俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」12.12山茶花の散るや・・・
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな
       
3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業
     

     2006.12.12掲載 山茶花の散るや・・・
 山茶花の散るや・・・

              佐藤 輝

 何ごと! けたたましく響くひよどりの鳴き声で、今朝は目が覚めた。ベランダにある鉢植えの山茶花(さざんか)が花を咲かせ、2羽のひよどりがその蜜(みつ)を吸いに来ている。
 この鉢は30年前、映画の撮影で通った調布にある日活撮影所近くの、苗木畑を囲う山茶花の垣根の下に落ちていた種を拾って育てた。近くには茶畑もあり、白い小さな茶の花と交雑した種だったらしく、鉢の花は親の山茶花よりも小さく、淡い色をしている。
 山茶花が咲くこの時期には、喪中のはがきが届き、驚き、胸ふさぐことも多い。
 「夕鶴」「彦市ばなし」「子午線の祀(まつ)り」の作者で、戦後日本を代表する劇作家の木下順二さんが、10月30日に亡くなられた。
 僕が俳優を志したのは、小学6年の時に学芸会で「彦市ばなし」の天狗(てんぐ)の子を演じ、温かい拍手をもらったのがきっかけだった。「木下順二」の名はこの49年間いつも僕の心にあって、俳優人生を支えてくれた。
 人の縁とは不思議なもの。1974年に井上ひさし作「天保十二年のシェイクスピア」で共演した、能楽師で演出家の観世栄夫さんには、その後、劇団動物園の客員メンバーとして、ミュージカル「紅葉乱舞車達引(もみじまうくるまのたてひき)」「ろば」の演出をしてもらった。また僕は、観世さん演出の多くの作品に出演してきた。
 その観世さんは、平家物語を題材にした「子午線の祀り」の初演当時から演出を担当していたが、99年の新国立劇場公演に際して、僕を源義経の一の家来・伊勢三郎役に配役してくれた。98年8月に新国立劇場のリハーサル室で行われた顔寄せの折、僕は木下順二さんに初めてお目にかかった。そして、いささか興奮しながら、それまでの41年間の思いをこめて、小学六年で演じた「彦市ばなし」のことを話した。木下さんは喜んで「そうか。伊勢三郎も頑張って」と励ましてくださった。その時の優しい表情を思い出す。
 千秋楽の打ち上げパーティーでは、舞台の成果をとても褒めてくださった。以来、この伊勢三郎は、「ラ・マンチャの男」のサンチョとならぶ僕の代表作といわれるようになり、「木下順二」はさらに大きな存在となった。
 2004年の世田谷パブリックシアター公演にも、熊本公演にも、木下さんはおいでになれなかった。それでも、次の再演の折にはまたお目にかかれるものとばかり思っていた。が、残念ながら永の別れとなってしまった。
 今年は特に、仕事を共にした多くの方々が鬼籍に入られた。
 僕をサンチョに育ててくれた「マイ・フェア・レディ」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」の元プロデューサー・佐藤勉さん。
 「屋根の上の---」で261回共演した司祭役、劇団青年座の代表だった森塚敏さんは、「この出演者と一緒に舞台に出られるのがうれしい」といつも言っていた。
 「屋根の上の---」と「ラ・マンチャの男」の振付・坂上道之助さんは、ピリッと辛いダメを出す、一番厳しいスタッフだった。
 僕を支え育ててくださった人たちに感謝し、ご冥福を祈っている、山茶花の季節。

  蜜吸いの鳥や山茶花散らしけり  輝

     俳優佐藤輝 木下順二作『子午線の祀り』伊勢三郎義盛
 写真タイトル
 「子午線の祀り」伊勢三郎役の筆者

          2006.12.12 掲載分


観世榮夫さん逝去 

 劇団動物園の『紅葉乱舞車達引』 『ろば』『むかし・まつり』、2004年世田谷パブリックシアター公演『子午線の祀り』などを演出された、演出家で能楽師・俳優の観世榮夫(かんぜひでお)さん(79歳)が、2007年6月8日朝、逝去されました。
 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 1973年に渋谷・西武劇場で公演した井上ひさし作『天保十二年のシェイクスピア』(出口典雄演出、阿部義弘事務所製作)で共演して以来、観世榮夫さんには言葉では言い尽くせぬほどのお世話になりました。

 1977年に僕が結成した劇団動物園に客員メンバーとして参加していただき、旗揚げ公演・ミュージカル『紅葉乱舞車達引』では演出だけでなく、出演もしていただきました。また、多くの貴重な助言を頂戴しました。
 観世さんが語られた「俳優の仕事は日々新しい自分を発見することだ」は、今も俳優としての大切な心構えとなっています。劇団では 『ろば』『むかし・まつり』も演出していただきました。
 劇団以外でも渋谷・ジァンジァンでの『冬眠まんざい』、『四谷怪談』、ロックミュージカル『落城』、民音の作家と音楽『水上勉・青江三奈 越後つついし親不知 越前竹人形 五番町夕霧楼』など、観世さん演出の舞台に多数出演させていただきました。

 特に1999年に新国立劇場が製作・公演をした木下順二作『子午線の祀り』では、観世さんの推薦により義経の配下「伊勢三郎義盛」役をいただき、観世榮夫さん単独演出となった2004年の世田谷パブリックシアター公演では、僕の代表作の一つと言われるほどの大好評をいただきました。これは観世榮夫さんが僕の中に育ててくださった「語り」の要素が実を結んだ結果だったと、感謝しております。

 榮夫さん! 安らかにおやすみください。

                  佐藤 輝 ☆彡 2007.6.8



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