俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」07.1.9演劇の神様
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな
 
3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業
 

     2007.1.9掲載 演劇の神様
 演劇の神様

               佐藤 輝

 新成人がテレビのインタビューに答えて、真摯(しんし) に誇らしく夢を語る表情はまぶしいほどに輝いて美しい。初春の希望を 分けてもらったような気持ちになり、同時代に生きる仲間として、画面 に向かって「頑張ろう! 」とエールを送ってしまう。
 6日に寒入りした。寒入り4日目と9日目には特別な呼び名があって、4日目を「寒四郎」、9日目は「郎」抜きで「寒九」。この「寒 九」の日の雨は豊年の前兆といわれるそうだ。今月14日の天気はどう だろう。
 穏やかな天気に恵まれて、初詣では車で天童にある若松観音に。杉林の間の山道をくねくねと登って、花笠音頭に歌われた若松寺の境内に入ると、石碑に「めでためでたの若松様よ」の歌詞が刻まれている。新年の喜びが重なる。雪の積もった展望台からの眺めは絶景。足元に見えるふもとの集落から続く天童市街と葉山までの村山盆地が、白黒の濃淡で描かれた一幅の絵のように落ち着いた美しさを見せていて、思わず歓声をあげた。
 境内の茶店のいい匂いに誘われて玉こんにゃくを一串食べ、その足で、最上川に近い天童最上川温泉・ゆぴあの、広い露天風呂で初湯。真っ白く雪をかぶって眠る月山が正面に見える。風も肌を刺す冷たさはなく、流れる湯気に顔だけ出して、体はぽかぽか。
 何かにつけて縁のある神社やお寺にお参りするし、史跡散策や観光のついでに立ち寄ることもある。でも、お参りしたからといって、どの神社や仏閣もが人生に深いかかわりをもつ訳ではない。そんな平均的日本人の僕だが、この39年間、俳優として片時も忘れず、深くかかわってきた神様がいる。それは「演劇の神様」。僕の心の中に住んでいる。
 俳優が演技をする時、台本に書かれた世界全体をつかんだ上で、そこに生きている役の人物のイメージを読み取り、膨らませて役作りをする。この時ややもすると、自分が演ずる役のことだけを考えて思い込みが先行し、独りよがりの役作りと演技になることがある。そうならないように、作品全体の中で、夫々の役に色付けをし、関係を作り、交通整理をして芝居の流れを作るのが演出の役割だ。
 しかし、演出に指摘されるまでもなく、俳優は自分の役への熱い思いと同時に、役のポジションを客観的に見る感覚が必要で、その感覚が正しいかどうかを厳しく見ているのが「演劇の神様」だ。と教えてくれたのは、劇団俳優小劇場の代表で演出家の早野寿郎さんだった。
 表現には品格が必要で、自己陶酔・自己満足だけの演技では、その俳優の臭さしか見えず、役の人物像が見えてこない。それでは観客の共感は得られない。
 「演劇の神様」は、俳優の演技を冷徹に見つめている。足を一歩動かす時、首をかしげる時、微笑む時、セリフの一瞬の息継ぎや小さな体の動きなど、演技のすべてについて、「それは、役の人物の真実か?」と問うてくる。役作りは十分か、表現に足りないものはな
いかと、絶対的理想の演技を求めてくる。
 この神様と出会って以来、役の心を演ずる熱い主観と、演ずる姿をお客様と一緒に客席の後ろから見ている「演劇の神様」の客観を、自分の心の中に同時に持ちながら演技している。神様、今年もお世話になります。

  夢語る子らの心の冬芽かな  輝

俳優佐藤輝 撮影 山形県天童市若松観音 村山盆地
写真タイトル
初春の若松観音から月山、葉山を望む(筆者撮影)

          2007.01.09 掲載分



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