俳優佐藤輝エッセイ「季語のある日々」7.11星に願いを
佐藤輝のエッセイ「季語のある日々」
2006年4月から2007年3月まで1年間にわたって山形新聞に連載。

2006年4月4日 ベランダは山形に地続き 4月18日 サンチョの生みの親-(上) 5月2日 サンチョの生みの親-(下)
5月16日 草笛を吹いたころ 5月30日 もみじ若葉の小倉山 6月13日 蒼き雨降る梅雨の入り
6月27日 二人のテルアキ 7月11日 星に願いを 7月25日 アクア・スプラッシュ 8月8日 夏の故郷
8月22日 夏草や・・・ 9月5日 一期一会の虫の夜 9月19日 高きに登る 10月3日 歳時記 10月17日 美しい日本 
10月31日 再生 11月14日 俳優への第一歩 11月28日 捨てる神あれば・・・ 12月12日 山茶花の散るや・・・
12月26日 一陽来復 
2007年1月9日 演劇の神様 1月23日 見果てぬ夢 2月6日 寒い朝 2月20日 暖冬に思う、寒さかな
           
3月6日 ハポンのサンチョ 3月20日 卒業
 
      2006.7.11掲載 星に願いを  

 星に願いを        

                       佐藤 輝

 わが家のベランダには、ほてい竹の竹林がある。
 根元だけを見れば70センチ×45センチほどのプランターの土に、節は太いが全体は細目の40本たらずの竹。だが見上げれば、根元からは想像つかないほどに茂った竹の葉が14階を吹く風にあおられてそよぎ、立派に竹林に見える。今年は11本もの筍(たけのこ)が出て、今はその新葉が次々と開き、日ごとにボリュームを増している。
 庄内生まれの「舘椿(たてつばき)」と同じく竹林も故郷生まれ。30年近く前に、姉の所から分けてもらった株で、縁台に腰かけ、眺めながら、これも山形出身の家人と「竹林の七賢人」にかけて、自分たちのことを「竹林の山形県人」などと冗談を言っている。
 毎年、七夕には、この竹に願い事を書いた短冊をつり下げる。「健康でありますように」「良い仕事ができますように」などと並んで、12年前からは「ラ・マンチャの男公演が成功しますように」「素敵なサンチョを演じられますように」などが加わった。その中に「飛べ飛べ、お水ちゃぽちゃぽ、出ました出ましたが楽しくできるように 紅子」という願いもある。7歳になった我が家の愛嬢、手乗り文鳥の紅子の願いを僕が代筆したもの。
 「ベニコ! 」と呼べば「チュン! 」と答え、朝は「チュンチュン」と大声で呼び起こし、帰宅すれば「チュン」とお帰りを言う。犬以上に、細かな感情表現とコミュニケーションがなりたっている。利口な子だ。
 紅子は遊び好き。飛べ飛べは、毎晩篭から出て、離れて立った僕と家人との間を何度も往復する。しばらく遊ぶと急に洗面所の方へ飛んで行っては戻って来て僕の頭をかすめる。これが「お水ちゃぽちゃぽ」の催促で、僕は蛇口から水を両手に受ける。すると紅子は腕伝いにそこに入り、水を浴びながら羽を広げて思いっきり行水をする。僕の腕と顔はびしょびしょに濡れる。
 「出ました出ました」は紅子が一番好きな遊び。何年か前、胸に甚平衛を掛けてベッドに横になっている時に紅子が飛んできたので、甚平衛を少し持ち上げて入り口を作ってやった。すると、そこからもぐり込んで中の布を押したり、透けて見える指をつついたりして遊びはじめた。そこで、垂れた袖の先を持ち上げてトンネルを作り「出ました出ました」と声をかけながら指先を見せてやると、袖を走りぬけて外に出て喜びの声をあげた。そこからまた、胸の上の入り口まで指でルートを示すと勢い良く駆け登って入り、同じことを何度も繰り返すようになった。その後、甚平衛のパンツの方が使いやすいのでそれを使うようになったが、これは「出ました出ました」遊びとして定着し、紅子がせがむ一番の遊びになっている。
 今年の七夕飾りには2年先の「08年4月のラ・マンチャの男公演が成功しますように! 」と「来年、スペイン旅行が楽しくできますように」「スペイン語がうまくなりますように! 」が加わった。2年後の帝劇、450回目のサンチョを目標にスタートした7月。

 空蝉の地下牢走るサンチョかな  輝

俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ・パンサ
写真タイトル
ミュージカル「ラ・マンチャの男」のサンチョ役で歌う筆者(提供・東宝演劇部)

             2006.7.11掲載分

                 
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