俳優・佐藤 輝

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝
 
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2017年11月〜現在                  2017年12月6日

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目指すは3,026m !  乗鞍岳山頂剣ケ峰 !! 




山頂の神社と鳥居が見える。もうすぐそこだ ! がんばれサトウテル ! ! でも、もう空気は薄い。



 9月10日、朝4時10分、松本市安曇にある乗鞍高原観光センター前バス停からご来光バスが発車。

 真っ暗い乗鞍エコーラインをくねくねと左右にカーブしながらどんどんと高度をあげる。
 標高約1,500mから一気に2,700mの畳平手前の長野岐阜県境ゲートまで50分。

 くねくねカーブと酸素濃度の低下で少し気分が悪くなったが、バスを降りて大きく深呼吸を繰返したら体調が回復した。

 ゲートから南に向かって、5時18分の日の出時刻に間に合うようにと富士見岳(2,817m)山頂を目指した。が、強風にあおられて足元が安定しないので風下の岩陰でご来光を待つことにした。







 今登ってきたルートをたどって北にある大黒岳(2,817m)方向を見ると、その先に、北アルプスの名峰・槍ケ岳(3,180m)が穂高の峰々を南に連ねて槍の穂先をつんと立てているのが明け行く茜の空を背景にしてくっきりと見えた !




北アルプスの名峰・槍ケ岳(3,180m)



 大感動 !

 3,000m級の山々を水平方向に望める雄大・広大な展望に息を呑む。

 そこに立っていることのダイナミックさ。







 間もなく東の空の雲の切れ目からご来光の光芒が空に広がった。

 直ぐ上の山頂からも、下にいるグループからも、遠く大黒岳山頂からもバンザーイの声が湧き上がった。







 ご来光の光の中で、気分最高 ! !

 富士見岳山頂へ、風に耐えながら、アデランテ !




富士見岳山頂。後方は山頂に乗鞍観測所(旧コロナ観測所)の観測ドームが立つ摩利支天岳(2,872m)と雲のかかっている山は乗鞍岳。



 体が吹き飛ばされそうな強風と寒さ !
 実際、帽子が飛ばされてしまった。







 富士見岳から下ると風がぐんと弱まって、登山道沿いにはトウヤクリンドウなどの高山植物が所々に花を咲かせているのを見てホッと笑顔に。

 右に別れる摩利支天岳への分岐点を過ぎて、左下の肩ノ小屋口バス停からの道と大雪渓を正面に、更にその上の乗鞍岳を眺めながらゆるゆると肩ノ口小屋へ下る。







 ここで朝食。凍えた手足にヒーターの温風が気持ち良い。

 休憩して体調と気持ちを整える。

 ここからいよいよ山頂剣ケ峰までの本格的な登山が始まる。







 雲に隠れている山頂目指していざ、アデランテ !

 ともかく焦らずマイペース。
 先を急ぐ登山者にはルートの端に寄って道を譲る。その間にこちらは休憩、しながらそこに立っている世界を満喫する。
 登頂までの全ルート、全眺望、全一歩一歩を楽しみ味わい尽くしたいから山に登る。
 登山口から山頂まで、場所の移動だけではない、山を楽しむ、楽しむことを楽しむ。




中央に2つの白い観測ドームを持つ乗鞍観測所(旧コロナ観測所)が立つ摩利支天岳。その右手遠方に見える峰々は槍ケ岳から続く穂高岳、前穂高岳。その下に、摩利支天岳をまいて肩ノ小屋まで下ってきたルート。左に続く赤い屋根の建物群は宇宙線研究所観測所(2,770m)。



 振り向けば、ああもうこんなに登ったんだと広がる眺めに感激の続き。




摩利支天岳と槍ケ岳。







 足元だけを見ながら黙々と登って来て、相当頂上が近くなっただろうと上を見上げたら、今までよりも険しい風景が待っていた。

 あそこまで、行くんだな !? うんッ ! アデランテ ! !







