サンチョの
ラ・マンチャ ガイド
文・写真 / 佐藤 輝 |
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ミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョ・パンサ役を484回演じている
俳優・佐藤 輝が案内する『ドン・キホーテ』の舞台。スペイン、ラ・マンチャの旅。 |
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1)マドリー
Madrid 2)エスキビアス Esquivias 3)エル・トボソ
El Toboso 5)アルマグロ Almagro 6)コンスエグラ Consuegra |
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(4)
カンポ・デ・クリプターナ Campo de Criptana ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車の村 |
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ドゥルシネア姫が住むエル・トボソ村を出ると濃霧。 |
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ミュージカル『ラ・マンチャの男』El Honble de La Mancha熱は地元をも熱くした。 アマチュア劇団が昨年12月に一週間の公演をして大入り満員の大好評だったと言う。 観光案内所のホセはその時のポスターやパンフレットを持ち出して一生懸命話してくれた。その上マドリード公演のテープまで聞かせてくれる。僕がそれに合わせて歌い出すと、ホセは「チョット待って」と急いで外に出て行くなり掃除をしていた二人のオバチャンを連れて戻ってきた。 日本語のサンチョの歌、歌詞の「ドン・キホーテ」や「サンチョだ」の所ではみんな一様にニッコリうなずいて大拍手。3人の盛大な拍手は鳴り止まず僕はアンコールにこたえて生まれ故郷山形の『最上川舟唄』を歌った。 Muy Bien ! Mui Bien ,Cante ! Mui Bien ! ! 案内所には95年・青山劇場のチラシがパネル展示されている 丘の直ぐ下はアロンソ・キハーノ通り、屋根には馬にまたがったキホーテの風見が槍で北をさしている。その先にドゥルシネア通りの白壁の家並。雲一つ無い空を背景に、これらを大きな夕陽が鮮やかな茜色に包み込む。白い風車がピンク色に染まる。何度見ても飽きることのないこの風景、この時間。 400年ほど昔、キホーテの話を聞きながらサンチョ・パンサもしばし見惚れた光景だろう。 |
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一番星が輝きだした。ライト・アップされた風車が闇に浮かび、満天が降るような星で埋め尽くされる時が近い。 突然ですが、2007年1月20日放送のテレビ番組を見て ラ・マンチャの風車について
新聞に「スペイン」や「風車」の文字があるとパァッと目に飛び込んでくる。昨日2007年1月20日、『スペイン風車の丘へ』と書かれたテレビ番組欄を見て、夜の放送を期待した。 そのテレビ東京の番組『地球街道』「高橋克実 ラ・マンチャの男になりたい」で紹介されたスペインの風車の丘は、首都マドリー(マドリッド)から南に車で約200km行った所にある、サフランの産地としても知られるコンスエグラの風車だった。 番組を見ていてあれェ!? と、耳を疑ったことがある。
このコンスエグラの風車の映像にかぶって「この風車が、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」というようなナレーションの説明があったこと。 僕は、『ドン・キホーテ(Don Quijote de la Mancha)』の物語の中でドン・キホーテが戦いを挑んだ風車は、コンスエグラからさらに東に約50km行った所にあるカンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)の風車がモデルだというのが定説だ、と信じていたからだ。 ナレーション同様に、番組案内にもそのように明確に記されている。 これは定説を覆す世紀の新説か? 単なる大間違いか? その意図は? 1995年に松本幸四郎さん主演のミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョ(サンチョ・パンサ、Sancho Panza)として初出演することになり、役作りのために、前年94年11月から12月にかけてスペインを訪問した。ラ・マンチャ地方を中心にして、『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテス(Cervantes)と『ラ・マンチャの男』のドン・キホーテとサンチョにかかわる土地を訪ねた。 その時、スペイン政府観光局から貰ったラ・マンチャ地方の資料には、「カンポ・デ・クリプターナ」について次のように記述されている。 「逃げるな、憶病者め」と叫びながら巨人だと思いこんでしまった風車の群に突進する主人公。あの有名なシーンはここでくりひろげられたとされています。