俳優・佐藤 輝 -8

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 8
2005年4月〜9

俳優として日々感じることや出演案内などを・・・

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2005年4月〜9月
『ろば』の思い

 関東を直撃するかと思われた台風17号は、一時強い風が吹いたものの東に逸れて被害がなく、ほっとした。
 25日夕方からはカラリと爽やかな秋晴れになって、足許を涼気がかすめる。

 終戦60年の暑い夏が終った、と実感する秋風。

 終戦記念日の先月15日、山形で『ろば 2005』と題して、リーディング・ドラマの公演をした。


         俳優佐藤輝 リーディングドラマ ろば
          劇中歌「夏の日がすぎて」をギター弾き語り


 大藪郁子作『ろば』は、昭和40年3月に上野動物園で死んだ実在のろば・一文字号の数奇な一生を、戦中戦後の庶民史と重ね合わせて描いたドラマ。
 最初、『ろば』は『一文字一代』というTBSのラジオドラマとして書かれた。エノケン(榎本健一)さんがろば一文字を演じた。
 そのドラマに出演していた劇団俳優小劇場の演出家・早野寿郎さんが一文字の一生に興味をもって、小沢昭一さんの『とら』、小林昭二さんの『こい』と共に一人芝居3本立て構成の「新劇寄席」というタイトルで昭和42年に舞台化した。一文字を演じたのは西村晃さん。
 「新劇寄席」は好評で、全国各地で公演された。
 昭和43年にその劇団の研究生になった僕は西村晃さん演じる『ろば』と出会い、将来いつの日にか自分もこの作品、このろばを演じたいと思った。
 
 ろば・一文字号の一生が、戦争によって人生を翻弄された同時代の人々の一生と重なり合って時には哀れで涙を誘い、時にはわれんばかりの爆笑を巻き起こし、戦争をこばみ平和を求める庶民の思いが心にしみるように伝わる構成になっている。俳優としてろばを演ずる楽しさと共に、その思いを若い世代に伝えたいと思った。

 その後、劇団は解散し、昭和52年に僕は劇団動物園を結成した。
 西村晃さんが、「ろばを演ずるには体力の限界だ」とさよなら公演をしたと聞いて、僕は作者の大藪郁子さんに上演許可をお願いした。
 大藪さんは喜んで快諾して下さった。
 そして昭和54年に劇団動物園公演として渋谷山手教会の地下にあった小劇場・ジァンジァンで『ろば』を上演した。

 大藪さんはその時のことを公演パンフレットに次のように書いている。
 昨年私は佐藤さんに初めて会い、十年来の夢と聞かされ、知らぬ間に育っていたわが子と対面した喜びを感じた。『ろば』初演の稽古の時に、私は劇団の一研究生に、「この芝居にはテーマがないですね。戦争へのノスタルジーなら下らない」といわれ、「人生がわかってないな」とつぶやいたものだった。政治的スローガンの絵ときをして見せてもらっても、抽象的な「愛とは何か」をカンカンガクガク論じてくれても、そこにトータルな人生はない。私にとって芝居とはトータルな人生を描くことである。しかし同じ頃、佐藤さんのように、「ろば」の気持を理解してくれる若い人がいたのだ。その佐藤さんが、もうトウでもたったかのような口ぶりで「若い人たちに“ろば”の気持を伝えたいと思って」という。一文字さん、まだまだあなたのあわれさ、おかしさは、日本の若い人たちの口からくちへと伝えられていきますよ。

 その後も再演し、03年には、太平洋戦争をまったく知らない世代にも理解し易いようにと潤色した『ろば2003』として横須賀芸術劇場で公演する機会も頂いた。

 この夏、終戦60周年のその日に自分なりに出来ることがないかを考えていた僕は、それにふさわしいのは『ろば』の公演が一番だと思った。
 折り良く、家を改築した兄から、その広い座敷で町の人たちのために何かを演じて貰えないかと頼まれていたのを思い出し、『ろば2005』の公演を提案した。
 公演日まで2週間。提案を快く受け入れてくれた兄は、短期間のうちに特製の平台まで準備して待っていてくれた。

 戦争もろばも知らない(ハズ? )の幼児からその親たちなど30人の観客は1時間のドラマを楽しんでくれた。この人たちの心の中にろば・一文字が生き続けてくれるなら、僕の8月15日も意味があったことになる。

 僕の、『ろば』を一人でも多くの若い人たちに伝えたいという思いは変らない。
 『ろば』は構成や演出によって、一人語りにも多人数出演者の舞台にも作ることが出来る台本だ。もし、ろば・一文字の一生を知りたい人たちがいれば、スケジュールさえ合えば僕はどこにでも出かける積りです。
 希望される方はどうぞ遠慮なくご相談下さい。

                  輝 ☆彡 05.9.27


琴ノ若ッ! おめでとう! !

