山形県出身芸能人文化人
          
山形県出身 芸能人文化人
                     (関係者も含む)

        


あそびごころの佐藤 輝の世界

                  
 

H O M E
 | プロフィール | 俳優・佐藤輝 | サンチョ写真館 | 俳句 | エッセイ | てるてる広場 | 縁あってリンク|
         
 
俳優・佐藤 輝の故郷、山形県・庄内地方・庄内町|
          


連絡先は公開されている所属事務所などを掲載しています
の付いたお名前はクリックでHPにアクセスします。


【あ】
  青木裕子(タレント・高畠町・米沢東高校卒)

  青羽 剛(俳優・東京生れ鶴岡市・鶴岡西高校卒)

  あき 竹城(タレント・米沢市・―)
   オフィスあきこ 03-3530-7046

  朝倉 さや(シンガー・ソングライター・山形市・山形商業高校)
   Solaya Label 042-400-7527
   2013年4月5日 自身作詞作曲『東京』でデビュー 

  阿曽山大噴火(タレント・山形市―)
   大川豊興業(ニトログリセリン)  03-3457-7625

  阿部 和重(作家・東根市・楯岡高校中退)
   『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞受賞

  阿部 裕見子(俳優・遊佐町・酒田南高校卒)
   オフィス 天童 03-3649-8754   
   
  阿部 義弘(演劇プロデューサー・庄内町、旧余目町・
   酒田一高、現酒田東高等学校卒) 
   阿部義弘事務所 048-475-0355

  雨空 ライポ(タレント・鶴岡市・―)
   オフィス北野(雨空トッポ・ライト) 03-3588-8121


【い】

  井浦 新 (俳優・父白鷹町出身・―)
   テンカラット 

  石井 ふく子 (テレビプロデューサー、舞台演出家・
   旧吹浦村箕輪 現遊佐町に戦時疎開・―)

   ストーンウェル 
   『渡る世間は鬼ばかり』プロデューサー、舞台『おしん』など演出多数。

  石川 牧子 (元日本テレビアナウンサー・鶴岡市・酒田東高校卒)
   日テレ学院長 03-3222-2922
   
  石沢 智幸 (タレント・山形市・日大山形高校卒)
   ニチエンプロダクション(テツandトモ) 03-5275-7540

  市原 多朗 (声楽家・酒田市・酒田商業高校卒)
   梶本音楽事務所 03-3574-0969

  伊藤 豪 (俳優・天童市・―)
   オフィスアドック 03-3796-0623

  井上 京子 (プロレスラー・南陽市・―)
   全日本プロレス興行 03-3493-6541

  井上 ひさし (作家・劇作家・川西町・―)
   こまつ座 03-3862-5941
   本名井上厦さん(75歳)は2010年4月9日、肺がんのため神奈川県鎌倉市の
   自宅で逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

  井上 史雄 (明海大学教授・鶴岡市・鶴岡南高校卒業)
   明海大学外国語学部(日本語学科) 社会言語学、方言学

  井村 久美子 (女子走幅跳・酒田市・酒田3中卒、日大山形高)
   陸上競技女子走幅跳日本記録保持者
   旧姓池田


【う】

  ウド 鈴木 (タレント・鶴岡市、旧藤島町・庄内農業高校)
   浅井企画(キャイーン) 03-3443-5980

  梅津 正彦 (ボクシング、アクション指導・
   東京生まれ酒田・酒田東高等学校卒)

   梅津ボクシング倶楽部 山崎静代(しずちゃん)トレーナー
   梅津正彦さん(44歳)は2013年7月23日、悪性黒色腫のため
   逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。


【え】
【お】
  大泉 逸郎(歌手・河北町・―)
   スリーウッド・プロデュース 03-3226-3471

  大場 公之(訳詞、歌唱指導・尾花沢市・山形北高校音楽科卒)

  大場 満郎(冒険家・最上町・山形県立農業経営研究所卒)
   アースアカデミー・大場満郎冒険学校 主宰

  奥泉 光(小説家、ミュージッシャン・三川町・)

  奥山 由美(声楽家・河北町・山形北高校卒)
   モンゴル国立歌劇場プリマドンナ


【か】
  加藤 典洋(文芸評論家・山形市・山形東高校卒)
   1985年『アメリカの影』。1997年『敗戦後論』。

  神尾 修(ピアニスト、編曲、音楽監督・米沢市・―)
   佐藤 輝出演OH ダディー! 音楽監督

  上林 義之(力士・鶴岡市、旧藤島町・加茂水産高校卒)
   八角部屋


【き】
  北岡 ひろし(演歌歌手・鶴岡市・―)
   ミノルフォン『竹屋の渡し』『最上川恋歌』

  木瀬錦 秀明(力士・大蔵村・―)
   北の湖部屋

  北 重人(時代小説作家・酒田市・酒田東高校卒)
   「超高層に懸かる月と、骨と」1999年オール讀物推理小説新人賞受賞。
   2004年「天明、彦十店始末」松本清張賞最終候補。
   07年「蒼火」で大藪春彦賞。09年1月「汐のなごり」直木賞候補。
   本名渡辺重人さん(61歳)は2009年8月26日、胃がんのため逝去されました。
   ご冥福をお祈り申し上げます。

