俳優・佐藤 輝

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝
2018年3月〜現在
 

H O M E
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2018年3月〜現在                  2018年4月6日




春は食欲! テーマパーク富士屋ホテル 

 早々の桜満開と晴天続きの初夏陽気に誘われて、ひさびさの箱根へ。

 平日なのに小田原厚木道路を降りた途端に大渋滞。
 箱根湯本の通りはバスを待つ人、土産物屋を巡る人、こんなに沢山の客がやって来る温泉地なのだと再認識した、人、人、人、・・・

 10メートルほど進んでは停まり、また進んでは停まるを繰り返して、そのゆったりの時間、以前50ccバイクで来た時に食べたはつ花そばの味を思い出したり塔ノ沢一の湯の一夜の発端が何だったかを考えたり、萌えはじめた早川対岸の山の美しさに見とれたり、大平台の急カーブの先に咲き誇る枝垂れ桜の鮮やかさにここだけはもっとゆっくり走りたいなどと勝手なことを考えているうちにくねくねカーブが終って宮ノ下の集落へ入る。

 通りの先に、箱根駅伝のテレビ中継ではいつも紹介される富士屋ホテルの特異な建物が見えた。




明治24年竣工の富士屋ホテル本館。大きなガラス窓のサンパーラーは昭和10年大改修までは正面玄関だったところ。その2階が今宵泊まる部屋。



 ここ富士屋ホテルは34年前にテレビ番組「松本清張事件にせまる」のロケで、佐分利公使を乗せた自動車の運転手役で訪れて以来。
 その時は、和洋折衷と言うよりは形も色も支離滅裂ゴッチャ雑ぜの変な建物という、余り良い印象をもたなかった。




本館に続く右側の建物2階がメインダイニング「ザ・フジヤ」。



 僕が持っている印象とは正反対に、その富士屋ホテルがなぜこんなにも世に知られて、5つ星の宿に選ばれるほど評判が良いのか?

 よし、この機会に富士屋ホテルを知り尽くそう。それがこの1泊の目的になった。




メインダイニング「ザ・フジヤ」にて。



 ホテルのホームページで館内ガイドツアーがあることを知って「これ、これ !」と早速参加。

 集合場所は「花御殿」B1のクラシックチャペルと聞いて向かった「花御殿」。
 外から「花御殿」の玄関に入ると、そこは何とB2フロアだった。つまりは玄関からB1に降りるのではなくてB1に昇る、この不思議さにまずは驚かされた。

 小さなロビーから階段を上ったB1フロアにあるクラシックチャペルには1900年製の大きな円盤オルゴールがあって、そのオルゴールが奏でる「アヴェ・マリア」の素敵な響きから、30人ほどが参加した館内ガイドツアーが始まった。




メインダイニング「ザ・フジヤ」からの眺め。「花御殿」から右に白い「西洋館」、奥にモダンな「フォレスト館」。



 このオルゴールが作られた年より22年もさかのぼる1878年(明治11年)に外国人客向けに創業した富士屋ホテルの来歴と創業者の思い。その意思を継いでアイデアを爆発させたヒゲの後継者。

 個性的な語り口調の説明を聞きながら「平和通り」と呼ばれる廊下の天井照明を眺め、本館へ。
 そしてガイドツアーのフィナーレは、メインダイニング「ザ・フジヤ」。

 微に入り細に入り、徹頭徹尾凝りに凝った手仕事の数々。
 日本工芸美術の粋が上にも下にも、つまり天井にも壁にも柱の足元にさえ隅々まで施されている仕掛け。ワンダーランドだ。
 あの場違いに自己主張している極彩色の模様は、何とまあ、トーテンポールからの発想だと言う。

 発想と業績を聞くと、そのすべてがこの建物の形と色、内外至る所に見られる手の込んだ装飾工芸品の数々に凝縮しているいるのだと納得させられる。

 そうか、ここは外国人客を喜ばせるために造られた和の伝統を基調にしたテーマパークだったのだ。

 その目線で見回すと、今まで自分の好き嫌いだけで見ていたものが、夫々の個性と味を持った面白い存在として次々と目に入って来る。
 このエキゾチックなテーマパークは外国人客に受け入れられて大いに喜ばれたに違いない。

