山形県・庄内平野・庄内町・俳優 佐藤 輝-14
        
佐藤 輝の世界 山形県・庄内地方・庄内町 - 14
        
        
当ホームページ内に掲載されている俳優・佐藤 輝の故郷、山形県・庄内地方・庄内町に関係する部分をまとめました。
        
H O M E | プロフィール | 俳優・佐藤輝 | サンチョ写真館 | 俳句 | エッセイ | てるてる広場 | 縁あってリンク

 
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14年8月〜16年8月 16年10月〜17年11月  17年11月〜現在 
 山形県出身芸能人文化人
 
2016年10月〜2017年11                 


俳優佐藤輝 撮影 山形県庄内町 平野と鳥海山
山形県庄内町余目から見た庄内平野のシンボル鳥海山(2,236m)。『出羽富士』とも呼ばれる


酒田ゆかりびと交流会 吉祥寺 

 11月3日。
 酒田市の姉妹都市・武蔵野市で1年ぶりの酒田市主催の会。

 丸山酒田市長をはじめ、田中商工観光部長、司会進行も担当した宮崎観光振興課長と多くの市職員、酒田北前大使など30名ほどが集まって酒田市の近況とこれからの行事予定などを聞き、故郷の「芋煮」を食べながら情報交換をして有意義な時間を過ごした。




丸山酒田市長と佐藤輝、高校の先輩後輩にあたる。



 僕は隣町・庄内町余目の出身ながら酒田市にある高校を卒業した縁で「酒田北前大使」という観光大使に前市長の時代から委嘱されている。

 丸山市長は前市長の急逝を受けて市職員から市長選に立候補して当選、それからは次々と新しい酒田市のあるべき未来像を打ち出して積極果敢に事業を進めている。
 その積極性が評価されて全国の活動的な首長の一人に選ばれたばかり。




左から田中商工観光部長、白崎商工会議所専務理事、丸山至市長、佐藤輝、宮崎観光振興課長。



 会の手締めは白崎商工会議所専務理事。

 田中商工観光部長が「酒田市独特の酒田手締めがありますのでそれでお願いします。」と酒田甚句「ほんに酒田は良い湊、繁盛じゃ、おま・へん・か」を歌いながら拍手をパン・パン・パンと打って手本を示してくれた。
 開場入口付近で様子を見ていた二人の女性職員が、正しくはこうだと手拍子。そこでこの二人が前に呼ばれて、正しい酒田手締めの手本を披露。
 そこで全員で練習をして、全員が納得したところで、目出度く酒田手締めで盛りあがって会を閉じた。 

 とても前向きで楽しい会に参加することができた。

 故郷が元気になって欲しいといつも願っている。
 何か手伝いできることがあれば協力を惜しまないと握手して、再会を約束した。

 地域文化の盛りあがるエネルギーが僕たちの未来への夢を大きく育んでくれた。
 酒田は古くから市民自治を基にした経済と文化活動で発展してきた、自由で開放された地域。
 地域住民の幸せのためにも、若者たちの将来への希望のためにも、あのエネルギーが今の時代に復興されることを切に切に願っている。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.11.5



紺碧、白波、夏真っ盛りの庄内浜 

 くらげを堪能したゆったり気分で鶴岡市加茂の水族館から日本海沿いに北へ。







 途中、波打ち際の温泉で知られる湯野浜温泉を通過した。

 ここも矢張り、小学校の遠足で来たところ。
 大きな温泉公衆浴場に芋洗いのようにわいわいとにぎやかに入った後で、昼食に丸々と太った大きないわしが一匹丸ごと入ったみそ汁を食べた思い出がとても印象深く残っている。

 ずいぶん前に廃線になってしまったが、子どもの頃には、国鉄鶴岡駅から庄内交通の電車に乗り換えて湯野浜温泉にやって来たものだった。
 平野から善宝寺を過ぎると砂丘の松林を越えるのが趣があって好きだった。

 長じてからは、両親への感謝を込めて共に過ごした一泊もあったし、日本海からの波しぶきまじりの風の咆哮を一晩中聞きながら過ごした冬の庄内ロケのこともあった。

 温泉の集落から北、庄内砂丘の松林を貫く道を北へ。

 庄内空港滑走路下をトンネルで横切って間もなくの集落・酒田市浜中。
 安部公房の小説「砂の女」のモデルとなった砂丘の村。


 幼い頃から庄内浜の十里塚や由良の浜で家族とキャンプを楽しんだし、東京に住んでからも夏の帰省の時にはしばしば海水浴をした。そして、自分でテントを持った40年前からは、今は「浜中あさり海水浴場」と呼ばれているこの浜中海水浴場でキャンプをすることが多くなった。

 去年も一昨年も、この浜でキャンプをした。

 長期予報では3日続きの晴れ間があったので、今年もこの浜でキャンプと海水浴を楽しむつもりでテントを新調したのに、予定直前になって一泊二日ができる雨の降らない時間が予報からなくなってしまった。
 残念ながらキャンプは断念、水族館なら天気は関係ないと今日の加茂水族館見学になったのだった。







 それが、この快晴 ! !

 新調したテントは置いてきたけど、車にはサンシェードテントと折畳みフットレスト付きリクライニングチェアーがちゃんと載っていた ! それに水着も ! !

