俳優・佐藤 輝-15
 
あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 15
2007年7月〜9月
 
 

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2007年7月〜9月



龍野の城に三七子句碑 

 23日、そうめん「揖保(いぼ)の糸」や「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の作詩者・三木露風の出身地として知られる兵庫県たつの市の龍野城公園で、一昨年亡くなった俳人・加藤三七子さんの句碑除幕式があり参列した。



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市龍野城公園 稼働三七子句碑除幕式
『ラ・マンチャの男』を歌う佐藤 輝。



 句碑が素晴らしい。建った場所もステキなロケーションだ。この句碑も龍野の新名所になるに違いない。
 どっしりと重みのある句碑は、既にこの土地に根を生やしているように落ち着いている。が、石の冷たさはなく、とても親しみとぬくもりを感じさせる形と色だ。童女のように気さくだった三七子さんのお人柄にぴったりで、見ていると三七子さんの生前のお姿がダブって見えてくる、素晴らしい句碑。
 碑文は、三七子さんが色紙に書いた

 朧銀の 水のめぐりて 初ざくら 三七子 

を写したやわらかで美しい文字が刻まれている。
 参列者が代わる代わる句碑をなでている。訪れた人が、自然になでたくなるほど親しみを感じさせる句碑は三七子さんにふさわしい。

 龍野城の門(埋門 うずめもん)をくぐって左の広くゆるやかな石の階段を登りきった左に、「県立龍野高等女学校跡地」の石碑が建っている。ここは三七子さんが青春時代に学び、感性をはぐくんだ学校の跡地。女学校時代に恩師から短歌を学び、和泉式部の恋の歌に目覚めたと聞く。句碑建立の場所として、これ以上のうってつけの場所はない。句碑が既にこの土地に根を生やしているように落ち着いて見える理由がわかった。

 高等女学校跡地の石碑と句碑のすぐ奥には枝垂れ桜があり、二つの碑を抱きかかえるように枝を広げている。白い城門と白壁を背景に、美しい花が咲くという。
 初ざくらの頃に、三七子さんに会いに、この句碑を訪ねたいと思った。
 三七子さんが亡くなったのは一昨年4月5日。この城の広場が桜満開の頃。
 毎年、4月5日にはこの句碑の前で、桜の花の下で「三七子・桜忌」の集いと句会が開かれる。そんなことも夢ではないように思う。



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市龍野城公園 加藤三七子句碑除幕式
左から佐藤 輝、三木豊晴さん、西田正則たつの市長、多田周子さん、米澤千恵子さん、山田弘子さん。



 除幕式には西田正則たつの市長はじめ、三七子さんの長女・米澤千恵子さん、三木露風子息の三木豊晴さん、日本伝統俳句協会理事で円虹主宰の山田弘子さん、関東から駆けつけた人も含めて三七子さんが主宰した黄鐘の門弟が80名など、150名近い参列者があり、全員で「おかえりー 三七ちゃーん !」の掛け声と共に紅白の綱を引いて除幕した。



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市龍野城公園 加藤三七子句碑除幕式
句碑除幕の瞬間。喜びの瞬間。中央奥に佐藤 輝の笑顔。



 三七子さんの後輩で、昨年兵庫国体閉会式で「赤とんぼ」を独唱した声楽家の多田周子さんが、「赤とんぼ」「揖保川」「ふるさとの」の3曲を艶のある伸びやかなソプラノで歌い、句碑に詩の魂を吹き込んだ。

 続いて僕が、三七子さんがご存命ならば来年4月の帝劇でも聞いてもらいたかった『ラ・マンチャの男』のドン・キホーテとサンチョの歌を一人で歌い、NHK「俳句王国」ゲスト出演がきっかけて三七子さんが他の出演者に呼びかけて作って下さった僕のファンクラブ「サンチョの会」の楽しかったエピソードを披露した。

 数ある俳優の中で、俳人にファンクラブを作ってもらったのは僕一人ぐらいなものだろう。他に、そんな話は聞いたことがない。
 スピーチの最中に、「赤とんぼ」の歌に誘われたかのように会場を飛んでいる赤とんぼを見たので、最後に即興で詠んだ俳句をお祝いの献句とした。

 色めきて三七子の句碑の赤とんぼ  輝  



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市龍野城公園 加藤三七子句碑除幕式
この参列者の中には、三七子さんと一緒に『ラ・マンチャの男』や『天国から来たチャンピオン』を観劇して下さった『黄鐘』同人も。式後に佐藤 輝と久しぶりの再会を喜んだ。



 この句碑の建立は、三七子さんとかかわりのあった龍野高等女学校同期生と先輩有志数名が志したものの中々実現せず挫折しそうだったのを、そのメンバーの中の一人の息子さんが母親の頼みを受けて発奮、各方面に働き掛けて実現にこぎつけたものだと知りました。
 その人はこの盛大な除幕式をプロデュースし、段取り良く司会進行を務めた「加藤三七子先生の句碑建立を実現する会」代表代行の土山信人さん。本職は地方自治体の公務員研修で指導などをしているアビリーフ総合研究所所長。土山さんの行動力が、たつの市に新しい名所を誕生させたことになる。