 琴ノ若ッ! 勝ち越し、おめでとう! !
 幕内最高齢、37才が勝ち越した。

 在位89場所。
 17日には同郷・山形出身の名横綱・柏戸の599勝を抜いて歴代13位、現役2位の600勝を記録したものの、その後あと2つの☆が増えなかった。それだけに今日の勝ち越しが嬉しい。

 選手生命の短いプロスポーツ界第一線での琴ノ若の活躍が、矢張り体力を使うミュージカル出演が多い僕にとって、世代を超えて嬉しいニュースだ。励まされる。
 最年少19才の稀勢の里に負けた直後の、NHKアナウンサーが親子にたとえて語った「世代の交代を感じる、云々」という失礼極まりないコメントを、人の心の痛みを知らない言い方だと憤っていた僕は喜びが倍加した。

 先週、敬老帰省した山形では、琴ノ若の出身地尾花沢市に本店があるスーパーおーばんが、琴ノ若が勝つと花火を打ち上げ、全店で特売をして応援していた。
 今日の勝ち越しで応援が更に盛り上がっているだろう。

 もっともっと頑張れッ ! 琴ノ若ッ !
 でも勝ちすぎて上に上がりすぎたら、来場所が大変だぞ。でもガンバ !

                  輝 ☆彡 05.9.23


発想と表現

 このところ日々思うことは「発想と表現」について。
 演ずるとき、表現するときに一番大事なことなのに、ひょっとすると忘れられる。

 僕が、人に求められた時に色紙に書く「毎日が初日(しょにち。はつひでは変過ぎる)」の思いは、このことを忘れずにいようとの思いだ。

 発想するから、それを伝える手段として表現がある。なのに発想しないで表現の仕方を先ず追い求める。
 相手役の気持ちを受けて返す、感じて反応する。ともすると受けずに感じずに段取りだけで返した積りになる。

 日々の生活の中でも何を感じるか、どう思い反応するか。それは演技の発想と表現に直結する感覚・能力だ。
 色んなものからインスピレーションを得る感性。感じた思いを、観る人、聞く人により深く伝える表現と技術。この心がけこそが表現のプロとして存在する唯一の支えだと思える。

 7月の演劇ワークショップでは「発想と表現」をテーマにした。
 初心者はどうしても、どう動いたら上手く見えるか、格好良く見えるか、セリフの上手い言い方はどうすればよいかを先ず考え勝ちだが、その前に「発想と表現」が最も大事だと感じて貰いたかった。

                  輝 ☆彡 05.9.21


蝶よ花よ

 朝から東風が吹いて暑さが一段落した。
 暑い日続きの中の涼しさは気持ち良いが、涼しさが続いて寒気に向かいはじめると急に時の移ろいを感じて秋の憂いに沈む。

 今朝も可哀想だったのはクチナシの鉢。

 特に可哀想な一鉢は、春に留守をしたのが悪かったのか、初夏の頃に木が枯れてしまったと思えるほど葉がすっかり茶色に縮れてしまった。それでもせっせと水をやっていたら、暑さの盛りに緑の葉を出し始めた。
 が、喜んだのもつかの間。8月半ばのある朝、大事なその葉が一枚も無くなっていた。良く見ると、残った葉柄にしがみついてその先をかじっているのは丸々と太った3センチほどの青虫。ティッシュでつつみながら枝から引き離し、親の仇と言わんばかりに下の草地に放り投げた。

 いつも夏にはクチナシに蝶が卵を産み付けるらしい。らしいと言うのは、その姿を一度も見たことがないからだ。
 蝶の美しい姿に感動したら少しは悔しさの割引になるのだが、ある朝突然に鉢の回りに散らばった黒い粒々と、がむしゃらに葉を食う青虫の群れを目にするだけ。

 その被害も今年は8月末には終ったと安心していたのだ。むむっ! それがまた4,5日前から再発。
 昨日は8匹、もういないだろうと安心していたら今朝も5匹。
 例の一鉢は今年3回目の若葉もきれいさっぱり丸坊主にされてしまった。

 この涼しさの中で何とか体力をつけて、来年は良い香りのする花を咲かせて欲しい! その思いを込めて朝の水やりをした。

                  輝 ☆彡 05.9.15


本條秀太郎さん

 先月、国立劇場で三味線・本條秀太郎さんが主宰する本條流『本條會』を聞いた。

 テレビの民謡番組などでよく名前を見聞きする本條さん。そこから抱いていた、ただ伝統を伝えるだけの古い三味線音楽のイメージは、この舞台で完全に覆された。
 現代の音楽として存在しながら、時々耳にする、変にモダンに迎合して訳の分らなくなった気持ち悪さがない。本條さんの音楽理論と存在感にしっかりと裏打ちされている。
 三味線も民謡も、伝統をきっちりと押さえながら、今を生きている演奏者たちのエネルギーがその枠をぐぐいっと押し広げて表現に生かされた実に楽しい現代の音楽世界だった。
 横丁のお師匠さんと習い事の弟子の世界には感じられない、活き活きとした現代の三味線の世界があって、感動し、爽やかな気持ちで劇場を後にした。
 遊び心のある本條秀太郎さんの知的なパワーに圧倒され感心した。
 都合が付けば聞きたかった翌日の『本條流俚奏楽演奏会』もとても良い演奏会だったと、感想を聞いた。
                  輝 ☆彡 05.9.9
 

