俳優佐藤輝のスペイン紀行 『ラ・マンチャの男』サンチョの『ドン・キホーテ』ガイド-3 カンポ・デ・クリプターナ、アルガマシージャ・デ・アルバ、グラナダ

スペイン紀行
サンチョの『ドン・キホーテ』ガイド-3
  

あそびごころの 佐藤 輝の世界
1995年からミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョ・パンサを
484回演じている俳優・佐藤 輝が案内する心の旅。
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 サンチョのスペイン旅行記『ラ・マンチャ ガイド』 | ミュージカル『ラ・マンチャの男』出演記録


                       文 / 写真 佐藤 輝

 (1)マドリー(マドリード MADRID)

 (2)エスキビアス(Esquivias) エル・トボソ(El Toboso)
  カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)


 (3)カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)
  アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba)
  グラナダ(Granada)


 (4)グラナダ(Granada) コルドバ(Cordoba)

 (5)バルデペーニャス(Valdepenas) アルマグロ(Almagro)
  プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)

 (6)コンスエグラ(Consuegra) トレド(Toledo)

 (7)バルセロナ(Barcelona) (セビージャ Sevilla)





(3) カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)
アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba)
グラナダ(Granada)


 体が冷えてがちがちにこわばっていたのだろう。12時間ほどぐっすり眠りこけた翌朝、カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)は晴れ上がった。
 レンタカーも煙を吐くことをやめて快走する。昨日のあの煙は何だったんだ?
 風車は昨日と打って変わって晴れ晴れと迎えてくれた。これこそがラ・マンチャの空。


    俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ ドン・キホーテが挑んだカンポ・デ・クリプターナの風車群
セルバンテスの『ドン・キホーテ』物語で、キホーテが「この怪物めが!」と戦いを挑んだのはここ、カンポ・デ・クリプターナの風車。



俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車群
ラ・マンチャの大地を吹く風が心地よい。400年前、サンチョ・パンサも吹かれた風だ。



 写真を撮っていると観光案内所のホセ・ルイス(Jose Luis)が出勤してきた。遠くから僕を見つけると長身を揺するようにして走ってきて抱擁した。
 いつも突然前触れも無くやって来るのだが今年は3年ぶりのハポンのサンチョ。お互い懐かしさが込み上げて涙ぐむ。元気で会えるのが嬉しい。


 案内所では、初めて訪ねた時に名刺代わりにサインして渡した95年の公演チラシをパネルにしてカウンターに展示してくれている。ここを訪れる日本からの観光客がそれを見ては喜んでくれるそうだ。ほんの少しだが、日本とスペインの交流に役立っているようで嬉しい。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車、観光案内所
1997年、2回目に訪ねると、95年の公演チラシをカウンターに展示してくれていた。



 前回02年の公演プログラムをプレゼントすると、僕が撮ったカンポ・デ・クリプターナの写真を見つけて「Aqui、Aqui、ここだ、ここの写真だ!」と喜んだ。



      俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 1995年6月青山劇場チラシ
サンチョとして初出演した『ラ・マンチャの男』1995年6月青山劇場公演のチラシ。



俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車
内部を見学できる風車の窓から東側に見える、ホセの観光案内所の風車とカンポ・デ・クリプターナの街並み。



 ホセと一緒にアナ(Ana)に会いに行く。
 Ana ! 風車の丘の直ぐ下にある土産物屋とバルを兼ねた店に入っていくと奥から仕事途中のアナが気恥ずかしそうにして出てきて握手した。カラッと明るいのにシャイなラ・マンチャ娘だ。
 一般的に女性は名前のつづりがaで終り、男性はoで終る。
 「元気 ?」「うん、元気。Satoは ?」「ああ、元気 ! 元気 ! Muy Bien ! Muy Bien ! Muy Bien ! !」。
 アナは仕事が暇な時はホセの案内所に時々遊びに来ていて、たまたま訪ねた僕と知り合った。父の仕事の関係で中学の頃にカナリア諸島で暮らし、その時に覚えた英語で全く英語を話せないホセとスペイン語を話せない僕の会話を助けてくれるありがたい存在だ。3人で再会を心から喜びあった。



俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車、アミーゴ、アミーガ
ホセ、アナと共に。



 晴れ上がったラ・マンチャの平原は、数年前に建てられた大きなワイン工場が吐き出す煙のほかは、以前のまま。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車群
西側から見た、カンポ・デ・クリプターナの風車と村。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車から眺める大平原
風車の丘の北側から西方向を見る。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車 アロンソ・キハーノ通り
キホーテの風見が槍で北をさしているアロンソ・キハーノ通りから見上げた風車。



 アロンソ・キハーノ通りにある家の屋根には馬にまたがったキホーテの風見が槍で北をさし、その先のドゥルシネア通りの白い家並が陽を浴びて輝き、3年の時の流れなど全く感じさせない。それを400年以上の時を経た白い風車が静かに見守っている。何度見ても飽きることのない、気が遠くなるように幸せな素晴らしい風景だ。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナ、ドン・キホーテの風見
「あの、星のもとへ!」キホーテの風見が指しているのは・・・。



 ああ、今年もラ・マンチャを訪ねることが出来た。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナの風車群
ラ・マンチャの大地に沈む夕陽を浴びる風車の群は美しい。



 サンチョの心で見るラ・マンチャの景色は、何度訪ねてもそのたびに新鮮に見える。
 今日のサンチョの気持が自分の心に同居し、自分自身も物語の世界に入り込む。
 この現実の乾いた大地が『ラ・マンチャの男』の舞台そのもののように感じられる。
 キホーテと共に自分がそこに立っている。
 セルバンテスの思いが見えてくる。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝撮影 カンポ・デ・クリプターナの風車群
風車をシルエットにして、ラ・マンチャの真っ赤な夕陽が沈む。





突然ですが、2007年1月20日放送のテレビ番組を見て

 ラ・マンチャの風車について

 新聞に「スペイン」や「風車」の文字があるとパァッと目に飛び込んでくる。昨日2007年1月20日、『スペイン風車の丘へ』と書かれたテレビ番組欄を見て、夜の放送を期待した。

 そのテレビ東京の番組『地球街道』「高橋克実 ラ・マンチャの男になりたい」で紹介されたスペインの風車の丘は、首都マドリー(マドリッド)から南に車で約200km行った所にある、サフランの産地としても知られるコンスエグラの風車だった。

 番組を見ていてあれェ!? と、耳を疑ったことがある。
 このコンスエグラの風車の映像にかぶって「この風車が、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」というようなナレーションの説明があったこと。
 僕は、『ドン・キホーテ(Don Quijote de la Mancha)』の物語の中でドン・キホーテが戦いを挑んだ風車は、コンスエグラからさらに東に約50km行った所にあるカンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)の風車がモデルだというのが定説だ、と信じていたからだ。
 ナレーション同様に、番組案内にもそのように明確に記されている。
 これは定説を覆す世紀の新説か? 単なる大間違いか? その意図は?

 1995年に松本幸四郎さん主演のミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョ(サンチョ・パンサ、Sancho Panza)として初出演することになり、役作りのために、前年94年11月から12月にかけてスペインを訪問した。ラ・マンチャ地方を中心にして、『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテス(Cervantes)と『ラ・マンチャの男』のドン・キホーテとサンチョにかかわる土地を訪ねた。
 
 その時、スペイン政府観光局から貰ったラ・マンチャ地方の資料には、「カンポ・デ・クリプターナ」について次のように記述されている。
 「逃げるな、憶病者め」と叫びながら巨人だと思いこんでしまった風車の群に突進する主人公。あの有名なシーンはここでくりひろげられたとされています。物語には30から40の風車があったと記述されていますが、現在では10基たっていて、いかにもドン・キホーテの世界らしい趣が喜ばれています。

 そして、この資料の「コンスエグラ」の項には、ドン・キホーテとのかかわりについての記述が一言もない。つまり、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はカンポ・デ・クリプターナの風車だということが、スペイン政府観光局も認める定説になっているのです。
 カンポ・デ・クリプターナの観光案内所のホセ・ルイスさんも「ここには『ドン・キホーテ』の物語に書かれていると同じ、30基以上の風車が当時あった」と説明してくれました。
 以来2005年まで6回、ラ・マンチャ地方を旅しているが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はコンスエグラだ」という説は1度も聞いたことがないし、資料に出合ったこともない。
 去年の正月に放送された番組で、松本幸四郎さんが訪れたのもカンポ・デ・クリプターナの風車でした。