 そして着いたのがこの美しい紺碧と白波の浜中の海。

 今年の浜中の海は、子どもの頃に泳いだ庄内浜の海のように色鮮やかに蒼く澄んでいて、久しぶりに大きな白波が寄せていた。







 日よけテントの中の気持ち良さ。

 打ち寄せる潮騒が、風に乗ってテントの中を吹き抜ける。

 うとうとしながら、子どもの頃に家族と過ごしたキャンプ(あの時食べたもずくの酢の物が美味しかったこと)、
 兄貴たちが村の中学生たち全員を引率してリヤカーを引いて行ったキャンプ(世の中みんなが貧しい時代、おかずが味噌と梅干しだけだったこと)、
 テントから海までの間の砂丘が陽に焼かれて裸足の足裏が熱くて熱くて飛ぶようにして走ったキャンプ(登っても登っても足が引っ張られて登れない砂丘の高さだったこと)、
 村中の人たちが馬車に乗ってゆったりゆったり行ったキャンブ(みんなで地引網の引き上げを手伝って、お礼に分けてもらった小さな鯵を浜で焼いて食べた時の香ばしくて美味かったこと)、
 初めて買った大型テントでのキャンプ(70歳を越えた母も泊まって、初めて借りて着たヨットパーカーをとても喜んでいたこと)、
 兄貴ファミリーとBBQと花火を楽しんだキャンプ(三人娘と揃って夕暮れの海に入った兄貴夫婦の笑顔の嬉しそうだったこと)など、
65年以上も前からの庄内浜でのキャンプのエピソードを鮮明に次々と思い出していた。







 今年も、この浜中の海で故郷・山形の夏を体いっぱいに感じることができた。


 天気予報に出ていた数10%の降水確率はどこかへ消えた。


 夏の青空に夏の雲が立った庄内平野を朝来た道を走って生家の菩提寺へ墓参り。両親と兄嫁に、お蔭様で無事でいることを報告。







 2年前に亡くなった6つ年上の兄貴の墓にも墓参して、丁度お盆帰省していた三人姉妹とその家族と一緒に、浜中キャンプの思い出などを語り合った。







 この兄とは子どもの時から、本当に多くの思い出につながる時間を共に過ごしてきた仲だった。

 上京するたびに故郷の酒や米などのお土産を両手に下げてわが家に寄ってくれたし、ファミリー旅行の途中にも家族みんなで立ち寄ってくれた。

 1990年台からは僕が出演した舞台の多くを、東京はもちろん、遠く大阪までも夫婦で観に来てくれた。
 そこで初孫誕生の知らせを受けて、お祝いの乾杯をして喜び合ったのもついこの間のことだったように思い出される。

 それらの舞台公演の思い出として、兄は自宅の玄関ホールの壁一面に公演チラシを貼っていた。それを毎日ながめながら、兄は僕の活躍を願ってくれていた。

 初めてその様子を見た時、これだけの枚数の多いボリュームとそれを一枚一枚手間をかけて貼ったであろう兄の思いやりの深さに僕はのけ反るほどにびっくりし感動した。







 兄が急逝してあっと言う間に過ぎた2年、兄の思いを受け継いで壁に貼られたチラシをそのままにしてくれている兄嫁にも心から感謝した、今年の夏。

 今年は天候不順で叶わなかったが、また、兄嫁と三姉妹ファミリーと一緒にキャンプをしたいと思っている。



                 



 2017年夏の〆(しめ)は、住んでいるマンションの夏祭り。

 自治会役員になっていても中々顔をだせないでいたが、この日は何とか参加できた。







 生ビール、かき氷、ポップコーン、焼きそば、焼きフランクフルト、それに僕が担当したお楽しみ袋。

 このお楽しみ袋は、子どもたちがを抽選して引き当てた番号の付いた駄菓子を詰め合わせた袋をもらえると言うもの。

 番号が出ると、何番が出ても明るく声を張り上げて「大当たり〜ッ ! !」
 続けて手拍子に合わせて「ヨヨ良い ! ヨヨ良い ! ヨヨ良い 良いッ ! !」と手締めして お楽しみ袋を渡した。
 これに子どもたちは大喜びになり、1年生が4人も店側の手伝いに入って来て更に盛り上がって、楽しく幕を閉じた。

 片付けをした後の役員打ち上げで、会長が役員に馴染のない僕を皆さんに「俳優の佐藤さん」と紹介してくれた。
 あらためて自己紹介した後、俳優と紹介された手前、「ラ・マンチャの男」について話し、「見果てぬ夢」をアカペラで朗唱した。

 皆さん、一瞬静寂の後、大きな拍手をしてくれた。
 僕がサンチョを演じた「ラ・マンチャの男」を観たという役員は「感動して鳥肌がたった」との感想。

 役員打ち上げも盛り上がった、気持ち良い夏祭りの〆だった。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.29



ホワ〜ッと、くらげの世界 

 しばらくの間、涼しげな夏の少女と一緒に、このゆるやかでおだやかな時間と空間を、楽しんでいただいて・・・・








                 



