京都、念願の紅葉狩り
家の近くの緑道に鮮やかに残った紅葉も、ここ数日の冷え込みと、時々の強風で、残りわずかとなった。
上の写真、ひときわ鮮やかな深紅のもみじ葉は、紅葉の名所京都の中でも特に名高い、嵯峨小倉山の麓に立つ古刹、常寂光寺(じょうじゃっこうじ)の紅葉。本堂から裏山に曲がる角にあった。
12月は月初めから、時代劇の仕事で京都太秦の撮影所に行ったり来たりした。
今年は急な冷え込みが幸いし、京都でも久しぶりの紅葉の当たり年と騒がれていて、駅には紅葉見物を楽しみに降り立つ観光客の姿が多く見られた。
今まで、京都での時代劇の仕事は冷え込み厳しい冬が多く、小雪がちらつく中で立ち回りをして汗をかき、衣裳の着込みで着替えることもできないままに体を冷やし、高熱の風邪を引いてしまったこともあったが、2006年には5月のゴールデンウィーク明けに
『水戸黄門』の仕事があった。
その仕事の合間に、
嵐山、嵯峨野を散策し、常寂光寺も巡った。
その折、若葉を眺めながらそぞろ歩く自分の体までもが緑色に染まるかと思えるような常寂光寺のもみじ若葉の美しさに見とれた。そして、このもみじが赤く染まる頃を想像し、以来、その季節にまた来たいものだと願うようになった。
2006年5月。もみじ若葉に包まれた常寂光寺。
だから、今回の仕事は、夢見たベストの時期に重なった。ラッキー ! と喜んだ。
インターネットで調べると、散り始めている名所もあるものの嵯峨野周辺は今が見ごろと出ている。
京都に入った日は絶好の紅葉狩り日和。カツラ合わせだけで終わったけれど、翌日からの撮影に備えて休養した。紅葉狩りの楽しみは、撮影の予定が無い2日後に残した。
撮影初日は快晴のロケ日和 ! 撮影も快調 !
しかし・・・、昼近くになって西から伸びてきた雲が陽射しをさえぎることが多くなり「太陽待ち」を何度か繰り返しているうちに雲はどんどん厚さを増して暗くなってきた。そしてそのうちに、本番態勢で待っているみんなの上にぽつり、ぽつりと雨粒が
! !
突風も吹き出して小道具が風に飛ばされる !
あわててみんながロケバスに乗り込んだ途端に天地を揺るがす大雷鳴が轟いて、マイクロバスが揺れた ! !
しばらくの間、土砂降りの雷雨と強風が続いて、そしてまた突然晴れ上がった ! !
その後、撮影を再開して、無事に予定のシーンを撮り終えることができた。
ニュースを見ると、全国的に荒れて、関東でもひどい天気だったらしい。
僕が休みとなった翌日も好天に恵まれたので、四条大宮から嵐電に乗り、嵐山を目指した。
土曜日と紅葉の見ごろが重なった駅前から天龍寺前を通って北へ向かう大通りは、旗を持ったツアーコンダクターが率いる団体客や、カップル、グループ、家族旅行などがひしめいて車道の半分にはみだしている。
やがて竹林の中の細道に入ると、あちこちに鮮やかな紅葉が見受けられ、みんながカメラや携帯で写真を撮っている。
時々、太陽に小さな雲がかかって日が陰ると紅葉の色がくすんで見えるが、日が射すと、紅葉は鮮紅色に光り輝く。そのたびに歓声が響く。
野宮神社から山陰本線の踏切を渡る細道は、人通りが少ない時には異界に通じる道のような雰囲気になるのに、この日は人波をかき分ける人力車がひきも切らない。
常寂光寺手前の畑の広がりも僕の好きな風景の一つ。
収穫を終えた畑越しに落柿舎を眺めながらほっと息をする。
門前の茶店から伸びて道を覆うばかりの紅葉のトンネルを抜けて、いよいよ本命、目指す紅葉の名所常寂光寺へ !
入口の格子門から境内を覗いて、うっ!? っと息を呑んで、一瞬ポカン。
何かが・・・、抱いていたイメージと違うのだ。狐につままれた・・・気分。
しばらくしてそのギャップに気が付いた ! !
ないッ! ! 紅葉がないッ! !
