のように広々としてのどかな桜並木。
 今年は桜を十分に堪能させて貰った。が、いつもなら花見と共に始まるもう一つの楽しみが未だお預けを喰らっている。それは筍。

 近所に、うちでは「山形八百屋」と呼んでいる八百屋がある。季節の野菜が新鮮で安くて、覗くだけで買わずに出て来ても気にしないでいられる店だから僕も時々立ち寄る。
 その向いに以前あった八百屋は愛嬌の押し売りかと思えるほどやけに愛想が良いのだが、一歩店に近付いたら買わずには離してくれないチェックの視線。そして安いのはしなしなと半乾きになった野菜。この店はアッと言う間に客が離れて今は無い。

 「山形八百屋」が花見の時期の直前になって「4月10日まで改装工事休業」の張り紙を出した。それを見て僕は息を飲むほどに動揺した。おっとっとっとっ、それじゃ例年の花見のご馳走が楽しめないじゃないか。どうしてこの時期を少しずらしてくれなかったんだと働き者の八百屋夫婦に言いたかったがそれは我慢した。

 故郷、山形の庄内地方は自然に恵まれた食の宝庫。子供の頃は美味いこの味がどこにでも極く普通にあるものだと思って四季それぞれを味わっていたが、役者を目指して上京して初めて、故郷の味は特別上等のものだったのだと気が付いた。
 真冬の日本海でとれた『寒鱈のドンガラ汁』、冬の終りの糸魚(イトヨ)の煮付け(唐揚げ?)、庄内砂丘から春を掘りだしたキモト(アサツキ)の酢みそ和え、あのシャキシャキした食感。そして春爛漫には大きく切った生揚げと筍を味噌・酒粕で仕立てた、たけのこ汁。
 この筍汁が、祭りの決り料理のカラゲ(エイの乾物)の甘辛煮付け同様、うちの花見には欠かせない定番ごっつぉになっている。そしてその筍は「山形八百屋」から買うものと決っていた。

 この休業の間、至近距離にある3軒のスーパーで筍を見ても食指が動かなかった。「山形八百屋」の店先に積まれた去年の筍のイメージの方が新鮮で美味しく思えるからだ。

 今日、新装開店。
 出掛けに見ると店内の様子が分らないほどの人だかり。帰りには客も少なくなっているが棚も空になっていて・・・筍は・・・見当たらない !
 お預けを喰らって、生揚げは冷蔵庫へ、希望は明日へ。


 筍の皮に梅干しを挟んでチュパチュパと舐めていた頃を思い出したら、口の中が、うわぁ酸っぱ。 
                     輝 ☆彡  2003.4.11


「フツーの生活」

 新宿・紀伊国屋ホールで今日初日を迎えた芝居のタイトル。良い舞台です! 8日までの短期公演だが是非観て欲しい作品です。

 作は中島淳彦さん(劇団道学先生)。中島さんが台本を書いている女性だけの劇団ハートランドの公演を何度か拝見し、しっかりと骨太な作りでいながら軽妙に人情の機微を描く作風にとても魅力を感じていた。その中島淳彦作に魅かれて今回44北川さん率いる『44 Produce Unit』の公演を観ました。

 台本は期待通りの良いホン。幾ら台本が良くても舞台が良いとは限らないが、今日のさわまさし演出による舞台は登場人物夫々が活き活きと生きていて素晴らしい舞台だった。ズシリと重いテーマを持ちながら楽しく実に爽やかな感動の舞台を見せてくれました。  一観客として、ありがとう !

                     輝 ☆彡  2003.4.4                

桜は満開

 曇りから薄陽の射す穏やかな春の日になって桜は満開。時折花びらが上昇気流に乗って舞い上がり、キラキラと輝く様を眺めていると天上から楽の音が響いて来るような錯覚を覚えた。

 故郷、庄内地方での子供の頃の花見は風が強くて肌寒かった印象が強いが、それでも待ち切れなくて鶴岡(城址)公園や大山の池、酒田の日和山、狩川の楯山公園(?)などには何度も行った。
  自動車の少なかった時代で、余目から押切経由、コンクリートの小石がむき出しの国道を右へ左へ蛇行しながらのんびり重い自転車をこいで鶴岡公園まで花見に行ったのは楽しい思い出だ。
  城址の濠に大きく枝を張り出して咲く桜の大木に、城下町の歴史を感じていた。

 一番身近な桜は、校歌にも歌われた小学校の北に接して流れている吉田堰の堤の桜並木。その下で相撲を取ったり弁当を食べたり絵を描いたり、堰に入ってゴロ探し、蟹や鯰を捕ったりもした。坊主頭に下駄履きの入学写真の顔々とダブって色々なシチュエーションで思い出される。しかしその桜並木も、昭和40年代だろうか、全部伐採されたと聞く。

 そう言えば、3年前の7月に余目町の響ホールで『天国から来たチャンピオン』を公演した際に、最上川を桜で飾るためにと寄付を求められ、藤村俊二さんや別所哲也さん、川上麻衣子さんたちと一緒に記念の植樹をしたのだが、植えたあの桜は今どうなっているのだろう。桜の成長は早いからもう結構太くなっているかも知れない。今度帰省したら対面しに行ってみよう。立派に成長して故郷の春を彩る一本になってくれたら嬉しい。