 三木露風の「赤とんぼ」に歌われた叙情に魅力を感じて、いつかは龍野を訪ねたいと思いながらも果たせずにいたが、三七子さんのご縁で初めて播州・龍野に向かった。
 夕焼けは見られないにしても龍野の夕暮れをゆっくりと味わいたいと思い、前日に龍野に入った。

 町の真ん中を北から南に清流揖保川が流れ、アユ釣りの釣り人が長い釣り竿をあやつって流れに立っている姿は詩情あふれる一幅の絵。
 その川の西岸に、三方を山に囲まれて城下町龍野が広がる。



俳優佐藤輝 三木露風の赤とんほ 兵庫県たつの市
龍龍野の町のいたる所に城下町の風情が残る。



 泊りはその南端の山の上に建つ国民宿舎「赤とんぼ荘」。
 その「赤とんぼ荘」からの眺めが実に素晴らしく、爽快。



俳優佐藤輝 撮影 兵庫県たつの市 赤とんぼ荘から市街を見る



 北の山の麓には、石垣の上にくっきりと白壁も鮮やかな角櫓から白塀が続き、その中に御殿の広い屋根が見える龍野城。
 大きな瓦屋根の寺院をいくつも配した城下町は、播州の小京都とも呼ばれ、静寂の中に歴史と文化をぎゅぅっと凝縮し、揖保川を渡った東側には伝統あるうすくち醤油の大きな赤煉瓦の工場とJR本龍野駅に至る新市街。



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市 揖保川の流れ



 揖保川の流れに沿って南に目を転ずれば、何と、はるか先には青く広がる瀬戸内海が小島を浮かべている。



俳優佐藤輝 兵庫県たつの市 赤とんぼ荘 揖保川



 龍野は、僕が夢見いてたとおりの、美しく変化に富んだ自然と歴史ある文化に支えられた、詩情ゆたかな素敵な町だ。文化を育む人たちが生まれる町だ。

 存在感あふれる立派な句碑に見合った、盛大で趣のある除幕式に参列できたことを喜び、心ゆたかな気持ちになって龍野を後にした。三七子さんとのご縁あればこそいただけた幸福感だ。

                  輝 ☆彡 07.9.27

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俳人・加藤三七子さんと「サンチョの会」 

 僕には「サンチョの会」というファンクラブがある。いや、あった。
 その会ができたきっかけは、俳人・加藤三七子さんの提案。

 加藤三七子さんは、1999年5月、僕がNHKテレビ『俳句王国』に初めてゲスト出演した時の番組の主宰。その時、2回分の放送と収録で四国・松山局へ全国から集まった俳人の皆さんに「佐藤さんのファンクラブをつくりましようよ。ファンクラブが出来ると役者さんは、のびるんですよ」と提案された。

 加藤さんに指名されて、ファンクラブの事務局補佐になった、当時の『俳句王国』司会アナウンサー八木健さんが、その時の詳細を「八木健の俳句三昧 サンチョの会」に書いてくださった。引用させていただく。

「来た甲斐がありました」と涙をいっぱい溜めて感想を述べあう俳人たち。男性四人、女性五人、ひとりを除いて、いずれも中年から初老にかけての俳人である。大阪の劇場「飛天」(旧梅田コマ)のロビー。ミュージカル『ラ・マンチャの男』を見終わったところ。ドン・キホーテは作者セルバンテスの自画像という確信のもとに創作された『ラ・マンチャの男』は、松本幸四郎の主演で三十年間も演じつづけられているロングランのミュージカル。サンチョ役の佐藤輝さんは四年前からこのミュージカルに加わっているが嵌まり役との評判が高い。今年五月二十二日と二十九日の俳句王国にゲスト出演なさった。番組の句会でご一緒した俳人たちがファンクラブ『サンチョの会』を作った。きっかけは、その時の主宰・加藤三七子さんが「佐藤さんのファンクラブをつくりましようよ。ファンクラブが出来ると役者さんは、のびるんですよ」のひと言。俳句王国は放送前日の午後四時半から打合わせリハーサル。夜は懇親会。放送が終了(またはビデオ録り)すれば、ハイさようならと短時間のおつきあいだが、酒を酌み交わし、俳論を戦わせもするからひと晩で急速に親しい関係が生まれる。佐藤さんの飾らぬお人柄は、番組にご出演のみなさんの心を捉えていた。だから加藤三七子さんの提案にふたつ返事でファンクラブが誕生した。そして早速、大阪での公演にかけつけようということになった。切符の手配、宿泊ホテルの予約、句会場の予約など準備も結構大変なのだが、それぞれに手分けして準備。八月二十二日のヒルの部の公演を観た。北は仙台、南は鹿児島からあわせて九人がかけつけた。
―― 中略 ―― 



ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 1999年大阪・劇場飛天公演チラシ
「サンチョの会」が観劇した1999年8月『ラ・マンチャの男』劇場「飛天」公演のチラシ。



その夜、夕食を挟んで二度の句会。句会には佐藤輝さんとマネージャーの天童真理子さんも参加した。興奮冷めやらぬ俳人たちは当然『ラ・マンチャの男』も句材とした。いくつかの句を書きとめてある。
 ★新涼の幸四郎の掌やはらかし/輝 
 ★空蝉の地下牢走るサンチョかな/輝 
 ★ラ・マンチャの大地花野となる落暉/輝 
 ★百合の香に楽屋の廊下静かなり/輝 
 ★銀輪のすぎて波打つ曼珠沙華/真理子 
 ★飛鳥路の炎となりし曼珠沙華/真理子 
 ★アルドンサ手紙を胸に秋深し/三七子 
 ★ラ・マンチャの男歌へりさはやかに/三七子 
 ★ドン・キホーテ、サンチョパンサと人の秋/三七子 
 ★玉の汗とばしてサンチョ高笑ひ/悦子 
 ★舞台見て街の秋天仰ぎけり/芽里 
 ★胸に棲むラ・マンチャの男秋澄めり/真規子 
 ★観劇の興奮覚めず夜の秋/抱朴子 
 ★秋風や髭たくはへしサンチョゐて/春生 
 ★夕端居旅のこころとなりにけり/美愛子 
 ★総身に水吸いあげて秋の蝶/沙悟浄 
 ★涼風を連れてアントニアあらはるる/智子 
 ★ドン・キホーテ汗のサンチョの肩を抱く/健 などの句が出た。俳人たちの何人かは東京公演も観るつもりらしい。「もう一度、泣きたいんです」と。俳人は年齢の割には純情である。 



俳優佐藤輝 俳句王国 『ラ・マンチャの男』サンチョの会句会
会食した新阪急ホテル・グランド白楽天のメニューに書かれた句会参加者の記念サイン。
加藤三七子会長が「秋の夜のサンチョと酌める紹興酒」の俳句を書いてくださった。



 八木さんの文章は実に的確に状況を描写していて、読んでいて嬉しくなる。

 当日、観劇されて句会に参加されたのは、会長の加藤三七子さん、事務局長・須賀悦子さん(西宮市)、事務局補佐・八木健さん(愛媛県砥部町)、浅沼眞規子さん(仙台市)、西美愛子さん (熊本市)、渡部抱朴子さん(東予市)、山田春生さん(保谷市)、岩田沙悟浄さん(奈良市)、徳永芽里さん(相模原市)、八木アナウンサーとともに番組を司会した平野智子さん(総社市)。そしてマネージャーの天童と僕が、句会と会食に加わった。

 大阪の晴れた夕景を眺めながら、会長の加藤三七子さんのお人柄と、八木アナウンサー進行のうまさで大いに盛り上がり、忘れられない楽しい句会と会食になった。皆さんが身銭を切ってわざわざ大阪に集まって下さったことを思うと、僕は何て幸せな役者なんだろう、言葉にならない感謝の気持ちで涙ぐんだ。
 俳句を愛する人たちの心の熱さを感じた。

 先の言葉通りに、その後の東京での『ラ・マンチャの男』公演にも、加藤三七子さんはじめ「サンチョの会」の俳人の皆さんが集まり、観劇、句会を開かれた。
 その後、皆さんが高齢になったこともあってか、会としての動きは休止状態になってしまったが、今も公演のたびに来てくださるメンバーもいる。
 ファンクラブができたお陰で僕が俳優としてのびたかどうかはわからないが、無事に俳優業を続けられている。僕のただ一つのファンクラブ「サンチョの会」は、加藤三七子会長の思い出とともに、僕の心の支えになっている。
 その加藤三七子さんは一昨年79歳でなくなられて、主宰されていた俳誌「黄鐘(おうじき)」も届かなくなっていた。

 思いがけず、先日10日に加藤三七子さんの句碑除幕式への案内が届いた。
 加藤さんの生まれ故郷、三木露風の「赤とんぼ」の故郷、兵庫県たつの市の龍野城に「朧銀の水のめぐりて初ざくら」の碑が建つ。そこは、加藤さんが通った旧制龍野高等女学校の跡地という。あの童女のような加藤さんの感性を育んだ、まさにその地に建つ句碑。女学校の先輩や同期生が中心になって準備を進めてきたその熱意が実を結ぶ。
 加藤三七子さんへの感謝の気持ちと、準備を進めてきた皆さんの熱意に感動して、今月23日午後1時半からの除幕式へ参列させていただくことにした。