  吉川 よしひろ(ジャズチェリスト・鶴岡市・―)

  木戸口 静(漫画家・山形市・―)
   「お水の花道」

  木村 隆(演劇評論、スポーツニッポン文化部・鶴岡市・―)

  木山 潔(演劇制作・酒田市・酒田東高校卒)
   木山事務所 03-5958-0855
   木山潔さん(70歳)は2013年1月20日、肺がんにより逝去されました。
   ご冥福をお祈り申し上げます。


【く】
【け】
  ケーシー 高峰(タレント・新庄市・―)


【こ】
  小久保 丈二(俳優・―・―)
   円企画(劇団円) 03-5828-0654

  五島 重彰(ホテルオークラ特別顧問・酒田市・酒田東高校卒)
   (株)ホテルオークラ 前代表取締役副社長 03-3582-0111
   (株)JALホテルズ代表取締役会長

  後藤 ひろひと(俳優、劇作家、演出家・・山形東高校卒)
   Piper 吉本興業

  琴原田 大(力士・東根市・―)
   佐渡ヶ嶽部屋
   
  琴福寿 秀太(力士・舟形町・―)
   佐渡ヶ嶽部屋


【さ】
  斉藤 志郎(俳優・酒田市・酒田工業高校卒)
   文学座 03-3357-5361

  斎藤 慎爾(俳人、出版、編集、批評・酒田市(京城生まれ)・酒田東高校卒)
   深夜叢書社 03-3207-8064

  沙川 サチ(ジャズ、ポピュラー歌手・酒田市、旧平田町・―)
   エーワン・プロ 03-3403-3660

  佐々木 則夫(サッカー監督・尾花沢市・―)

   前なでしこジャパン監督 2011女子サッカーワールドカップ優勝監督

  佐高 信(評論著述業・酒田市・酒田東高校卒)
   
  佐藤 一也(俳優・父親大江町左沢・)
   2014.7.24〜27 劇団SBZ『石川五右衛門』出演

  佐藤 賢一(作家・鶴岡市鶴岡南高校卒)

  佐藤 純彌(映画監督、脚本家・父親鶴岡市、鶴岡市に戦時疎開)
   第12回日本アカデミー賞最優秀作品賞『敦煌』
   モントリオール国際映画祭グランプリ『未完の対局』
   『人間の証明』『おろしや国酔夢譚』など作品多数

  佐藤 彰一(学士院会員・名古屋大学特任教授・西洋中世学会会長・
   庄内町、旧余目町
・酒田東高校卒)
   名古屋大学名誉教授、中世西洋史
   
  佐藤 輝(俳優、ミュージカル・庄内町、旧余目町・酒田東高校卒)
   オフィス 天童 
   ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ役484回出演記録

  
佐藤 正宏(俳優・天童市・日大山形高校卒)
   WAHAHA本舗 03-3486-2666

  佐藤 稔(声楽家・酒田市・酒田東高校卒)
   ミュージカルアカデミー

  佐藤 唯(タレント・寒河江市・山本学園高校卒)
   サンミュージックプロダクション

  佐藤 玲江(俳優・―・山形大学卒)
   蛭川企画 03-3591-8341

  佐渡ヶ嶽親方(大相撲親方・尾花沢市・―)
   佐渡ヶ嶽部屋 元・琴ノ若晴将


【し】
  下谷 二三子(・)
   やちごプロ 03-3388-4513

  下山 淳(ギタリスト・鶴岡市・鶴岡西高校卒)

  庄司 永健(俳優・新庄市・―)
   希楽星

  白崎 映美(歌手・酒田市・酒田中央高校卒)
   M&Iカンパニー 03-5453-8899(上々颱風)

  白幡 大介(俳優・鶴岡市三瀬・鶴岡西高校卒)
   劇団文化座

 
【す】
  鈴木 昭生(俳優・朝日町・―)
   鈴木昭生さん(82歳)は2009年8月18日、心不全により逝去されました。
   ご冥福をお祈り申し上げます。
   
  須藤 満(ベーシスト・山形市・―)
   ヴィレッジ・エー(ティー・スクエア) 03-5466-0071


【せ】
【そ】
【た】
  高嶋 宏(ジャズギタリスト・山形市・山形東高校卒)

  高橋 浩二朗(俳優・父米沢市・)
   加川事務所03-3363-8379
   2014.7.24〜27 劇団SBZ『石川五右衛門』出演

  高橋 達也(テナーサックス奏者・鶴岡市・―)
   元・「高橋達也と東京ユニオン」バンドリーダー
   本名高橋達朗さん(76歳)は2008年2月29日、膵臓がんにより逝去されました。
   ご冥福をお祈り申し上げます。

  高橋 徹(ジャズドラマー・酒田市・酒田東高校卒)

  高橋 正圀(シナリオ作家・米沢市・―)