                      輝  2003.4.3


『四季・春』

 14階から見た桜は控えめに言って2分咲きだったが、側まで行って下から眺めると未だ1分咲きと言うところ。もう1週間は楽しめると安心して帰宅。

 ベランダから花見。春風に吹かれながら冷えたビールで乾杯。お稲荷、のり巻き、焼き鳥、ダンゴと花見の定番にBGMはビバルディの『四季』。のどかで気持ち良く、直ぐにほろ酔いになった。
 以前は知人友人が集まって花見の会をするのが恒例だった。その後、この時期は多忙が続いてこんなにのんびりと春の日を過せるのは実に久し振り。

 のんびりも良い。生家にあったサワラの大木のてっぺんに登って庄内平野をぐるり眺めて過した子供の頃を思い出した。
                     輝  2003.3.30 夜 


花より団子

 桜並木が2分咲き。

 ぽかぽか陽気だから夕方には満開になるかも知れない。来週では遅いと沢山のグループがコンロや鉄板を持ち出し、山ほどの料理を広げて花見を楽しんでいる。見るからに花より団子。あぁ、それを見ている僕も食欲を刺激される。

 ここまで書いてもう我慢が出来ない。時は待ってくれない。
 失礼、この先はまた後ほど !
                      輝  2003.3.30 14:30


桜が3輪

 今年も春本番 ! 桜が咲き始めた。3輪、咲いた。

 特別決まったスケジュールが無い日でもほぼ毎日することはヴォーカル・トレーニングと体のトレーニング。今日も近くのYMCAプールでアクア・ウォーキングを1時間、みっちりやって来た。
 そこへの行き帰りに通った桜並木。昔、都電が走っていた専用敷が廃止とともに人専用の緑道公園となり、その後に植えられた桜が今では立派に成長して毎年桜のトンネルを楽しませてくれている。
 昨日、梢全体が桃色を帯びていたので期待をしながら並木に沿って歩いて行くと、南側の日当たりの良い枝先に開いたばかりの桜が2輪、まぶしく咲いていた。春本番だ。
 こうなると気分も浮き浮き、足取り軽く身も軽く、ハードなトレーニングも楽しくこなし、自分で考えたプログラムを追加して終わった。ふぅーっ、気分爽快 ! !
 帰りに見上げると、もう1輪咲いて3輪の桜が咲いていた。

 ハクモクレンは白く大きな花を伸びやかに満開、散り始めた木さえある。少し遅れてコブシも咲いた。今度の土日には気の早い花見客が歌い出すだろう。
 花見の出来る春はしあわせだ。
 
 水中ウォーキング、アクア・エクササイズなど呼び名は色々、内容も少しづつは違うけれど水中運動は本当に体に良い。体を痛めないで筋力アップにも体力増進にも効果がある絶対お勧めの楽しみながら出来る運動です。そのうち、6年間の実践を生かした佐藤 輝の「転ばぬ先の水中ウォーキング」を紹介したいと思っている。

                      輝  2003.3.26


『子午線の祀り』

 開花の早かった去年に合わせて10日も前に飾り付けをしたぼんぼりが雨に濡れながら、まだ咲かない並木を照らしている。
 全体が薄く桃色に見えるのは明りの所為ばかりでは無さそうだ。昨日の暖かな陽気と今日の湿りで蕾がグンとふくらんだように見える。数百メートル続く桜並木が見せてくれる春の移ろいを14階のベランダからゆったり満喫出来る日が待ち遠しい。

 元暦を 語る潮文字 春の月   輝

 99年のNHK『俳句王国』に出演した折に詠んだ俳句。元暦が難しくて皆さん点を入れてくれなかったが、元暦(げんりゃく)は年号。源氏と平家が壇の浦で雌雄を決したのが元暦2年3月24日、グレゴリオ暦1185年5月2日だった。
 「潮文字」は他では聞かないので『平家物語』を基に『子午線の祀り(しごせんのまつり)』を書いた木下順二さんの造語だろうか。干満の度に瀬戸内海に渦巻く潮の流れが文字の様に見えると言う意味でしょう。
 月と言えば秋、と頑なに主張する人もいるけれど、それはある時代の美的流行感覚であって、月は年間を通して見る機会があるし、その時々に月から感じるものはある訳だから春の月も否定されるものでは無いと思う。澄んだ秋空の青い月も美しいし、春の朧月も心が潤んで好きだ。特にこの場合、潮の満ち干は月の動きと切っても切れない関係があり、その動きを読んでいた源氏が勝利を収めたのは必然の結果なのだから(と、木下順二さんは書いている、と思う)。

