俳優・佐藤 輝-16
あそびごころの
佐藤 輝の世界
俳優・佐藤 輝
- 16
2007年10月〜
2008年1月
分
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2008年1月〜3月
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2007年10月〜2008年1月
分
2008年
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく、お付き合いください。
皆さんにお一人お一人にとっても、健康でステキなことがいっぱいある1年でありますように!
7日にもなってから「おめでとう」はないだろうと言われそうですが、年末年始は、結構多忙でした。
今も多忙ながら、ここで2008年の第一声を発しないと、応援してくださる皆さんに忘れ去られそうで、キーボードに向かっている次第で。(掲示板ではすでに新年の挨拶を交わしていただきました。ありがとうございました。)
暮の26日に『チャングムの誓い』の千秋楽打ち上げを半徹でやって、(かつては徹夜もやったけど、半徹も本当に久しぶりです! ) 翌27日からは体のケアと、公演中でできなかった、世の中が年末休暇に入る前に処理しなければならないモロモロをネズミの如くに走り回りながら片付けて29日の夜に帰省した。
30日は静かだったものの、31日は予報通りに雨から霙、夕方には本格的な雪になった。
その中を、車で10分ほどの所にある市民温泉「ゆぴあ」に出かけた。
玄関を入ったホールには、受付のほか、地元の特産品土産物を扱う売店があり広い食堂もある。玄関を入ると、コンニャク煮付けのダシの利いた醤油の良い香りが鼻をくすぐり食欲を刺激する。
アイス、ソフトクリームコーナーで山形名物、玉コンニャクを売っている! 醤油がたっぷりしみ込み赤黒くなっている玉コンニャクを見たらもうたまらず、早速、4個を刺した一串を、100円也で買い、食いついた。もちろん、辛子をたっぷり塗ってもらった。
この時、鍋の中で煮えたピンポン球ほどのコンニャクを串に刺す従業員の手際の良さにびっくりした。丸くてコロコロするコンニャクを木製のヘラに乗せて串を刺しているのだが、不安定なはずの平らなヘラの上でコンニャクが観念したようにぴたりと止まって安定し、すいっと串が刺さるのだ。つい見とれてしまった。
しばらく見ていて、その技の秘密を発見した。醤油で黒く色づいたヘラの平らな部分の真ん中に、コンニャクの直径より少し小さな穴が開いていたのだ。その穴にコンニャクを乗せればコンニャクは安定し、刺した串も下まで突き抜けて次のコンニャクを刺すのに好都合、一石二鳥の穴だ。
聞けば、穴の開いたヘラは玉コンニャク用の特殊なものではなく、市販されている物を流用しているのだと言う。そんなヘラが世の中にあるのは不思議だが、それを玉コンニャク用にと利用法を考えた人はエライ! そのヘラ、本当は何の目的で作られたヘラなのだろう?
この温泉の風呂上がりには、地元特産のラ・フランス入りソフトクリームと決まっている。とろけるように、うまい!
頭に雪を受けながら広い露天風呂にゆったりとつかって、過ぎゆく1年を思い返した。多くの人との新たな出会いの喜びがあり、思い掛けない辛い別れもあった。過去の出会いのすべてが僕を成長させ支えてくれる心の糧になっている。今の僕を作ってくれている。だれか一人が欠けていても、今の自分とは違う自分になっていたはずだ。かかわってくれたみなさんに、心から感謝している。
長湯してほてった体からは中々汗が引かない。上気した顔でぺろりぺろりと食べるラ・フランスソフトクリームはこのシチュエーションにぴったり。ほてった心を鎮めてくれる。格別の味がした。
元旦は物音ひとつしない静かな朝。
明るさに気づいて外を見ると、雪。それも30センチもの新雪。電線もテレビのアンテナも雪で太くなっている。
前日に届いた三段のお節料理と雑煮で正月を祝う。
4月の『ラ・マンチャの男』公演に向けてサンチョをリフレッシュしに12日からスペインへ里帰りする予定で、その準備もあって、元日に東京へ帰って来た。
最近の帰省はほとんどが自動車だったから、雪の山形を新幹線で走るのは久しぶりだ。
赤湯温泉に近づくと、雪の原に白竜湖が黒々と沈んで見える。
途中の米沢駅から積み込まれた、これも地元特産の米沢牛をつかった「すきやき弁当」を買うのが山形新幹線での楽しみの一つ。紐を引いてしばらくすると湯気が吹き出して、アツアツの弁当になる。これも楽しい。そして、やっぱりうまい!
