サンチョ、故郷に帰る
6月13日に書いた
“ロシア大使館と『新宿 ラ・マンチャ』”。
ロシア大使館でのパーティーに、ミステリーツアーの感覚で出席し、そこで偶然、久し振りに会った女優の中村まり子さんと旧交をあたためた話を書いた。
その最後に「この後、意外で面白い発展があるのだが・・・、『新宿 ラ・マンチャ』の話は次回へつづく。」と書いて、その続きは、書かないままになっていた。ので・・・
パーティーがあったのは5月26日、カラッと晴れあがった暑い日だった。
2時から始まったパーティーは4時半頃、お開きに。
会場を出て、昼のアルコールが効いて真っ赤になった顔を、気持ち良く乾いた風に吹かれながら六本木方向に歩き出すと間もなく、知り合いの演劇製作者と一緒に歩いている中村まり子さんに追いついた。
それから3人で、昔の劇団仲間のことなど話しながらのんびり歩いた。
途中、まり子さんが「ラ・マンチャの男は、今度いつあるの?」と聞いてきた。「来年4月に」。・・・、僕が『ラ・マンチャの男』に出始めてから12年、彼女と会う機会もなかったからなのだが、作品について話したことはなかった。どちらかと言えば、彼女が『ラ・マンチャの男』に関心を持っていないと思っていたから、それは意外な質問に思えた。
「新宿に『ラ・マンチャ』っていう名前の店があって、そこのオーナーが、自分でラ・マンチャにも行ったりして、大の『ラ・マンチャの男』ファンなの。」
今まで何となく僕が持っていた作品のファンのイメージは、舞台かぶり付きやロビー、楽屋口を背景にして存在していたから、新宿で店を開いている、生活感のあるファンに興味を持った。
別れ際に地下鉄の入り口で、「今度、機会があったらその『ラ・マンチャ』を紹介してね」と頼むと、「今日、行く予定よ」。おっとっとっと・・・、それじゃ、先のことといわずに、今夜連れていってもらおう。
一度帰宅してから出直し、新宿三丁目交番前で待ち合わせ、新宿『ラ・マンチャ』に向かった。
昭和43年頃から10年ほどの間は、このあたりで良く飲んだ。そのブロックを対角線に抜けた角の飲食店ビルの螺旋階段を上った2階に『ラ・マンチャ』はあった。
店の看板にあるロゴから始まって、オーナーの『ラ・マンチャの男』への熱い思いが凝縮したような店内には、スペインの皿や壁掛けが飾られ、『ラ・マンチャの男』のCDが流れ、来年4月の公演チラシも置いてある。驚いたのは昭和44年の『ラ・マンチャの男』日本初演ポスターまでもある
! ホント、『ラ・マンチャの男』一色の店だ。
まり子さんが僕をマスターに紹介してくれた。マスターの柳沼さんはサンチョの来訪に喜び、すぐにオーナーに連絡してくれた。
その日、体調を崩していたオーナーの白井さんも、無理をしてわざわざ店に出てきてくれた。
そのうちに、オーナーだけでなく、マスターも店の常連客も、みんなが『ラ・マンチャの男』を何度も観ている熱烈なファンなのだということがわかった。まり子さんさえもが、実は38年前の日本初演から観ている大ファンなのだと言う。店内は『ラ・マンチャの男』の熱気があふれている。何という素晴らしい雰囲気のお店。『ラ・マンチャの男』の魅力にとりつかれた人たちがかかるラ・マンチャ病患者の溜まり場だ。
まり子さんが途中入ってきた常連客を紹介してくれたので顔を見ると、今から30数年前、新宿・紀伊国屋ホールで毎年暮に公演した沢竜二主演『夢の渡り鳥シリーズ』(福田善之台本演出)で共演したことのある田村連さん。彼は1983年頃の『ラ・マンチャの男』に、アンセルモ役で出演していたと言う。
マスターは「目の前に『ラ・マンチャの男』の出演者が二人もいる ! これってスゴイね ! 」と繰り返し喜んでいる。
まり子さんがカウンターにあった灰皿を指して、マスターに「これ、テルアキちゃんに記念に上げて !」とねだった。その白い灰皿には、ピカソが描いたドン・キホーテとサンチョの絵が焼かれている。お店の雰囲気に合わせた大事なものだからもらえないと断ったが、マスターはもう紙に包んでさらに袋に入れ、目の前のカウンターに置いてくれた。恐縮しながらもいただくことにした。
