俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」8.22夏草や・・・
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな
            
3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業 

      2006.8.22掲載 「夏草や・・・」

 夏草や・・・
 
                佐藤 輝

 15日は、敗戦から61年目の終戦記念日。300万人以上の国民が死んだ戦争だ。
 その日は暑い日だったと聞くが、僕には記憶が無い。まだ生まれて5カ月の、えんつこ(いづめこ)に入った赤ん坊だったから。
 庄内にも米軍機が襲来し、爆弾投下や機銃掃射があった。警報のサイレンが鳴るたびに、えんつこを持って庭の外れまで走った母や兄たちは、敗戦を知り、開放感と同時に虚脱感に襲われたと言う。
 そうした話を聞くにつけ、時流に押し流され権力者の命令に従うしかなかった庶民の苦労と平和の喜びを演じたいと思い、1979年から大藪郁子作「ろば」を演じている。
 「ろば」は、入れ歯を入れたろばとして知られ、65年3月に東京上野動物園で31歳(人間なら約90歳)で死んだ、中国生まれの一文字(いちもんじ)号の数奇な生涯を、戦中戦後の庶民史と重ね合わせ、蔵王出身の飼育係との交流を通して描いた芝居。元はラジオドラマとして書かれ、エノケン(榎本健一)さんが一文字号を演じた。それを、僕が所属していた劇団俳優小劇場が、西村晃さん主演で舞台化し、客席が笑い涙する評判の公演として長く続いた。
 ミュージカルではないが、歌い踊って演じる一文字は体力の要る役。西村さんが体力の限界を理由に「ろば」にさよならしたのを機に僕が引き継いだ。最上川舟歌や庄内の昔話で構成した「むかし・まつり」と2本立てで東京で公演した後、庄内各地や山形市民会館でも公演し、喜んでもらえた。
 去年の終戦記念日には、朗読劇として、旧藤島町の民家を会場に、公演した。
 今年の終戦記念日。7月に救急入院した義父は、医療と介護のプロの皆さんに支えられて退院出来た。その間、一人暮らしは物騒だからと、施設に入って退院を待っていた義母にとっても、正に終戦記念日になった。
 人の命と尊厳を預かる仕事場に、アマチュア感覚や遊び感覚、規則第一の役人感覚の人間がいてはならない。患者を救うことを目的としてその仕事を選択した本人の生き方、そのために身に付けた専門的知識と高度な技術、それらを自覚出来る人こそがプロと言える。
 ご近所の皆さんにもお世話になり、多くを教えて頂いた。今更のように納得することばかりだった。ご近所の付合い方にプロはいないし、こうあるべきだという決まりはなく、みんながアマチュアだから、お互を尊重しながらコミュニケーションを築いていく。迷惑を受けているのなら、その相手にはっきりものを言い、そうでないのならとやかく口を出さない。人に求める前に、まず人の気持ちを推し量る。本当の親切とは、相手を思いやり、必要があれば手を貸すこと。こうすれば、気持ち良いご近所付合いができる。と、今回学んだことは多く、俳優として演技の引き出しが一つ増えた感じがする。皆さんに、感謝。

   列島のかたち明るし終戦日 輝


写真タイトル
実りの秋を待つ庄内平野(筆者撮影)

出演情報
■NHK-FM ラジオドラマFMシアター「百億光年の貝殻」8月26日(土)夜10時〜10時50分
■NHK-BS「俳句王国」ゲスト出演。9月2日(土)午前11時〜11時50分 兼題「虫」

               2006.8.22掲載



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