俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」5.30もみじ若葉の小倉山
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな
                      
3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業

  

      2006.5.30 掲載もみじ若葉の小倉山

 もみじ若葉の小倉山       
 
                佐藤 輝

 京都の名所、渡月橋、嵐山は、太秦の撮影所から車で10数分で行ける近さにある。「水戸黄門」の仕事初日はカツラを合わせるだけですぐに終わったから、嵐山まで出かけた。
 体が緑色に染まるような嵯峨野の竹林をぬけて、極小輪のやぶつばき、咲き残る枝垂れ桜を楽しみ、野々宮、常寂光寺をまわる。
 芭蕉の高弟向井去来が住んだ落柿舎の縁側に腰掛けて、若葉をつけた柿の老木を見上げながら一息つき、またそぞろ歩く。
 祇王寺の隣、今にも朽ち果てそうな滝口寺では、平家物語に出てくる横笛との悲恋を流麗な美文で世に知らしめた、鶴岡出身の高山樗牛の「滝口入道」を口ずさむ。あの文庫本を持ってくれば良かった。平家滅亡の壇の浦はちょうど陽暦5月、「子午線の祀り」で演じた伊勢三郎と京の都のつながりを思う。
 今は初夏の湿気をたっぷり吸ったもみじ若葉が古刹を覆って、「そうだ 京都、行こう」と紅葉が旅情を誘う秋の印象が強いCMのイメージを払拭するほど、生命力にあふれている。
 帰り道、過去に何度も訪ねた嵯峨野でありながら1度も入ったことのなかった二尊院の大きな総門をくぐる。本堂の裏が小倉山、そこに鎌倉時代初期の歌人・藤原定家が「小倉百人一首」を選定した「時雨亭」跡があるとの案内に惹かれてのこと。嵯峨野にある時雨亭跡三説の1つがここ。
 本堂で二体の本尊を拝してから、左右に古い墓地が続く急な石の階段を登り切り、案内板に導かれて左へ山道を数百メートル行くと、木々の間から市街地を望める空間に出た。山を背にして、2間四方の礎石だけが残っている。ここが「時雨亭」の跡。
 生家では毎年正月、家族そろって「百人一首」のかるた取りをして楽しんだ。物心が付いた頃には取り手に加わり、自分の目の前にあるその1枚だけは絶対に自分が取ると決めて、暗誦した上句を繰り返しながら読み手の第一声をドキドキしながら待ったものだ。
 四人の兄たちとは、力が開きすぎていて勝負にならない。負けるのが嫌で、しばしば読み手に回り、読みながら歌を覚えた。その時の僕の楽しみは、即興で百人一首のパロディーを作り「空ふだ1枚」として「暑すぎて夏来たらしい白妙の湯文字干したりふんどし干したり」などと読み上げることだった。
 たまたま、子供のころのそんな経験が現在の演技や俳句に通じる一瞬のひらめき感覚やユーモア感覚を育ててくれたのだろうな、などと思いながら入った京都で出合った時雨亭。
 その跡の、沓脱ぎ石と思われる一段高い石に腰掛ける。定家も、このあたりから京の町を遠望し、思いにふけったに違いない。しかし、それから800年も経ったころに、そんなひどいパロディーを読んだ少年がジーンズ姿で自分の旧跡を訪ねてくることなどは夢にも思わなかっただろう。
 人は人から影響を受け、人に影響し、歴史が続く。

  壇の浦語る潮の音春の月  輝


俳優佐藤輝 撮影 水戸黄門 京都嵐山常寂光寺 写真タイトル
もみじ若葉の常寂光寺(筆者撮影)

               2006.5.30掲載

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