夜、近くの門前仲町にある深川・富岡八幡に初詣。
今年は去年に続いて『チャングムの誓い』が2月、名古屋・御園座で公演。
4月には帝劇で3年ぶりの『ラ・マンチャの男』。初日にはサンチョ出演450回になる。
そして7月は、新橋演舞場であの『おしん』。初出演だが、僕が演じるいかだ師・定次は、おしんをいかだに乗せて酒田の材木問屋に世話したり、おしんの父親の最期に立ち会ってその枕元で民謡「最上川舟歌」を歌う、舞台では重要な役。
朝鮮、スペイン、東北地方と神出鬼没の今年の舞台。面白い1年になりそうだ。「毎日が初日」の気持ちを大切にして、お客さんに楽しんでいただける演技をしたいと、心に誓った。
今年も、僕を支えてくれのは皆さんのあたたかな応援です。どうぞよろしく、重ねてお願いいたします。
輝 ☆彡 08.1.7
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『チャングムの誓い』感動の千秋楽
26日、『チャングムの誓い』日生劇場公演が無事千秋楽の幕を閉じた。
熱い熱い、感動の千秋楽になった。
カーテンコールで、舞台奥から階段を下りてきた菊川怜さん(怜ちゃん)がつまずいて少し体がゆらめいた。すると客席と舞台上の出演者から心配のどよめきが起こったが、それに対して怜ちゃんはすかさず満面の笑みで応え、その表情が素直で可愛らしく、彼女を讚える大きな歓声と拍手が沸き起こった。
いつものカーテンコールが終わって緞帳が下り、舞台上の出演者同士が喜びの声を上げたとき、それにも増して大きな拍手が厚い緞帳を通して客席から聞こえてきた。それが止まない! お客さんは席についたまま、帰らない!
ミュージカルではないこうした公演では珍しく、再度のカーテンコールが舞台監督から指示された。
舞台中央に、この舞台を支え好感をもって出演者をまとめてきた二人、チャングムの怜ちゃんとミン・ジョンホの山口馬木也さんを残して、他の出演者は上下の袖に入った。
予想もしていなかった余りに急なことに、あの冷静な怜ちゃんが「えぇっ!? どうするの?」と右往左往している。ハン尚宮の波乃久里子と僕が「二人でお辞儀して、適当に上下へ呼び掛けたらみんなが出ていくから!」と声をかけたところで、2回目のカーテンコールが始まった。
観客が喜び、出演者が喜び、手を振り歓声を上げて熱い熱いカーテンコールだった!
感動的な、本当に久しぶりに気持ち良い千秋楽の舞台を終えて、感激と安堵感で、僕も涙ぐんだ。
その夜、近くの居酒屋で出演者33人が打ち上げパーティー!
こうした打ち上げパーティーも、こうした公演では珍しいことらしい。怜ちゃんと馬木也さんが爽やかでみんなに好感を持たれたことと、嫌みな出演者がいなかったこと、だから、とてもまとまりの良い劇団のようなカンパニーが出来あがったからだ。
二次会は藤村俊二さんのワインバー「オヒョイ'ズ」。
今年は恒例12月8日のオヒョイさんの誕生パーティーに、公演出演中だったので欠席してしまったこともあり、楽しい二次会。
ここに、千秋楽の舞台の後、来年1月2日に初日を迎える新派公演の稽古に出ていた波乃久里子さんが、ようやく参加。更に盛り上がる。
久しぶりにおいしい酒を飲み、しゃべり、声もガラガラになってきたので帰ろうかと思っている頃に久里子さんから「みんなで家に来ない?」とのお誘い!