 右手に重くそびえる朝日岳(2,975m)に続く砂礫のスロープに目を凝らすと、ぽつんと駒草の濃いピンクの花と白緑の葉があった。頑張っているなぁ、と声を掛けた。

 こっちが励まされて、また次の一歩を踏み出す。







 山の天気は変わりやすい。

 振り返ると、さっきまでくっきりと見えていた槍ケ岳を、西側から出てきた雲が見る間に広がってその姿を隠してしまった。その後はもう見ることが出来なくなった。

 朝日岳中腹を回り込んで、小さな丘のような蠶玉岳(蚕玉岳 こだまだけ 2,979m)に登る。丘の裾を迂回するルートもあるが、小さいながらもここも乗鞍岳山頂部のカルデラを構成している峰の一つ。登った。

 山頂には木の標柱が立っていて、なぜか「蚕玉岳 二九八〇米」と彫り込んである? そして、少し離れた岩の上に「蠶玉神社」の石柱が横たえてある。







 蠶玉岳から少し下って剣ケ峰へ登るルートは馬の背になっている。
 ここで仰ぎ見る乗鞍岳山頂は、右奥に大日岳(3,014m)を従えて見事に堂々と風格がある。

 ここから、丁度ガスが消えた右手(西側)を見ると、下に鮮やかなコバルトブルーのカルデラ湖・権現沼が現れて、歓声をあげた。







 湖面と呼応するように、空は秋晴れブルー。







 剣ケ峰直下の山頂小屋に立ち寄って高山植物の本などのオリジナルグッズをチェックしながら一息入れて、最後の岩場登りへアデランテ ! !







 南向きのルートを登りきって視界が開けると左前方に亀の背中のようにゆったりと弧を描いた高天ケ原(2,829m)が現われた。







 そこから南側に一気に視界が開けたが、残念ながら雲に遮られて富士山も御岳山も望めなかった。







 それでも剣ケ峰から南西に連なる大日岳(3,014m)、屏風岳(2.968m)、薬師岳(2,950m)の外輪山をはっきりと見ることができた。







 山頂の登りきった長野県側に東向きの朝日権現社(乗鞍大権現)の小さな社があって、先ずは健康で登頂できたことに感謝してお参り。

 裏側に回り込んでびっくりした。







 今お参りした社と背中合わせで、岐阜県側に西向きの少し大きな社、乗鞍神社(鞍ケ嶺神社)があった !
 神職も駐在していて、お祓いやご祈祷の奉仕をしている。そうか、下から見えた建物と鳥居はこの神社のものだったのか。

 乗鞍本宮の額を掲げたこちらにも朝日権現社と同じ気持ちで参拝した。







 この神社の前に三角点と「剣ケ峰 三〇二六米」の標柱が立っていて、登山者が列を作って記念写真を撮っている。

 僕もその一人に・・・・、その時にわかに背景がガスったぁ。

 さっきまで大日岳がくっきりと見えていたのに、それはないだろう、とぶつぶつ。賽銭が少なかったかなぁ。






 登山道の両側にハイマツがびっしりと生えていて松ぼっくりがいっぱいばらばらになって落ちているところがある。 ん?
 ひょつとして、ホシガラスの仕業かな、と思って見回すと、向かいのハイマツの枝から出たり入っている一羽を発見した。

 胸前の白い点々模様が中々モダンなホシガラス。

 この所、山岳ドキュメント番組を見ていると時々ハイマツの実をついばむホシガラスが話題になって登場している。この実が、冬の保存食として岩の間に埋め込んだりする、ホシガラスの大好物らしい。