物語には30から40の風車があったと記述されていますが、現在では10基たっていて、いかにもドン・キホーテの世界らしい趣が喜ばれています。 そして、この資料の「コンスエグラ」の項には、ドン・キホーテとのかかわりについての記述が一言もない。つまり、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はカンポ・デ・クリプターナの風車だということが、スペイン政府観光局も認める定説になっているのです。 カンポ・デ・クリプターナの観光案内所のホセ・ルイスさんも「ここには『ドン・キホーテ』の物語に書かれていると同じ、30基以上の風車が当時あった」と説明してくれました。 以来2005年まで6回、ラ・マンチャ地方を旅しているが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はコンスエグラだ」という説は1度も聞いたことがないし、資料に出合ったこともない。 去年の正月に放送された番組で、松本幸四郎さんが訪れたのもカンポ・デ・クリプターナの風車でした。 スペイン在住の知人に資料を調べてもらった。 すると、2005年の『ドン・キホーテ』出版400年を記念してスペインで出版されたドン・キホーテのガイド『RUTA DE DON QUIJOTE』(『ドン・キホーテのルート』 ,Empresa Publica de Castilla - La Mancha出版)には、コンスエグラの風車について、11基の風車が紹介されていて、その文中で、 “Algunas fuentes situan su origen en el siglo XVI, pero parece que no hubo molinos en Consuegra antes del XVIII.” “(風車の)起源は16世紀に遡るとする文献もあるようだが、18世紀以前コンスエグラに風車は存在しなかったと思われる。” と記述しているとのこと。 だとすれば、セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版された1605年当時、コンスエグラに風車は存在せず、モデルにもなりえない。 また、カンポ・デ・クリプターナの風車について『RUTA DE DON QUIJOTE』は、 “.... Amena porque en ella podemos situar, segun la opinion generalizada de los cervantistas, la aventura mas popular y conocida de El Quijote , el combate contra los gigantes que resultaron ser molinos,........” “・・・というのもキホーテの中で最もよく知られまた人気のある冒険は巨人、実際は風車との戦いの場面は此処であるというのがセルバンテス研究家達の一般的な意見だ。” と説明しています。 物語のモデルと主張する説は各地にあるが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」のモデルについては新説が出る余地はなく、カンポ・デ・クリプターナだとする説が間違いなく定説になっています。 日本の旅行社の観光ツアーでは、カンポ・デ・クリプターナを巡るツアーもあるけど、「ドン・キホーテ」ゆかりの地 ラ・マンチャ地方の風車へご案内 ! 、とか、「ドン・キホーテゆかりのコンスエグラ」「ドン・キホーテのラ・マンチャ地方の風車」などと説明してコンスエグラに案内しているツアーが多く見られる。マドリーから古都トレドを経由して南のアンダルシア地方に向かうルート上にあるコンスエグラの方が、移動に便利だからなのかも知れないが、これでは「ドン・キホーテ」をイメージする人は、そのコンスエグラの風車が、ドン・キホーテが挑んだ風車のモデルだと思いこんでしまうだろう。思いこむのは、思いこんだの人の勝手だというだろうが・・・。 ドン・キホーテが挑んだ風車だとか、『ラ・マンチャの男』の風車だとか限定して言わないかぎり、ラ・マンチャ地方の風車として、どちらも僕は好きな風車です。でも、サンチョの心が本当に高鳴るのは、セルバンテスの小説のモデルとして定説になっているカンポ・デ・クリプターナの風車。 ああ、今年も、あのカンポ・デ・クリプターナの丘に早く帰省して、ラ・マンチャの大平原をサンチョの気持ちで眺めたい
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輝 ☆彡 2007.1.21 翌朝も快晴! この坂がサンチョ通り |
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鐘の音に誘われて・・・ 風車の下に広がる坂の街
南へ向かう道がラ・マンチャの太陽に白く焼かれている ミュージカル『ラ・マンチャの男』 右が佐藤 輝のサンチョ・パンサ |
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1)マドリー
Madrid 2)エスキビアス Esquivias 3)エル・トボソ
El Toboso 5)アルマグロ Almagro 6)コンスエグラ Consuegra |
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