ホワ〜ッと、くらげの世界
しばらくの間、涼しげな夏の少女と一緒に、このゆるやかでおだやかな時間と空間を、楽しんでいただいて・・・・
☆
故郷・庄内町の「夏宵まつり」を楽しんだ夜は久しぶりに実家に泊まって、兄夫婦と世間話を楽しんだ。
お盆にふさわしく、精霊棚から持ち出した過去帳を広げながら、寳歴8年(1758年)に亡くなった「聲高理音居士」の戒名がついたこの先祖も相当声の良い人だったのだろう、などと先祖のことを話題にして夜が更けた。
祖父丑治は声と節の良さが評判で多くの門人を集めた「黒川能」謡曲の師匠だったと子どもの頃から何度も聞かされて育ったし、その息子だった父も幼少から大地踏みなどの演目を祖父から厳しく仕込まれたと聞いた。
☆
明けて、盆の13日。
故郷でのお盆の朝のお餅。こしあん味と茗荷の千切りが涼やかな醤油味のすまし餅。
それに茄子の煮浸し。さっぱりなます。茄子漬け。などなど、どれも味わい深い懐かしいお盆の朝の味。
なんと、真っ青の快晴 !
広々と緑豊かな水田が続く庄内平野を西へ、日本海に向かって横切る。
昨日までとは打って変わった気持ち良い風を受けながら、日本海に沿って南下。
鶴岡市加茂漁港の先、市立加茂水族館へ。
駐車場の後ろは日本海。
海岸線を北に目をやるとその先には鳥海山の長い裾野が日本海に消えている。
5年生の遠足で初めて旧加茂水族館に入館して以来、鶴岡駅からのバスが加茂坂のトンネルを抜けて下った正面に沢山の漁船が停泊している加茂港を見る瞬間が好きで何度か訪れたことがあった。
でも、この新しい、くらげで再生した加茂水族館は初めて。
人気沸騰のニュースを見ながら、前々から来たいと思っていた水族館だった。
みずくらげ。
ゆるやかに時間が流れる、みずくらげの大水槽。
ビゼンクラゲ属の一種。
キタミズクラゲ。
ニチリンヤナギクラゲ。
ヤナギクラゲ。
キラキラとラインが光るキタカブトクラゲ。
矢張りキラキラとラインが光る細長い瓜のようなシンカイウリクラゲやフウセンクラゲ、トガリテマリクラゲなども。
こんな可愛い形のコティロリーザツベルクラータ。別名は「目玉焼きクラゲ」。
ベルリン水族館との生物交換で加茂水族館にやって来たとの説明。
「くらげ」と一言で言っても、個性豊かで、驚くほどの多種多様。
見る者に、しなやかに、ゆるやかに、微笑むように手招きしてくれる。そして、美しい。
こころが和んで、優しくなる。とても癒される。
書ききれないほどまだまだ沢山展示されている。
発見と工夫と、発展。
くらげをこれだれ感動する世界にまで育てた水族館関係者皆さんの努力と苦労にも感動し、励まされた。
夏の陽を白壁が眩しく反射している、プールのパティオ、
展示会場を途中で出て10時からのアシカショーを楽しむ。
ほかの海獣ショーに多く見られるような何頭もが水しぶきを上げるダイナミックさこそないものの、これがまたほっこりと楽しい時間と空間、アシカと飼育員の時間をかけて創った細やかな芸とコミュニケーションが素晴らしく、とても感動した。
満員の観客も大喜びで拍手喝采。
その後、庄内浜近海の魚や淡水魚が展示されている残りの展示室を見た。
庄内での子どもの頃によく食べた鱈や鯛や大きなタコなどが生きて泳いでいる姿を見るのはとても面白かった。
それらの展示室に至る途中の「くらげ」展示室は、さっきゆったりと見て歩けた時とは違って、押し合いに近い混雑状態。
この晴天に誘われてやって来た新しい入場者が次々と押し寄せているところにアシカショーを見終えた観客が一気に展示室へ向かったから人があふれたのだった。
スルーパス通路が確保されていたので、そこを通った。
「クラゲ」展示室を先に見ておけて良かった。
列を作ってレジを待つ記念グッズ売場を抜けて外に出ると、すっきりと抜けた夏空を背景にして荒崎灯台がまぶしく白く立っている。