  鷹羽 狩行(俳人・新庄市・―)
   俳誌「狩」創刊、主宰

  武田 裕子(フジテレビアナウンサー・―・山形西高校、山形大学卒)
   フジテレビ(アナウンス部)  03-5500-8888

  橘 ノ 圓 (落語家・南陽市・―)
   落語芸術協会理事
   本名布施重雄さん(78歳)は2014年5月29日、肺炎のため埼玉・
   三郷市内の病院で逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

  ダニエル・カール(タレント・夫人山形県出身・―)
   サラブレッド・プロモーション 03-5485-3761


【ち】
【つ】
  つちだ よしはる(絵本作家・鶴岡市・―)


【て】
  天童 真理子(舞台制作、プロダクション・山形市・山形西高校卒)
   オフィス 天童 代表


【と】
  常磐津千代太夫(常磐津・米沢市・―)

  富樫 森
(映画監督・鶴岡市、旧藤島町・鶴岡南高校卒)


【な】
  中島 みゆき(歌手・母山形市出身・本人山形6中一時在籍)

  中村 映里子(俳優・南陽市・)

  渚 ようこ(歌手・白鷹町出身・―)
   
昭和の歌謡曲を歌う 新宿・ゴールデン街『汀』

  奈良崎 真美(タレント・―・―)
   トリック・スター

  南部 虎弾(ミュージッシャン・鶴岡市・鶴岡南高校卒)
   クラフトワーク(電撃ネットワーク) 03-5489-7538


【に】
【ぬ】
【ね】
【の】
【は】
  芳賀 徹 (評論・翻訳 比較文学者・山形市・山形南高等学校)
   
国際日本文化研究センター名誉教授、東京大学名誉教授、
   京都造形芸術大学名誉学長
   2017年度日本芸術院賞・恩賜賞受賞
「文明としての徳川日本 1603
   〜1853」(平成29年9月 筑摩書房刊)により

  萩生田 千津子 (俳優・上山市・山形商業高校卒)

  白鷹山 亨将 (力士・白鷹町・―)   
   
高田川部屋

  畠中 洋 俳優・山形市・日大山形高校卒)
   
ケイファクトリー 03-3770-221

  旗本 由紀子 (アナウンサー・―・山形大学卒)


  
浜 博也 (歌手・飯豊町・長井高校卒)
   スリーウッド・プロデュース
   
  林 隆三 (俳優・両親山形県出身・―)
   カロゼロ 03-5485-8852
   林 隆三さん(70歳)は2014年6月4日、腎不全のため
   都内の病院で逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。 

  林部 智史 (歌手・新庄市・鶴岡市立荘内看護専門学校中退)
   avex trax
   2016年2月24日「あいたい」シングルリリース
   『THEカラオケ★バトル』2016年間チャンピオン決定戦優勝

  羽山 みずき (演歌歌手・鶴岡市・―)
   サンミュージックプロダクション
   本名田沢瑞姫 2016年4月日本クラウンより「紅花慕情」でデビュー 
 
  春田 優雅 (俳優・―・―)  


【ひ】
  瞳 笑二(タレント・―・―) 
  太田プロダクション(アンクルベイビー)  03-3359-6266

  瞳 ひろし(俳優・―・―)
   劇団誠 03-5952-1203

  ビート キヨシ(タレント・―・―)
   オフィス・ビートキヨシ 03-5424-1025


【ふ】
  藤林 聖子(作詞家・山形市・日大山形高校卒)
   オフィス・トゥー・ワン
   1995年「Wonderful Bravo!」で作詞家デビュー

  古瀬 絵理(フリーアナウンサー・尾花沢市・新庄北高校)
   オフィス・トゥー・ワン

  
【へ】
【ほ】

  北勝国 英明(力士・鶴岡市・―)   
   八角部屋

  北勝鶴 豊(力士・鶴岡市・―)   
   八角部屋

  本上 まなみ(俳優・母鶴岡市出身・―)


【ま】
  前田 勝(力士・鶴岡市、旧櫛引町・―)
    放駒部屋

  眞島 秀和(俳優・米沢市・米沢興譲館高校卒)
   ザウス ZAZOUS 
  

  松田 智恵子(俳優・―・―)
    円企画(劇団円) 03-5828-0654

  真矢 みき(俳優・父庄内町、旧余目町出身・―)
   ブルーミングエージェンシー 03-5468-7755
   お父さんの出身地は「俳優・佐藤 輝-25」2010.10.21 をご覧下さい。

  丸谷 才一(作家・鶴岡市・旧制鶴岡中学、現鶴岡南高校卒)
   平成23年文化勲章受章者。
   本名根村才一さん(87歳)は2012年10月13日心不全のため
   都内の病院で逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。 


【み】
【む】
  村川 透(映画監督・山形市・山形南高校卒)


【め】
【も】
  最上川 司(ビジュアル系演歌歌手・河北町・谷地高校卒)
   デビューシングル「まつぽいよ」2015年6月10日発売
   ユニバーサル ミュージック合同会社