 故郷・庄内町の「夏宵まつり」を楽しんだ夜は久しぶりに実家に泊まって、兄夫婦と世間話を楽しんだ。
 お盆にふさわしく、精霊棚から持ち出した過去帳を広げながら、寳歴8年(1758年)に亡くなった「聲高理音居士」の戒名がついたこの先祖も相当声の良い人だったのだろう、などと先祖のことを話題にして夜が更けた。
 祖父丑治は声と節の良さが評判で多くの門人を集めた「黒川能」謡曲の師匠だったと子どもの頃から何度も聞かされて育ったし、その息子だった父も幼少から大地踏みなどの演目を祖父から厳しく仕込まれたと聞いた。



                 



 明けて、盆の13日。
 故郷でのお盆の朝のお餅。こしあん味と茗荷の千切りが涼やかな醤油味のすまし餅。
 それに茄子の煮浸し。さっぱりなます。茄子漬け。などなど、どれも味わい深い懐かしいお盆の朝の味。







 なんと、真っ青の快晴 !

 広々と緑豊かな水田が続く庄内平野を西へ、日本海に向かって横切る。

 昨日までとは打って変わった気持ち良い風を受けながら、日本海に沿って南下。







 鶴岡市加茂漁港の先、市立加茂水族館へ。







 駐車場の後ろは日本海。
 海岸線を北に目をやるとその先には鳥海山の長い裾野が日本海に消えている。







 5年生の遠足で初めて旧加茂水族館に入館して以来、鶴岡駅からのバスが加茂坂のトンネルを抜けて下った正面に沢山の漁船が停泊している加茂港を見る瞬間が好きで何度か訪れたことがあった。

 でも、この新しい、くらげで再生した加茂水族館は初めて。
 人気沸騰のニュースを見ながら、前々から来たいと思っていた水族館だった。







 みずくらげ。







 ゆるやかに時間が流れる、みずくらげの大水槽。







 ビゼンクラゲ属の一種。







 キタミズクラゲ。







 ニチリンヤナギクラゲ。







 ヤナギクラゲ。







 キラキラとラインが光るキタカブトクラゲ。
 矢張りキラキラとラインが光る細長い瓜のようなシンカイウリクラゲやフウセンクラゲ、トガリテマリクラゲなども。







 こんな可愛い形のコティロリーザツベルクラータ。別名は「目玉焼きクラゲ」。
 ベルリン水族館との生物交換で加茂水族館にやって来たとの説明。

 「くらげ」と一言で言っても、個性豊かで、驚くほどの多種多様。
 見る者に、しなやかに、ゆるやかに、微笑むように手招きしてくれる。そして、美しい。

 こころが和んで、優しくなる。とても癒される。

 書ききれないほどまだまだ沢山展示されている。


 発見と工夫と、発展。
 くらげをこれだれ感動する世界にまで育てた水族館関係者皆さんの努力と苦労にも感動し、励まされた。







 夏の陽を白壁が眩しく反射している、プールのパティオ、

 展示会場を途中で出て10時からのアシカショーを楽しむ。







 ほかの海獣ショーに多く見られるような何頭もが水しぶきを上げるダイナミックさこそないものの、これがまたほっこりと楽しい時間と空間、アシカと飼育員の時間をかけて創った細やかな芸とコミュニケーションが素晴らしく、とても感動した。

 満員の観客も大喜びで拍手喝采。

 その後、庄内浜近海の魚や淡水魚が展示されている残りの展示室を見た。
 庄内での子どもの頃によく食べた鱈や鯛や大きなタコなどが生きて泳いでいる姿を見るのはとても面白かった。
 それらの展示室に至る途中の「くらげ」展示室は、さっきゆったりと見て歩けた時とは違って、押し合いに近い混雑状態。
 この晴天に誘われてやって来た新しい入場者が次々と押し寄せているところにアシカショーを見終えた観客が一気に展示室へ向かったから人があふれたのだった。

 スルーパス通路が確保されていたので、そこを通った。
 「クラゲ」展示室を先に見ておけて良かった。







 列を作ってレジを待つ記念グッズ売場を抜けて外に出ると、すっきりと抜けた夏空を背景にして荒崎灯台がまぶしく白く立っている。

 ウミネコが鳴きながら餌をねだっている。

 すべて、真夏の真ん中にいる。

 8月13日は、つづく・・・。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.24



まだまだ、8月

 バラエティーに富んだ変化を楽しめた今年の初夏から秋。
 それを振り返ると、まだまだ今日に追いつかない。頑張ってみる。


 8月12日、生家のある山形県庄内町に向かった。



俳優佐藤輝撮影 山形県庄内町 夏宵まつり



 6月初旬の尾瀬行きは、長期予報から毎日の予報変化をチェックして、数年に一度の滅多に見られない好天と言われる最良の日を選ぶことができて大成功だったが、梅雨が明けた後は長期予報はほとんど信用ができないようになってしまった天気の目まぐるしい変化。

 帰省したら今年も酒田市の浜中海水浴場でキャンプを楽しみたいと新しいテントを買って浮き浮きして待っていたのに、長期予報では3日続きの雨無し予報だったのが直前になって降水確率だけがまだら模様に上がってしまった。