東京着午前2:10

 今日も新潟長岡で震度5強の地震。このところ関東から北の地震が多い。

 『ろば2005』の公演が好調に終って、爽やかに晴れ上がった翌16日。
 予約してあったレストラン、アル・ケッチァーノに開店と同時に入って席に着いた途端、大きな揺れ。天井から吊った照明は東西にゆらゆら揺れている。

 最近の東京は地震慣れしているので、これは震度4まではいかないな、3くらいだろうな、などと話しながらワインを選んでいると、携帯ネットでニュースを見た同行者が「今の地震は宮城で震度6弱だって ! 」。「震度6弱 !? 」みんなびっくりして顔を見合わせた。特に仙台から来ていた夫婦の夫は国道を担当している国土交通省の職員だから緊張が走った。ニュースでは新幹線のストップや被害の状況が伝えられている。彼は夏休みの帰省中だが直ぐに職場へ連絡を入れた。

 アル・ケッチァーノは、藤沢周平の時代小説で描かれた海坂藩のモデルとなった庄内藩の城下町・鶴岡市の隣り、櫛引町にあるイタリアレストラン。地元、庄内でとれる新鮮な食材を生かしてシェフの奥田政行さんがつくる料理が評判を呼び、食通の間にじわり浸透している店だ。僕もここ数年噂を聞いては機会があったら是非食べたいと思っていたのだが、今回の帰省でようやくチャンス到来となった。

 味もさることながら遊びごころにあふれたメニューの数々を楽しむことが出来る。店名の「アル・ケッチァーノ」にしてもイタリア語のような響きに聞こえながらイタリア語ではない。「あったよネ」を強めた意味の庄内弁「あるけちゃの」をもじっている、面白い。
 食材のうまさを引きだすあっさりした味付けは舌にも胃にももたれない。2種類のデザートも含めて9皿の料理を楽しんだが、おなかはすっきりした満足感で心地よい。これで庄内に帰る楽しみが一つ増えた。


俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ  


俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ 奥田政行シェフ
シェフの奥田政行さんと
   



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ 



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 イタリアレストラン アル・ケッチャーノ
ワインもほど良くまわって、店長さん夫妻と
  

 翌日は山形新幹線で帰京する予定なので、その日のうちに山形へ移動しようと陸羽西線狩川駅に着いて驚いた。新庄方面行の上り列車は30分から100分遅れになっている。仙台に急ぐ夫婦の車に同乗させてもらって助かった。
 「五月雨を あつめて早し 最上川」は前日の朝まで降り続いた雨で、観光客を乗せた川下りの船が小さく見えるほど増水している。したたるような緑が両岸にせまる山々を覆っている様子を眺めながら川と山の間の国道を走った。

 プールの天井が落ちた被害を報じた夜のニュースでは、ストップしていた東北新幹線も復旧して明日朝から通常ダイヤにもどるだろうと報じていた。

 17日夜、山形発7時31分の山形新幹線つばさ128号に乗る予定で駅に着くと様子がおかしい。駅員が総出で運行中止や発着時刻の変更を告げている。予定のつばさは40分遅れだとの説明。昨夜再開した新幹線が今日も影響が残っているとは想像だにしなかった。

 仕方なくお茶を飲んでいると、更に10分、更に15分と遅れは増して、結局75分ほど遅れて山形を発車した。が、次の駅の手前、その次の駅と、発車のめどが立たないままに長時間の停車が続いた。米沢駅では徹夜を覚悟してすきやき弁当とお茶、スポーツドリンクを買い込んだ。その米沢から普段なら数十分で着くはずの福島まで何と1時間半もかかって、夜12時も過ぎてしまった。
 すきやき弁当を買っておいて良かった。腹が鳴りだした。
 弁当に付いたヒモを引くと蒸気が吹き出して熱々のすき焼き弁当になる。温泉卵を割りほぐして肉にからませると、トロリうまい。前から好きな弁当だったが更にうま味が増した。などと・・・これも時間つぶしの楽しみにはなった。

 福島からは順調だったが、途中の情報では東京駅からの乗換は出来ない。このまま車内に泊まって一番列車を待ってくれとの車内放送。
 宇都宮駅では全員にお茶が配られた。その後、乗換え連絡電車を運転するとの案内があって車内には安堵の空気と疲れがないまぜになった。

 午後10時24分着予定が結局、午前2時10分東京着 !

 特急料金の払い戻しを受けても割に合わない疲れた新幹線だった。

                  輝 ☆彡 05.8.21



『ろば2005』終戦60周年平和祈念リーディング・ドラマ
 大藪郁子・作 佐藤輝・台本・演出・出演

2005年8月15日午後7時開演 会場・山形県藤島町 某所 ふぁみりー・しあたー

昭和40年(1965年)3月23日、東京上野動物園。
入れ歯を入れたろばとして知られたろば・一文字(いちもんじ)号は、
31才(人間なら約90才)の天寿をまっとうした。


徐州(じょしゅう)徐州と草木もなびく 中国生まれの一文字
盧溝橋(ろこうきょう)近く 一文字山の激戦に 一番乗りして大手柄
名前をもらった一文字
大歓声に迎えられ 落ち着いたのは檻(おり)の中
子供動物園の人気者 ファンレターに嬉し泣き キン歯を入れた一文字
戦中戦後を生き抜いた 庶民ろば・一文字の一代記

実在のろば・一文字号の数奇(すうき)な一生を、戦中戦後の庶民史と重ね合わせ、
飼育係・山田との交流を通して描いたドラマ。

 人のつながり、命のつながり、時のつながり、平和の尊さを未来に語り継ぐ、
ろば・一文字号の感動のドラマを
昭和54年以来語り継いできた佐藤 輝がリーディング・ドラマにします !