ウミネコが鳴きながら餌をねだっている。
すべて、真夏の真ん中にいる。
8月13日は、つづく・・・。
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.24
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まだまだ、8月
バラエティーに富んだ変化を楽しめた今年の初夏から秋。
それを振り返ると、まだまだ今日に追いつかない。頑張ってみる。
8月12日、生家のある山形県庄内町に向かった。
6月初旬の尾瀬行きは、長期予報から毎日の予報変化をチェックして、数年に一度の滅多に見られない好天と言われる最良の日を選ぶことができて大成功だったが、梅雨が明けた後は長期予報はほとんど信用ができないようになってしまった天気の目まぐるしい変化。
帰省したら今年も酒田市の浜中海水浴場でキャンプを楽しみたいと新しいテントを買って浮き浮きして待っていたのに、長期予報では3日続きの雨無し予報だったのが直前になって降水確率だけがまだら模様に上がってしまった。
それでも天候回復のわずかな可能性に期待して、8月12日の夜に生家のある庄内町で催される「夏宵まつり」を目指した。
町のメインストリート、余目駅前から茶屋町、仲町、八幡神社へかけての通りは、以前、9月の八幡様の例大祭の日には奴ふりの行列を見ようと人があふれたし、8月には「花笠音頭」を踊る「花笠パレード」が町を挙げて大々的に催されていて僕も36年前にゲストとして参加させてもらった。
昭和56年(1981年)8月20日、旧余目町の花笠パレードに、当時出演中だった
『仮面ライダー
スーパー1』のチョロの衣装を着てゲスト参加。ゆかた姿で「最上川舟唄」を歌ってパレードを盛り上げた。
今はその通りで毎年、町内深川地区に伝わる飛龍伝説にちなんだ「飛龍囃子」のリズムにのって、鳴子踊りのグループが個性を競ってエネルギッシュに踊り、巨大な飛龍がダイナミックに舞いながらパレードする「夏宵まつり」が開かれている。
この、故郷の町のメインストリートで、町の人たちの笑顔に囲まれながら、あふれるエネルギーと勇壮な飛竜の舞をじっくりと体感したくて庄内町に向かったのだった。
こぬか雨の中、余目駅前クラッセの観光案内所に着いて尋ねると、「雨なので、商店街でのパレードは中止になって、踊りは町の総合体育館を会場にしておこなわれます」との情報。
雨天会場となった庄内町総合体育館
懐かしかった。
この総合体育館は初めて来た場所。
懐かしかったのは、道一本隔てた南側にある、広い八幡公園だ。
公園の東側半分には一周200mの運動場があって、西側半分には僕が1951年(昭和26年)に入学して1957年(昭和32年)3月に卒業した、木造瓦葺きの余目町立余目小学校が建っていた。
正門から運動場の真ん中を横切った正面に大きく立派な二階建ての玄関があり、その手前には見上げるような桜と柳とプラタナスの大木、更に左右にのびた長い校舎の南北には二つの体操場があった。
1978年(昭和53年)4月に母校を訪ねた時は、既に小学校としての役目を終え、余目町立余目幼稚園として利用されていた。
南の体操場は僕が入学する前は小さく教室に仕切られていて、同居している余目中学校の教室になっていた。
その教室で授業を受けていた8歳年上の兄に弁当を届けに行って、そのまま授業中の教室の床でおもちゃの自動車を走らせて遊んでいたのも思い出に残るエピソードの一つ。
北の体操場のステージは、演劇教室で見た他から来た劇団や兄貴たちの大学演劇部の公演など、僕に演劇の面白さと魅力を教えてくれた芝居が演じられた舞台であり、その後自分自身がそこに立って演じ、自分の生きて行く方向に気付かせてくれた大事な思い出の場所だった。