 肩ノ小屋まで降りてきて一安心。
 腰を下ろして一休み。







 ソフトクリームの柔らかな甘さが口と咽喉を潤してくれる。







 帰りに通る乗鞍エコーラインのくねくね道を見下ろしながらバス乗り場がある畳平に向かう。

 この乗鞍エコーラインを30年ほど前から、岐阜や金沢、高山でのロケの仕事には自分で運転して自動車で往復していた。越中八尾の風の盆にも勿論車で行った。

 雪解け水が至る所に豪快な滝を作っている初夏も、空が澄み渡る秋も、その度に乗鞍エコーラインを通った。
 その時に見たこのエコーラインの美しさ、ぐんぐんと高度が上がってそれにつれて広がる空の大きさと視界が広がってゆく爽快感。素晴らしい感動だった。
 3000m級の山々を水平目線で眺められる雄大な気分の良さをその頃に知った。

 その後舞台出演が多くなって自動車で乗鞍方面に行く機会がなくなった。それに、2003年からマイカー乗入れ規制が実施されて長野と岐阜を乗鞍岳を越えて行くことができなくなった。

 あの乗鞍越えの感動をもう一度味わいたい、その思いが強くなって今回の乗鞍岳登山になった。







 剣ケ峰を振り仰ぐと、その手前の雪渓から歓声とスキーやスノーボードが雪面を滑り降りる時の音がシュワーッ ! シュワーッ !と響いてくる。











 朝にご来光を拝した富士見岳の裾を回ると、高山植物が次々と咲いている。











 足元を見たり、崖の上を見上げたりしながら、その道がとても短かく感じられた。

 今回はぐんぐんと高度が上がって行くスピード感は違ったが、30年前に感動したこの乗鞍エコーラインの美しさ、広がる空の大きさと視界が広がってゆく爽快感は更に増す素晴らしい感動だった。

 この喜びは来年も味わいたいし毎年味わいたい ! !

 そのためにもトレーニングを続けて頑張る。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.12.6



高麗屋三代襲名披露祝賀会 

 『ラ・マンチャの男』で僕が演じたサンチョの旦那さま、ドン・キホーテを演じた松本幸四郎さんに9年ぶりに再会した。

 元気で、お祝いの場所でお会いできて、本当に嬉しかった。







 幸四郎さんが二代目松本白鸚に、息子の染五郎さんが十代目松本幸四郎に、孫の金太郎さんが八代目市川染五郎に襲名が決っての披露祝賀会。

 歌舞伎界初となった親子孫三代の同時襲名は、37年前の同じ高麗屋三代同時襲名以来とのこと。
 襲名披露公演は来年1月、2月、開場130年となる歌舞伎座の舞台。

 三世代が揃って同時襲名できるのは、三人共に健康でいるからこそできる、素晴らしくめでたいこと。




二代目松本白鸚襲名の挨拶をする松本幸四郎さん。坂田藤十郎さん。大谷信義松竹会長。




祝辞を受ける十代目松本幸四郎さんと八代目市川染五郎さん。







  「旦那さま〜!」と駆け寄って、強くハグしているような気持ちで両手で握手した。「良く来てくれましたね !」。
 心から「おめでとうございます! また新しい世界を! 」と大きな期待を込めてお祝いを申しあげた。

 もう、こころはサンチョ。
 このまま『ラ・マンチャの男』の続きを演じたい気持ちになった。







 2005年5月『ラ・マンチャの男』名古屋・名鉄ホール公演に向けて稽古に入る直前の3月に誕生した藤間齋ちゃん。お祖父ちゃんとなった幸四郎さんが「いっちゃんだよ! 」と喜んでいた笑顔を思い出す。
 齋ちゃんはこんなに立派に成長して今度松本金太郎から市川染五郎を襲名、お父さんの染五郎さんも十代目松本幸四郎を襲名。

 目に見える歴史を実感した。

 幸四郎夫人紀子さん、染五郎夫人園子さん、『ラ・マンチャの男』の舞台で長くご一緒した紀保ちゃん、たか子ちゃん、高麗屋のみなさんとのご縁に感謝した。







 お祝いには小泉純一郎元首相も。

 2002年8月19日、幸四郎さんの還暦誕生日と松本幸四郎主演『ラ・マンチャの男』1000回が重なった帝国劇場の舞台を観劇した当時の小泉首相はカーテンコールの幸四郎さんに客席から「感動した! 」と感想を言い、終演後の舞台袖で記念写真撮影。

 その時の思い出を話すと「サンチョか! 僕は、良くドン・キホーテって呼ばれているんだ」。大笑い。でも原発廃止は勇気ある主張。

 事実とは、真実の敵なり! 