 外から見ると2棟に見える「花御殿」、2棟の白い西洋館、本館、それにメインダイニングのある食堂棟、これらは全棟が繋がっていて、時々自分がどの棟の何階にいるのかがわからなくなる。歩けば、階段を昇り降りするたびに、角を曲がるたびに目の前の世界ががらりと違って見える、次元すら変化する世界。

 ミラクルボールのように変化するファンタジックなテーマパークだ




この階段もその1つ。1階から2階に、別世界への夢を誘ってくれる。



 2階の部屋から、「晩餐! 晩餐!」の世界へ、胸をワクワクさせながらメインダイニング「ザ・フジヤ」を目指して降りる。







 創業当時、日本のフランス料理のレベルアップをはかって全国から生徒を募り料理学校まで開いた歴史を持つ「ザ・フジヤ」。

 柱の角の根元には鬼が目を光らせている。
 髭男爵と呼ばれた3代目経営者山口正造が、自分の顔をモデルにして「しっかりと仕事をしているか」と従業員の仕事振りに目を光らせているのだと言う。

 その伝統に根ざした「ザ・フジヤ」の味に期待した。




フォアグラのテリーヌ




金目鯛のマリネ 柚子風味のヴィネグレット




帆立貝のサラダ仕立て キャビアと雲丹添え




トマトのポタージュ




ホウボウのポワレ 香草入りブールブランソース




牛フィレ肉のステーキ ジャルディニエール風




牛頬肉のブレゼ 野菜添え




うまい! 美味しい!
このレベルの高い味わいに、自然にこんな顔。




いちご入りチョコレートプリン




このとろりととろけるマイルドな甘さの中にいちごのさわやかな甘さと歯触りが! ぺろりッ!! 嬉しいボリューム!!!




ストロベリーメルバ



 あぁあァ コーヒーも味に深みとたっぷりのコクがあって、目も舌ものども大満足。

 レベルの高い2つのコースをたっぷり味わえて、特別な記念日になった。

 富士屋ホテルの奇抜な外観も過剰とも言える装飾も、すべてはこのメインダイニング「ザ・フジヤ」のレベルの高い味を楽しんでもらうために用意された仕掛けだった。
 なるほど、これならば宮ノ下の富士屋ホテルの評判が上がるのは当然だった、と納得した。

 自室のクラッシックな洋式バスに温泉を入れてのんびりゆったり体をほぐして、あとはぐっすり安眠!




翌日も爽やかな快晴 !



 ここまで読んで「よし、富士屋ホテルに行くぞ !」と決意された方には誠に申し訳ないのですが、宮ノ下・富士屋ホテルは4月1日から耐震補強工事のために休館しています。その気にさせてスミマセン。

 僕の新年度も体調万全、世界はくっきり、トレーニングと観劇、資料調べに暇無しです。

 大谷翔平!! すごいぞ2試合連続ホームランの大活躍!!! そして爽やか。

 それに引き換え、言いたくはないが・・・日本の・・政治状況。

                   佐藤 輝 ☆彡 2018.4.6

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春は椿と・・・・ 

 自然の色はホントに美しい。

 紅の椿。

 僕に本物の春到来を毎年知らせてくれるのは鉢植えの薮椿の鮮やかな紅色。

 今年も咲いてくれた。







 生家の裏庭に生えた実生苗から成長したこの鉢植えの舘椿は故郷の春の始まりの喜びをも思い出させてくれる。

 日ごとに夜の訪れが遅くなって、昼が長くなったなぁと感じられるこの頃の春の陽光と一緒になって、冬の寒さに耐えてちぢこまったこころを温かく心地よく目覚めさせてくれる。

 なのに、蕾がふくらんで色づいて、明日は、明日の朝には今年の最初の花が開くと楽しみに待ちに待ったその朝の明け方、ギャーギャーと鳴き喜ぶつがいのヒヨドリの声とともに無残にも食いちぎられてしまった。

 だから、この花は次に咲いた今年の二番花。
 ふくらんで色づいた蕾のまわりに七夕飾りの残りの銀紙を短冊にしてひらひらと吊るした。 
 そして翌朝。
 ヒヨドリのギの音も聞こえず、無事にみごとに咲いてくれた ! !