                   輝 ☆彡 2007.9.14



俳人・加藤三七子さん句碑除幕式に参列 

俳人・加藤三七子さん句碑除幕式
9月23日(日) 午後1時30分
会場 : 兵庫県たつの市 龍野城公園内 女学校跡地石碑隣
碑文は句集「朧銀(ろうぎん)集」から「朧銀の水のめぐりて初ざくら」

俳人・加藤さんの思い出と加藤さんが佐藤 輝のために作ってくださった
ファンクラブ『サンチョの会』について語ります。

加藤三七子さんは兵庫県龍野町(現たつの市)出身、
俳誌「黄鐘(おうじき)」を主宰。

句集「朧銀(ろうぎん)集」で98年度俳人協会賞。
2005年4月5日死去。79才。

1999年5月22日、佐藤輝が初めてNHK『俳句王国』にゲスト出演した時の主宰。全国から集まった番組出演の俳人の皆さんに呼びかけて佐藤 輝のファンクラブ『サンチョの会』を作り、会長として観劇会、句会を開いてくださいました。


カン・ドック 

 12月に出演する『チャングムの誓い』日生劇場公演のチケット申込みが始まった今日、刷り上がったばかりの新しい宣伝チラシが届いた。

 表はチャングム役の菊川怜さんをはじめ主な出演者の扮装写真、チャングムの世界の人間関係が見える。裏面には解説とあらすじ、顔写真、細かな公演日程が載っている。
 僕も嬉しいが、この舞台公演に期待して待ってくれている皆さんも、イメージが具体化して、きっと喜んで下さるだろうと思う。

 出演が決まった時には公演の12月はまだまだ先だと思っていたが、7月末に宣伝写真を撮り、それがこうした形に仕上がると、急に目前の現実として迫ってくる。
 原作となるテレビドラマは今も毎週金曜日に、NHK-BSで完全版として放送され続けていて人気は高い。チャングムの育ての親カン・ドックも、演じている韓国俳優イム・ヒョンシクさんの演技と共に評判になっている。さあ、僕も日本のカン・ドックになるのだ。

 共演者の皆さん、スタッフの皆さんと共に、テレビドラマとは違う、迫力ある舞台を創って、お客さんに楽しんでいただきたいと、思いを新たにしている。

                    輝 ☆彡 07.9.8

                          ▲ページトップ



サンチョ、故郷に帰る 

 6月13日に書いた“ロシア大使館と『新宿 ラ・マンチャ』”
 ロシア大使館でのパーティーに、ミステリーツアーの感覚で出席し、そこで偶然、久し振りに会った女優の中村まり子さんと旧交をあたためた話を書いた。
 その最後に「この後、意外で面白い発展があるのだが・・・、『新宿 ラ・マンチャ』の話は次回へつづく。」と書いて、その続きは、書かないままになっていた。ので・・・

 パーティーがあったのは5月26日、カラッと晴れあがった暑い日だった。
 2時から始まったパーティーは4時半頃、お開きに。
 会場を出て、昼のアルコールが効いて真っ赤になった顔を、気持ち良く乾いた風に吹かれながら六本木方向に歩き出すと間もなく、知り合いの演劇製作者と一緒に歩いている中村まり子さんに追いついた。
 それから3人で、昔の劇団仲間のことなど話しながらのんびり歩いた。
 途中、まり子さんが「ラ・マンチャの男は、今度いつあるの?」と聞いてきた。「来年4月に」。・・・、僕が『ラ・マンチャの男』に出始めてから12年、彼女と会う機会もなかったからなのだが、作品について話したことはなかった。どちらかと言えば、彼女が『ラ・マンチャの男』に関心を持っていないと思っていたから、それは意外な質問に思えた。
 「新宿に『ラ・マンチャ』っていう名前の店があって、そこのオーナーが、自分でラ・マンチャにも行ったりして、大の『ラ・マンチャの男』ファンなの。」
 今まで何となく僕が持っていた作品のファンのイメージは、舞台かぶり付きやロビー、楽屋口を背景にして存在していたから、新宿で店を開いている、生活感のあるファンに興味を持った。
 別れ際に地下鉄の入り口で、「今度、機会があったらその『ラ・マンチャ』を紹介してね」と頼むと、「今日、行く予定よ」。おっとっとっと・・・、それじゃ、先のことといわずに、今夜連れていってもらおう。