2002年8月19日、松本幸四郎さんの還暦誕生日と主演『ラ・マンチャの男』1000回が重なった帝国劇場







 舞台で、テレビで、ものまね芸を見るたびに感心しているコロッケさんともご一緒できて嬉しかった。
 コロッケさんのものまね芸は、単に似せているだけのものまねとはレベルの違う、高度の人物表現だから感心する。

 役者が演技する時に考える役作り、役柄を把握し、拡大したり凝縮するデフォルメ、最後に仕上げる表現の繊細さ。そのすべての手本がコロッケさんの芸から感じられて、僕はいつも感心している。
 リアリティ、存在感のある面白さだから納得させられる。







 大広間に溢れるほど多くのお客様が詰めかけた盛大な祝賀会。

 我が旦那さま御一家のお祝いで、旦那さまに再会できて本当に嬉しかった。
 これも、元気で過ごして来られたからこそと、我が身の健康に感謝している。

 またの再会まで、今のトレーニングを続けて絶対元気でいる ! !

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.12.2


東京庄内会と伊藤善市先生 

 故郷・山形県庄内町出身者と縁ある人たちの1年に1度の集い、「東京庄内会」が曇り空から快晴に変わった19日に九段下のホテルであって、参加した。







 「最上川舟唄」を歌った。

 庄内平野の真ん中を南北に分けて、庄内町の北部を東から西に流れる最上川は山形県の母なる川。




思い出の歌の合唱ではステージに溢れるばかりの参加者が声を限りに思いのたけを声にした。今年は新規参加者が50人ちかくも増えたと喜びの報告をした幹事長も右端で控えめに歌っている。



 地元農協や企業などから提供されたお土産の抽選会があって、僕はJAあまるめ提供の大好物「杵つき丸もち」をゲットした。
 喜んでいるところを、昨年同様プログラムには何の記載もないのに、ステージに呼び上げられて「ご挨拶を !」との司会者からの要望。

 一瞬躊躇したが・・・、会を通じて皆さんに声を掛けて永く応援してくれた方だったのに、昨年の会で、会場に着いてから亡くなったことを知ってショックを受けた斎藤まり子さんのことを思い出した。

 この会には斎藤さんのように会のつながりで俳優・佐藤輝を熱く応援してくれている人たちが大勢参加されている。その人たちにお礼の気持ちを伝える機会は少ない。そうだ、それができる絶好の機会をいただいたのだとステージに上がった。







 皆さんには、次にお会いする時まで、自分を奮い立たせながら喜びを持って元気でいてもらいたい ! それが、最近の同時代を生きている人への僕の思いだ。

 その思いを込めたアカペラ2曲を朗唱。

 僕も出演した1987年に公開された森川時久監督の映画「次郎物語」で、母を亡くして沈み込んでいる幼い次郎に父親が励まして歌った「男は大きな河になれ」。さだまさしさんが作詞しスメタナの「モルダウ」を編曲した主題曲。

 松本幸四郎さんのドン・キホーテとコンビを組んだサンチョ役で484回出演した『ラ・マンチャの男』で歌われる「見果てぬ夢」。
 「夢は実りがたく 敵は多いけれど 哀しみを秘めながら 歩き続ける ! !」