『ラ・マンチャの男』の代々の出演者や、稽古場、劇場でのエピソードなどに話の花が咲き、僕も初めて入った店とは思えない気楽さで水割りを重ねた。そして、気持ち良く酔った。
この感覚、どこかで経験したぞと思い出したのは、サンチョの役作りで訪ねたスペイン、ラ・マンチャ地方。ドン・キホーテが巨人と見て戦いを挑んだ風車があるカンポ・デ・クリプターナの村のバル(BAR
)『サンチョ』で、それまでにも会ったことのある村人たちが、僕を「ハポンのサンチョ」の里帰りとして歓迎してくれた時の気持ち良さに似ていた。何度も乾杯をして、あの時も、古くからの親しい親類や友人が集まった宴会のように思えた。
まり子さんの公演の感想や、常連客の一人がイギリスに留学した時の話など、話題は尽きない。
気が付くと地下鉄の終電が近い。僕はあわてて皆さんへの挨拶もそこそこに店を飛び出し、新宿三丁目まで走った。
終電1本前の電車に間に合って椅子に落ちついた途端、いただいた灰皿をカウンターに忘れてきたことに気が付いた
!
何という思いがけないことが次々と起こった1日だったのか。まだ、ミステリーツアーの中にいるような、現実感の無い不思議な気持ちで家へ向かった。
思いがけないことが次々とおこった今年。
灰皿を忘れて来た後も色々とあって、8月になってからようやく新宿の『ラ・マンチャ』に行くことができた。
灰皿は今、たばこを吸わない我が家のテーブルに置いてある。僕は毎朝、そのそばでサンチョの歌の練習をしている。
輝 07.9.3
夏休み
気がついたら、このページの本文更新が3週間ぶりになっていた。
これでは、ひょっとしたら毎日遊びに来てくれていたかも知れないゲストのみなさんに、落胆の日々を過させてしまっていたのではないだろうかと今ごろになって心配している。
ながい夏休みをとってしまい、すみませんでした ! とは言っても、のんべんだらりと、休んでいた訳ではないのです。
のんべんだらりとどころか、毎日やることは山ほどあって、あれもこれもと次々と片付けているつもりでも、いつの間にか時間だけが過ぎてしまい、気が付けばもう翌日の未明何時かになって、間もなく蝉が鳴きだす。これが毎日続いて、思うことは時間の経つのは早いなあ、一日って短いなあ。眠りに入るころには「時よとまれ!
」と呪文を唱えたくなっている。もう、以前から書きたいと思っていたこともあったのにイ、と思いつつ深い眠りへと落ちていく。
その一つは、先月末にあった『チャングムの誓い』の宣伝用写真の撮影のこと。
撮影初日のトップが僕、カン・ドツクの撮影だった。
段取りなど知らずに、目黒にある撮影スタジオに入って驚いた。日本人スタッフに加えて、韓国語を話す数名のスタッフと通訳がいたのだ。
先に合わせておいたカツラを付けたところで、韓国人スタッフから「これは整いすぎている。カン・ドックは庶民だからもっとくずした感じにして」と意見が出て、韓国で使ったという、「簡易カツラ」と呼ぶべきか、日本のカツラとはまったく違ったカツラを使うことになった。
この韓国人スタッフは、『チャングムの誓い』のテレビドラマ収録から今年の韓国でのミュージカル公演まで参加していたスタッフで、僕のサイズに合わせて韓国で仕立てた衣裳と履物まで用意していた。
この大掛かりな制作態勢から、この作品に対するプロデューサーの並々ならぬ意気込みを感じて、僕も奮い立った。
顔の地塗りをして、カツラを付け、細かなメーキャップをした上で鼻ヒゲとあごヒゲを付けると、16世紀朝鮮王朝時代にタイムスリップした僕がいた。韓国側スタッフも指で輪を作って「庶民のカン・ドックになりました!
」と喜んでくれた。
韓服の衣裳を付けると、紛れもないチャングムの育ての親、カン・ドックの姿。「これはカン・ドック、スニムダ !