 その日は何度も何度もベランダに出て、舘椿を慈しんだ。







 前後して、侘助(ワビスケ)も咲いてくれた。
 やはり、これも二番花。
 うす碧味がかったピンクの花は、こじんまりとして、これ以上開かない慎ましさが名のとおり侘びの世界。
 茶花にぴったり、ベランダの片隅をほのぼのと明るくしている。

 しばらくは早朝のヒヨドリを警戒する日が続く。



2018年 

 このページ、今年初めてのupとなった。

 新年は帰省先で雪かきの日々。

 元気に雪を放り上げて汗をかいた。








高麗屋三代襲名披露初春大歌舞伎 

 正月気分満杯に着飾ったお客さんが期待に胸をふくらませて、次々と吸い込まれてゆく歌舞伎座。










 二代目松本白鸚さん、十代目松本幸四郎さん、八代目市川染五郎さんを中央にして、藤十郎さん、吉右衛門さんをはじめ舞台にずらり居並んだ幹部俳優皆さんのお祝い口上の和やかで晴れやかで整った美しさを楽しみ、幸四郎さん染五郎さん親子が義経と弁慶の主従を演じた『勧進帳』の緊迫感にぞくぞくし、その世界をがっちりと支える吉右衛門さん演じた富樫の大きさに感激した豪華な舞台だった。







 嬉しかったのは、客席には僕がサンチョ役で出演していた『ラ・マンチャの男』をご覧になったお客さんも多く、僕に気付いて「白鸚さんのセルバンテスも是非観たいですね。」「佐藤さんのサンチョはとても良かったです。今でも思い出します。また出てくださいね」と声をかけてくださったこと。
 10年経っても感動を語っていただけるなど思いもよらなかったことで、涙が出るほどありがたく、嬉しいことでした。
 サンチョを演じさせてもらえたことを誇りに思います。


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東京も雪景色

 1月23日朝。
 朝日が反射して眩しいこと !

 とは言え雪国の雪の量とは比べ物にならないのにあっちでもこっちでも、雪の時には外出するなと言われているのに、トラブルが続いて・・・。

 それにしても、その後の福井や新潟など各地の連続豪雪にはただただびっくりしたり呆れたり、同情する他ない。雪国の自治体は除雪費用の増大に苦労していると聞く。







ラ・マンチャが ! 

 それでも春はめぐり来る。この僕にも。

 風車に立ち向かうドン・キホーテと従うサンチョの立体ペーパークラフトが春風に乗ってスペインからやって来た。

 二つに折り畳んだカードを開くと、何と、見事な円筒形になって風車が立ち上がったのには感心した。

 ああぁ ! ラ・マンチャの丘に広がるカンポ・デ・クリプターナの風車だ !

 嬉しい嬉しい春の風。







 春風の送り主はマドリード在住37年、スペイン語と日本語の通訳をお仕事にしている(と、僕は理解している)上にスペイン紹介もしている山田進さん。







 ペルーで日本大使公邸占拠事件が起きた際に急遽スペインから呼ばれて現地で同時通訳を担当した、生きたスペイン語のスペシャリスト。

 日本語の表現も素晴らしい。
 山田さんの感覚あふれる日本語でユーモアを含み、専門にしている技術分野的分析力で紹介している「日本から見るスペイン」と「スペインから見る日本」が重なり合って面白い深みをのぞかせてくれてくれる「Knowledge Warld Network」を楽しく読ませてもらっている。
(http://kc-i.jp/activity/kwn/yamada_s/)

 最近の掲載は「プラド通信・番外編」「豆が主役」「プラド通信」「羊の行進」「コロンブス・デー」「お盆・帰省・薮入り」「こんな所に日本の職人魂」「プラド・プライド」「美術館の中に出来た美術館」など、読んで納得の魅力的な世界です。
 意識しないで通過してしまっているスペインを、思いっきり意識させて「ああァ、そうだったのか !」と心底納得させてくれます。ぜひ、読んでみてください。

 2005年にひょんな切っ掛けがご縁で知り合い、『ラ・マンチャの男』のサンチョの役作りのために訪れた2008年1月のマドリードで初めてお会いした。
 
 去年は日本で、陽春の日本橋で山田さんご夫妻とご一緒に昼食を楽しむことができた。
 この時期に山田さんは体のチェックを兼ねて帰国する。そしてダイナミックに国内旅行をしている。
 その時にラ・マンチャの風を僕に届けてくださる。毎年。
 ありがたい、ありがたい、サンチョの心を支えてくださる熱い励まし。
 
 「豆が主役」のスペイン料理《Cosido Madrileno コシード・マドリレーニョ》サンチョ風に挑む !