【や】
  柳家 〆治(落語家・新庄市・新庄北高校卒)

  山川 元(映画監督、脚本家・上山市・山形商業高校卒)


【ゆ】
【よ】
  吉田 司(ノンィクションライター・山形市・―)

  吉村 美栄子(山形県知事・大江町・山形西高校)
   

【ら】
【り】
【る】
  留美(俳優・―・―)

   ケイエムシネマ企画 03-3350-9358


【れ】
【ろ】
【わ】
  渡辺 えり(俳優・山形市・山形西高校卒)

   ノックアウト 03-5728-6966

  渡辺 由紀(俳優・山形市・山形北高校卒)
   オフィスのいり



   新情報が入り次第追加掲載します。    最終更新日2018年6月18日




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『俳優・佐藤 輝』ページへ 





佐藤 輝 出演情報
  2018.11.16(金)〜18()
  開演時間 16日夜19:30 17日昼13:30 18日昼13:30 開場は各1時間前
  神楽坂アコースティックライブホールTHEGLEE

  オフィス天童 朗読公演
  感動するRO-DO-KU LIVE
  『99のなみだ・星』より『幸せのレシピ』と太宰治作『清貧譚』『カチカチ山』より  
  『生きるよろこび』


   出演
    花柳寿楽・浅井ひとみ 吉田賢太 堀口幸恵 佐藤拓馬・佐藤 輝
 



お問い合わせ オフィス天童 メール





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春は食欲! テーマパーク富士屋ホテル 

 早々の桜満開と晴天続きの初夏陽気に誘われて、ひさびさの箱根へ。

 平日なのに小田原厚木道路を降りた途端に大渋滞。
 箱根湯本の通りはバスを待つ人、土産物屋を巡る人、こんなに沢山の客がやって来る温泉地なのだと再認識した、人、人、人、・・・

 10メートルほど進んでは停まり、また進んでは停まるを繰り返して、そのゆったりの時間、以前50ccバイクで来た時に食べたはつ花そばの味を思い出したり塔ノ沢一の湯の一夜の発端が何だったかを考えたり、萌えはじめた早川対岸の山の美しさに見とれたり、大平台の急カーブの先に咲き誇る枝垂れ桜の鮮やかさにここだけはもっとゆっくり走りたいなどと勝手なことを考えているうちにくねくねカーブが終って宮ノ下の集落へ入る。

 通りの先に、箱根駅伝のテレビ中継ではいつも紹介される富士屋ホテルの特異な建物が見えた。


 
明治24年竣工の富士屋ホテル本館。大きなガラス窓のサンパーラーは昭和10年大改修までは正面玄関だったところ。その2階が今宵泊まる部屋。



 ここ富士屋ホテルは34年前にテレビ番組「松本清張事件にせまる」のロケで、佐分利公使を乗せた自動車の運転手役で訪れて以来。
 その時は、和洋折衷と言うよりは形も色も支離滅裂ゴッチャ雑ぜの変な建物という、余り良い印象をもたなかった。




本館に続く右側の建物2階がメインダイニング「ザ・フジヤ」。



 僕が持っている印象とは正反対に、その富士屋ホテルがなぜこんなにも世に知られて、5つ星の宿に選ばれるほど評判が良いのか?

 よし、この機会に富士屋ホテルを知り尽くそう。それがこの1泊の目的になった。




メインダイニング「ザ・フジヤ」にて。



 ホテルのホームページで館内ガイドツアーがあることを知って「これ、これ !」と早速参加。

 集合場所は「花御殿」B1のクラシックチャペルと聞いて向かった「花御殿」。
 外から「花御殿」の玄関に入ると、そこは何とB2フロアだった。つまりは玄関からB1に降りるのではなくてB1に昇る、この不思議さにまずは驚かされた。

 小さなロビーから階段を上ったB1フロアにあるクラシックチャペルには1900年製の大きな円盤オルゴールがあって、そのオルゴールが奏でる「アヴェ・マリア」の素敵な響きから、30人ほどが参加した館内ガイドツアーが始まった。




メインダイニング「ザ・フジヤ」からの眺め。「花御殿」から右に白い「西洋館」、奥にモダンな「フォレスト館」。



 このオルゴールが作られた年より22年もさかのぼる1878年(明治11年)に外国人客向けに創業した富士屋ホテルの来歴と創業者の思い。その意思を継いでアイデアを爆発させたヒゲの後継者。

 個性的な語り口調の説明を聞きながら「平和通り」と呼ばれる廊下の天井照明を眺め、本館へ。
 そしてガイドツアーのフィナーレは、メインダイニング「ザ・フジヤ」。

 微に入り細に入り、徹頭徹尾凝りに凝った手仕事の数々。
 日本工芸美術の粋が上にも下にも、つまり天井にも壁にも柱の足元にさえ隅々まで施されている仕掛け。ワンダーランドだ。
 あの場違いに自己主張している極彩色の模様は、何とまあ、トーテンポールからの発想だと言う。