劇団動物園公演『ろば』 『ろば2003』公演


故郷の映画祭、羽黒山

 7月24日に故郷・山形県庄内町の響ホールで催された響・映画村2005『なつかしの映画祭』にゲストで出演した。

 館内ロビーには、少年時代に映画や芝居を楽しんだ映画館・末廣座の元館主高橋さんからお借りした懐かしい映画看板ポスターが展示され、中学の同級生だった実行委員がハッピを着て祭りの屋台で売られていたアンツコリン(アイスクリンとも呼ぶ、砂糖水をシャーベット状に凍らせた氷菓)などを安く売っている。僕も一杯いただいた。色付きガラスの器は紙コップに、ハンダ付けされた手作りのブリキ製ストロー付き匙(サジ)はポリエチレン製にかわっているが、目をつむってストローを吸うと懐かしいシンプルな味が口中に広がり、八幡様のお祭りで5円のアンツコリンを吸っていた少年時代の自分の姿が見えた。

 『映画のはなし&エトセトラ』では末廣座、ムービーパレス2館にまつわる我が青春時代の思い出を語り、若尾文子さんとのシネ・セッションは、当日が初対面であったにもかかわらず映画作品、監督、俳優、そして最近の若尾さんが活躍の場を広げている演劇についてと、お客さんも喜ぶ中味の濃い対談が出来た。若尾さんの美貌とお人柄、長年蓄積した実感のこもったお話にスイッと乗せられて僕自身が楽しんだ時間だった。


俳優佐藤輝 山形県庄内町響ホール 若尾文子さん
対談後の若尾文子さんと


 庄内平野は一面の稲田と周囲の山々の緑が濃く涼しくそよぎ蝉の鳴く良い季節。楽しみにしていた庄内浜の岩ガキと焼いたクチボソカレイも味わえた。
 今や全国的に知られる庄内特産の枝豆・だだちゃ豆にはまだ早いが、いただいた普通の枝豆もだだちゃ豆と交配した品種なのか、東京で食べる枝豆のそっけ無さとは段違いの味わいがあった。

 新しく故郷の町となった庄内町の旧立川町を、勤王の志士・清川八郎が生まれた清川から立谷沢川沿いに上って羽黒山山頂(414メートル)にある出羽三山神社に参拝した。
 小学4年の時に初めて兄と共に登って以来、その後は自分の感性や発想につながる庄内の精神風土や民俗芸能の基となっている羽黒修験研究のために幾度と無く登っている羽黒山だが、このルートで登ったのは小学5年の遠足以来のことだ。新しく故郷の町となった地域をあらためて見ておきたいと思ってこのルートを選んだ。
 加えて今年は、僕が「結婚式はゼッタイ、大好きな羽黒山の本殿で挙げたい」と強く希望して、当時は珍しかったこの羽黒山出羽三山神社本殿で式を挙げてから丁度30年。妻に支えられて何とか無事に過せたことを羽黒山に報告をする良い機会となった。



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 羽黒山出羽三山神社


 羽黒修験の基本理念は「功徳を得て再び生れ出る、生れ変る」。
 俳優として、精神的には常に生れ変ることを自分に課しているが、「功徳を得て」いるかというと甚だ疑問だ。
                   輝 ☆彡 05.7.28


月山山頂の町・庄内町

 「月山山頂の町」といっても標高1984メートルの月山山頂に街があるわけではない。月山山頂をその行政区域に含む地方自治体としての町である。
 庄内町は7月1日にわが故郷、山形県余目町と東隣の立川町が合併して新しく誕生した。

 余目町は山形県の北西部、日本海に面した一大穀倉地帯、庄内平野の真ん中に位置した町。一方、立川町は芭蕉の俳句「五月雨を 集めて早し 最上川」で知られる日本三大急流の一つ最上川が出羽丘陵をぬけて庄内平野に流れ出る山あいの町で、最上川の支流、立谷沢川をさかのぼれば月山の山頂に行き着く。この道は古くは芭蕉が羽黒山参詣の折りに歩き、義経一行が日本海から奥州平泉を目指した逃避行の道でもあった。

 この全域が庄内町となって、わが故郷は「平野の町」から一気に「平野と山岳の町」に大きくイメージを広げた。しかし、「わが故郷」としてまったく違和感が無い。
 僕は以前、その月山を青春の思い出として「草笛や 白く輝く 月の山」と俳句に詠んだ。
 平野の真ん中に住んでいて、南西にどっしりと出羽丘陵を従えて横たわる月山の姿は、平野の北に2236メートルの秀麗な容姿で屹立する出羽富士・鳥海山と共に朝夕眺めては心の支えにした親しみのある山だ。

