スペイン紀行『ラ・マンチャの男』サンチョの『ドン・キホーテ』ガイド マドリー

スペイン紀行
サンチョの『ドン・キホーテ』ガイド-1
  

  
あそびごころの 佐藤 輝の世界
1995年からミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョを484回演じている佐藤 輝が案内する心の旅。
     
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 サンチョのスペイン旅行記『ラ・マンチャ ガイド』 | ミュージカル『ラ・マンチャの男』出演記録



ミュージカル『ラ・マンチャの男』

      2005.6帝国劇場 左、ドン・キホーテ(松本幸四郎) 右、サンチョ(佐藤 輝) 写真提供・東宝

 






                       文 / 写真 佐藤 輝

 (1)マドリー(マドリード MADRID)

 (2)エスキビアス(Esquivias) エル・トボソ(El Toboso)
  カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)


 (3)カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)
  アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba)
  グラナダ(Granada)


 (4)グラナダ(Granada) コルドバ(Cordoba)

 (5)バルデペーニャス(Valdepenas) アルマグロ(Almagro)
  プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)

 (6)コンスエグラ(Consuegra) トレド(Toledo)

 (7)バルセロナ(Barcelona)  セビージャ(セビリア Sevilla)





(1) マドリー(マドリード MADRID)


 セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版されてちょうど400年となった2005年2月。
 日本のサンチョ、3年ぶり、6回目の帰省を迎えてくれたスペインは冷え込んでいた。



スペイン広場のドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像と共に。



 マドリー(マドリード MADRID)に着いてまず目指したのはセルバンテス(1547-1616)の没後300年を記念して1930年に造られたスペイン広場。
 左手に槍を持ち右手を上げてロシナンテにまたがるドン・キホーテと、ロバのルシオに乗って従うサンチョ・パンサの銅像。左右にドルシネアとアルドンサの像。後ろに建つ高い白い石柱の台座からはセルバンテスが『ドン・キホーテ』の世界の住人を見守っている。








プラド美術館。ゴヤ『1808年5月3日:プリンシペ・ピオの丘での銃殺』(部分)。




ベラスケス『ラス・メニーナス』(『フェリペ4世の家族』)。



 大好きなゴヤ、ベラスケスの絵画をプラド美術館で堪能した後は、アトーチャ駅の手前を南へ400mほど上った右側アトーチャ通り87番地を訪ねる。世界で最も読まれている小説と言われる『ドン・キホーテ』を1605年に出版した出版社があったところで、建物の壁に初版出版記念碑がはめ込まれている。


 写真を撮っていると通りすがりの人たちが何を撮っているのかと記念碑を見上げるので、その度に『ドン・キホーテ』とセルバンテスの説明をするが、思わず知らずに旦那様を誇りに思うサンチョの口調になっているのに気づいて苦笑する。
 400年前にここで出版された『ドン・キホーテ』が多くの言語に翻訳され、今や新しい命を持ったミュージカルとなって世界中で上演されている。表現の持つエネルギーの大きさをあらためて思わずにはいられない。
 今年スペインでは出版400年を記念して多くのイベントが企画されていると聞いた。



      
        アトーチャ通り87番地『ドン・キホーテ』初版出版記念碑。



 セルバンテスは出版記念碑から北に400mほど入ったロペ・デ・ベガ通りにあるトゥリニターリアス修道院に眠っている。



      
        ロペ・デ・ベガ通りにあるトゥリニターリアス修道院(屋根に十字架、南から見る)。



 ここの教会入り口は限られたミサの時間にしか開かない上に、その時間を確認出来るのはそのミサの時間だけ、と言う不思議なところだ。



トゥリニターリアス修道院(北西の角)。








トゥリニターリアス修道院正面外壁にあるセルバンテス埋葬の碑。



 氷雨の中、修道院の壁をなでながら、奥で眠っているはずのセルバンテスに声をかけた。「ハポンのサンチョが出版400年のお祝いを言いたくて会いに来ましたよ」。けれども、もう何百年も閉じられたままのように見える壁とも扉ともつかない入り口は開かなかった。




トゥリニターリアス修道院、教会祭壇。



 1616年4月23日にセルバンテスが亡くなったのは更にもう1本北にあるセルバンテス通りの西の角。ここの壁には旧居跡を示すプレートが掲げられている。


 この通りの先にはスペイン黄金期の演劇界で寵児としてもてはやされた劇作家ロペ・デ・ベガ(1562-1635)の旧居、記念館がある。
 1610年にこの地に住んだと言うから、6年間ほどはセルバンテスと同じ町内だったことになる。15歳年長だったセルバンテスは、生涯に2000以上の戯曲を書き女性にもてたロペ・デ・ベガを「自然界の怪物」と評したと言う。
 400年近く経ったいま、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったロペ・デ・ベガの名前を知る人はほとんどいないが、二束三文で原稿を売り渡さざるを得なかった貧乏作家セルバンテスはスペインの誇りとなり、姿はヨーロッパ通貨エウロ(EURO)のコインの肖像に、その名は『ドン・キホーテ』の作者として世界に知れ渡っている。


 ブルッ。
 偏西風蛇行と「北極振動」による今年の日本海側の大雪と同じ現象でスペイン各地でも最低気温を更新、標高600メートルの高原にあるマドリーでは1月末に雪が降り路上駐車の車の列が白一色になったとニュースで報じられていた。