あれえ! どうしよう? この声では・・・と、お断りしたら、「ひょっとしたら弟(中村勘三郎さんのこと)も来るかもよ!」。その一言に僕はすかさず「はい、行きます !」。久里子さんは、笑う笑う! !
久里子さんの素敵なお住まいで三次会となった次第。
久里子さん、勘三郎さんたちのお父さんは先代中村勘三郎さん。僕がその先代中村勘三郎さんを知ったのは、中学のころに故郷の映画館でこっそりもぐりこんで見た『今日もまたかくてありなん』。大人の映画だったが、子供心に、味のある渋い俳優だなと強い印象を持った。今でも瞼に、その映像がくっきり焼き付いている。
先代中村勘三郎さんの写真が飾られた仏壇に手を合わせ、久里子さんから、お祖父さんの苦労話や、お父さんが俳優として初めて受章された文化勲章、主演作品数最多記録で登録されたギネスブックなどの説明を面白く聞かせていただいた。
うまいお酒と肴をいただいているうちに、何と、本当に中村勘三郎さんが顔を出してくださった! 思わず知らずに僕は駆け寄り「お久しぶりです、旦那さま〜!」と固い握手をした! 勘三郎さんも「おうおう! 久しぶりで!」と喜んでくださった。
1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』は忠臣蔵の話で、主役・大石内蔵助は、当時中村勘九郎さんだった、今の勘三郎さん。僕はそのドラマで大石家に仕える内蔵助の忠僕・八助役で1回目から半年間出演した。98年の赤穂ロケで初めてご一緒して以来、勘九郎さんとは何度も一緒になった。
内蔵助が赤穂を引き払って山科へ発つ前、別れに八助に金子(きんす)を渡そうとしたのに八助が泣いて怒り、代わりに江戸・吉原に行った時の絵を描いてもらった場面が二人の最後のシーンとして印象深く思い出になっている。
だから、久里子さんの言った「弟も来るかもよ!」は八助の琴線に触れたのだ。
ドラマの後、数度お目に掛かったが、今回はほぼ7年ぶりとなる再会だった。思いもかけない、嬉しい再会の機会を作ってくださった久里子さんに感謝しつつ、更に杯を重ね、心地よい酔いはより深くなった。
声はガラガラになったが、嬉しく素晴らしい打ち上げの喜びは更に大きくなり、その代償なのだから、甘んじて受け入れている。
輝 ☆彡 07.12.28
『チャングムの誓い』好評進化中
『チャングムの誓い』37ステージのうち既に27回が終わり、慣れたとは言え、昨日今日と2回公演が2日続くとさすがに疲れが出る。気が付けば、残り10ステージになった。
舞台の感想は、テレビドラマを見ていた客からは「ストーリーや設定が違っている」や「あのエピソードが入っていない」などの声が少数聞かれるものの、舞台化ではそうした設定変更はありうることで、多くの観客には(意外なほど)評判が良い。「あの長編ドラマを、良くもこの時間にまとめたものだ」や「ストーリーが分りやすい」、「涙が出るほど感動した」との感想に出演者一同、喜んでいる。
このHPの掲示板にコスモスさんが書いているように「楽しかったです。そして最後はウルウル。感動しました。」との声が多く聞かれる。
全体のテンポが良くなって、上演時間も3時間25分たらずまで短くなった。お客さんは、そんなに長さを苦にしていないようだ。
カン・ドックの酒屋の場面など、カン・ドック夫婦が出てくると和んでホッとするとの感想も多い。ありがたく嬉しい感想だ。身体にムチ打ち、汗を流している甲斐があった !