今の俳優としての原点がここにある。
そんな感慨を胸に、小学生当時には学校の実習田だった場所に建つ総合体育館に向かった。
会場前の広場にはおいしそうな焼きそばや玉こんにゃく、たこ焼き、ポテト、からあげなど沢山の屋台が出ていて、友だちや家族と連れだった子供たちが楽しげにのぞきこんでいた。
ステージでは子供たちの「飛竜太鼓」演奏から始まって、中央の床ではストリートダンスやブレイクダンスをはじめ、色々なグループと個人が楽しいダンスを見せてくれて会場はわくわく気分が盛り上がった。
僕も体でリズムをとりながら、2階観覧席から楽しんだ。
毎年その年の6年生とその保護者がチームになって踊っている小学校学区グループや、花笠を持って踊るグループ、パンダの着ぐるみなどさまざまなキャラクターを工夫してわんさか混ざったグループ、名前が懐かしい中学校の「排球部」チーム、ママさんも参加しているだろうスマートで元気なグループは途中から傘を広げて踊りその周りで踊る子どもたちはジャンプしっぱなし、町内にある県立高校のチーム、また、県外から自動車教習所に運転免許合宿に来ている受講生も出身地を書いたゼッケンを着けて団体参加、などなど、多彩なグループが個性を競って踊る熱気をいっぱいもらった。
このあふれるエネルギーを町のメインストリートで見ることができたら、前に進む勢いも加わって、何倍ものスケールの大きなものになったろうと思うと本当に今年の天気を恨む気持ちになった。
それにもう一つ悔しくてとても残念だったのは、「飛龍」を中心に据えたまつりのシンボルとも言える巨大な「飛竜の舞」が見られなかったこと。
見たかった! !
この飛龍のイメージを飛躍させて、更に大きな飛龍の世界を故郷の人たちと一緒に創りだせたら素晴らしいことだと夢見ているから、見たかった。
あつあつうまそうな玉こんにゃく100円、たこ焼き300円を売っていたのは笑顔あふれる元気いっぱいの庄内美人のこの皆さん。
南陽市であったばかりのダンス大会で着た、ピカピカテープ飾りの見事なTシャツは皆さんが手作りしたという。
僕が出演した庄内町響ホール『天国から来たチャンピオン』『生きるよろこび』はもちろん、酒田市希望ホール『おしん』、東京・明治座『三平物語』、
帝国劇場『ラ・マンチャの男』、
新国立劇場『子午線の祀り』などの多くの舞台公演を観てくれた原田真樹町長と共に応援してくれた町長の奥さんと一緒のグループの皆さん。
皆さんのパワーで故郷を盛り上げて、しあわせいっぱいな町にしてください。
いつでも手伝いに行きます ! !
これが、見たかった「飛龍伝説」のシンボルの巨大飛龍。(2009年9月15日、余目八幡神社祭りの行列で休憩中の巨大飛龍)
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.17
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蝉鳴いて、夏本番 ?
間近で突然、うるさいほどに大きな音を響かせて蝉が鳴き出した。
帰省した故郷の庭。
庭を見てみようと閉めていた網戸に近づくと一段と鳴き声が大きくなって、足を止めてびっくり。
網戸にぴったりと腹をつけて懸命に鳴いている蝉の姿。
この一夏に命をかけて鳴いている蝉の邪魔をしてはいけないと、そっと後ずさりした。
これこそ夏本番の響き。
しばらくの間、聞きほれて、夏を感じた。
その夜は、田んぼとサクランボやラ・フランスの果樹園の間を走って最上川近くにある「天童最上川温泉ゆぴあ」でゆったり入浴。
広い露天風呂の岩に腰かけて夜空を見上げながらそよ風に吹かれていると、世の芥がすっかり流される気持ち良さ !
あ〜ァはぁ〜 ! 極楽、極楽 !