 冷え込む日には煮込み料理が一番だ。カスティーリャ料理の代表コシード(Cocido)専門店に入る。
 食事時で店は満員。予約でいっぱいですと断られたが、ちょうど客が立ち上がって空いた席が見えた。ここはサンチョの気持ちになって「ほんのチョットだけ !」と空いたばかりの席を見ながら頼み込む。ディレクトールは一瞬考えたが、注文が一品だけで良いなら、と言う。一品も一品、それでもゼッタイに食べ切れないほどの量が出てくるのは分っているから「ポルファボール !」。席に案内されて「ムーチャス・グラシアス ! !」。満面の笑顔で礼を言った。
 スペインでは1日に5回食事をすると言われる。その中で一番重きをおくのは午後2時頃から2,3時間をかけてゆっくり食べる昼食。だから一品だけで終るスペイン人は少ないだろうが、日本人には一品でも余ってしまうほど多い量だ。


 コシードを鍋料理と紹介しているガイドブックが多い。でも出されたものを見れば壺料理と言うのが正しいように思える。
 パスタ、ひよこ豆、チョリソ、豚の塩漬け肉などにたっぷりオリーブオイルを入れて煮込んだ素焼きの壺から最初はスープを、次にパスタ、そして豆、肉類と順々に皿に取り出して食べる。カマレロ(ウェイター)が手品のように取り分けてくれる。生タマネギ、青唐辛子のピクルス、オリーブなどを付け合わせに、ビノ(ワイン)の程よい酔いがまわる。




コシードは壺に入って出てくる。このオリーブとピクルスも美味い。




とても食べ切れない量だ。



 キホーテとサンチョもこんな美味い食事をすることがあったのかな、材料はともかく似たような煮込みは食べただろうな、などと酔った頭で考えていると突然ドドーンと大地を揺るがす大音響が天空から轟いた。と同時にバジャバジャと建物全部を包み込むような響きがして土砂降りの雨、いや、目を凝らすと降っているのは叩きつけるようなみぞれ。
 石畳のマドリーの町は一時間ほどでぐじょぐじょの大きな水たまりになってしまっていた。




マッシュルーム鉄板焼き専門のメソン・デル・チャンピニオン。熱々を食べる。




老舗レストランBOTINボティンのニンニク・スープ、ソパ・デ・アホ。体がポカポカになる。




これがBOTINボティン名物の仔豚の丸焼き、COCHINILLO ASADO。



ヘミングウェイが愛したレストランとして知られる1725年創業のマドリードの老舗BOTINのDirector Gerente(社長)、ANTONIOご夫妻の歓迎を受けた。






 (1)マドリー(マドリード MADRID)
 
 (2)エスキビアス(Esquivias) エル・トボソ(El Toboso)
  カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)

 
 (3)カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)
  アルガマシージャ・デ・アルバ(Argamasilla de Alba)
  グラナダ(Granada)

 
 (4)グラナダ(Granada) コルドバ(Cordoba)
 
 (5)バルデペーニャス(Valdepenas) アルマグロ(Almagro)
  プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)
 
 (6)コンスエグラ(Consuegra) トレド(Toledo)
 
 (7)バルセロナ(Barcelona)  セビージャ(セビリアSevilla)






                  ☆彡




 この文章は、2005年5月の名古屋・名鉄ホール、6月帝国劇場『ラ・マンチャの男』公演プログラムに掲載されたものに、字数の関係で割愛した文章を加えたものです。

 10年にわたってサンチョを演じている僕にとって、スペイン、ラ・マンチャ地方は第二の故郷です。

 今回、マドリーからラ・マンチャ地方、アンダルシア地方を回ったレンタカーの走行距離は1328Kmでした。
 ちなみに過去5回のスペイン旅行で自分が運転して走ったレンタカー走行距離を計算してみた。
 1994年、サラマンカ、セゴビア、チンチョン、サント・ドミンゴ・デ・シュロス、トレドをバスで訪ね、レンタカーではマドリーからラ・マンチャ地方(カンポ・デ・クリプターナ、エル・トボソ、デルモンテ、アルガマシージャ・デ・アルバ、アルマグロ、コンスエグラ)中心に615km。
 97年には飛行機とバスでセビージャからコルドバ、グラナダを回り、一度帰ってマドリーからラ・マンチャ地方をレンタカーで訪ねる予定だったが、グラナダのホテルでパスポートからホテルバウチャー、国際免許証まで貴重品の盗難にあい、レンタカー移動を断念。以降は飛行機、列車、タクシーで移動した。当初予定していたカンポ・デ・クリプターナ、プエルト・ラピセを訪ねた。警察でタクシーの手配の仕方を尋ねたら、遠方から呼んでくれたのには驚いた。
 3回目99年にはマドリーからラ・マンチャ地方(エスキビアス、エル・トボソ、カンポ・デ・クリプターナ、サンタクルス・デ・ムデラ、アルマグロ)、コルドバ、セビージャをレンタカーで回った。走行距離1444km。
 2000年はバルセロナに入り飛行機でマドリーへ。そこからレンタカーでラ・マンチャ地方(エスキビアス、カンポ・デ・クリプターナ、アルマグロ、コンスエグラ、トレド)、コルドバ、セビージャを往復して1372km。
 2002年。マドリーから西へ走り刺繍で知られるラガルテラ村、もどってエスキビアス、カンポ・デ・クリプターナ、エル・トボソ、アルマグロ、トレドと993km。
 6回の旅行で合計5752km走った。

 本文には登場していませんが、94年に初めてスペインを訪ねた時に奇跡的に出会い、以後スペインへ帰省するたびにお世話になっているマドリー在住の光林周三さんの精神的な支えが、今まで6回のスペイン旅行を実のある素晴らしいものにして下さいました。
 心から感謝申し上げます。

                   佐藤 輝   (2005.8.27)


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