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末木利文さん 

 下のパンフレットは今から丁度50年前、1968年4月に劇団俳優小劇場が発行した演劇パンフレット。

 「公演」ではなく、劇団の新機軸として「類型的、処理的、な芝居作りより脱却」(同パンフレット《劇団ニュース》より)した「本演」と呼ばれた初めての演劇上演は「フランス演劇研究会No.1」として、フランスのローラン・デビュアール作『ないーぶな燕たち』だった。

 翻訳と演出は、フランス留学から帰国したばかりの新進演出家末木利文さん。







 渋谷駅から246号を渡って10分たらずの鴬谷町にあった劇団俳優小劇場は後に解散してしまったから、今ではその名称すら知らない世代が多くなったのは当然だが、知的で明晰なスーパー頭脳から繰り出された創造力を駆使して日比谷野外音楽堂や渋谷山手教会礼拝堂での壮大な『オイディプス王』公演をし、観客の心を喜ばせ生命力をかき立てた新劇寄席と銘打った『カチカチ山』『こい』『とら』『ろば』などの舞台を創った演出家で劇団代表だった早野寿郎さんをはじめ、小沢昭一さん、小山田宗徳さん、小林昭二さん、露口茂さん、上田忠好さん、早川保さん、江角英明さん、山口崇さん、楠侑子さん、宮崎泰子さん、黒田絢子さん、冨田恵子さん、山崎左度子さんなど錚々たる演技陣がそろっていた。

 また、文芸部には白井健三郎さん、岩瀬孝さん、岩淵達治さん、末木利文さんが、演出部は早野寿郎さん、高田一郎さん、藤田傳さん、浅沼貢さん、関矢幸雄さんなど、息を呑むようなメンバーだった。
(劇団俳優小劇場『日と火と碑と人』佐藤輝出演記録 をご覧ください)

 既成の演劇概念にとらわれない斬新な舞台を次々と発表して演劇の新時代を切り拓き、多くの若者たちを惹きつけて小劇場運動の先駆けとなった大人気の創作エネルギー溢れる劇団だった。

 今でこそ劇団の稽古場や小劇場、ライブホールなどでの公演が普通のことになっているが、当時初めてと公表して一般観客が観劇したこの稽古場上演はほとんど宣伝しなかったにもかかわらず評判に評判を呼び全上演が超満員の観客で溢れた。







 劇団の新機軸のスタートを担った演出家・末木利文さんが、劇団のみならず広く演劇界からどれほど大きく期待されていたかが理解できる。










 寄せられた数々の文章に、「本演」と称した新しい挑戦への期待と、戯曲『ないーぶな燕たち』そのものへの期待、そして具体的に舞台化する末木利文演出の新しい革新に対する熱い期待が読み取れる。



恩師・末木利文さん 

 僕はそれまで続けてきた俳優修業を見直したい、求める演劇を身に付けたい、広く活動したいと考えて、1963年に劇団俳優小劇場付属俳優養成所2期生となった。

 山手教会礼拝堂で筆記試験、パントマイムと朗読の試験は桜ケ丘を越して谷道を横切って少し坂を登った右側にある木造の大きな稽古場だった。

 評判の劇団だったから受験生も多く、競争率は8倍、32名が同期生となった。

 4月に入所して直ぐに体験したのが、劇団新機軸の「本演」と呼ばれた上演第1回目『ないーぶな燕たち』だった。

 時間の許す限り、稽古を見せてもらった。

 末木利文さんの演出と、黒田絢子さん、江角英明さん、山谷初男さん、それに猪俣光世さんも加わって、渋谷の古ぼけた木造稽古場の空気が、日に日にパリの下町の空気に変わっていくのを息を詰めて見ていた。演劇の面白さ、創作の奥深さを噛みしめた。

 稽古場は新しい演劇を体感したい観客の期待と熱気にあふれていた。
 開演すると、客席はぴたっと静まり、一瞬たりとも見逃すまいとする緊張感が張りつめた。

 小さな演技空間から、出演者のリアルな存在感と登場人物の心の揺れが繊細濃密に、ひたひたと客席に広がって伝わってきた。素晴らしい感動だった。




1968年6月11日〜16日 劇団俳優小劇場公演No.25『鍵束の鳴る刻』パンフレットより
文中に見られる「俳小」表記は、1960年に結成された「劇団俳優小劇場」の略称として広く使われていた。1971年6月の劇団総会で劇団俳優小劇場解散が決議され、その時、解散後は「俳優小劇場」も「俳小」も関係者は一切使用しないこと、と全員で付帯確認した。