 それでも天候回復のわずかな可能性に期待して、8月12日の夜に生家のある庄内町で催される「夏宵まつり」を目指した。

 町のメインストリート、余目駅前から茶屋町、仲町、八幡神社へかけての通りは、以前、9月の八幡様の例大祭の日には奴ふりの行列を見ようと人があふれたし、8月には「花笠音頭」を踊る「花笠パレード」が町を挙げて大々的に催されていて僕も36年前にゲストとして参加させてもらった。



俳優佐藤輝 山形県庄内町(旧余目町)花笠パレード
昭和56年(1981年)8月20日、旧余目町の花笠パレードに、当時出演中だった『仮面ライダー スーパー1』のチョロの衣装を着てゲスト参加。ゆかた姿で「最上川舟唄」を歌ってパレードを盛り上げた。



 今はその通りで毎年、町内深川地区に伝わる飛龍伝説にちなんだ「飛龍囃子」のリズムにのって、鳴子踊りのグループが個性を競ってエネルギッシュに踊り、巨大な飛龍がダイナミックに舞いながらパレードする「夏宵まつり」が開かれている。


 この、故郷の町のメインストリートで、町の人たちの笑顔に囲まれながら、あふれるエネルギーと勇壮な飛竜の舞をじっくりと体感したくて庄内町に向かったのだった。


 こぬか雨の中、余目駅前クラッセの観光案内所に着いて尋ねると、「雨なので、商店街でのパレードは中止になって、踊りは町の総合体育館を会場にしておこなわれます」との情報。



俳優佐藤輝撮影 山形県庄内町総合体育館
雨天会場となった庄内町総合体育館



 懐かしかった。

 この総合体育館は初めて来た場所。
 懐かしかったのは、道一本隔てた南側にある、広い八幡公園だ。

 公園の東側半分には一周200mの運動場があって、西側半分には僕が1951年(昭和26年)に入学して1957年(昭和32年)3月に卒業した、木造瓦葺きの余目町立余目小学校が建っていた。

 正門から運動場の真ん中を横切った正面に大きく立派な二階建ての玄関があり、その手前には見上げるような桜と柳とプラタナスの大木、更に左右にのびた長い校舎の南北には二つの体操場があった。



俳優佐藤輝 山形県庄内町 旧余目町立余目小学校
1978年(昭和53年)4月に母校を訪ねた時は、既に小学校としての役目を終え、余目町立余目幼稚園として利用されていた。



 南の体操場は僕が入学する前は小さく教室に仕切られていて、同居している余目中学校の教室になっていた。

 その教室で授業を受けていた8歳年上の兄に弁当を届けに行って、そのまま授業中の教室の床でおもちゃの自動車を走らせて遊んでいたのも思い出に残るエピソードの一つ。

 北の体操場のステージは、演劇教室で見た他から来た劇団や兄貴たちの大学演劇部の公演など、僕に演劇の面白さと魅力を教えてくれた芝居が演じられた舞台であり、その後自分自身がそこに立って演じ、自分の生きて行く方向に気付かせてくれた大事な思い出の場所だった。

 今の俳優としての原点がここにある。


 そんな感慨を胸に、小学生当時には学校の実習田だった場所に建つ総合体育館に向かった。



俳優佐藤輝撮影 山形県庄内町夏宵祭り



 会場前の広場にはおいしそうな焼きそばや玉こんにゃく、たこ焼き、ポテト、からあげなど沢山の屋台が出ていて、友だちや家族と連れだった子供たちが楽しげにのぞきこんでいた。

 ステージでは子供たちの「飛竜太鼓」演奏から始まって、中央の床ではストリートダンスやブレイクダンスをはじめ、色々なグループと個人が楽しいダンスを見せてくれて会場はわくわく気分が盛り上がった。
 僕も体でリズムをとりながら、2階観覧席から楽しんだ。

 毎年その年の6年生とその保護者がチームになって踊っている小学校学区グループや、花笠を持って踊るグループ、パンダの着ぐるみなどさまざまなキャラクターを工夫してわんさか混ざったグループ、名前が懐かしい中学校の「排球部」チーム、ママさんも参加しているだろうスマートで元気なグループは途中から傘を広げて踊りその周りで踊る子どもたちはジャンプしっぱなし、町内にある県立高校のチーム、また、県外から自動車教習所に運転免許合宿に来ている受講生も出身地を書いたゼッケンを着けて団体参加、などなど、多彩なグループが個性を競って踊る熱気をいっぱいもらった。



俳優佐藤輝撮影 山形県庄内町夏宵祭り



 このあふれるエネルギーを町のメインストリートで見ることができたら、前に進む勢いも加わって、何倍ものスケールの大きなものになったろうと思うと本当に今年の天気を恨む気持ちになった。

 それにもう一つ悔しくてとても残念だったのは、「飛龍」を中心に据えたまつりのシンボルとも言える巨大な「飛竜の舞」が見られなかったこと。
 見たかった! !

 この飛龍のイメージを飛躍させて、更に大きな飛龍の世界を故郷の人たちと一緒に創りだせたら素晴らしいことだと夢見ているから、見たかった。

 あつあつうまそうな玉こんにゃく100円、たこ焼き300円を売っていたのは笑顔あふれる元気いっぱいの庄内美人のこの皆さん。



俳優佐藤輝 山形県庄内町夏宵祭り
南陽市であったばかりのダンス大会で着た、ピカピカテープ飾りの見事なTシャツは皆さんが手作りしたという。



 僕が出演した庄内町響ホール『天国から来たチャンピオン』『生きるよろこび』はもちろん、酒田市希望ホール『おしん』、東京・明治座『三平物語』、帝国劇場『ラ・マンチャの男』新国立劇場『子午線の祀り』などの多くの舞台公演を観てくれた原田真樹町長と共に応援してくれた町長の奥さんと一緒のグループの皆さん。

 皆さんのパワーで故郷を盛り上げて、しあわせいっぱいな町にしてください。

 いつでも手伝いに行きます ! !