妻役の角替さんは、時々、演技なのか地なのか分らないほど怖い表情をすることがあるが、これには未だ慣れない。
チャングムを演ずる菊川怜さんとの相性が良いのも嬉しい。彼女は実にチャーミングで素直だ。本当の娘のような気がしてくる。「カン・ドック夫婦がチャングムを本当に可愛がっているのが良くわかる」との感想も多い。
『チャングムの誓い』の舞台は日に日に進化している。楽屋のモニターを見ていても芝居のテンポが毎日早くなっているのがわかるし、開演前の楽屋では出演者同士で芝居の手直しが行なわれている。
残り10回でどこまで進化するかが楽しみな舞台だ。
この感動の舞台を是非ご覧ください!
輝 ☆彡 07.12.19
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『チャングムの誓い』開幕
満場の客席から沸き上がるあたたかい拍手の中、初日の幕はおりた。
この日のために昨日まで続いてきた稽古の成果が生かされた、素晴らしい初日の舞台だった。
昨日の通し舞台稽古よりグッと引き締まって、テンポが良くなった本番。カーテンコール後の舞台では、満足顔の出演者がチャングムの菊川怜さんを囲んで拍手と「お疲れさま!」の挨拶を交わした。
上演時間は20分の休憩を入れて3時間40分。終演後に、製作的な面も考えて、10分のカットが決まり、明日からは上演時間が3時間30分になる。この舞台は、日増しに内容が充実し、テンポも更に良くなるように思う。きっと出演者も毎日ワクワクしながら楽しく楽屋入りするだろう。
重厚な大道具と韓国製の豪華絢爛の衣裳には目を見張る。出演者全員が勢ぞろいするカーテンコールの迫力に、物語に酔ったお客さんたちは喜びの拍手を惜しまず送り続けてくださった。お客さん、ありがとう!
さあ、カン・ドックは明日の妻との2連戦大バトルに備えて、今夜はぐっすり眠ることにしよう。
ご機嫌のカン・ドック
輝 2007.12.3
髭(ひげ)剃り落とし
朝、東北地方が大雪に見舞われているテレビニュース。見慣れた故郷の山々も白くなっている。そこに住む、身内や知人友人の顔を思い浮かべた。
バルコニーにある小楢のミニ盆栽が昨日の木枯らし1号で10枚ほどの小さな黄葉を散らし、細い枝先にこれも小さな冬芽をつけている。
今朝、山茶花が今年の一番花を咲かせてくれた。
5日から始まった『チャングムの誓い』の稽古は順調に進み、各場をほぼ二巡。セリフにかぶって音楽も入り、本読みの時には想像できなかった立体的な世界がテンポ良く見えてきて、稽古場に熱気が出てきた。どんどん変わっていくこの段階の稽古場は楽しい。来月3日の日生劇場初日まであと2週間。そろそろ全体を通す稽古にかかる。
カン・ドック役に合わせて8月から伸ばしていた髭(ひげ)だが、来年出演する舞台の宣伝写真撮影のために泣く泣く全部を剃り落とした。だから12月のカン・ドックは付け髭で出演することになる。
『屋根の上のヴァイオリン弾き』
の乞食のナフムも、
『ラ・マンチャの男』
のサンチョも、
『子午線の祀り』
の伊勢三郎も、どの役も自分の髭を伸ばして出ていたから、舞台での付け髭は僕の初体験だ。演技の最中に付け髭がはがれ落ちるアクシデントだけは、絶対に避けたいと願っている。あれは本人も辛いが、共演者は笑をこらえるのに必死、観客もハラハラドキドキでドラマそっちのけになってしまう。
写真撮影をした出演予定の作品名などは未だ公表されていませんので、詳細発表はしばらくお待ちください。
輝 ☆彡 07.11.19
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イルボン(日本)のカン・ドック、ソウルを行く
『チャングムの誓い』稽古を前にした10月末、カン・ドックの役作りのために、ソウルへ研究旅行をした。