 一度帰宅してから出直し、新宿三丁目交番前で待ち合わせ、新宿『ラ・マンチャ』に向かった。
 昭和43年頃から10年ほどの間は、このあたりで良く飲んだ。そのブロックを対角線に抜けた角の飲食店ビルの螺旋階段を上った2階に『ラ・マンチャ』はあった。
 店の看板にあるロゴから始まって、オーナーの『ラ・マンチャの男』への熱い思いが凝縮したような店内には、スペインの皿や壁掛けが飾られ、『ラ・マンチャの男』のCDが流れ、来年4月の公演チラシも置いてある。驚いたのは昭和44年の『ラ・マンチャの男』日本初演ポスターまでもある ! ホント、『ラ・マンチャの男』一色の店だ。
 まり子さんが僕をマスターに紹介してくれた。マスターの柳沼さんはサンチョの来訪に喜び、すぐにオーナーに連絡してくれた。
 その日、体調を崩していたオーナーの白井さんも、無理をしてわざわざ店に出てきてくれた。
 そのうちに、オーナーだけでなく、マスターも店の常連客も、みんなが『ラ・マンチャの男』を何度も観ている熱烈なファンなのだということがわかった。まり子さんさえもが、実は38年前の日本初演から観ている大ファンなのだと言う。店内は『ラ・マンチャの男』の熱気があふれている。何という素晴らしい雰囲気のお店。『ラ・マンチャの男』の魅力にとりつかれた人たちがかかるラ・マンチャ病患者の溜まり場だ。
 まり子さんが途中入ってきた常連客を紹介してくれたので顔を見ると、今から30数年前、新宿・紀伊国屋ホールで毎年暮に公演した沢竜二主演『夢の渡り鳥シリーズ』(福田善之台本演出)で共演したことのある田村連さん。彼は1983年頃の『ラ・マンチャの男』に、アンセルモ役で出演していたと言う。
 マスターは「目の前に『ラ・マンチャの男』の出演者が二人もいる ! これってスゴイね ! 」と繰り返し喜んでいる。
 まり子さんがカウンターにあった灰皿を指して、マスターに「これ、テルアキちゃんに記念に上げて !」とねだった。その白い灰皿には、ピカソが描いたドン・キホーテとサンチョの絵が焼かれている。お店の雰囲気に合わせた大事なものだからもらえないと断ったが、マスターはもう紙に包んでさらに袋に入れ、目の前のカウンターに置いてくれた。恐縮しながらもいただくことにした。
 『ラ・マンチャの男』の代々の出演者や、稽古場、劇場でのエピソードなどに話の花が咲き、僕も初めて入った店とは思えない気楽さで水割りを重ねた。そして、気持ち良く酔った。
 この感覚、どこかで経験したぞと思い出したのは、サンチョの役作りで訪ねたスペイン、ラ・マンチャ地方。ドン・キホーテが巨人と見て戦いを挑んだ風車があるカンポ・デ・クリプターナの村のバル(BAR )『サンチョ』で、それまでにも会ったことのある村人たちが、僕を「ハポンのサンチョ」の里帰りとして歓迎してくれた時の気持ち良さに似ていた。何度も乾杯をして、あの時も、古くからの親しい親類や友人が集まった宴会のように思えた。
 まり子さんの公演の感想や、常連客の一人がイギリスに留学した時の話など、話題は尽きない。
 気が付くと地下鉄の終電が近い。僕はあわてて皆さんへの挨拶もそこそこに店を飛び出し、新宿三丁目まで走った。

 終電1本前の電車に間に合って椅子に落ちついた途端、いただいた灰皿をカウンターに忘れてきたことに気が付いた !
 何という思いがけないことが次々と起こった1日だったのか。まだ、ミステリーツアーの中にいるような、現実感の無い不思議な気持ちで家へ向かった。

 思いがけないことが次々とおこった今年。
 灰皿を忘れて来た後も色々とあって、8月になってからようやく新宿の『ラ・マンチャ』に行くことができた。

 灰皿は今、たばこを吸わない我が家のテーブルに置いてある。僕は毎朝、そのそばでサンチョの歌の練習をしている。

                    輝 07.9.3



夏休み
 
 気がついたら、このページの本文更新が3週間ぶりになっていた。
 これでは、ひょっとしたら毎日遊びに来てくれていたかも知れないゲストのみなさんに、落胆の日々を過させてしまっていたのではないだろうかと今ごろになって心配している。



俳優佐藤輝 撮影 山形市の花火大会



 ながい夏休みをとってしまい、すみませんでした ! とは言っても、のんべんだらりと、休んでいた訳ではないのです。

 のんべんだらりとどころか、毎日やることは山ほどあって、あれもこれもと次々と片付けているつもりでも、いつの間にか時間だけが過ぎてしまい、気が付けばもう翌日の未明何時かになって、間もなく蝉が鳴きだす。これが毎日続いて、思うことは時間の経つのは早いなあ、一日って短いなあ。眠りに入るころには「時よとまれ! 」と呪文を唱えたくなっている。もう、以前から書きたいと思っていたこともあったのにイ、と思いつつ深い眠りへと落ちていく。
 