俳優佐藤輝撮影 山形県庄内町飛竜伝説
これが、見たかった「飛龍伝説」のシンボルの巨大飛龍。(2009年9月15日、余目八幡神社祭りの行列で休憩中の巨大飛龍)

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.17



蝉鳴いて、夏本番 ? 

 間近で突然、うるさいほどに大きな音を響かせて蝉が鳴き出した。
 帰省した故郷の庭。

 庭を見てみようと閉めていた網戸に近づくと一段と鳴き声が大きくなって、足を止めてびっくり。
 網戸にぴったりと腹をつけて懸命に鳴いている蝉の姿。



俳優佐藤輝 山形の夏 蝉



 この一夏に命をかけて鳴いている蝉の邪魔をしてはいけないと、そっと後ずさりした。

 これこそ夏本番の響き。
 しばらくの間、聞きほれて、夏を感じた。


 その夜は、田んぼとサクランボやラ・フランスの果樹園の間を走って最上川近くにある「天童最上川温泉ゆぴあ」でゆったり入浴。

 広い露天風呂の岩に腰かけて夜空を見上げながらそよ風に吹かれていると、世の芥がすっかり流される気持ち良さ !

 あ〜ァはぁ〜 ! 極楽、極楽 !



俳優佐藤輝 山形県天童市ゆぴあ



 体がぽかぽか、気分もほんわかで口に入れるソフトクリームの冷たさととろける甘さはまた格別。今回はごま味。

 数年前までここで売っていたラ・フランスのソフトクリームは、上品な甘さがフルーツの女王と絶賛されるラ・フランスの生産日本一を誇る天童のイメージにもマッチして、絶品だった。何としても復活して欲しい ! !

 天童は今年話題が多かった将棋の駒の生産でも日本一、サクランボの生産量も多く、ラ・フランスも日本一の生産量。

 美味しいそば屋も多い。
 出羽桜酒造に近い羽州街道沿いにある「そば処一庵」は、手ごろな値段でメニューの種類が多く気軽に食べられるそば屋として県外ナンバーの車が並ぶ評判の店。

 帰省のたびに寄っては食べている。



俳優佐藤輝 山形県天童市そば処一庵



 出汁を取って煮込んだ鳥肉のこりこりシコシコした歯ごたえとそばのつるつる感が見事にコラボした「肉そば」が実に美味い。

 その肉そば用の汁(つゆ)と、普通の板そば用のかつお節出汁の二種類の汁、それにげそ天や野菜天が付いたメニュー「一庵そば」がこのところの僕の好み。


 その夜は車で30分たらずの蔵王温泉・川原湯に。

 ここは蔵王温泉街中央部に「上湯」「下湯」と共にある三つの共同浴場(外湯)の一つ。
 浴槽も洗い場の床もすべてが木造、湯船の底の木の簀の子の間から湯がわき出ている風情がひなびた感じがしていて好きな浴場。

 天童の「ゆぴあ」がゆったりの湯とすれば蔵王温泉川原湯はすっきりの湯。



俳優佐藤輝 山形市蔵王温泉川原湯



 強酸性の熱い硫黄泉なのでじいっと体に気を入れながらゆっくりとお湯に浸る。
 3、4分して体の芯まで暖まったらガバッと板の間に上がって火照った体を一休み。

 それを2、3回繰り返したら上がる。
 これが多くの人のペースのようだが、僕は洗い場の板の間で胡座をかき、壁に背中を凭せてのんびりと休む、この時間が長い。

 他に入浴客がいない時には「最上川舟唄」や「山寺石切唄」などをの〜んびりたっぷりと歌う。これで気分はすっきり ! !

 以前膝を痛めた時には、この熱い浴槽に膝を浸しながら何度もキックをして回復させることができた。


 40分ほど、の〜んびりたっぷりと温泉を満喫して出てきたら、温泉街は濃い霧の中。



俳優佐藤輝撮影 霧の山形市蔵王温泉


 温泉街から下った西蔵王あたりは視界が数十メートルと更に深い霧に包まれていて、フォグライトを点けながらそろりそろりと降りてきた。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.16



梅雨は暑くて、明けたら雨の夏 

 変な天気の今年の夏だった。

 天気予報の確認無しでは一日が始まらない毎日で、それでも雨が予報された時にはピッタリ当たるのに、晴れの予報は見事にはずれて早々と雨になったり、それが続いたり、陽気な夏らしい天気に恵まれなかった。



俳優佐藤輝撮影 花火大会



 8月1日。地元の花火大会。
 朝から空を見上げては晴れるのを期待していたが、雨は止んだもののどうにも期待できない雲の厚さ。

 それでも夕方6時には花火大会開催を決めた予告の花火が鳴り響いた。

 結局、歩いて行ける近さの会場ながら濡れているだろう足元が気になって、今年はわが家の玄関前にテーブルを出して見ることにした。

 ご近所さんたちも加わって、花火を見ながら、ビールを飲み焼き鳥を食べ、被災した故郷のことなど、今まで聞いたことがなかった世間話にも花が咲いて、2017年夏の夜の思い出が一つできた。
 
                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.14



さくらんぼの女王様 紅秀峰 

 今年も、「かみのやまの親善大使を参らせます 感謝をこめて」の口上を付けたさくらんぼ『紅秀峰』が、暑い梅雨の7月10日にやってきた。

 見事 ! ! 素晴らしい ! !