全山を鮮やかな深紅に染めているはずの常寂光寺の紅葉がないのだ・・・。
しばらく、本当にしばらくの間、僕は入場券も買わずに呆然とした。
「あらァ・・・・、もう散っちゃってるのゥ・・・」と語尾に悔しさをにじませて、それでもずんずんと団体客が追い越して行った。
昨日のあの土砂降りの大雷雨が紅葉を散らしたのだ。天気を恨んだ。
確かに全山紅葉のイメージにはほど遠いが、でも今年の鮮やかな紅葉がまだ少し残っている。そして何よりも、この時期の常寂光寺は初めてなのだ。
一昨日、休養などと言わずに来ていたら最高の紅葉を見られたのにと悔しく思う心に、「休養したからこそ、昨日は良い演技ができたのだ」と言い聞かせて、何とか・・・、気を取り直した。
若葉の頃、境内の庭は一面が柔らかな苔でおおわれて全山が緑一色だったが、今は散ったばかりの鮮やかな紅葉が苔の庭をおおい尽くしている。これはこれで、格別の面白さがあって美しい。
ほとんどが葉を散らした梢に残る深紅のもみじ葉は、澄んだ余韻を感じさせてくれる。
その余韻に浸りながら、今年の締めとなる良い仕事をさせてもらった京都の12月。
来年に向かって元気をもらった。
皆さんの2011年も、元気で素敵な年となりますように ! !
輝 ☆彡 2010.12.28
サルサダンサー !?
カレンダーの残り日数を丁寧に数えたら、何とたったの11日 ! !
先月は何をしていたんだっけ?
12月に入って京都へ行ったり来たりしている間に、時は過ぎていた。
そして、ほぼ2カ月ぶりにこのページを書く気になった。
暮も押し詰まって、ようやく、気分が落ち着いたのかも・・・。
日本サルサ協会理事長武永実花さんとペアを組んで踊ったサルサ。
いやぁ、サルサは楽しい ! 見るのも、踊るのも。
昨日、池袋にあるアムラックス東京の5階ホールで、第2回日本サルサダンス選手権大会(Japan Cup 2010)とJapan
Salsa Festival 2010が開かれ、ご招待をいただいたので伺った。
武永実花さんと知りあった時期がいつだったか、はっきりと覚えてないが、そのあとで1997年に僕が出演していた
ミュージカル『マイフェアレディ』を帝劇に観に来てくれたのだから、もう13,4年も前ということになる。
でも、最初に出会った場所は銀座の画廊だったこと。版画院の重鎮、井上勝江さんの紹介の言葉が「競技ダンスでトップレベルのお嬢さまなのよ」だったこと。そしてそこには、井上さんの小品などと共に実花さんが描いた素敵で可愛い絵が展示されていたこと。これははっきりしている。
この華奢で可愛いお嬢さんが、ハードで体力の要る競技ダンスを踊り、しかも絵まで描いている・・・、とても不思議な存在に思えた。
その後しばらくして、六本木に
「カシーノ」という名前のダンススタジオを開くとの案内をいただいてオープニングパーティーを楽しみにしていたが、舞台公演と重なって止むなく不参加に。その後も、ご案内をいただきながら機会に恵まれなかった。
そして今回のご案内。折りよく京都での仕事が終わっての一段落の時期。ようやくラッキーなタイミング !
と言うことは、10年以上経っての再会だァ ! !
ラテンのリズムと、時にゆったりとたゆたうようにセクシーに踊るかと思うと一転して目にも留まらない早さでクルクルと連続ターンへ続く熱いダンスに酔いしれた。
ペア部門、チーム部門、トライアル部門など各競技も夫々の出場者の個性と創作的な工夫が実に面白く興奮しながら堪能した。
その間に行われた3,4歳と思われるキッズたちの元気で愛らしいサルサダンスには、会場が感心の吐息と感動の拍手に沸いた。
一生懸命に肩を震わせ、腰を震わせ、表現として踊っている ! 学芸会じゃない ! 海外から来た審査員はスタンディングオベーションでその気持ちを表していた。
この子たちが10年後も踊り続けていたら、サルサ界は大きな裾野を広げることになる。将来を背負ってくれる心強いダンサーたちだった。
ペアもチームも優勝した組は矢張り素晴らしいレベルのダンスを見せてくれた。流れるような動きと、離れていても呼吸がピッタリ合ってシンクロする一体感が、見ていて心地良い。文句無く、素晴らしい
!