体がぽかぽか、気分もほんわかで口に入れるソフトクリームの冷たさととろける甘さはまた格別。今回はごま味。
数年前までここで売っていたラ・フランスのソフトクリームは、上品な甘さがフルーツの女王と絶賛されるラ・フランスの生産日本一を誇る天童のイメージにもマッチして、絶品だった。何としても復活して欲しい
! !
天童は今年話題が多かった将棋の駒の生産でも日本一、サクランボの生産量も多く、ラ・フランスも日本一の生産量。
美味しいそば屋も多い。
出羽桜酒造に近い羽州街道沿いにある「そば処一庵」は、手ごろな値段でメニューの種類が多く気軽に食べられるそば屋として県外ナンバーの車が並ぶ評判の店。
帰省のたびに寄っては食べている。
出汁を取って煮込んだ鳥肉のこりこりシコシコした歯ごたえとそばのつるつる感が見事にコラボした「肉そば」が実に美味い。
その肉そば用の汁(つゆ)と、普通の板そば用のかつお節出汁の二種類の汁、それにげそ天や野菜天が付いたメニュー「一庵そば」がこのところの僕の好み。
その夜は車で30分たらずの蔵王温泉・川原湯に。
ここは蔵王温泉街中央部に「上湯」「下湯」と共にある三つの共同浴場(外湯)の一つ。
浴槽も洗い場の床もすべてが木造、湯船の底の木の簀の子の間から湯がわき出ている風情がひなびた感じがしていて好きな浴場。
天童の「ゆぴあ」がゆったりの湯とすれば蔵王温泉川原湯はすっきりの湯。
強酸性の熱い硫黄泉なのでじいっと体に気を入れながらゆっくりとお湯に浸る。
3、4分して体の芯まで暖まったらガバッと板の間に上がって火照った体を一休み。
それを2、3回繰り返したら上がる。
これが多くの人のペースのようだが、僕は洗い場の板の間で胡座をかき、壁に背中を凭せてのんびりと休む、この時間が長い。
他に入浴客がいない時には「最上川舟唄」や「山寺石切唄」などをの〜んびりたっぷりと歌う。これで気分はすっきり ! !
以前膝を痛めた時には、この熱い浴槽に膝を浸しながら何度もキックをして回復させることができた。
40分ほど、の〜んびりたっぷりと温泉を満喫して出てきたら、温泉街は濃い霧の中。
温泉街から下った西蔵王あたりは視界が数十メートルと更に深い霧に包まれていて、フォグライトを点けながらそろりそろりと降りてきた。
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.16
梅雨は暑くて、明けたら雨の夏
変な天気の今年の夏だった。
天気予報の確認無しでは一日が始まらない毎日で、それでも雨が予報された時にはピッタリ当たるのに、晴れの予報は見事にはずれて早々と雨になったり、それが続いたり、陽気な夏らしい天気に恵まれなかった。
8月1日。地元の花火大会。
朝から空を見上げては晴れるのを期待していたが、雨は止んだもののどうにも期待できない雲の厚さ。
それでも夕方6時には花火大会開催を決めた予告の花火が鳴り響いた。
結局、歩いて行ける近さの会場ながら濡れているだろう足元が気になって、今年はわが家の玄関前にテーブルを出して見ることにした。
ご近所さんたちも加わって、花火を見ながら、ビールを飲み焼き鳥を食べ、被災した故郷のことなど、今まで聞いたことがなかった世間話にも花が咲いて、2017年夏の夜の思い出が一つできた。
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.14
さくらんぼの女王様 紅秀峰
今年も、「かみのやまの親善大使を参らせます 感謝をこめて」の口上を付けたさくらんぼ『紅秀峰』が、暑い梅雨の7月10日にやってきた。
見事 ! ! 素晴らしい ! !