 東京オペラシティ・コンサートホールで6月22日にあった山形交響楽団の『さくらんぼコンサート』。
 横山幸雄さんのピアノと飯森範親さんの指揮とが気持ちよくかみ合った奥行きと広がりのある響きで、レベルの高い素晴らしいコンサートだった。

 心地よく楽しんで感動の余韻に浸りながら出たロビーで、思いがけず、山形県上山温泉の温泉旅館『日本の宿 古窯』の社長で女将の佐藤洋詩恵さんに久しぶりにお会いした。
 思えば、山形交響楽団のコンサート会場に女将がいらっしゃるのは当然と言えば至極当然の理由があったことだけども、僕にとっては実に久しぶりの予期せぬ再会で、嬉しかった。 

 「食と温泉の国のオーケストラ」と銘打っている山形交響楽団は、45年前に、東北地方初のプロ・オーケストラとして村川千秋さんたちによって設立され、国内各地での演奏はもちろん海外公演もおこない、今年は「モーツアルト交響曲全集」を発売するなど、活発に幅広い楽団活動をしている。
 ちなみにこの村川千秋さんは、僕が何度もドラマに出演させていただいた映画監督村川透さんのお兄さん。

 そして佐藤洋詩恵女将はこの楽団活動を支えている公益社団法人山形交響楽協会の理事を務めている。会場にいらっしゃるのは当然のこと。
 客へのきめ細かなおもてなしの宿として評判の『日本の宿 古窯』は、地元全体を盛り上げ文化活動の発展にも力を入れている。

 女将には一方的に、応援していただいている。
 こころを励ましていただいている。
 なのに直接お会いしてお礼を申し上げる機会もなく過ごしてきていた。

 だから、ご無沙汰をお詫びし、いただいているお心遣いへのお礼を直接話すことができて本当に嬉しかった。

 すると女将はさりげなく「今度はあれ、送るから。もう手配したから。」 

 あれとは、さくらんぼ王国山形でさくらんぼの王様・佐藤錦の収穫が終わった後に、県が管理して出荷される「紅秀峰」!!
 口に含んだ時のガツンとくるボリューム感存在感、粒の大きさといい甘味の濃厚さといい、正にさくらんぼの女王様だ。美味い ! !

 他に何と言葉にすれば良いのか分からない、絶品 !!

 感謝するのは僕の方で、いくら感謝しても感謝し切れないと思いながら、見事な「かみのやまの親善大使」をいただいた7月。

 応援してくださる女将さんの思いを大事に受取って、その思いに応えられることを形にしたいと、励んでいる。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.10



中秋の名月2017!! 

 気がつけば、日々スケジュールを確認しながら結構多忙に暮らしているから、本当に気がつけば。

 今年も、中秋の名月。

 東の町並みの上に昇ったまだ赤みをおびた大きな月には時折たなびく雲。







 群青の中天に白く輝く名月には、群雲が西から東に流れては途切れる。

 この、雲間に輝く月影が、心を澄ましてくれました。


 レンタルサーバーの変更にともなって、ホームページURL変更があったため、その過程で混乱が生じて、ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけしました。
 ヤフーやGoogleで検索しても、タイトルとページの中身が違っているとかの苦情をいただきました。
 検索サイトも『俳優・佐藤輝の世界』と所属プロダクション『オフィス天童』を混同して表示していますが、この混乱も間もなく解決すると思います。

 佐藤輝のホームページは “俳優佐藤輝”で検索してください。
 『俳優・佐藤輝の世界』新しいURLは terutsuu.com/index.html になりました。
 また、所属プロダクション『オフィス天童 office-TENDO』の新URLは office-tendo.jp/index.html です。

 よろしくお願いいたします。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.10.6


またまた最上川、最上川舟唄 !! 

 11月20日にあった、故郷・山形県庄内町出身者が集う「東京庄内会」に、一昨年は水戸黄門役で出た『忠臣蔵』の稽古で、去年はNHK朗読の稽古と重なって都合がつかずに出席できなかったから、3年ぶりに参加した。

 新会員が50名も増えて200名の出席があったことに加えて、山形から駆けつけた原田真樹町長の挨拶の中に、隣接する酒田市の工業生産と港湾経済活動が好調で、庄内地区全体の雇用情勢が好転していることや日本海東北自動車道の具体化の進捗状況が語られたこともあって、実に和気あいあいとした和やかな、楽しい会になった。

 去年、欠席した後で、丁寧にたたまれた小さな包みが同封された郵便が届いた。開けてみると、手作りの綺麗な袋に入った、手作りのお守りだった。僕の健康と幸福の願いを込めて、近くの神社で祈祷してもらったものだと添え書きがしてあった。