 発想と業績を聞くと、そのすべてがこの建物の形と色、内外至る所に見られる手の込んだ装飾工芸品の数々に凝縮しているいるのだと納得させられる。

 そうか、ここは外国人客を喜ばせるために造られた和の伝統を基調にしたテーマパークだったのだ。

 その目線で見回すと、今まで自分の好き嫌いだけで見ていたものが、夫々の個性と味を持った面白い存在として次々と目に入って来る。
 このエキゾチックなテーマパークは外国人客に受け入れられて大いに喜ばれたに違いない。

 外から見ると2棟に見える「花御殿」、2棟の白い西洋館、本館、それにメインダイニングのある食堂棟、これらは全棟が繋がっていて、時々自分がどの棟の何階にいるのかがわからなくなる。歩けば、階段を昇り降りするたびに、角を曲がるたびに目の前の世界ががらりと違って見える、次元すら変化する世界。

 ミラクルボールのように変化するファンタジックなテーマパークだ




この階段もその1つ。1階から2階に、別世界への夢を誘ってくれる。



 2階の部屋から、「晩餐! 晩餐!」の世界へ、胸をワクワクさせながらメインダイニング「ザ・フジヤ」を目指して降りる。







 創業当時、日本のフランス料理のレベルアップをはかって全国から生徒を募り料理学校まで開いた歴史を持つ「ザ・フジヤ」。

 柱の角の根元には鬼が目を光らせている。
 髭男爵と呼ばれた3代目経営者山口正造が、自分の顔をモデルにして「しっかりと仕事をしているか」と従業員の仕事振りに目を光らせているのだと言う。

 その伝統に根ざした「ザ・フジヤ」の味に期待した。




フォアグラのテリーヌ




金目鯛のマリネ 柚子風味のヴィネグレット




帆立貝のサラダ仕立て キャビアと雲丹添え




トマトのポタージュ




ホウボウのポワレ 香草入りブールブランソース




牛フィレ肉のステーキ ジャルディニエール風




牛頬肉のブレゼ 野菜添え




うまい! 美味しい!
このレベルの高い味わいに、自然にこんな顔。




いちご入りチョコレートプリン




このとろりととろけるマイルドな甘さの中にいちごのさわやかな甘さと歯触りが! ぺろりッ!! 嬉しいボリューム!!!




ストロベリーメルバ



 あぁあァ コーヒーも味に深みとたっぷりのコクがあって、目も舌ものども大満足。

 レベルの高い2つのコースをたっぷり味わえて、特別な記念日になった。

 富士屋ホテルの奇抜な外観も過剰とも言える装飾も、すべてはこのメインダイニング「ザ・フジヤ」のレベルの高い味を楽しんでもらうために用意された仕掛けだった。
 なるほど、これならば宮ノ下の富士屋ホテルの評判が上がるのは当然だった、と納得した。

 自室のクラッシックな洋式バスに温泉を入れてのんびりゆったり体をほぐして、あとはぐっすり安眠!




翌日も爽やかな快晴 !



 ここまで読んで「よし、富士屋ホテルに行くぞ !」と決意された方には誠に申し訳ないのですが、宮ノ下・富士屋ホテルは4月1日から耐震補強工事のために休館しています。その気にさせてスミマセン。

 僕の新年度も体調万全、世界はくっきり、トレーニングと観劇、資料調べに暇無しです。

 大谷翔平!! すごいぞ2試合連続ホームランの大活躍!!! そして爽やか。

 それに引き換え、言いたくはないが・・・日本の・・政治状況。

                   佐藤 輝 ☆彡 2018.4.6

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春は椿と・・・・ 

 自然の色はホントに美しい。

 紅の椿。

 僕に本物の春到来を毎年知らせてくれるのは鉢植えの薮椿の鮮やかな紅色。

 今年も咲いてくれた。







 生家の裏庭に生えた実生苗から成長したこの鉢植えの舘椿は故郷の春の始まりの喜びをも思い出させてくれる。

 日ごとに夜の訪れが遅くなって、昼が長くなったなぁと感じられるこの頃の春の陽光と一緒になって、冬の寒さに耐えてちぢこまったこころを温かく心地よく目覚めさせてくれる。

 なのに、蕾がふくらんで色づいて、明日は、明日の朝には今年の最初の花が開くと楽しみに待ちに待ったその朝の明け方、ギャーギャーと鳴き喜ぶつがいのヒヨドリの声とともに無残にも食いちぎられてしまった。

 だから、この花は次に咲いた今年の二番花。
 ふくらんで色づいた蕾のまわりに七夕飾りの残りの銀紙を短冊にしてひらひらと吊るした。 
 そして翌朝。
 ヒヨドリのギの音も聞こえず、無事にみごとに咲いてくれた ! !