「はい、左足から・・・、1、2、3、・、1、2、3、・、」と武永理事長の親切丁寧な個人レッスンを受ける。脂汗と冷や汗でシャツはビッショリに
! (笑)
海外からのゲスト審査員を迎えてこれだけ大きな大会を主催運営するのも大変なご苦労だろうけど、サルサ協会を立ち上げるまでの道のりも平坦では無かっただろうと推察する。
協会のスタッフの皆さんが段取り良く大会を進めている。共に志を持って進む仲間がいたからこそ、実花さんを中心にこうして立派な形に仕上がっているのだと思った。
協会の更なるご発展を心からお祈りします。
そして、本当に久しぶりに会った実花さんのその凄い努力と情熱に、心からの拍手をおくります。
本物のサルサは、Muy bien ! !
輝 ☆彡 2010.12.20
生きるよろこびを感じた『生きるよろこび』
10月1日、『生きるよろこび』公演が無事に終わった。
ご来場下さった皆さまに心からお礼を申し上げます。
カーテンコール。
会場の庄内町・響ホールが超満員かと思えるほどの音の大きさで、観客の皆さんの熱い熱い感動の拍手が鳴り止まなかった。そして心のこもった、後輩の女子中学生による花束の贈呈。
幕開きのプロローグから各作品が終わるごとに感動した思いを力強く素直にステージに向けてくれた、ありがたく、嬉しい拍手の連続だった。
感じてくれる、分かってくれる人がいるということは、表現する者にとって一番嬉しく有り難いことです。
質の高い舞台作品に感動してもらいたいとの、僕の思いはかなえられた。
自分が構成し出演した作品を自分で説明するのは気恥ずかしい。
この公演を観たスイーツさんが、10月6日の掲示板に、素晴らしい感想を書いてくれましたので転載させていただきます。
"
輝さん ! !
お疲れさまでした !!!
とてつもなく素晴らしい 、大感激の、本当に素晴らしい舞台でした。
庄内まで出かけた甲斐がありました。いいえ、一生の思い出、心の宝物をいただきました。有難うございます !!!
終演後、会場のみんなが、言葉では表現しきれない、掌に汗を握って、目を輝かせて、観客同士「すっごいね ! 」「感動したね ! 」と見つめ合いうなずき合っている光景。素晴らしい光景でした。
・・・しばらくあって、周りを見回して、みんなが言った言葉は「もったいないねェ ! 」・・1回っ切りの公演。これだけの観客。「もっともっと大勢の人たちに見てもらいたかったね
! 満員にしたかったね ! 」
みんなにそう思わせてくれた、本当に上質の、素晴らしい公演でした。
輝さんが目指した、「朗読」ではない「感動するRO-DO-KU」の意味がくっきりと良うく解りました。観ていて心躍りました。
出演者は確かに台本を持って朗読しているのに、いつの間にか台本は見えなくなり、登場人物の生き生きした姿と周りの世界の広がりが見えてきて、物語の世界に引き込まれました。
2時間20分の上演中、客席で眠った観客は一人もいなかったと思います。
輝さんが選んだ4作品が良いですね。その順番も。
『生きるよろこび』のタイトルで構成した輝さんの、人間に対する熱く深い想い、人間愛が、舞台からストレートに切々と伝わってきました。
また、その想いを出演者みなさんが夫々の作品とご自分の存在感で丁寧に表現されていて、そのエネルギーが舞台全体に広がっていました。
普通の芝居以上の稽古をされたというプログラムの説明に納得させられました。
輝さんの「板垣さんのやせがまん」、夫婦の情、父娘の情、家族の一員としての愛犬との情が細やかに表現されてステキなお父さんでした。
微笑みながら観ていても、登場人物みんなが愛おしくて泣けて泣けて仕方なかったです。
道化のように読んだ ( 演じた ? ) 短編がまた、良いクッションになっていて洒落ていましたね。輝さんの愛嬌とペーソスが、素敵に生きていました。
当日も翌日も、鳥海山、月山がすっきりクッキリと眺められる日本晴れで、米を収穫している庄内平野の広々とした広がりが心をさらに豊かにしてくれました。輝さんの感性を育んだ故郷は本当に美しい土地
!!!
あんな素晴らしい作品を地球上でただ一ヶ所、あのホールだけで観られた庄内の人たちは何て幸せなのだろう、と思いながら帰って来ました。
私たち観客に素晴らしい思いをさせて下さった輝さんの『生きるよろこび』にあらためてお礼申し上げます。
ありがとうございました! お疲れさまでした !
また、次のご案内をお待ちしています !!!!! "
スイーツさん、ありがとうございました。
本当に嬉しい感想です。
スイーツさんと同じような感想が、終演後の乾杯でも、カンパニーの打上げパーティーに参加してくれた酒田の友人や高校同期の仲間からも、ほとばしるような思いを込めて聞かされて、キャスト・スタッフ共々にその成果を喜びあいました。
久しぶりに、心から納得して飲めた打上げの乾杯だった ! !