 その月山山頂のある町・庄内町が豊かな自然環境を上手に生かして新たな文化を育んでくれることを願っている。
                 輝 ☆彡 05.7.26



響・映画村2005『なつかしの映画祭』にゲスト

 7月24日(日) 山形県庄内町(7月1日に余目町と立川町が合併)響ホール
『映画のはなし&エトセトラ』にゲスト出演。「60年代の故郷・余目の思い出」を語り女優・若尾文子さんとシネ・セッションを行います。
上映作品は『稲妻』『サンダカン八番娼館』『華岡青洲の妻』。
 館内では余目吹奏楽愛好会による映画音楽のアトラクションはじめ「懐かしの映画看板展・映画ポスター展」「懐かしの駄菓子展・遊びコーナー」などが設けられます。

響ホール・演劇ワークショップ
 7月25日(月)夜7時 庄内町・響ホール『佐藤 輝、演劇ワークショップ』
内容は「表現と発想の基本」について、2時間ほどの実技を予定。

 どちらも詳細は庄内町・響ホール 0234-45-1433 へお問合せ下さい。


NHKラジオ「ときめきインタビュー」
 
 今朝はいつもより1時間早起きしてNHKのラジオ出演。
 余裕をもって家を出たが、地下鉄が遅れてやっと乗り込んだ車内は身動きできないほどの超満員。汗まみれでスタジオに入った。
 番組は主に故郷・山形県庄内地方での我が誕生から高校卒業、そして俳優を目指して東京の劇団に入った頃を中心にして進んだ。今週は「今年還暦の著名人」のシリーズ。その生い立ちを語れば当然庄内に住んでいた19年間が中心になったわけで、故郷・庄内の話題が多くなり村上アナウンサーに「山形県観光大使」と形容されてしまった。それは意識していたわけではないけれども、それが僕の感性を育ててくれた庄内の歴史と風土に対してささやかな恩返しになったのならばそれはそれで嬉しい。
 庄内の風土と文化が僕の感性を育ててくれて、人との出会いがサンチョや伊勢三郎を創ってくれたと、しみじみと思う。研究生時代は別にして、俳優を仕事として収入を得、生きて来れたことは本当に幸せなことです。多くの人との出会いがその時その時に俳優の仕事に結びついた。
 この番組のディレクター豊島さんとの出会いは教育テレビの5年生向け社会科番組『暮らしの歴史』。丁寧に作られたドラマ仕立ての『五街道』『北前船』『五人組』『汽笛一声』などは人間の歴史が良く分ると好評の番組で、金沢湯湧温泉の江戸村や明治村などで豊島さんと多くの仕事をさせてもらった。
 放送中に受付けたファックスには高校時代の同級生やサンチョファンの皆さん、山形県内、福井県のリスナーの方から感想と励ましをいただきました。ありがとうございました。またこのHPの掲示板にも嬉しい感想の書き込みがありました。
 サンチョや伊勢三郎義盛のファンになって下さった皆さんがそれを演じている佐藤輝にも興味を持っていただける良い機会になりました。
 1時間、ラジオを聴いて下さった皆さん、ありがとうございました。

                  輝 ☆彡 05.7.11 



NHKラジオ「ときめきインタビュー」
 
 放送 7月11日(月)10時5分〜10時55分 生放送 NHKラジオ第1放送

 先にご案内して、国会中継のために出演延期となっていた、朝のNHKラジオ「きょうも元気で ! わくわくラジオ」番組中の「ときめきインタビュー」への出演日が決まりました。
 村上アナウンサーのインタビューに答えて、生い立ち、故郷・庄内について、俳優を志した思い、『ラ・マンチャの男』のサンチョにいたる道のりなどを多くのエピソードを交えて語ります。
 番組放送中、ラジオ聴取者からのファックスによる質問や激励なども受付けます。どうぞお気軽にお送り下さい。
 都合により放送予定が変る場合があります。番組案内でご確認下さい。


『ラ・マンチャの男』興奮の千秋楽

 5月名鉄ホール、6月帝劇と2ヶ月間、大好評連日満席の大入りが続いた2005年の『ラ・マンチャの男』公演は6月29日、「松本幸四郎さんミュージカル出演2000回達成」と重なり客席総立ちの興奮の中、千秋楽を終えました。
 僕のサンチョは95年の初出演以来、通算449回となりました。
 皆様の熱いご支援に御礼申し上げます。

 6月22日の東京新聞夕刊の劇評(演劇評論家・萩尾瞳さん)には「佐藤輝が演じる、温かく愛らしいサンチョが絶品。」と最高の賛辞をもって評していただきました。
 また『演劇界』7月号には演劇評論家・横溝幸子さんが「佐藤輝の『旦那が好きなのさ』が暖かい人間の情を滲みだし、アルドンサが『私はドルシネア』と歌う終幕は、キホーテの精神の継承がうかがえる。」と評して下さいました。
 俳優40年の記念の年に『子午線の祀り』の伊勢三郎義盛の大きな評価に加えてサンチョの嬉しい評価。とても思い出の多い公演になりました。
 サンチョの演技を皇后さまはじめ観客の皆さんに喜んで観ていただけたのは本当に嬉しい。今年はサンチョの大きな転機になりました。


俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ カーテンコール


 幸四郎さん、1965年の22才の時に『王様と私』に出演して以来のミュージカル2000回出演は素晴らしい快挙です。『ラ・マンチャの男』は1086回を数え、森繁久彌さんの『屋根の上のヴァイオリン弾き』900回記録を越えて記録更新中。
 日本の興行形態で、歌って踊って(動いて)演技して、体力と精神力が普通の芝居の何倍も必要なミュージカルに大役で2000回出演と言うのは大変なこと。出るからには当然と言えば当然ですが、それに備えての健康管理やトレーニングなど、スポーツ選手以上の自己管理を続けられている幸四郎さんだからこそ達成出来た記録です。

 幸四郎・キホーテが「サンチョーっ! 」と呼んで下さる限り「旦那さまー! 、おん前にッ! 」と何歳までもサンチョを演じ続ける積りです。


        俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ
                ようやく飲めた、ビールッ!

                  輝 ☆彡 05.6.30


山形のサクランボ

 今朝、楽屋入りの支度をしているところに宅配便で東根市の平山果樹園からサクランボが届いた。この果樹園のサクランボは格別うまい。
 黄色みを帯びた紅色の、直径が3センチ近い大粒の佐藤錦ががつややかに飛び出してきた。
 口に含むと、柔らかい皮がプリンとはじけて、佐藤錦特有の上品な甘味が口いっぱいに広がった。後はもう続けざまに口に入れては種を吐き出す、その繰り返し。このリズムの繰り返しと甘さの広がりが得も言われぬ幸福感をもたらしてくれる。

 僕にとってサクランボは『ラ・マンチャの男』と切っても切れない縁のふかい果物だ。
 今から丁度11年前の6月。翌年、95年6月の『ラ・マンチャの男』青山劇場公演にサンチョ役としての初出演が決まって、佐藤勉、宮崎紀夫両プロデューサーに伴われて歌舞伎座出演中の松本幸四郎さんの楽屋へ挨拶にうかがった折りに持参した楽屋見舞いが、折り良く故郷・山形の兄が送ってくれてその朝に届いたばかりのサクランボだった。
 幸四郎さんもサクランボが好物だと喜んで下さった。
 以来、毎年6月サクランボの季節になると、その時の初対面の緊張感とともに幸四郎さん、紀子夫人との会話が鮮明によみがえる。

 更に進化した2005年の『ラ・マンチャの男』帝劇公演も5日間、7ステージを残すのみとなった。
 10日には松たか子さんの誕生日特別カーテンコール。知らされずにいた彼女が、突然始まったオーケストラの「ハッピー・バースデイ」の演奏に感動して涙を流した素直な表情が素敵で、僕はもらい泣きしてしまった。
 娘の誕生日を父が喜んで祝える家族の幸せを、観客も含めてその場に立ち会った人たちみんなが分けてもらった。

 21日夜の部を、皇后美智子さまが観劇された。
 以前から強く希望されていたそうで、舞台を心から喜ばれて、そのご感想を細かにのべられ、サンチョについても言及されたと漏れ承りました。(「かわいいサンチョ」とおっしゃられたとか・・・)
 
 22日の東京新聞夕刊の『ラ・マンチャの男』劇評(演劇評論家・萩尾瞳さん)に「佐藤輝が演じる、温かく愛らしいサンチョが絶品。」とあるとスタッフが知らせてくれた。
 サンチョの演技をそう観ていただけるのは本当に嬉しい。稽古場で演出の幸四郎さんが「チャーミングな作品にしたい」と方針を示されて、その結果、形をなした今年のサンチョだから。

 山形のサクランボを食べながら千秋楽まで頑張る !

                  輝 ☆彡 05.6.24


帝劇初日!

今日、6月4日。いよいよ帝劇の初日を迎えました。
サンチョも元気。劇場でお待ちしております! !
                  輝 ☆彡 05.6.4


東京の休日

 6月4日の『ラ・マンチャの男』帝劇初日を前に、出演者は舞台を離れて夫々仕事をしたり家族サービスをしたり、2日から始まる舞台稽古までを過している(ハズ)。
 しかしスタッフはそうはいかない。
 28日、名古屋の千秋楽を終えると直ぐに舞台のバラシ、撤収、積み込み。そして道具、機材を東京へ搬送。休む暇無く帝劇での舞台の仕込みにかかっている。本当にご苦労さんです。

 20日には高麗屋さん(松本幸四郎さんの屋号)主催による、そうしたスタッフも含めて舞台にかかわる全員が参加して、名古屋の残り10ステージ・カウントダウンパーティーが劇場近くの居酒屋で開かれた。出席者ははっきりと数えられないほどの人数。軽く100数十名を越えていた。現実に毎日の舞台がこれだけ多くの人に支えられていると思うと、「俺はこれだけやっている」なんて意識はどっかへ吹き飛んでしまう。お客さんと、こんなに多くの人たちに支えられて公演が成り立っているのだ。

