俳優佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」06.4.4ベランダは山形に地続き
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佐藤輝のエッセイ
「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。
2006年
4月4日
ベランダは山形に地続き
4月18日
サンチョの生みの親-(上)
5月2日
サンチョの生みの親-(下)
5月16日
草笛を吹いたころ
5月30日
もみじ若葉の小倉山
6月13日
蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日
二人のテルアキ
7月11日
星に願いを
7月25日
アクア・スプラッシュ
8月8日
夏の故郷
8月22日
夏草や・・・
9月5日
一期一会の虫の夜
9月19日
高きに登る
10月3日
歳時記
10月17日
美しい日本
10月31日
再生
11月14日
俳優への第一歩
11月28日
捨てる神あれば・・・
12月12日
山茶花の散るや・・・
12月26日
一陽来復
2007年
1月9日
演劇の神様
1月23日
見果てぬ夢
2月6日
寒い朝
2月20日
暖冬に思う、寒さかな
3月6日
ハポンのサンチョ
3月20日
卒業
2006.4.4掲載
「ベランダは山形に地続き」
ベランダは山形に地続き
佐藤 輝
ベランダにある真紅の薮椿(やぶつばき)が今朝も花を一つ開いた。
住んでいるのは東京・江東区に立つマンションの14階だが、リビングから一歩出たベランダは意識の上ではほとんど
生まれ故郷の山形県
と地続きだと言える。
鉢植えとプランターが並んだこのベランダと洗面所との間を四往復して水やりをするのが朝食後の日課だ。
今の時季、楽しみは椿。五鉢の椿は厳しいベランダの環境にも慣れて冬から春、冷たい風に吹かれながら次々と花を咲かせて目を楽しませてくれる。椿は文字通り春の木だ。
その中でも一番お気に入りで大切な一鉢は、舘椿(たてつばき)と僕が名付けた冒頭の薮椿。山形の生家の庭から我が家に来て28年、毎年春を告げて色鮮やかな真紅の花を咲かせている。舘は生家がある庄内町の地名をとった。
少年時代。冬は冬なりに、手がしばれて感覚を失うまで雪遊びをしたが2月末ともなると春が来るのを待ち焦がれた。一日も早く地面の土が見たくて堆肥(たいひ)運びの馬そりが困るのも知らずに家の前の道路の雪を小川に流し根雪の下の厚さ10センチもの氷の盤をせっせと割った。
そんなまだら雪が残る水墨画の季節、明るい光が射し込むように最初に色鮮やかな花を咲かせたのは屋敷の一番奥まった隅にある薮椿だった。ツヤツヤの緑の葉の間に火がともるように温かく真紅の花が咲いた。僕は春を知らせるその花が大好きだった。
昭和50年春に、羽黒山の出羽三山神社本殿で結婚式を挙げた。花嫁は山形市出身。今我が家で育つ舘椿はその後、庄内の民俗芸能などを調べに帰省した時に親の薮椿の下に生えていた実生の「のっこ」(幼苗)を一本もらってきたものだ。今、この鉢は僕の感性の源とも言える生家の庭から続く故郷のすべてを次々と思い起こさせてくれるタイムトンネルの入り口になっている。
いつのころからか自分のラッキーカラーは赤だと思い、靴下はいつも赤。冬が早く来た去年の暮れには「この厳しい寒さを乗り切って次の舞台を成功させるにはこれしかない!」と、唐辛子の看板のような真紅のダウンコートを買った。そのかいあって2月3月に公演した
ミュージカル「OH ダディー!」
公演は風邪もひかず大成功だった。
僕の赤好きは、春を迎えた故郷の薮椿の真紅に由来するのかも知れない。
あたらしき生命なりけり蝌蚪(くわと)の群 輝
写真タイトル
ベランダに咲く「舘椿」(筆者撮影)
2006.4.4掲載分
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山形新聞 06.2.22 元気山形 俳優 佐藤輝 「今 支える 庄内の記憶」
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