 その日は何度も何度もベランダに出て、舘椿を慈しんだ。







 前後して、侘助(ワビスケ)も咲いてくれた。
 やはり、これも二番花。
 うす碧味がかったピンクの花は、こじんまりとして、これ以上開かない慎ましさが名のとおり侘びの世界。
 茶花にぴったり、ベランダの片隅をほのぼのと明るくしている。

 しばらくは早朝のヒヨドリを警戒する日が続く。

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2018年 

 このページ、今年初めてのupとなった。

 新年は帰省先の山形で雪かきの日々。

 元気に雪を放り上げて汗をかいた。







高麗屋三代襲名披露初春大歌舞伎 

 正月気分満杯に着飾ったお客さんが期待に胸をふくらませて、次々と吸い込まれてゆく歌舞伎座。










 二代目松本白鸚さん、十代目松本幸四郎さん、八代目市川染五郎さんを中央にして、藤十郎さん、吉右衛門さんをはじめ舞台にずらり居並んだ幹部俳優皆さんのお祝い口上の和やかで晴れやかで整った美しさを楽しみ、幸四郎さん染五郎さん親子が義経と弁慶の主従を演じた『勧進帳』の緊迫感にぞくぞくし、その世界をがっちりと支える吉右衛門さん演じた富樫の大きさに感激した豪華な舞台だった。






 嬉しかったのは、客席には僕がサンチョ役で出演していた『ラ・マンチャの男』をご覧になったお客さんも多く、僕に気付いて「白鸚さんのセルバンテスも是非観たいですね。」「佐藤さんのサンチョはとても良かったです。今でも思い出します。また出てくださいね」と声をかけてくださったこと。
 10年経っても感動を語っていただけるなど思いもよらなかったことで、涙が出るほどありがたく、嬉しいことでした。
 サンチョを演じさせてもらえたことを誇りに思います。

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高麗屋三代襲名披露祝賀会 

 『ラ・マンチャの男』で僕が演じたサンチョの旦那さま、ドン・キホーテを演じた松本幸四郎さんに9年ぶりに再会した。

 元気で、お祝いの場所でお会いできて、本当に嬉しかった。







 幸四郎さんが二代目松本白鸚に、息子の染五郎さんが十代目松本幸四郎に、孫の金太郎さんが八代目市川染五郎に襲名が決っての披露祝賀会。

 歌舞伎界初となった親子孫三代の同時襲名は、37年前の同じ高麗屋三代同時襲名以来とのこと。
 襲名披露公演は来年1月、2月、開場130年となる歌舞伎座の舞台。

 三世代が揃って同時襲名できるのは、三人共に健康でいるからこそできる、素晴らしくめでたいこと。




二代目松本白鸚襲名の挨拶をする松本幸四郎さん。坂田藤十郎さん。大谷信義松竹会長。




祝辞を受ける十代目松本幸四郎さんと八代目市川染五郎さん。







  「旦那さま〜!」と駆け寄って、強くハグしているような気持ちで両手で握手した。「良く来てくれましたね !」。
 心から「おめでとうございます! また新しい世界を! 」と大きな期待を込めてお祝いを申しあげた。

 もう、こころはサンチョ。
 このまま『ラ・マンチャの男』の続きを演じたい気持ちになった。







 2005年5月『ラ・マンチャの男』名古屋・名鉄ホール公演に向けて稽古に入る直前の3月に誕生した藤間齋ちゃん。お祖父ちゃんとなった幸四郎さんが「いっちゃんだよ! 」と喜んでいた笑顔を思い出す。
 齋ちゃんはこんなに立派に成長して今度松本金太郎から市川染五郎を襲名、お父さんの染五郎さんも十代目松本幸四郎を襲名。

 目に見える歴史を実感した。

 幸四郎夫人紀子さん、染五郎夫人園子さん、『ラ・マンチャの男』の舞台で長くご一緒した紀保ちゃん、たか子ちゃん、高麗屋のみなさんとのご縁に感謝した。







 お祝いには小泉純一郎元首相も。

 2002年8月19日、幸四郎さんの還暦誕生日と松本幸四郎主演『ラ・マンチャの男』1000回が重なった帝国劇場の舞台を観劇した当時の小泉首相はカーテンコールの幸四郎さんに客席から「感動した! 」と感想を言い、終演後の舞台袖で記念写真撮影。

 その時の思い出を話すと「サンチョか! 僕は、良くドン・キホーテって呼ばれているんだ」。大笑い。でも原発廃止は勇気ある主張。

 事実とは、真実の敵なり! 




2002年8月19日、松本幸四郎さんの還暦誕生日と主演『ラ・マンチャの男』1000回が重なった帝国劇場







 舞台で、テレビで、ものまね芸を見るたびに感心しているコロッケさんともご一緒できて嬉しかった。
 コロッケさんのものまね芸は、単に似せているだけのものまねとはレベルの違う、高度の人物表現だから感心する。

 役者が演技する時に考える役作り、役柄を把握し、拡大したり凝縮するデフォルメ、最後に仕上げる表現の繊細さ。そのすべての手本がコロッケさんの芸から感じられて、僕はいつも感心している。
 リアリティ、存在感のある面白さだから納得させられる。







 大広間に溢れるほど多くのお客様が詰めかけた盛大な祝賀会。

 我が旦那さま御一家のお祝いで、旦那さまに再会できて本当に嬉しかった。
 これも、元気で過ごして来られたからこそと、我が身の健康に感謝している。

 またの再会まで、今のトレーニングを続けて絶対元気でいる ! !