 18日、カーテンコールで幸四郎さんがスペイン、カスティーリャ・ラ・マンチャ州首相から州栄誉賞を受賞したステージは、くしくも僕のサンチョ400回と重なった。ラ・マンチャを第2の故郷と思っているサンチョとしては、旦那様の栄えあるこの日に400回を迎えられたことは無上の喜び。お祝いのスピーチの結びは、この受賞式をこの日にしていただいたお礼を込めて、舞台で演じているサンチョのフラメンコポーズ、「オレーッ ! 」。


俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ ラ・マンチャ州首相



俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ ラ・マンチャ州首相



      俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 名鉄ホールロビー
ロビーにはカスティーリャ・ラ・マンチャ州首相一行を歓迎して僕が撮影したラ・マンチャ地方の写真が特別展示された


 6月の帝劇公演ではどんな出会いが待っているだろうか。
 舞台は稽古した同じことの繰り返しのように思われるが、決して繰り返しでは無い。頼まれると色紙に「毎日が初日」と書くが、本当に毎回が新鮮だ。その日、その時限りの時間の流れと、観客と共有するその劇場空間での共同幻想。・・・永遠、につながる、共同幻想だ。

                  輝 ☆彡 05.5.31


『ラ・マンチャの男』休日

 1日に開幕した名古屋・名鉄ホール公演は連日大好評のほぼ満席。
 無事に12日間、15ステージをおえて、明日13日は1日だけの貴重な休日だ。
 今日、昼の部が終ると、出演者・スタッフは「良いお休みを ! 」と声を交わしながら夫々の予定に向かって劇場を後にした。
 ホテル暮らしから開放されて我が家に向かう人、折り良く開催中の愛・地球博に早起きして整理券を取りに行くと早々と宿舎に帰る人。単独で、あるいはグループで、色々な1泊2日の計画が立てられていた。
 製作担当者の心配は、みんなが明後日の公演までにちゃんと劇場入りしてくれるかどうかと言うこと。名古屋を離れる人には「明日中には必ず戻って来て下さい」と念を押していた。


        俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ


 僕は舞台の緊張感から開放されるために新幹線に飛び乗り、途中、車窓に流れる緑の景色に心洗われた。今は東京の雨の夜景を眺めている。

 名古屋はあと20回。
 来週には中日パーティーも予定されているし、サンチョ400回と言う個人的記念の日もある。
 英気を養って、1回でも多く自分でも満足出来る舞台を目指したいと思っている。

                 輝 ☆彡 05.5.12


『ラ・マンチャの男』名古屋へ

 5月1日に初日を迎える『ラ・マンチャの男』名古屋・名鉄ホール公演に向けてキャスト全員が今日劇場に入り、実際の舞台で位置の確認など場当たりをします。
 明日からお客さんに楽しんでいただくための最後の仕上げ。サウンドチェック、そして衣装、メイクをして公演と同じに進行する舞台稽古となります。
 楽しんでいただける舞台に仕上がりました。劇場でお待ちしております! !

 名古屋公演の日々については掲示板内の『ラ・マンチャの男』に書き込みます。是非、寄り道して覗いて下さい。
                 輝 ☆彡 05.4.27


『ラ・マンチャの男』稽古

 稽古も最終の1週間を残すのみとなって、昨日から通し稽古。

 幸四郎さんは2日に突然ぶっつけの通し稽古でセルバンテスとキホーテとして稽古した後は16日までは演出の立場に専念していたが、昨日からはセルバンテスの衣装を付けて演技者に。
 伴奏もピアノに加えて、先週からドラムス、ギター、キーボードなどリズム楽器が加わった。伴奏の響きが変って、慣れるまで少し戸惑う。
 14日の稽古終了後に、稽古場の近くで幸四郎さん主催の焼肉パーティー。稽古は肉体労働。十分に働いた直後、みんなモリモリと良く食べた。
 15日は変更のあった曲のオケ合わせ(オーケストラとの音楽合わせ)。オーケストラメンバーとの3年ぶりの再会は懐かしくお互いに喜び合った。

 来週には名古屋・名鉄ホールに移動。舞台の仕込み、舞台稽古と続き5月1日、初日を迎える。
                  輝 ☆彡 05.4.19


夜桜や・・・

 今夜、ひらひらと散り始めた桜並木で今年3回目の花見を楽しむ。

 桜満開のこの時期に、訃報が続いた。

 俳人の加藤三七子さん。79才。
 NHK『俳句王国』に初めてゲスト出演した時の主宰が『黄鐘(おうじき)』を主宰する加藤三七子さんだった。加藤さんは全国から集まった出演者に「佐藤 輝さんを応援するファンクラブを作りましょう」と呼びかけて『サンチョの会』を作り、『ラ・マンチャの男』大阪公演を観劇。終演後には会食と句会を楽しんだ。またお仕事でご一緒出来るとばかり思っていた方なのに、突然の訃報を新聞で知った。
      来しかたも ゆくかたも波 船遊び  三七子