東京オペラシティ・コンサートホールで6月22日にあった山形交響楽団の『さくらんぼコンサート』。
横山幸雄さんのピアノと飯森範親さんの指揮とが気持ちよくかみ合った奥行きと広がりのある響きで、レベルの高い素晴らしいコンサートだった。
心地よく楽しんで感動の余韻に浸りながら出たロビーで、思いがけず、山形県上山温泉の温泉旅館『日本の宿 古窯』の社長で女将の佐藤洋詩恵さんに久しぶりにお会いした。
思えば、山形交響楽団のコンサート会場に女将がいらっしゃるのは当然と言えば至極当然の理由があったことだけども、僕にとっては実に久しぶりの予期せぬ再会で、嬉しかった。
「食と温泉の国のオーケストラ」と銘打っている山形交響楽団は、45年前に、東北地方初のプロ・オーケストラとして村川千秋さんたちによって設立され、国内各地での演奏はもちろん海外公演もおこない、今年は「モーツアルト交響曲全集」を発売するなど、活発に幅広い楽団活動をしている。
ちなみにこの村川千秋さんは、僕が何度もドラマに出演させていただいた映画監督村川透さんのお兄さん。
そして佐藤洋詩恵女将はこの楽団活動を支えている公益社団法人山形交響楽協会の理事を務めている。会場にいらっしゃるのは当然のこと。
客へのきめ細かなおもてなしの宿として評判の『日本の宿 古窯』は、地元全体を盛り上げ文化活動の発展にも力を入れている。
女将には一方的に、応援していただいている。
こころを励ましていただいている。
なのに直接お会いしてお礼を申し上げる機会もなく過ごしてきていた。
だから、ご無沙汰をお詫びし、いただいているお心遣いへのお礼を直接話すことができて本当に嬉しかった。
すると女将はさりげなく「今度はあれ、送るから。もう手配したから。」
あれとは、さくらんぼ王国山形でさくらんぼの王様・佐藤錦の収穫が終わった後に、県が管理して出荷される「紅秀峰」!!
口に含んだ時のガツンとくるボリューム感存在感、粒の大きさといい甘味の濃厚さといい、正にさくらんぼの女王様だ。美味い
! !
他に何と言葉にすれば良いのか分からない、絶品 !!
感謝するのは僕の方で、いくら感謝しても感謝し切れないと思いながら、見事な「かみのやまの親善大使」をいただいた7月。
応援してくださる女将さんの思いを大事に受取って、その思いに応えられることを形にしたいと、励んでいる。
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.10
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オフィス天童 魚三の会
山盛りのまぐろ中トロをはじめ、新鮮な刺し身の数々!!
下北沢・本多劇場で5月28日に千秋楽を終えた劇団岸野組公演『モトイヌ』に出演した
オフィス天童の若手俳優・
吉田賢太さんのお疲れさんと、7月3日初日の新橋演舞場『お江戸みやげ』『紺屋と高尾』に出演するオフィス天童の若手女優・
浅井ひとみさんの激励の会。
浅井ひとみさんとオフィス天童・天童真理子代表
もう一人の若手女優・堀口幸恵さんは予定があって参加できなかったのは残念だったけれど、オフィス天童若手の会。
別名『オフィス天童 魚三の会』!!
豪勢な気分に浸りながら、喰い、呑み、しゃべった。
吉田賢太さんと。ビールもうまいっ!!
門前仲町にある『魚三』。
生の魚、煮た魚、焼いた魚に揚げた魚、どれもうまい、魚料理中心の下町情緒たっぷりの庶民的な酒場だ。
門前仲町は『ラ・マンチャの男』や多くのミュージカルの稽古をしたスタジオから歩いても行ける近さで、稽古が終わってから上條恒彦さんや出演者みんながぞろぞろ歩いて『魚三』に行ってはエネルギーを補給した。
二階を仕切っている社長の奥さんが芝居好きで、仕事の合間に稽古のことや見た芝居の話などができるのも気分がホッとする楽しい店だ。
楽しい時は時間が速い。
この店は2時間で腰を上げることになっている。
若手二人とは近所に河岸を変えて、またひとしきり話して聞いて、僕たち俳優を包んでいる今の時代の演劇状況などを語り合った。
こんな時に語った僕の経験などから、何か自分の糧になるものを受取ってもらえたら、僕にとっても有意義な時間だったと言える。
佐藤 輝 ☆彡 2017.10.6