 その一つは、先月末にあった『チャングムの誓い』の宣伝用写真の撮影のこと。
 撮影初日のトップが僕、カン・ドツクの撮影だった。
 段取りなど知らずに、目黒にある撮影スタジオに入って驚いた。日本人スタッフに加えて、韓国語を話す数名のスタッフと通訳がいたのだ。
 先に合わせておいたカツラを付けたところで、韓国人スタッフから「これは整いすぎている。カン・ドックは庶民だからもっとくずした感じにして」と意見が出て、韓国で使ったという、「簡易カツラ」と呼ぶべきか、日本のカツラとはまったく違ったカツラを使うことになった。
 この韓国人スタッフは、『チャングムの誓い』のテレビドラマ収録から今年の韓国でのミュージカル公演まで参加していたスタッフで、僕のサイズに合わせて韓国で仕立てた衣裳と履物まで用意していた。
 この大掛かりな制作態勢から、この作品に対するプロデューサーの並々ならぬ意気込みを感じて、僕も奮い立った。
 顔の地塗りをして、カツラを付け、細かなメーキャップをした上で鼻ヒゲとあごヒゲを付けると、16世紀朝鮮王朝時代にタイムスリップした僕がいた。韓国側スタッフも指で輪を作って「庶民のカン・ドックになりました! 」と喜んでくれた。
 韓服の衣裳を付けると、紛れもないチャングムの育ての親、カン・ドックの姿。「これはカン・ドック、スニムダ ! 」と歓声を上げながらカメラの前に立った。
 その写真が仕上がって、先日、事務所スタッフがチェックをし「中々良い感じのカン・ドック具合でした」との報告をもらった。
 現在の仮チラシに加えて、その写真を入れた本チラシが出来上がるのを僕も首を長くして待っている。

 お盆の帰省は、高速道路情報を入手して、交通量が一番少なくなる時間帯を選んで往復した。
 80キロの速度制限もあって行きは普段の1.5倍の時間がかかったものの、しばらくストップ状態になる渋滞にはあわず、帰りはほぼ普段通りの所要時間で帰宅できた。真夜中や早朝の走行は、翌日仕事がある人には勧められないし、それに備えて十分に体を休めておく必要がある。

 一日置きに温泉の露天風呂に入り、14日にはお風呂帰りの田圃道で山形の花火を楽しんだ。そうそう、買ったばかりのデジタル一眼レフで2回目の花火撮影。三脚とリモコンケーブルも用意してあったので、前回よりは良い出来になった。



俳優佐藤輝 撮影 山形市花火大会



 一昨日、夜遅く帰宅してエレベーターをおりたら、足元に蝉が一匹あおむけになっている。確かめようと手に取ると、ジィと一声小さく鳴いて指にしがみついてきた。昼の暑さでのどが乾いているのだろう。僕は急いで家に入ると指に水をつけて口元を湿らせてやり、急ぎベランダのシダに水やりをして、その葉に蝉をつかまらせた。
 昨日の朝、鉢たちに水をやりにベランダに出てシダの鉢を見たが、そこに前夜の蝉の姿は見えなかった。
 近くの緑道公園から、朝の蝉時雨が響いていた。あの蝉も、その仲間に加わって、我が世の夏を歌っているのだろう。きっと。

                  輝 ☆彡 07.8.23

                          ▲ページトップ



山形 monsieur Sato ムッシュ・サトウ 

 そんなわけで、今年も山形へ帰る機会が多くなった夏。
 でも、正月お盆の帰省と違い、友達に会ったり、ドライブを楽しむ余裕を持てないのがザンネンだ。
 その中で一番の救いは、おいしい食事に出会えること。
 どんなに余裕がなくても、食事だけはしないと体が持たなくなるし、心の安らぐ大事な時間だから、おいしい食堂やレストランをさがす。

 山形市にある「フランス風料理 monsieur Sato (ムッシュ・サトウ)」へ。
 「この時間なら間に合いそう」と、急遽予約して2度目のランチ。

 千歳山など緑濃い小高い山々が間近に見える山形県庁近くのあこや町。
 表通りから少し入っているので、初めての人には分りにくい場所だが、その靜かな住宅街の中に、白い瀟洒なレストランmonsieur Satoはある。
 数段の階段を上がり、鉢植えの花咲く玄関から案内されて、小部屋へのストローク。もう、料理への期待で鼻も舌もワクワクしている。
 テーブルには、自宅の庭で育てていると言う僕の大好きな真紅のバラ。奇麗に咲かせるのが難しいバラを、ここまで丁寧に育てている・・・。
 料理を作り客をもてなす細やかな気配りと花作りの心が重なって見える。



俳優佐藤輝 撮影 山形市 ムッシュ・サトウ


 「・・・・うーん、・・・うまい・・・・! 」
 じわぁっと、深く、奥行きのあるコクのある味わい、それでいてしつこくない上品な味が、舌の上でハーモニーを響かせる。言葉にならない幸福感で心が満たされる。



俳優佐藤輝 撮影 山形市 ムッシュ・サトウ
白身魚三種。



 このところ山形県内には食材を生かした個性的な店が増えて、帰省の楽しみの一つになっているが、食材を生かした上に手間ひまかけた上品で深い味わいを作りだしているmonsieur Satoの工夫には感動を通り越して脱帽する。




俳優佐藤輝 山形市 ムッシュ・サトウ
とろーりっと甘く上品なカボチャスープに続いて、今日は良い米沢牛が入ったからと、米沢牛ヒレステーキ!  食べる前からこんな顔に。



 柔らかな味と歯触りは、んっもう絶品 ! !