 作詞、作曲家の中山大三郎さん。64才。
 僕がカラオケの十八番にしている森進一さん歌う『ゆうすげの恋』は作詞大賞受賞の中山作品。もっともっと沢山の歌を世に出して欲しかった。
 森進一さんの育ての親、猪俣公章さんも早く亡くなられた作曲家。帝劇の『南北恋物語』『近松心中物語』に出演した時には猪俣さんが直接歌唱指導をして下さった。いつもこの季節になると、お花見に呼んでいただいた池上のご自宅での楽しいパーティーを思いだす。本当にお世話になった恩人。

 俳優、新井武宣さん。
 93年、僕が初めて出演した東宝のミュージカル『マイ・フェア・レディ』で共演して以来、94年からの『屋根の上のヴァイオリン弾き』、95年以降の『ラ・マンチャの男』と多くの舞台で一緒に出演した新井武宣さんが50代の若さで亡くなった。今年の『ラ・マンチャの男』には出演していないが3年前まではラバ追いの一人、テノリオ役を頑丈な体で演じていた。奇声(?)をあげながら体をくねらせる開演前のウォーミングアップの姿を、今も一緒に稽古しているように思い出される。

 「死者を死せりと思うなかれ。人々の生あるかぎり、その中に死者は生きむ、死者は生きむ。」
 良い思い出を下さったことに心から感謝してご冥福をお祈りします。

                  輝 ☆彡 05.4.9


春爛漫

 ベランダから眺める近くの桜並木もあっという間に五分咲きに。一目百本を毎朝楽しんでいる。
 大輪の椿「バーバラクラーク」とピンクに赤の斑の入った「日暮」が満開。少し前までの寒い時期には、折角咲いた「舘椿」や「侘助」はヒヨドリの餌食となって無残な姿だったが、その悪漢達も来なくなって、のびのびと咲いている。

 去年、浅草のほうずき市のおみやげにもらった鉢は一冬の寒風にさらされて、葉脈だけが残った苞の中に朱色の実がまんまるについていた。鉢を片付けようと立ち枯れた株を整理したら、下から新芽が伸び始めている。今年はこれに実をつけてくれるのだろうか。ベランダの楽しみが一つ増えた。
 去年鉢植えで楽しめたおじぎ草を今年も楽しみたいと思って種を買った。表面が厚い脂質で覆われているらしく、蒔く前に数分、熱湯に浸すと発芽しやすいとの説明。八月末から咲き出す花の可憐さは他には見られない可愛らしさだ。

 思いきって新車を買った。
 『アルベルト』と言ういかにもスペイン風な車種名と、僕のラッキーカラー鮮やかな赤い色に魅かれて。ウォーミングアップも兼ねて稽古場へ15分、新しい自転車は渋滞の道を避けて春風に乗ってすいすいと走る。
 キャンピング用のリクライニングチェアーも買った。これは楽屋用。

 先月、歌舞伎座に出演していた幸四郎さんは、『ラ・マンチャの男』の演出の立場で毎日昼夜の公演の間を縫って稽古場に駆けつけ、今週もキホーテの代役を立てた稽古で演出として新しいアイデアを次々と出されている。僕も「遊び心」を刺激されて楽しい稽古が進んでいる。

                  輝 ☆彡 05.4.6


『ラ・マンチャの男』
 
 4月1日に「顔寄せ」をした。
 「顔寄せ」と言うのは公演のスタッフ・キャストが全員揃って挨拶をすること。
 劇場や宣伝、キャストの所属事務所などを含めたスタッフと、その日から稽古に参加した上條恒彦さんを入れた全キャストがそろい、挨拶と紹介がありました。
 その後、幸四郎さんが直した新しい台本で読み合わせ。松本幸四郎演出による2005年公演の全体の流れを感じ取ることが出来た。
 そして4月2日。
 読み合わせの予定だったのが、幸四郎さんからの指示で突然の通し稽古に変更 ! !
 先月中にラバ追いたちの動きの多い『アブダクション』、『IT'S ALL THE SAME』、『鏡の騎士』、『コンバット』『マンブリーノ』『ムーアダンス』などの場面はほぼ稽古したものの、他は歌の稽古だけしかしていないし、開幕の段取りも『遍歴』、『旅籠』、『信書』、最後の『寝室』などは1度も稽古していない。初出演、アントニア役の山崎直子さんはどの切っ掛けでどう動いて良いかも分らないでいる状況。
 それが何とかアクシデントも無く、通すことが出来た! !  奇跡 ! !
 4日からは場面ごとの細かな稽古に入る。
 
 故郷山形の羽黒高校がベストフォーに進出した ! ! !
 山形県勢、春夏を通して高校野球史上初のベストフォーに進出。
 折り良く今日は稽古も休み。午後はテレビの前で故郷の羽黒高校応援団になる。昨日の疲れをものともせずに頑張って欲しい。ガンバレー ! 羽黒高校ッ!

                  輝 ☆彡 05.4.3


 
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