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.12.2

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東京庄内会と伊藤善市先生 

 故郷・山形県庄内町出身者と縁ある人たちの1年に1度の集い、「東京庄内会」が曇り空から快晴に変わった19日に九段下のホテルであって、参加した。







 「最上川舟唄」を歌った。

 庄内平野の真ん中を南北に分けて、庄内町の北部を東から西に流れる最上川は山形県の母なる川。




思い出の歌の合唱ではステージに溢れるばかりの参加者が声を限りに思いのたけを声にした。今年は新規参加者が50人ちかくも増えたと喜びの報告をした幹事長も右端で控えめに歌っている。



 地元農協や企業などから提供されたお土産の抽選会があって、僕はJAあまるめ提供の大好物「杵つき丸もち」をゲットした。
 喜んでいるところを、昨年同様プログラムには何の記載もないのに、ステージに呼び上げられて「ご挨拶を !」との司会者からの要望。

 一瞬躊躇したが・・・、会を通じて皆さんに声を掛けて永く応援してくれた方だったのに、昨年の会で、会場に着いてから亡くなったことを知ってショックを受けた斎藤まり子さんのことを思い出した。

 この会には斎藤さんのように会のつながりで俳優・佐藤輝を熱く応援してくれている人たちが大勢参加されている。その人たちにお礼の気持ちを伝える機会は少ない。そうだ、それができる絶好の機会をいただいたのだとステージに上がった。







 皆さんには、次にお会いする時まで、自分を奮い立たせながら喜びを持って元気でいてもらいたい ! それが、最近の同時代を生きている人への僕の思いだ。

 その思いを込めたアカペラ2曲を朗唱。

 僕も出演した1987年に公開された森川時久監督の映画「次郎物語」で、母を亡くして沈み込んでいる幼い次郎に父親が励まして歌った「男は大きな河になれ」。さだまさしさんが作詞しスメタナの「モルダウ」を編曲した主題曲。

 松本幸四郎さんのドン・キホーテとコンビを組んだサンチョ役で484回出演した『ラ・マンチャの男』で歌われる「見果てぬ夢」。
 「夢は実りがたく 敵は多いけれど 哀しみを秘めながら 歩き続ける ! !」




ひと際目立って長身の原田真樹庄内町長。7月に4選されたばかり。町の進むべき方向が原田町長の双肩にかかっている。頑張って貰いたい。



 歌い終わって降壇しようとすると大きな声が客席から「アンコール ! !」
 続いて「最上川舟唄 ! !」の声。

 そうだった ! 「最上川舟唄 ! !」
 去年亡くなった斎藤さんからも「輝さんの最上川舟唄が聞きたいから会に来てるのよ ! だから歌ってよ ! ! 来年も来てよ ! !」と何度も言われていた。それが、斎藤さんの僕への励ましだった。

 『おしん』でも定次が筏を操りながら歌った「最上川舟唄」。

 「ヨーイサノマガーショ ! エーンヤコラマーガセ !」
 会場が盛りあがって体を揺らしながら力を込めた掛け声を掛けて、「まっかん大根のしょっ汁煮」からは盛大な手拍子に合わせて、顔を紅潮させて歌い終わった。



             



上山温泉「日本の宿 古窯」女将から 

 高さ11センチ、直径10センチもあるずしりと重く実ったラ・フランスが、蔵王の麓・上山温泉から「親善大使」として遣わされて来た。
 「良縁感謝」の朱印と「感謝をこめて」の筆文字を添えて。
 遣わしてくれたのは「日本の宿 古窯」の女将・佐藤洋詩恵さん。







 女将とはある人に繋がるご縁があって、本当に一方的に応援していただいている。だから、ありがたい良縁に感謝しなければならないのは僕の方なのだ。なのに「感謝をこめて」の御恩返しができないでいる。

 女将とは、そのある人の告別式で初めて知り合った。

 そのある人とは、東京女子大学教授を務められた伊藤善市さん。

 伊藤善市さんに初めてお目にかかったのが、東京オリンピックがあった昭和39年秋の「東京余目会」。この会が9年前にできた現在の「東京庄内会」の前身の一つになった。
 昭和36年に、伊藤善市さんや僕の叔父・佐藤卯朔、斎藤まり子さんたちが、故郷を偲ぶ集いとして始めた東京余目会。

 その集いに故郷から小学校の恩師を呼ぼうということになって呼ばれたのが僕の父だった。

 上京した父と一緒に池袋温泉での東京余目会に出席して、当時東京女子大学文学部助教授だった伊藤善市さんに紹介された。
 伊藤さんは父にとって一番の自慢の教え子だったと聞かされた。
 それ以来、俳優を目指して修業に励む僕を、伊藤さんは何かにつけて「昭ちゃん、昭ちゃん」と声を掛けては支えてくれて、それにつれて余目会の他のメンバーも熱く応援してくれるようになった。
 伊藤さんは当時の政府の多くの審議会の委員なども務める多忙の中で、山形県内の地域振興や人的交流、自力創生のための有機的な連携を積極的に進めた方だった。