 このハイレベルな味は、素材の良さとレシピだけでは出せない、まさにシェフの感性が作りだした味と言える。シェフの感性が光っている。これこそが、本当に個性的なおいしさだ。
 混むほどには流行ってほしくないが、一番のお勧めレストランだ。



俳優佐藤輝 山形市ムッシュ・サトウ
真ん中に山形特産のサクランボ、それも珍しい黄色いサクランボをアレンジしたデザート。フルーツ王国山形ならではの爽やかな甘みが口中にひろがる。



俳優佐藤輝 山形市ムッシュ・サトウ 佐藤佐一さん
「monsieur Sato夫妻に拉致される佐藤 輝」に見えるが、夫妻の料理ともてなしに感謝感激、満足顔での記念写真。
ごちそうさまでした! !

    フランス風料理 monsieur Sato (ムッシュ・サトウ)
    山形市あこや町3-16-30 023-642-7995 月曜定休 要予約

                  輝 ☆彡 07.8.4

                          ▲ページトップ



8月、梅雨明け、花火大会 

 おう、さぶぅ〜っ、と身を縮めさせる程にいい加減無責任な首相と政府の影響でもあるまいが、蒸し暑さを感じても、爽快さを感じられずにいた今年の夏。
 参議院選挙結果は、首相や政府が思っているほど国民がアホではないことを証明した。そして結果への対応は、国民が思っていた以上にあの連中がアホだということを証明しているように思える。
 国政を、中学か高校の生徒会執行部レベルで考えている幼稚さにはあきれてしまう。狭い執行部室にたむろして仲間うちだけで盛り上がっていたオタク集団のイメージに重なって見える。しかし、今の国政トップには名誉欲と金銭欲だけが見えて、知性のかけらも教養のかけらも見えないが、生徒会の執行部には知性を求め教養を求める人たちが多くいた。

 8月1日になって、ようやく東北地方まで梅雨が明けた。
 東北地方の夏祭りシーズンの幕開け、青森各地のねぶた祭りの準備がテレビに大写しのニュース。元気なはねとの「ラッセラ、ラッセラ」の掛け声が響く日も近い。秋田の竿灯、山形の花笠祭り、仙台の七夕祭りと続く東北の夏。お盆の帰省客を迎えて故郷は元気づく。

 30年前は、忘れたころにしょぼ〜んと小さな花火が上がる程度の、地元商店会主催の花火大会だったのが、今では新聞の首都圏近郊花火大会の案内にも載るほど大きくなって、近くの荒川河川敷で今夜開催された。



俳優佐藤輝 撮影 花火大会



 東向きの我が家の玄関前に折りたたみのテーブルと椅子を出して、フライドチキンとのり巻き、いなりずしをつまみながらビールを飲む花火見物は気楽で、気分最高。先週、買ったばかりの一眼レフカメラで、花火撮影のテストも楽しんだ。

                  輝 ☆彡 07.8.1



大暑過ぎ、蝉、虫の声、期日前投票 

 23日の大暑を過ぎても関東地方はまだ梅雨が明けないが、一昨日24日の快晴以来30℃を越える日が続いている。今日も朝から蒸し暑い!

 日中は近くの桜並木の緑道から蝉の鳴き声が、夜には鳴き始めたばかりの虫の音が夜風にのって涼しげに聞こえて来る季節になった。
 工事用足場がようやく撤去されて、視界がすっきりとしたベランダで夜風にあたる気持ち良さは何とも言えない。

 都合があって参議院選挙投票日の29日に行けないので、先日、期日前投票をしてきた。
 区役所にある投票所に行って驚いたのは、投票日当日かと思えるほど、次から次と投票する人が続いていることだった。
 通常の投票日と違うところは、当日投票できない理由に○印をつけるだけの簡単な宣誓書を書いて提出すること。他は、投票用紙の受取りも、記入する台も、投票箱、立会人まで、通常の投票日と全く同じだ。

 国民が求めていないのに政治家個人の好みや主張だけを大上段に強引に国民に押し付ける人や党よりも、国民みんなが安心して生活できて将来に希望を持てる社会を考えてくれる人と党に投票した。

 民主主義では、政治に対して日常の生活でいくら不平不満を口にしていても力にならないばかりか、選挙で自分の判断ではっきりとノーならノーと意思を示さないかぎりは、権力者が進めている現状を積極的に支持しているのと同じことになる。