」と歓声を上げながらカメラの前に立った。
その写真が仕上がって、先日、事務所スタッフがチェックをし「中々良い感じのカン・ドック具合でした」との報告をもらった。
現在の仮チラシに加えて、その写真を入れた本チラシが出来上がるのを僕も首を長くして待っている。
お盆の帰省は、高速道路情報を入手して、交通量が一番少なくなる時間帯を選んで往復した。
80キロの速度制限もあって行きは普段の1.5倍の時間がかかったものの、しばらくストップ状態になる渋滞にはあわず、帰りはほぼ普段通りの所要時間で帰宅できた。真夜中や早朝の走行は、翌日仕事がある人には勧められないし、それに備えて十分に体を休めておく必要がある。
一日置きに温泉の露天風呂に入り、14日にはお風呂帰りの田圃道で山形の花火を楽しんだ。そうそう、買ったばかりのデジタル一眼レフで2回目の花火撮影。三脚とリモコンケーブルも用意してあったので、前回よりは良い出来になった。
一昨日、夜遅く帰宅してエレベーターをおりたら、足元に蝉が一匹あおむけになっている。確かめようと手に取ると、ジィと一声小さく鳴いて指にしがみついてきた。昼の暑さでのどが乾いているのだろう。僕は急いで家に入ると指に水をつけて口元を湿らせてやり、急ぎベランダのシダに水やりをして、その葉に蝉をつかまらせた。
昨日の朝、鉢たちに水をやりにベランダに出てシダの鉢を見たが、そこに前夜の蝉の姿は見えなかった。
近くの緑道公園から、朝の蝉時雨が響いていた。あの蝉も、その仲間に加わって、我が世の夏を歌っているのだろう。きっと。
輝 ☆彡 07.8.23
山形 monsieur Sato
ムッシュ・サトウ
そんなわけで、今年も山形へ帰る機会が多くなった夏。
でも、正月お盆の帰省と違い、友達に会ったり、ドライブを楽しむ余裕を持てないのがザンネンだ。
その中で一番の救いは、おいしい食事に出会えること。
どんなに余裕がなくても、食事だけはしないと体が持たなくなるし、心の安らぐ大事な時間だから、おいしい食堂やレストランをさがす。
山形市にある「フランス風料理 monsieur Sato (ムッシュ・サトウ)」へ。
「この時間なら間に合いそう」と、急遽予約して2度目のランチ。
千歳山など緑濃い小高い山々が間近に見える山形県庁近くのあこや町。
表通りから少し入っているので、初めての人には分りにくい場所だが、その靜かな住宅街の中に、白い瀟洒なレストランmonsieur
Satoはある。
数段の階段を上がり、鉢植えの花咲く玄関から案内されて、小部屋へのストローク。もう、料理への期待で鼻も舌もワクワクしている。
テーブルには、自宅の庭で育てていると言う僕の大好きな真紅のバラ。奇麗に咲かせるのが難しいバラを、ここまで丁寧に育てている・・・。
料理を作り客をもてなす細やかな気配りと花作りの心が重なって見える。
「・・・・うーん、・・・うまい・・・・! 」
じわぁっと、深く、奥行きのあるコクのある味わい、それでいてしつこくない上品な味が、舌の上でハーモニーを響かせる。言葉にならない幸福感で心が満たされる。
白身魚三種。
このところ山形県内には食材を生かした個性的な店が増えて、帰省の楽しみの一つになっているが、食材を生かした上に手間ひまかけた上品で深い味わいを作りだしているmonsieur
Satoの工夫には感動を通り越して脱帽する。
とろーりっと甘く上品なカボチャスープに続いて、今日は良い米沢牛が入ったからと、米沢牛ヒレステーキ! 食べる前からこんな顔に。
柔らかな味と歯触りは、んっもう絶品 ! !
このハイレベルな味は、素材の良さとレシピだけでは出せない、まさにシェフの感性が作りだした味と言える。シェフの感性が光っている。これこそが、本当に個性的なおいしさだ。
混むほどには流行ってほしくないが、一番のお勧めレストランだ。
真ん中に山形特産のサクランボ、それも珍しい黄色いサクランボをアレンジしたデザート。フルーツ王国山形ならではの爽やかな甘みが口中にひろがる。
「monsieur Sato夫妻に拉致される佐藤 輝」に見えるが、夫妻の料理ともてなしに感謝感激、満足顔での記念写真。
ごちそうさまでした! !