ひと際目立って長身の原田真樹庄内町長。7月に4選されたばかり。町の進むべき方向が原田町長の双肩にかかっている。頑張って貰いたい。



 歌い終わって降壇しようとすると大きな声が客席から「アンコール ! !」
 続いて「最上川舟唄 ! !」の声。

 そうだった ! 「最上川舟唄 ! !」
 去年亡くなった斎藤さんからも「輝さんの最上川舟唄が聞きたいから会に来てるのよ ! だから歌ってよ ! ! 来年も来てよ ! !」と何度も言われていた。それが、斎藤さんの僕への励ましだった。

 『おしん』でも定次が筏を操りながら歌った「最上川舟唄」。

 「ヨーイサノマガーショ ! エーンヤコラマーガセ !」
 会場が盛りあがって体を揺らしながら力を込めた掛け声を掛けて、「まっかん大根のしょっ汁煮」からは盛大な手拍子に合わせて、顔を紅潮させて歌い終わった。



             



上山温泉「日本の宿 古窯」女将から 

 高さ11センチ、直径10センチもあるずしりと重く実ったラ・フランスが、蔵王の麓・上山温泉から「親善大使」として遣わされて来た。
 「良縁感謝」の朱印と「感謝をこめて」の筆文字を添えて。
 遣わしてくれたのは「日本の宿 古窯」の女将・佐藤洋詩恵さん。







 女将とはある人に繋がるご縁があって、本当に一方的に応援していただいている。だから、ありがたい良縁に感謝しなければならないのは僕の方なのだ。なのに「感謝をこめて」の御恩返しができないでいる。

 女将とは、そのある人の告別式で初めて知り合った。

 そのある人とは、東京女子大学教授を務められた伊藤善市さん。

 伊藤善市さんに初めてお目にかかったのが、東京オリンピックがあった昭和39年秋の「東京余目会」。この会が9年前にできた現在の「東京庄内会」の前身の一つになった。
 昭和36年に、伊藤善市さんや僕の叔父・佐藤卯朔、斎藤まり子さんたちが、故郷を偲ぶ集いとして始めた東京余目会。

 その集いに故郷から小学校の恩師を呼ぼうということになって呼ばれたのが僕の父だった。

 上京した父と一緒に池袋温泉での東京余目会に出席して、当時東京女子大学文学部助教授だった伊藤善市さんに紹介された。
 伊藤さんは父にとって一番の自慢の教え子だったと聞かされた。
 それ以来、俳優を目指して修業に励む僕を、伊藤さんは何かにつけて「昭ちゃん、昭ちゃん」と声を掛けては支えてくれて、それにつれて余目会の他のメンバーも熱く応援してくれるようになった。
 伊藤さんは当時の政府の多くの審議会の委員なども務める多忙の中で、山形県内の地域振興や人的交流、自力創生のための有機的な連携を積極的に進めた方だった。

 昭和55(1980)年7月に僕がコンサート『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』をABCホールで公演した時には、パンフレットに「庄内の風土と佐藤輝昭の世界」の一文を伊藤さんが書いてくださった。
 故郷を愛する伊藤善市さんの思いに重ねて、僕の履歴や故郷の風土を豊かな筆致で紹介していただいた、嬉しい文章だった。

 このコンサートは「舟唄」で開幕、「黒の舟唄」「バタフライ」「ティティーヌ」「パダンパダン」など演歌からシャンソンまで、それに「津軽じょんがら節」で始まった第2部『ふるさと庄内・夏の頃』では昔話を語り、鶴岡市から特別出演してもらった津盛柳太郎さんの庄内出羽人形を客席と一緒に楽しみ、最後は観客の掛け声と手拍子に盛り上げられて「最上川舟唄」を歌った。
 思い出に残る舞台を創ることができたと、今でも思い出す。

 伊藤善市さんは、余目会会長として会員をまとめては何度も公演を観に来てくださった。それは、伊藤さんが恩師としての僕の父に対する思いを僕に傾けてくださったのだと思われる。