 小学校6年で演じた木下順二作『彦市ばなし』の天狗の息子が受けて、その拍手の大きさに押されて役者を志した頃は将来その作者に直接お目に掛かれるなど夢にも思わなかった。それが、観世栄夫さんから99年2月の新国立劇場(新こくりつ劇場、です。ある所で講演した時「新くにたち劇場に出演」と紹介されたのにはポカンだった)公演『子午線の祀り』へ出演の誘いをいただいて、突然の実現となった。
  7年ぶりの上演は新中納言知盛に野村萬斎、九郎判官義経が市川右近、長年にわたって山本安英さんが演じて来た影身の内侍に三田和代と、主な出演者がかわることもあって前年8月に顔寄せがあった。
 役者にとって台本は命のようなもの。イメージを刺激する台本があってはじめて役者は役を創ることが出来る。その台本を書いた作者も命だ。
 顔寄せが済んだ後、木下順二さんに挨拶に行った。「天狗の息子がきっかけで役者になりました。42年もお世話になっています。」作者は「ほぉー、そうなの」と言ってぼくの顔をじいっと見つめた。
 公演は盛況で、僕が演じた弁慶と並ぶ義経の配下、鈴鹿の関の盗賊上がり・伊勢三郎義盛(いせのさぶろうよしもり)も中々好評だった。

 春雨に濡れた街は自動車の騒音も小さく、暖房を切っても寒さを感じなくなった部屋の気持ち良さに浸りながら、公演以来久し振りに『子午線の祀り』の台本を読んだ。

                     輝 2003.3.25


N H K 『名作をポケットに』
齋藤茂吉 白き山

 
 
NHKテレビのBS2とハイビジョンで放送している『名作をポケットに』は小説を中心に近代の名作の舞台を「旅人」が訪ね、その作品が作られた背景や作者の思い・人生観などを綴る番組です。今回、山形県出身の歌人・斎藤茂吉の晩年の歌集『白き山』の舞台、山形県・大石田町を佐藤 輝が「旅人」として訪ねました。構成・谷口かおり。

 大石田町は山形県内有数の豪雪地帯で、2メートル積もると「大雪になった」と言う土地です。今年(2003年)の初仕事となったロケ初日、除雪してあった駅前広場を見てこの程度の積雪かと少々不満気味のロケ隊でしたが、その直後、急にぼたん雪が降りだし、山も川も見えない、どこを撮っても同じ白一色の大雪になってしまいました。
 その天気の中で、歌人斎藤茂吉が敗戦による挫折に耐えながら昭和21年2月から翌年11月まで一人で住み、その間に大病を患った家『聴禽書屋』(ちょうきんしょおく)や、散歩した道、最上川を眺めた橋などを訪ねて、茂吉と大石田の人たちとの交流、詠んだ歌についての感想を語りました。



好評につきアンコール放送
  ◆放送 NHK  BS-2 3月20日(木)19:30〜19:54
             3月23日(日)朝6:30〜6:54

 1月30日(木)にBS-2で放送されて、放送直後から「感動した」「生きる勇気を貰った」「風景が奇麗 ! 」「雪の最上川に是非行ってみたい」「『白き山』を読んでみます」「短歌朗読が心にしみる」「輝さんの帽子とメガネ、コート、マフラーのコーディネイトがお洒落 ! 」「なかなか風格がありました」などの感想が届き好評だった『名作をポケットに』斎藤茂吉『白き山』がアンコール再放送されることになりました。


 番組が好評でアンコール放送されることは、番組作りに参加した者としてこんなに嬉しいことはありません。大石田ロケの収録中から、スタッフのチームワークを見ていて良い作品になるだろうとの予感はありましたが、思った以上の仕上がりで心に残る良い番組になったと喜んでいます。
 この『白き山』の仕事は、茂吉の世界を訪ねながら自分自身を再認識し、俳優としてのこれからの生き方を見定める大切な意味を持つ仕事になった。
 あの天候の中で頑張った谷口ディレクターはじめスタッフの皆さんに、お目出度う ! お疲れ様 !  お祝いと感謝の気持ちを送ります !
                           輝
    

フジテレビ『剣客商売』5『東海道見附宿』

  ◆放送 2003年2月25日(火)19:59〜20:54

 藤田まこと演じる秋山小兵衛の活躍を描いた池波正太郎原作の人気シリーズ。
 自分が仕えていた先代の主人の死が、実は殺人だったことを他人に言えず悩んでいた東海道見附宿の酒問屋『玉屋』の下働き・太作(佐藤 輝)は、主人の兄に頼まれて代筆した手紙を秋山小兵衛に送ったが・・・・。
 京都映画撮影所と福山の山中にあるオープンセットで撮影された久々のテレビ時代劇出演、老け役に挑戦しています。どうぞお楽しみ下さい。脚本金子成人、監督酒井信行。

 佐藤は「まことさんとは4ヶ月『その男ゾルバ』の舞台でご一緒した後、『はぐれ刑事』でもご一緒したが時代劇は初めて。時代劇も中々良いね。撮影の合間には銀閣寺や清水寺、天龍寺などをのんびり散策して湯豆腐や京料理を楽しみ『ラ・マンチャの男』公演が一段落した身には気分一新になるとても良い仕事でした。」と語っています。



 2003年7月〜8月 新しいページへ 
Copyright©2003-2022 TERUTSUU All Rights Reserved 記事・写真の無断転載を禁じます。