フランス風料理 monsieur Sato
(ムッシュ・サトウ)
山形市あこや町3-16-30 023-642-7995 月曜定休 要予約
輝 ☆彡 07.8.4
8月、梅雨明け、花火大会
おう、さぶぅ〜っ、と身を縮めさせる程にいい加減無責任な首相と政府の影響でもあるまいが、蒸し暑さを感じても、爽快さを感じられずにいた今年の夏。
参議院選挙結果は、首相や政府が思っているほど国民がアホではないことを証明した。そして結果への対応は、国民が思っていた以上にあの連中がアホだということを証明しているように思える。
国政を、中学か高校の生徒会執行部レベルで考えている幼稚さにはあきれてしまう。狭い執行部室にたむろして仲間うちだけで盛り上がっていたオタク集団のイメージに重なって見える。しかし、今の国政トップには名誉欲と金銭欲だけが見えて、知性のかけらも教養のかけらも見えないが、生徒会の執行部には知性を求め教養を求める人たちが多くいた。
8月1日になって、ようやく東北地方まで梅雨が明けた。
東北地方の夏祭りシーズンの幕開け、青森各地のねぶた祭りの準備がテレビに大写しのニュース。元気なはねとの「ラッセラ、ラッセラ」の掛け声が響く日も近い。秋田の竿灯、山形の花笠祭り、仙台の七夕祭りと続く東北の夏。お盆の帰省客を迎えて故郷は元気づく。
30年前は、忘れたころにしょぼ〜んと小さな花火が上がる程度の、地元商店会主催の花火大会だったのが、今では新聞の首都圏近郊花火大会の案内にも載るほど大きくなって、近くの荒川河川敷で今夜開催された。
東向きの我が家の玄関前に折りたたみのテーブルと椅子を出して、フライドチキンとのり巻き、いなりずしをつまみながらビールを飲む花火見物は気楽で、気分最高。先週、買ったばかりの一眼レフカメラで、花火撮影のテストも楽しんだ。
輝 ☆彡 07.8.1
大暑過ぎ、蝉、虫の声、期日前投票
23日の大暑を過ぎても関東地方はまだ梅雨が明けないが、一昨日24日の快晴以来30℃を越える日が続いている。今日も朝から蒸し暑い!
日中は近くの桜並木の緑道から蝉の鳴き声が、夜には鳴き始めたばかりの虫の音が夜風にのって涼しげに聞こえて来る季節になった。
工事用足場がようやく撤去されて、視界がすっきりとしたベランダで夜風にあたる気持ち良さは何とも言えない。
都合があって参議院選挙投票日の29日に行けないので、先日、期日前投票をしてきた。
区役所にある投票所に行って驚いたのは、投票日当日かと思えるほど、次から次と投票する人が続いていることだった。
通常の投票日と違うところは、当日投票できない理由に○印をつけるだけの簡単な宣誓書を書いて提出すること。他は、投票用紙の受取りも、記入する台も、投票箱、立会人まで、通常の投票日と全く同じだ。
国民が求めていないのに政治家個人の好みや主張だけを大上段に強引に国民に押し付ける人や党よりも、国民みんなが安心して生活できて将来に希望を持てる社会を考えてくれる人と党に投票した。
民主主義では、政治に対して日常の生活でいくら不平不満を口にしていても力にならないばかりか、選挙で自分の判断ではっきりとノーならノーと意思を示さないかぎりは、権力者が進めている現状を積極的に支持しているのと同じことになる。
すでに僕が投票したあの候補者の状況はどうなっているか、あの政党はどうなるのか、新聞やテレビの選挙予測を真剣に見ている今日この頃である。
輝 ☆彡 07.7.26
台風去って・・・
雨にたたられ続けた南九州が、昨日18日に梅雨明けしたと聞いて、僕も喜んだ。
住んでいる人たちは、どんなにかほっとしたことだろう。
毎年、何度も台風の直撃を受ける九州、四国地方などに住む人たちには、他の地方の人たちとは違う、それによって先祖代々作られた気質の特徴があるだろうなあなどと考えているところに超大型台風4号だった。
その台風4号が関東地方の東の沖へ去った16日早朝、東京を発って東北自動車道経由で山形へ。
先月から、これで4回目の山形行。
丁度1年前から数えたら11回目となり、それだけで10000キロ以上走っている計算だ。(去年のことは
