俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」10.13歳時記
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな

3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業        
     


     2006.10.3掲載 「歳時記  
 歳時記
 
               佐藤 輝

 季語を集めた「歳時記」を読むと、五感が刺激されて、日常のささいな事までもが鮮明に脳裏にきざまれる。こうした積み重ねが俳優には貴重な財産、役作りの引き出しになる。
 先月16日のNHK「俳句王国」の兼題は、正岡子規の命日9月19日にちなんだ「子規忌」。秋の季語で、副題に「獺祭忌(だっさいき)」がある。子規には「獺祭書屋主人」の雅号もあり「獺祭忌」はその雅号にちなむというが、獺祭とは何か、興味を持った。
 調べると「獺」は「かわうそ」のことで「獺祭」の語源は、中国の古書「礼記(らいき)」にある「獺祭魚」。これは、獺は捕らえた魚を人間が祭りで供物を並べるように川岸に並べる、という意味。後に唐代の詩人・李商隠は、尊敬する詩人の作品を並べて詩想を練り、その様子を礼記の故事に例えて、自らを「獺祭魚庵」と号した。そこから「獺祭魚」には「書物の散らかる様子」という意味が生まれた、という。
 子規は、病床のまわりに書物を置いて伏している自分を獺に例えて「獺祭書屋主人」と号した。子規独特のユーモアを感じる。
 故事来歴を下敷きにして「俳句王国」のスタジオに集まった俳人たちを獺に、夫々の詠んだ兼題句を獺が捕らえた獲物に見立てた僕の俳句「スタジオに獲物並べし獺祭忌」は、皆さんに共感してもらえると思っていたが、僕のユーモアは通じず、残念ながら無得点句。
 先月30日には29年ぶりに母校・余目中学校のステージに立った。PTA主催の講演会。演題は「サンチョを育てたふるさと・庄内」。ミュージカル「ラ・マンチャの男」の劇中歌や、大好きな「最上川舟唄」、「子午線の祀り」の伊勢三郎の台詞(せりふ)などを入れて、僕の感性を育てた庄内の自然や文化の素晴らしさを語った歌う講演を、在校生と町民の皆さんが熱心に聞いてくれた。PTA交流会では、庄内の魅力と夢を熱く語り合って、大いに盛り上がった。
 29年前のステージは、僕が結成・主宰した劇団動物園の旗揚げ公演で、観世栄夫演出のミュージカル「紅葉乱舞車達引(もみじまうくるまのたてひき)」。東京公演の後、総勢26人のスタッフ・キャストを引き連れて庄内3会場で公演したが、これはミュージカルの山形県内初公演記録と思われる。余目では町の文化・スポーツクラブをはじめ知人友人が実行委員会を組織して応援してくれた。体育館のステージに、特設の張り出し舞台とセンター花道が作られ、電気も引き込んだ大掛かりな公演は大成功だった。
 さらに古く、僕が中学生の時、秋の学芸会に3年続けて出た。演劇好きの先生がたくさんいて、暗くなるまで一生懸命指導してもらったものだった。中でも3年生で演じた「ああ、無情」(ミュージカル「レ・ミゼラブル」の原作)の主役ジャン・バルジャンは、力持ちの大男の役を、小柄でやせていた僕がやらせてもらい好評だったことで、その後、俳優修業する僕を支える大きな力になった。今、校舎は建て替えられて当時の体育館はない。
 「歳時記」を読みながら、中学時代のあの師この友、色々な場面を思い返している。

   芋煮会地球背負つて青き空  輝


俳優佐藤輝 撮影 東京 秋の空 写真タイトル
満腹になって河原に大の字になれば、心は地球を背負っている気分(筆者撮影)

               2006.10.03 掲載分


観世榮夫さん逝去 

 劇団動物園の『紅葉乱舞車達引』 『ろば』『むかし・まつり』、2004年世田谷パブリックシアター公演『子午線の祀り』などを演出された、演出家で能楽師・俳優の観世榮夫(かんぜひでお)さん(79歳)が、2007年6月8日朝、逝去されました。
 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 1973年に渋谷・西武劇場で公演した井上ひさし作『天保十二年のシェイクスピア』(出口典雄演出、阿部義弘事務所製作)で共演して以来、観世榮夫さんには言葉では言い尽くせぬほどのお世話になりました。

 1977年に僕が結成した劇団動物園に客員メンバーとして参加していただき、旗揚げ公演・ミュージカル『紅葉乱舞車達引』では演出だけでなく、出演もしていただきました。また、多くの貴重な助言を頂戴しました。
 観世さんが語られた「俳優の仕事は日々新しい自分を発見することだ」は、今も俳優としての大切な心構えとなっています。劇団では 『ろば』『むかし・まつり』も演出していただきました。
 劇団以外でも渋谷・ジァンジァンでの『冬眠まんざい』、『四谷怪談』、ロックミュージカル『落城』、民音の作家と音楽『水上勉・青江三奈 越後つついし親不知 越前竹人形 五番町夕霧楼』など、観世さん演出の舞台に多数出演させていただきました。

 特に1999年に新国立劇場が製作・公演をした木下順二作『子午線の祀り』では、観世さんの推薦により義経の配下「伊勢三郎義盛」役をいただき、観世榮夫さん単独演出となった2004年の世田谷パブリックシアター公演では、僕の代表作の一つと言われるほどの大好評をいただきました。これは観世榮夫さんが僕の中に育ててくださった「語り」の要素が実を結んだ結果だったと、感謝しております。

 榮夫さん! 安らかにおやすみください。

                  佐藤 輝 ☆彡 2007.6.8



                   
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