 差出人は「東京庄内会」の相談役「斎藤まり子」さん。
 僕が高校を卒業して上京した直後に友達に引っ張られて行ったバーのママ。雑談をしているうちに、聞けば僕と同じ余目町(合併前の町名)の出身、更に聞けば教員をしていた僕の父の教え子だったと言う。その出会いからしてびっくりしたが、父の弟(叔父)たちと一緒に故郷の会「東京余目会」を毎年開いていて、そこには故郷の恩師として父が招待されているのだと言う。

 父の上京に合わせて最初に参加した「東京余目会」会場は、池袋東口から映画館の文芸座方向に向かった途中の池袋温泉。懇談時間になって横長の座卓に座って折り詰め弁当を食べていると、会場の貸し切り時間が終わったからとどっと一般客が会員の間間に入り込んで来るような、そんな会場の、そんな時代だった。

 その後、東京余目会の皆さんとは、1978年ママさんバレー地元代表として東京体育館の全国大会でブロック優勝を果した「余目ママさん」チームの応援や、88年準優勝の「余目ママ」チームの応援、総会でしばしばご一緒した。当初数十人の集まりだった総会も、回を重ねるごとに大きくなり、百人以上の会に成長した。会場も、浅草ビューホテル、上野池之端東天紅など、洒落たパーティー会場に場所を移した。そして昭和36年に発足した東京余目会自体も故郷余目町と東隣の立川町が合併して「庄内町」になったのを機に「ふるさと立川会」と合併し、「東京庄内会」に発展した。今年はその第8回総会だった。

 その間に、会員同士が連絡を取り合って、まとまって僕の舞台公演を観に来てくれるようになり、大いに激励し応援してもらった。その回数は、今となっては数えきれないほどになる。
 そうした中心には必ず斎藤まり子さんがいて、帝劇『ラ・マンチャの男』の楽屋にも、下北沢の小劇場の楽屋にも、湯気が立つ手作りのおこわや、煮物、漬物などを、家族を総動員して届けてくれた。舞台の合間に「美味しい! 美味しい!」と喜びながら楽屋中でご馳走になり、その度に出演者とスタッフに喜ばれ感謝された。







 今年は、会場に行ったら、いの一番に斎藤さんを見つけて、お守りのお礼を言おうと思い、久しぶりの再会を楽しみにして出かけた。

 ところがどこを見回しても、あのふくよかで優しい笑顔の斎藤まり子さんのお顔が見当たらない。役員名簿を見ると、そこには斎藤まり子さんの名前が出ているのに・・・。
 五十音順に並んだ参加者名簿を追って行った目は、一瞬あれ? なぜ ? の問いと一緒に「斎藤」の所で釘付けになってしまった。斎藤まり子さんとあるべきところに、その名はなくて、斎藤さんの二人の娘さんのお名前が「まり子さん娘」との説明付きで載っていた。ぼう然として頭の中は真っ白になってしまった。

 ・・・、斎藤さんの遺影を持って参加していた二人の娘さんの話では、先月、突然亡くなったばかりだと言う
 ぼう然が唖然になり、がく然とした。信じられなかった。信じたくなかった!!

 斎藤さんはいつも、懇親会が終わってそれぞれが帰る別れ際に、しっかりと握手しながら「輝さん! 来年もきっと来てね! みんな、あなたの歌う最上川舟唄で元気になるんだから、ね!?」と強く念を押した。

 ミニコンサートと懇親会に入ってのアトラクション後、突然ステージに呼び上げられて、何か挨拶をと所望された。口の中には食べたばかりのおにぎりのつや姫がまだ残っている。舌でそのご飯粒をを外しながら「つや姫は、歯に挟まっても美味しいご飯です !」とCM。

 このところ、折りがある度に歌っている山形県民の歌「最上川」を2回繰り返して歌った。

 最上川は、山形県南部の福島県境に近い西吾妻山麓に源を発して北上し、西の酒田市で日本海に注ぐ、山形県内だけで完結する229kmの大河。山形県の母なる河と呼ばれる。

 県中央部にゆったりとした丸みをもって横たわる霊峰・月山の頂上(1,994m)は庄内町にあって、その北側の雪解け水は庄内町の立谷沢川を下って最上川に注ぎ、町内を流れて酒田に下るから庄内町に育った会員にはとても親しまれている川。だから、繰り返しの2回目はみなさんのその最上川への思いがこもった、大きく流れるような歌声の盛り上がりになった。

 ここで、僕の耳に、はっきりと斎藤さんの「あなたの歌う最上川舟唄で元気になるんだから、ね!?」の声が聞こえた。でも・・・、さっきのミニコンサートで、日向由子さんがクラッシック風にアレンジした最上川舟唄を歌ってくれたばかり。
 完全民謡とは言いながら重ねて歌ったら日向由子さんに失礼になるかななどと、創立1周年となったオフィス天童の紹介をしながら、考えた。

 見ると上手前のテーブルに座っている斎藤さんの遺影を持参した娘さんの顔が見えた。その時また、斎藤さんの「あなたの歌う最上川舟唄で元気になるんだから、ね!?」の声が聞こえた。

 よしッ! 僕は「ヨーイサノマガーショ! エンーヤコラマーガセー!」最上川舟唄を歌った。
 斎藤まり子さんのリクエストに応えて、51年間のすべての感謝を込めて。

 会場のみんなが声を合わせて最上川舟唄を歌ってくれた!!