エッセーをお読み下さい)
僕は運転が結構好きなので、長距離走行も長時間運転も苦にならない。スペインやギリシャの初めての道でも、地図を頼りに楽しく走った。
外国ではそんな感じを持たないのだが、日本の自動車道を走っていると、とてもいらつくことがある。
まず、走行車線と追い越し車線の違いがわかっていていないドライバーが多いこと。
走行車線を制限速度100キロで走っている車と仲良く、追い越し車線をずうっと並走して走る車がいる。その車を先頭にして、追い越したくても追い越せないでイライラしている車のじゅづつなぎになる。
そうしたマイペースのドライバーは、バックミラーで後続車をチェックすることもないから、自分の後ろにイライラしている車が続いているなどと想像もつかない。
そんな時、東名自動車道では、先行車に「追い越して先に行きたい」という意思を伝えるために、右ウィンカーを点滅させる。これだと「道を空けろ
! 」と言わんばかりの強烈なパッシングよりはやわらかい意思表示だ。
内気でコミュニケーション下手の地域性などがこんなところにも表れるのか、東北自動車道ではこの「右ウィンカー点滅」を見たことがない。僕はこの「右ウィンカー点滅」を東北自動車道に広めたいと思って実行し始めている。
他の車を巻き込んだ事故を起こさないポイントは、運転者(車)同士の意思の疎通・コミュニケーション。車線を変更する時には必ずウィンカーを点滅させるなど、回りの車に意思を伝える。お互いにちゃんと意思を通わせ合えば、そうそう事故は起きないと思う。(飲酒運転やわき見運転、居眠り運転はもってのほかの論外
! ! )
追い越し車線渋滞の先頭になっている車を、走行車線を走って追い抜くことも多い。そんな時にその車の運転者をちらっと横目で見てみると、悠々自適の暮らしをしているリタイア後の中高年者か、助手席の子供に景色を説明しながら運転している若いママが多いように思われる。マイペースで走りたいのなら走行車線を
! 走行車線でどんなにマイペースで走ろうとも迷惑にならないし、誰も文句を言わない。
馬車の文化が長くあって自動車交通が発達した欧米と、馬車文化がなくて自動車に乗るようになった日本との歴史の違いが、自動車道路行政とドライバーの意識の違いに表れているのだろう。
輝 ☆彡 07.7.19
☆に願いを
一向に梅雨らしい雨が降らなかった関東地方も、このところは小雨が降ったり止んだりの湿ってうっとうしい曇り空が多い。
今日の東京は「所によっては小雨」の予報で、どんよりと曇り空。でも蒸し暑さがない分すごしやすく、霧が降る高原にいるような気分だ。
この空模様では、織姫と彦星の出会いを見るのは無理だが、願いだけは聞き届けてほしいと、短冊を書く準備をしている。でも、その短冊を吊るす竹が、まだ用意されていない。
去年の七夕の様子は、
新聞エッセーに“今年の七夕飾りには2年先の「08年4月のラ・マンチャの男公演が成功しますように
! 」と「来年、スペイン旅行が楽しくできますように」「スペイン語がうまくなりますように ! 」が加わった。2年後の帝劇、450回目のサンチョを目標にスタートした7月。 空蝉の地下牢走るサンチョかな 輝 ”と書いた。
その、毎年短冊を吊るしているベランダの竹林が、改修工事で3月末に地上へ降ろしたまま、プランターが大きく重いこともあって後回しになり、まだベランダにもどっていない。
さあて、今日が良い機会。台車を用意して竹林の引っ越し作業にかかろう。
昨夜、これも残っていた大きな椿「バーバラクラーク」を運び上げた時には、5カ所も蚊に喰われた。14階に蚊は来ないから、このあたりにはいないものと安心していたが、地上にはいっぱいいるのがわかった。先ずはかゆみ止めを買ってこよう。
今年の短冊には「日本初演『チャングムの誓い』のカン・ドックがうまくできますように ! 」と「初めての韓国旅行が楽しくできますように
! 」が新しく加わることになる。
輝 ☆彡 07.7.7
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