 この見事な舞台を演出した末木利文さんは養成所の講師も務めていた。

 バレエ、フェンシング、体操、狂言、音楽、朗読、演技などの授業があり、その間に小沢昭一さんや照明家・浅沼貢さんの特別講演、6月には全員で藤田傳作・演出『鍵束の鳴る刻』公演へ笑い声参加、そして7月に稽古場で第1回発表会があった。




7月の第1回発表会でバレエの発表。



 秋風が立ちはじめた頃、末木さんの奥さんで養成所同期生だった藤井杏子さんに声を掛けられた。

 「佐藤さん、養成所の授業料の滞納はあるの ?」

 突然の、思いもよらない質問に虚を突かれて戸惑った。

 レッスンには欠かさず出ているものの、ここ数ヶ月、確かに滞納している。

 どぎまぎしながら頷くと、杏子さんは続けて「内のが困っていて・・・」。内とは末木利文さんのことで「何を?」と訊く間もなく、「滞納している人は次の発表会に出られないことになったんだって・・・、それで、佐藤さんに配役ができないって、困っているの・・・」。

 第2回発表会は末木さん演出でモリエールの『ベルサイユ即興』を上演することが決っていた。
 頭の中で何かがぐるぐる回って、答えが見付からない。

 しばらくして杏子さんが意外なことを口にした。

 「もし、佐藤さんが差し支えなければ・・・、私がその分を貸してあげたいの・・・・」

 12月の発表会で僕は、末木利文演出によるモリエール作『ベルサイユ即興』のモリエールを主演させていただいた。




1969年3月13日劇団俳優小劇場俳優養成所2期卒業公演パンフレット
第2回発表会のことが載っている。『ベルサイユ即興』写真、手前左がモリエールの佐藤輝昭。



 劇団俳優小劇場の養成所でこのモリエールを演じられたことが、その後の僕の役者人生にとってどれほど大きな力になっているか、今振り返って見ると良くわかる。
 俳優の芽を見つけてもらい育てて伸ばしてもらった、転機となる大事な1年だったと思う。
 お陰で、翌年春に養成所を無事に卒業、劇団俳優小劇場に入ることができた。

 末木利文・藤井杏子夫妻は僕の大恩人だ。




卒業公演パンフレット




卒業公演 ウィリアム・サローヤン作 早野寿郎演出『わが心高原に』 左端が保線工夫サム・ウォーレス役の佐藤輝昭




卒業公演パンフレット 卒業生への講師の皆さんからの送る言葉



大恩人・末木利文さん 

 大恩人の恩師が昨年12月17日に亡くなった。
 演出家・末木利文さん。まだまだ若い78歳。

 2月4日に西池袋のスタジオPで「末木利文さんとのお別れの日」があった。

 この場所は末木さんが多くの作品を演出した木山事務所があり、僕の高校の先輩だった演劇製作者・木山潔さん亡き後はPカンパニーが拠点にしている稽古場。
 もっと遡れば、ここには末木さんのお父さんが経営していたアパートがあって、末木さん夫妻もここに住んでいた。
 卒業公演の後、同期のみんなで押し掛けて大騒ぎして楽しんだ思い出の場所でもあった。

 そんな50年の時の流れを思い返しながら、末木さんが好んだサントリー角瓶とビール、眼鏡と黒いハットが飾られた遺影に献花した。







 杏子夫人にお悔やみを言いながらも、長女でジャズシンガーの末木文さんの素敵な歌声を聞きながらも、心の中で、僕は末木さんにお詫びを繰り返した。

 あれだけの多大なご恩を受けながら、何一つご恩返しができなかったことに悔いが残っている。

 末木さんからは何度も出演のオファーをいただきながら、いつも都合がつかずに、その内その内きっとご一緒に、ご恩返しをと思っているうちに永遠の別れとなってしまった。     合掌


 東日本大震災から7年。
 亡くなられた多くの方のご冥福をお祈り致します。
 被災された皆さんの健康をお祈り致します。

                   佐藤 輝 ☆彡 2018.3.11

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俳優佐藤輝 山形県庄内町余目 八幡神社祭り 7歳
7歳、余目八幡神社祭り。花持ち






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