 スペイン在住の知人に資料を調べてもらった。
 すると、2005年の『ドン・キホーテ』出版400年を記念してスペインで出版されたドン・キホーテのガイド『RUTA DE DON QUIJOTE』(『ドン・キホーテのルート』 ,Empresa Publica de Castilla - La Mancha出版)には、コンスエグラの風車について、11基の風車が紹介されていて、その文中で、
“Algunas fuentes situan su origen en el siglo XVI, pero parece que no hubo molinos en Consuegra antes del XVIII.”
“(風車の)起源は16世紀に遡るとする文献もあるようだが、18世紀以前コンスエグラに風車は存在しなかったと思われる。”
と記述しているとのこと。
 だとすれば、セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版された1605年当時、コンスエグラに風車は存在せず、モデルにもなりえない。
 また、カンポ・デ・クリプターナの風車について『RUTA DE DON QUIJOTE』は、
“.... Amena porque en ella podemos situar, segun la opinion generalizada de los cervantistas, la aventura mas popular y conocida de El Quijote , el combate contra los gigantes que resultaron ser molinos,........”
“・・・というのもキホーテの中で最もよく知られまた人気のある冒険は巨人、実際は風車との戦いの場面は此処であるというのがセルバンテス研究家達の一般的な意見だ。”
と説明しています。

 物語のモデルと主張する説は各地にあるが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」のモデルについては新説が出る余地はなく、カンポ・デ・クリプターナだとする説が間違いなく定説になっています。

 日本の旅行社の観光ツアーでは、カンポ・デ・クリプターナを巡るツアーもあるけど、「ドン・キホーテ」ゆかりの地 ラ・マンチャ地方の風車へご案内 ! 、とか、「ドン・キホーテゆかりのコンスエグラ」「ドン・キホーテのラ・マンチャ地方の風車」などと説明してコンスエグラに案内しているツアーが多く見られる。マドリーから古都トレドを経由して南のアンダルシア地方に向かうルート上にあるコンスエグラの方が、移動に便利だからなのかも知れないが、これでは「ドン・キホーテ」をイメージする人は、そのコンスエグラの風車が、ドン・キホーテが挑んだ風車のモデルだと思いこんでしまうだろう。思いこむのは、思いこんだの人の勝手だというだろうが・・・。

 ドン・キホーテが挑んだ風車だとか、『ラ・マンチャの男』の風車だとか限定して言わないかぎり、ラ・マンチャ地方の風車として、どちらも僕は好きな風車です。でも、サンチョの心が本当に高鳴るのは、セルバンテスの小説のモデルとして定説になっているカンポ・デ・クリプターナの風車。

 ああ、今年も、あのカンポ・デ・クリプターナの丘に早く帰省して、ラ・マンチャの大平原をサンチョの気持ちで眺めたい ! !

                   輝 ☆彡 2007.1.21





俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 佐藤輝 カンポ・デ・クリプターナ、風車の丘 翌日、風車の丘から南の大平原を見る。


俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ カンポ・デ・クリプターナ
セビージャ(セビリャ)のテレビ局の子供番組ロケクルーと偶然遭遇。案内役のキホーテとサンチョがJaponのサンチョが来ていると聞きつけて挨拶に来てくれた。



 風車の丘から見えた南に延びる白く乾いた道を40kmたらず。アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba)も地元の人たちがキホーテの故郷だと主張している村の一つ。



 「その名は思い出せないが、ラ・マンチャ地方のある村」とセルバンテスが書いた、ドン・キホーテが住んだ村はどこか。
 今から丁度100年前、出版300年にあたる1905年にセルバンテス研究者アソリンが「セルバンテスが入れられた土牢があるアルガマシージャ・デ・アルバがドン・キホーテが住んでいた村だ」との学説を発表して以来、ほぼ定説となっていた。
 事実、セルバンテスがかつて投獄されたことのある『メドラーノの地下室』と呼ばれる地下牢があり、彼はここで物語の着想を得たのだと村では説明する。