 「斎藤まり子さ〜ん ! 聞こえましたかぁ〜!」

 斎藤まり子さんも一緒に歌ってくださったと思っている。

                      佐藤 輝 2016.11.26



酒田・庄内・最上川  

 急にスネのあたりに風の流れを感じる、小さい秋。
 10月。

 この青くボケ気味の写真。







 シャッターを押してくれた人の名誉のために言っておくが、決して撮り方が悪かった訳ではない。
 カメラと被写体の間に、下から煙が立ち昇っていたからだ。
 撮ってくれた人は言った「煙の雰囲気も画面に入れたかった」。確かにその雰囲気はたっぷりと入っている。

 故郷・山形県の丸山酒田市長がせっかくVサインポーズを決めてくれていたのに、煙が悪い。

 その煙も一概に悪者にするわけにもいかない。
 なぜなら食欲を満たしてくれたBBQの煙なのだから。
 ほ〜ら! 写真から、い〜い香りが漂ってきて、次の休日には家族でBBQだ! などと心に決めたでしょう?

 丸山市長と、その当時は副市長だったが、一昨年12月に水戸黄門を演じた『忠臣蔵』の舞台を観て喜んでいただいて以来の再会となったのは、酒田市が武蔵野市で開催した“酒田DAY in 吉祥寺”に合わせて開いた“酒田市ゆかり人交流会”の第1会場。
       
 同じく『忠臣蔵』以来の再会となった宮崎観光振興課長の酒田市近況と今後の予定の説明を聞き、参加者の皆さんと自己紹介しながら名刺交換と情報交換もできたとても有意義な集まりだった。




僕の右隣・宮崎観光振興課長と職員の皆さん。酒田市と武蔵野市との職員交流や研修などを通して、次代を背負う視野の広い元気溌剌の職員が育っている。



 更に会場を商業施設屋上ガーデンの第2会場に移して、BBQに舌鼓を打ちながらの交流会。

 8月11日の初“山の日”に登頂したばかりの鳥海山と、朝日を受けて日本海に伸びた影鳥海の先に浮かぶ飛島が、「鳥海山・飛島ジオパーク」として日本ジオパークネットワークの認定を受けたこと。酒田市役所新庁舎が開庁したこと。酒田駅前周辺の整備事業が進むこと、などを話題にして近くの席の人たちと会話がはずんだ。

 ここで、自分でも思っていなかったハプニングを。

 天皇皇后両陛下が臨席されて、酒田市を会場に開かれた「全国豊かな海づくり大会」で市原多朗さんが山形県民の歌「最上川」を歌った話を聞き、市原さんと張り合う積もりは毛頭ないものの、この歌の良さを再認識してここ3年ほど、歌える機会があったら歌っているので、この機会にも歌わせて貰えるかと宮崎課長に申し出て、快諾をいただいたので飛び入りで歌わせてもらった。

 この一声が役者心に火を付けた。「2番は、最上川舟唄でしょう!!」
 (「最上川」の歌詞は昭和天皇が皇太子時代に詠んだ短歌。1番しか無い)


 伴奏無しのアカペラで歌ったので、最上川の流れのごとく早くなったり緩くなったり自在な歌になったが「山形県民歌」として長く広く歌われてきたこともあって、会場からは唱和する歌声も聞こえてきた。歌い終わると思い掛けない沢山の拍手の中から、何と「2番も歌え!」とのリクエスト!?

 この一声が役者心に火を付た。「2番は、最上川舟唄でしょう!!」

 ヨーイサノマガーショ エンーヤコラマーガセー

 盛り上がった参加者の皆さんの掛け声と手拍子に乗せられて、乗り乗りで最上川舟唄を歌い終えた。皆さんの喜んでくれた笑顔が嬉しかった。

 実は、酒田市の日和山公園に建っている「最上川」の歌碑と全く同じ作りの歌碑が、隣接する庄内町の第一小学校に旧余目小学校から伝わる歌碑として玄関前に建っている。その歌碑に因んで同小学校創立50周年の記念講演時に「最上川」を歌ってくれないかとリクエストされていた。
 構成上、その記念講演では歌わなかったが、翌年3月の卒業式に飛び入り参加させてもらって「最上川」を歌った。
 「皆さんのこれから、人生を、大きな志を持って、濁らないで最上川のような大河に成長してください」と卒業生にエールを送った。
 
                      輝 ☆彡 2016.10.2







俳優佐藤輝 7歳 山形県庄内町 余目八幡神社
7歳、余目八幡神社祭り。花持ち





 
山形県・庄内地方・庄内町03年3月〜04年12月 05年2月〜06年6月 06年7月〜07年5月 07年6月〜08年12月 
09年1月〜10年1月 10年4月〜11年3月 11年3月〜6月 11年7月〜12月 11年12月〜12年3月 12年5月〜11月
 12年11月〜13年5月 13年8月〜14年7月 
14年8月〜16年8月 16年10月〜17年11月  17年11月〜現在 
 山形県出身芸能人文化人

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