美味しかった ! !
応援して下さった皆さん、本当に本当にありがとう ! !
共演者の、二木てるみさん、花柳寿楽さん、山本みどりさん、ありがとうございました。
舞台を支えてくださったスタッフの皆さん、ありがとうございました。
また、コスモスの手配やら、細かなお願いに惜しまず協力して一緒に舞台を作ってくださった響ホールのスタッフの皆さん、ありがとうございました。
また、思いがけず嬉しかったのは、僕と花柳寿楽さん二人宛に届いた楽屋見舞い。開演準備中に缶ビール1箱がドンと届けられた。
贈って下さったのは、女優の真矢みきさん。
東京・三宅坂の国立劇場で毎年開かれている花柳寿楽さんと花柳典幸さん兄弟主宰の日本舞踊『錦会』が今年も4月にあって、その会場で僕は初めて真矢みきさんにお会いした。
花柳寿楽さんは宝塚歌劇の舞台の振付もしているし所作や日舞の指導をしている、いわば真矢さんの日舞の先生。そんなご縁で話がはずみ、「真矢さんのお父さんは山形県出身だそうですね。どちらのご出身ですか
? 僕は山形県の庄内地方の出身です」と話すと「ええ、父は日本海の方の酒田の・・・」との返事。「じゃあ、酒田市の出身ですか ?」と尋ねると「・・・酒田の近くの余目(あまるめ)というところです」とのお返事。余目は酒田市に隣接する現在の庄内町余目で僕の出身地。もうびっくり。
真矢さんは人に説明する時に余目では分かってもらえないので、酒田と説明していたらしい。番組の中でもそのように語ったようだ。
余目は今回の公演会場響ホールがある、まさに僕の生まれ育った地元。更に詳しく尋ねると、「たしか廻館(まわたて)というところで、お祖父ちゃんの家があります」との話。そこまではっきりしていたら間違いなし
!
旧大和村の廻館には僕の親戚もあって何度か遊びに行き、村祭りの出羽人形の舞台には突然紹介されて飛び入りで最上川舟唄を歌ったこともありよく知っている所。真矢さんのお父さんと僕は正真正銘の同郷人と確信した。
同郷人・真矢みきさんにも大いに励まされた公演。真矢みきさんに感謝 ! !
僕は1945年に旧余目町に生まれ、小学6年の時に、町内全5小学校が参加した連合学芸会で、木下順二作『彦市ばなし』の天狗の子の役を演じて、同学年の観客から思いがけない大きな拍手をもらった。それが切っ掛けになって、中学の学芸会でも毎年出演する機会に恵まれ、3年の時には『レ・ミゼラブル』の原作『ああ無情』の主役で本来は大男であるジャン・ヴァルジャン役を演じて好評だった。
その4年間に体験した、仲間と一緒に新しい世界を作っていく楽しさと、観客から拍手を受けた喜びから、高校卒業後の進路を決める時、小柄な自分でも一人の人間として仲間と一緒に生きていける場所と仕事があるんだと示唆を受け、体格のコンプレックスを乗り越えて俳優として生きていく決心をすることができた。
いま、俳優の原点となった故郷で、こうした舞台を作ることができて満足している。
これからも、一人でも多くの人に生きる喜びを感じてもらいたいと願いながら、「毎日が初日」をモットーにして、作品を作り、演じていく。
輝 ☆彡 2010.10.21
天童真理子 プロデュース
リンダブックス 涙がこころを癒す短編小説集『99のなみだ』と
齋藤茂太著『笑って生きればすべてうまくいく』(ぶんか社文庫) による
感動するRO-DO-KU『生きるよろこび』
【出演】
佐藤 輝 / 花柳寿楽 / 山本みどり / 二木てるみ
構 成 ■ 佐藤 輝
演 出 ■ 小林 裕
美 術 ■ 小林 裕
照 明 ■ 鵜飼 守
音 響 ■ 齋藤 美佐男 ( TEO )
舞台監督 ■ 粟飯原 和弘
演出助手 ■ 福田 利彰 / 山岸 麻美子 / 森岡 正二郎
舞台創造集団・office KOBA
制作助手 ■ 紺野 繁
プロデューサー■ 天童 真理子
特別協力 ■ (株)リンダパブリシャーズ / (株)ぶんか社
協 力 ■ (有)トゥフロント