俳優佐藤輝 撮影 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ ドン・キホーテが生まれた村?
『メドラーノの地下室』がある建物はアルガマシージャ・デ・アルバ村の公民館? 足元の暗い窓が、地下牢の明り取りと換気口をかねている。



 集会所の中庭のような所にその入口はあった。階段を降りると土牢のイメージとは違って涼しく乾いている、そして無音。道路に向けて鉄格子の掛かった明かり取りと換気口を兼ねた穴が天窓のように開いている。右に曲がった突き当たりに土を刳り貫いたベッドが一つ。この固い寝床でセルバンテスは何を考えていたのだろうか。 



 アソリンの学説発表から100年たった今年、ライバルが出現した。
 コンプルテンセ大学のフランシスコ・パーラ教授のチームが「シウダ・レアルの南東にある、ビジャヌエバ・デ・ロス・インファンテス村だ」とする新学説を発表した。
 そこはアルガマシージャ・デ・アルバから南へ直線距離で50kmたらずにある村。自動車道A-4のラ・マンチャ・ワインの中心地バルデペーニァス(Valdepenas)から東へ30数km、モンティエル平原の真ん中に位置する村で、馬とロバの歩く速度と、サンチョ・パンサが毛布に入れられて投げ上げられた村の位置、ベンタ・デ・カルデナスからカルタナヘまでの道筋の3つの手がかりをもとに、「2日と1晩行ったところにある」といった記述から地図上で計算したところ、この村が浮上したと言う説。



 ドン・キホーテの故郷さがしは永遠のテーマとして、イメージと地理的条件をどう解釈するかによって様々の説がこれからも100年ごとに出てくるのだろうか。
 州政府が「キホーテ1冊1エウロ」キャンペーンをして、一人一冊、皆さん読みましょうと働きかけている。それが実現したならば珍説新説の洪水になるのではないだろうか。今でさえ、自分の村がモデルに違いないと思っている人ばかりなのだから。


 しかし真実は一つ、トゥリニターリアス修道院に眠っているセルバンテスの頭の中にのみ存在している。「事実とは・・・」セルバンテスの声が響いて来そうだ。



俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ ドン・キホーテが生まれた村? アルガマシージャ・デ・アルバ村の通りで。



 セルバンテスは『ドン・キホーテ』は元々はアラビア人がアラビア語で書いたドン・キホーテの伝記を古本市で手に入れ、モーロ人がスペイン語に翻訳し、それを自分が整理したものだと書いている。
 こうした構成は騎士道物語で多く使われたテだそうだが、デール・ワッサーマンが作ったミュージカル『ラ・マンチャの男』の三重構造にもつながる面白い設定だ。
 それにしてもその原典をアラビア語に設定したと言うことは、セルバンテスとイスラムには大きな関わりがあったからだろう。
 サンチョが旦那様に「ムーア人だ。回り道して参りましょう」と言うセリフがあるが、ムーア人とはモーロ人とも呼ばれるイスラムを信仰する北アフリカ人のこと。


 セルバンテスと深く関わりがあったイスラム文化を知るには・・・そうだ ! イスラム文化の華、グラナダ(Granada)のアランブラ(アルハンブラ)宮殿を訪ねてみよう、とサンチョはアンダルシア地方へ向かった。




ミュージカル『ラ・マンチャの男』 帝国劇場公演
松本幸四郎さんのドン・キホーテと佐藤 輝のサンチョ

俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ




 (1)マドリー(マドリード MADRID)

 (2)エスキビアス(Esquivias) エル・トボソ(El Toboso)
  カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)


 (3)カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)
  アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba) グラナダ(Granada)


 (4)グラナダ(Granada) コルドバ(Cordoba)

 (5)バルデペーニャス(Valdepenas) アルマグロ(Almagro)
  プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)

 (6)コンスエグラ(Consuegra) トレド(Toledo)

 (7)バルセロナ(Barcelona) (セビージャ Sevilla)




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