 昭和55(1980)年7月に僕がコンサート『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』をABCホールで公演した時には、パンフレットに「庄内の風土と佐藤輝昭の世界」の一文を伊藤さんが書いてくださった。
 故郷を愛する伊藤善市さんの思いに重ねて、僕の履歴や故郷の風土を豊かな筆致で紹介していただいた、嬉しい文章だった。

 このコンサートは「舟唄」で開幕、「黒の舟唄」「バタフライ」「ティティーヌ」「パダンパダン」など演歌からシャンソンまで、それに「津軽じょんがら節」で始まった第2部『ふるさと庄内・夏の頃』では昔話を語り、鶴岡市から特別出演してもらった津盛柳太郎さんの庄内出羽人形を客席と一緒に楽しみ、最後は観客の掛け声と手拍子に盛り上げられて「最上川舟唄」を歌った。
 思い出に残る舞台を創ることができたと、今でも思い出す。

 伊藤善市さんは、余目会会長として会員をまとめては何度も公演を観に来てくださった。それは、伊藤さんが恩師としての僕の父に対する思いを僕に傾けてくださったのだと思われる。

 また、伊藤さんは、東京余目会のように山形県出身者が出身地単位で作っている故郷会をまとめた山形県人連合会の会長もされた。

 その時期、僕がメンバーの一人だった集まり、山形県人連合会にも参加している「芸能人山形県人会」が顧問にすえる人選について混乱していた上に、僕の叔父との関係も良好でなくなったために、不本意ながら伊藤さんとも余目会とも疎遠になってしまっていた。

 そんな時に、斎藤まり子さんから届いた伊藤善市さんの訃報。

 僕は、大恩人・伊藤善市さんに心から疎遠を詫びて許しを乞うた。

 その告別式が終わったところで紹介されたのが、上山から駆けつけた古窯の女将・佐藤洋詩恵さんだった。

 女将にとっての伊藤善市さんも、結婚によって山形の温泉旅館の女将という別世界に立った洋詩恵さんを励まして心を支えてくれた心からの恩師、大恩人だとのお話。
 その後に伺った女将の話から、その伊藤善市さんの励ましがあったからこそ、今ある、心からのもてなしの宿として知られる古窯に育て上げることができたのだとの気持ちが感じられた。

 女将の僕に対する応援は、大恩人・伊藤善市先生への御恩返しの一つなのだとありがたく理解している。
 伊藤さんが応援した佐藤輝さんも自分が応援すべき人なのだとの強い思いから僕を応援してくださっているのだと理解して、伊藤先生と女将とにつながるご縁のありがたさに感謝している。まさに「良縁感謝」! !

 あと3日。
 ラ・フランスが食べ頃を迎える。
 時々くんくんしながら楽しみに待っている !

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演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』



1980(昭和55)年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




「庄内の風土と佐藤輝昭の世界」東京女子大学文学部教授 伊藤善市さん




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「バタフライ」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「ティティーヌ」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「パダンパダン」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「パダンパダン」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
昔話語り




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
特別出演 津盛柳太郎さんの庄内出羽人形
 


             



芸能人山形県人会

 「芸能人山形県人会」は昭和39年当時、三国連太郎主演・内田吐夢監督の東映映画「飢餓海峡」に出演した米沢市出身の俳優・伴淳三郎さんが、その映画に余目町出身最上逸馬さん、朝日町出身鈴木昭生さん、鶴岡市出身大久保正信さんなど山形県出身俳優が多く出演していることを知って、みんなの親睦をはかろうと声を掛けて集まったのが始まり。

 「アジャ パー」を発し、バンジュンのニックネームで知られた名優・伴淳三郎さんが初代会長となって発足した全国初の芸能人だけの県人会として話題になった由緒ある会だった。



芸能人山形県人会懇親会 1987年2月28日
会長のシャンソン歌手・芦野宏さん、落語家橘ノ圓師匠、大先輩外野村晋さん、鈴木昭生さん、芝田陽子さん、連絡先を引き受けられた松岡弘子さん、渡辺白洋児さん、長い間事務局を担当された栗林恒雄さん、初代「ゴジラ」の中島春雄さん、などが参加された。(後列左から3人目・佐藤輝)  




芸能人山形県人会懇親会 1989年10月21日
会長のシャンソン歌手・芦野宏さん、落語家橘ノ圓師匠、外野村晋さん、芝田陽子さん、連絡先を引き受けられた松岡弘子さん、渡辺白洋児さん、長い間事務局を担当された栗林恒雄さん、などが参加された。(前列右端・天童真理子、後列右端・佐藤輝)  



 帝劇のミュージカル『マイ・フェア・レディー』公演に山形県出身出演者が3人もいると喜び合って、「山形県人会」と称しながら親睦会をしたこともあった。

 来週は酒田市のふるさと会が待っている。楽しみだ。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.11.28

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