 また、伊藤さんは、東京余目会のように山形県出身者が出身地単位で作っている故郷会をまとめた山形県人連合会の会長もされた。

 その時期、僕がメンバーの一人だった集まり、山形県人連合会にも参加している「芸能人山形県人会」が顧問にすえる人選について混乱していた上に、僕の叔父との関係も良好でなくなったために、不本意ながら伊藤さんとも余目会とも疎遠になってしまっていた。

 そんな時に、斎藤まり子さんから届いた伊藤善市さんの訃報。

 僕は、大恩人・伊藤善市さんに心から疎遠を詫びて許しを乞うた。

 その告別式が終わったところで紹介されたのが、上山から駆けつけた古窯の女将・佐藤洋詩恵さんだった。

 女将にとっての伊藤善市さんも、結婚によって山形の温泉旅館の女将という別世界に立った洋詩恵さんを励まして心を支えてくれた心からの恩師、大恩人だとのお話。
 その後に伺った女将の話から、その伊藤善市さんの励ましがあったからこそ、今ある、心からのもてなしの宿として知られる古窯に育て上げることができたのだとの気持ちが感じられた。

 女将の僕に対する応援は、大恩人・伊藤善市先生への御恩返しの一つなのだとありがたく理解している。
 伊藤さんが応援した佐藤輝さんも自分が応援すべき人なのだとの強い思いから僕を応援してくださっているのだと理解して、伊藤先生と女将とにつながるご縁のありがたさに感謝している。まさに「良縁感謝」! !

 あと3日。
 ラ・フランスが食べ頃を迎える。
 時々くんくんしながら楽しみに待っている !


             



演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』



1980(昭和55)年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




「庄内の風土と佐藤輝昭の世界」東京女子大学文学部教授 伊藤善市さん




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「バタフライ」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「ティティーヌ」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「パダンパダン」



1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
「パダンパダン」




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
昔話語り




1980年7月『演劇的音楽会 唄う/語る 佐藤輝昭の世界』ABCホール公演
特別出演 津盛柳太郎さんの庄内出羽人形
 


             



芸能人山形県人会

 「芸能人山形県人会」は昭和39年当時、三国連太郎主演・内田吐夢監督の東映映画「飢餓海峡」に出演した米沢市出身の俳優・伴淳三郎さんが、その映画に余目町出身最上逸馬さん、朝日町出身鈴木昭生さん、鶴岡市出身大久保正信さんなど山形県出身俳優が多く出演していることを知って、みんなの親睦をはかろうと声を掛けて集まったのが始まり。

 「アジャ パー」を発し、バンジュンのニックネームで知られた名優・伴淳三郎さんが初代会長となって発足した全国初の芸能人だけの県人会として話題になった由緒ある会だった。




芸能人山形県人会懇親会 1987年2月28日
会長のシャンソン歌手・芦野宏さん、落語家橘ノ圓師匠、大先輩外野村晋さん、鈴木昭生さん、芝田陽子さん、連絡先を引き受けられた松岡弘子さん、渡辺白洋児さん、長い間事務局を担当された栗林恒雄さん、初代「ゴジラ」の中島春雄さん、などが参加された。  




芸能人山形県人会懇親会 1989年10月21日
会長のシャンソン歌手・芦野宏さん、落語家橘ノ圓師匠、外野村晋さん、芝田陽子さん、連絡先を引き受けられた松岡弘子さん、渡辺白洋児さん、長い間事務局を担当された栗林恒雄さん、などが参加された。  



 帝劇のミュージカル『マイ・フェア・レディー』公演に山形県出身出演者が3人もいると喜び合って、「山形県人会」と称しながら親睦会をしたこともあった。

 来週は酒田市のふるさと会が待っている。楽しみだ。

                   佐藤 輝 ☆彡 2017.11.28







俳優佐藤輝 山形県庄内町余目 八幡神社祭り 7歳
7歳、余目八幡神社祭り。花持ち






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