韓国の日常生活を知りたいので、泊りは普通のホテルではなく、ソウル北部にある朝鮮王朝の正宮・景福宮(キョンボックン)と離宮・昌徳宮(チャンドックン)の間、北村(プクチョン)と呼ばれる地域にあるゲストハウス。
地下鉄3号線安国(アングク)駅から北へ徒歩10分たらず。このあたりは王朝時代の高級官僚・両班(ヤンバン)が多く住んでいた所で、その両班屋敷の一つが民宿風ゲストハウスになっている。行く直前に3℃まで冷えたこの季節、床暖房のオンドルが気持ち良い。
この小路の突き当たりが「ソウル・ゲストハウス」
宮廷料理人カン・ドックとしては、まず宮廷と王様が食べた宮廷料理を知るべく、ソウル初日は朝鮮王朝の中心宮殿・景福宮と宮廷料理の店「宮宴(クンヨン)」に。どちらもゲストハウスから歩いて行ける近さ。
景福宮の興礼門では午後3時の衛兵交代式にであった
「宮宴」は、テレビドラマ『大長今(テジャングム)』( 日本題名『チャングムの誓い』)の料理監修をされた「宮中飲食研究院」理事長で人間国宝の韓福麗(ハンボンリョ)先生が経営されているお店。
韓福麗先生のお母様黄慧性(ファンヘソン)先生は、宮廷料理研究のために昌徳宮の水刺間(スラッカン)に入り、王朝最後の尚宮(サングン)から宮廷料理の伝統を受け継ぎ、初代「宮中飲食研究院」理事長、そして人間国宝となられた方。この時の黄先生の体験が、ドラマ『チャングムの誓い』に生かされているという。
「宮宴」ではドラマに出てきた宮廷料理が味わえる。僕は、1人前からでも頼める「長今晩餐」(チャングムコース)を食べた。14種もの料理を味わった。
左上は、チャングムが盗まれた小麦粉の代わりに白菜を使って作った餃子
ここの料理は、われわれが日常食べているいわゆる韓国料理とはまったく違って、見た目は質素だが手間暇かけた細工物のように手が込んでいる。あっさりした味付けながら何種類もの味が口の中で絡み合って深い味わいが生まれ、こんなに量が少ないの? と思いながら食べているうちに満腹になった。う~ん、大満足 !
日はかわって、早起きして、ソウルの南、地下鉄1号線直通で1時間の水原(スウォン)へ。駅からさらにタクシーで30分の韓国民俗村に向かった。
各地方から集めた藁葺き屋根の民家が、今そこに村人が生きているような生活感を伴って集落を作っている。歴史的建物ではないが、素晴らしい文化遺産 ! 朝鮮民族の、文化に対する考え方が如実に示されている施設だ。漢方薬店、焼き栗の店、竹細工職人、木工職人、里芋の茎や柿を干す農民など、伝統の韓服を着た人たちが実際に働いている。ロバも猫も鶏も生きて生活している。村が息をして生きている。
紅葉の始まったその村中の道を、日本の高校生の修学旅行や、先生に引率された小学生の遠足がにぎやかに通って行く。
ここでも『チャングムの誓い』ロケが行なわれて、その案内板があちこちに立っている。
園内一番奥にある市場の食堂で食事。ここでしか飲めないトンドン酒とビビンバで昼食。チケット売場の表示が、カタカナでトソドソ酒と書いてあって面食らった。
薄黄色のトンドン酒で一人乾杯。カン・ドックも作ったのだろうか、旨い酒だ。
一度、水原にもどって、駅から車で10分ほどの水原華城(スウォンファソン)へ。
世界文化遺産に指定されている水原華城は、第22代正祖王がソウルからの遷都を計画して1796年に作った、周囲6キロに城壁を巡らせた城塞都市。その真ん中に王宮としての華城行宮(ファソンヘングン)があり、ここも『チャングムの誓い』ロケが行なわれた所。
華城行宮の入り口の門
水原は味付きカルビの発祥の地としても有名で、料理人カン・ドックとしては当然研究対象にすべきテーマ。
華城行宮の裏山から、龍の形をした華城列車に乗り城壁をほぼ半周したあと、下を川が流れている水上楼閣・華虹門まで歩き、その直ぐ近くにある水原カルビの店「ヨンポカルビ」に入った。
下の写真で見るとおり、これで一人前、たくさんの副菜が付いてなんと29000ウォン(3千数百円) ! ! 青唐辛子以外はほとんど平らげて、ここも大満足 ! !