 すでに僕が投票したあの候補者の状況はどうなっているか、あの政党はどうなるのか、新聞やテレビの選挙予測を真剣に見ている今日この頃である。

                  輝 ☆彡 07.7.26



台風去って・・・ 

 雨にたたられ続けた南九州が、昨日18日に梅雨明けしたと聞いて、僕も喜んだ。
 住んでいる人たちは、どんなにかほっとしたことだろう。

 毎年、何度も台風の直撃を受ける九州、四国地方などに住む人たちには、他の地方の人たちとは違う、それによって先祖代々作られた気質の特徴があるだろうなあなどと考えているところに超大型台風4号だった。

 その台風4号が関東地方の東の沖へ去った16日早朝、東京を発って東北自動車道経由で山形へ。
 先月から、これで4回目の山形行。
 丁度1年前から数えたら11回目となり、それだけで10000キロ以上走っている計算だ。(去年のことはエッセーをお読み下さい)

 僕は運転が結構好きなので、長距離走行も長時間運転も苦にならない。スペインやギリシャの初めての道でも、地図を頼りに楽しく走った。
 外国ではそんな感じを持たないのだが、日本の自動車道を走っていると、とてもいらつくことがある。

 まず、走行車線と追い越し車線の違いがわかっていていないドライバーが多いこと。
 走行車線を制限速度100キロで走っている車と仲良く、追い越し車線をずうっと並走して走る車がいる。その車を先頭にして、追い越したくても追い越せないでイライラしている車のじゅづつなぎになる。
 そうしたマイペースのドライバーは、バックミラーで後続車をチェックすることもないから、自分の後ろにイライラしている車が続いているなどと想像もつかない。
 そんな時、東名自動車道では、先行車に「追い越して先に行きたい」という意思を伝えるために、右ウィンカーを点滅させる。これだと「道を空けろ ! 」と言わんばかりの強烈なパッシングよりはやわらかい意思表示だ。
 内気でコミュニケーション下手の地域性などがこんなところにも表れるのか、東北自動車道ではこの「右ウィンカー点滅」を見たことがない。僕はこの「右ウィンカー点滅」を東北自動車道に広めたいと思って実行し始めている。

 他の車を巻き込んだ事故を起こさないポイントは、運転者(車)同士の意思の疎通・コミュニケーション。車線を変更する時には必ずウィンカーを点滅させるなど、回りの車に意思を伝える。お互いにちゃんと意思を通わせ合えば、そうそう事故は起きないと思う。(飲酒運転やわき見運転、居眠り運転はもってのほかの論外 ! ! )

 追い越し車線渋滞の先頭になっている車を、走行車線を走って追い抜くことも多い。そんな時にその車の運転者をちらっと横目で見てみると、悠々自適の暮らしをしているリタイア後の中高年者か、助手席の子供に景色を説明しながら運転している若いママが多いように思われる。マイペースで走りたいのなら走行車線を !  走行車線でどんなにマイペースで走ろうとも迷惑にならないし、誰も文句を言わない。

 馬車の文化が長くあって自動車交通が発達した欧米と、馬車文化がなくて自動車に乗るようになった日本との歴史の違いが、自動車道路行政とドライバーの意識の違いに表れているのだろう。

                  輝 ☆彡 07.7.19



☆に願いを 
 
 一向に梅雨らしい雨が降らなかった関東地方も、このところは小雨が降ったり止んだりの湿ってうっとうしい曇り空が多い。
 今日の東京は「所によっては小雨」の予報で、どんよりと曇り空。でも蒸し暑さがない分すごしやすく、霧が降る高原にいるような気分だ。

 この空模様では、織姫と彦星の出会いを見るのは無理だが、願いだけは聞き届けてほしいと、短冊を書く準備をしている。でも、その短冊を吊るす竹が、まだ用意されていない。

 去年の七夕の様子は、新聞エッセーに“今年の七夕飾りには2年先の「08年4月のラ・マンチャの男公演が成功しますように ! 」と「来年、スペイン旅行が楽しくできますように」「スペイン語がうまくなりますように ! 」が加わった。2年後の帝劇、450回目のサンチョを目標にスタートした7月。 空蝉の地下牢走るサンチョかな 輝 ”と書いた。

 その、毎年短冊を吊るしているベランダの竹林が、改修工事で3月末に地上へ降ろしたまま、プランターが大きく重いこともあって後回しになり、まだベランダにもどっていない。
 さあて、今日が良い機会。台車を用意して竹林の引っ越し作業にかかろう。
 昨夜、これも残っていた大きな椿「バーバラクラーク」を運び上げた時には、5カ所も蚊に喰われた。14階に蚊は来ないから、このあたりにはいないものと安心していたが、地上にはいっぱいいるのがわかった。先ずはかゆみ止めを買ってこよう。

 今年の短冊には「日本初演『チャングムの誓い』のカン・ドックがうまくできますように ! 」と「初めての韓国旅行が楽しくできますように ! 」が新しく加わることになる。

                  輝 ☆彡 07.7.7

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