夜はソウルにもどって、地下鉄4号線恵化(フェファ)駅から5分のハッチョングリーン劇場でロングランのロックミュージカル『地下鉄1号線』を観劇。
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またも早朝出発。
地下鉄1号線で北へ50分、州内(チュネ)駅からタクシーで15分。『大長今』撮影のために特別に作られたオープンセットが、今は「大長今テーマパーク」として一般公開されている。
ここは『チャングムの誓い』撮影の中心となった場所で、ドラマで見るなじみの建物がつらなっている。
「オナラ」の歌に迎えられて門をくぐれば、そこは「チャングム」の世界
カン・ドックが偽精力剤を売っていたのはこのあたり
水刺間(スラッカン)ではハン尚宮とチェ尚宮の写真が迎えてくれる
建物それぞれに、そこで撮影されたシーンの写真パネルと説明が立っている。
一番奥に藁葺き屋根の集落があり、そこにカン・ドックの屋敷があった。
表に酒を運ぶ荷車。我が家は、けっこう大きな屋敷だ
もう気分は完全にカン・ドック。自分の家に帰ったような、妙にホッとした気持ちになった。
門を入った中庭で日韓二人のカン・ドックの記念撮影
夕方一度宿舎に帰ってから、明日見学する予定の昌徳宮までの道のりを確認しにでかけた。ゲストハウスから5分たらずで昌徳宮の西側の塀添いの道に出た。
僕がソウルに出掛ける前に宮廷料理について教えを受けたのは、NHKテレビのハングル語テキストに随筆「ソウル・エレガンス」を連載しているイベントプロデューサーの佐野良一さん。
佐野さんはソウル大学語学研究所で学び韓国文化に造詣が深く、「宮中飲食研究院」で黄慧性先生から宮廷料理を直接学んだ、日本では数少ない朝鮮宮廷料理の専門家でもある。もちろん韓福麗先生とも親しく、「宮宴」を紹介してくれたのも佐野さんだった。
僕は「宮宴」で食事をした時、ここで韓福麗先生に直接お目に掛かれないものかと期待をしていたが、先生は多忙でお店に出ることは少ないとの説明を受け、残念に思っていた。
昌徳宮の西側の塀添いの道に出た時、僕は、佐野さんが「宮中飲食研究院」について書いた文章の中に、「宮中飲食研究院」は昌徳宮の西側の塀に手が届くほどの場所にあった、と書いていたのを思い出した。
とすると、この塀沿いの家並のどこかに「宮中飲食研究院」はあるはず。できるなら「宮中飲食研究院」の場所を確認して見たいと思い、その通りを北に向かった。塀の内側には、ガイドで読んだ昌徳宮の秘苑の森なのだろう、緑の木々が大きく枝を張っているのが見える。
散歩中の女子大生2人に、漢字で「宮中飲食研究院」と書いて、この近くにあるかを尋ねた。2人が首をかしげるので、「大長今の料理の先生」と説明を加えると、二人は納得してうなずき、この先の右側にあると教えてくれた。
そこから数十メートル先に「宮中飲食研究院」はあった。
入り口から伝統的二階建韓屋の研究院を見たとき、ひょっとして、黄慧性先生の体験があったからこそテレビドラマ『大長今』は発想され、それがあったからこそ日本で『チャングムの誓い』が劇化され、そして僕がカン・ドックとして出演することにつながったのではないだろうか、と考えた。ならば、この「宮中飲食研究院」こそが『チャングムの誓い』の出発点になる。
そう考えると、日本のカン・ドックが入り口まで来て挨拶もせずに帰るなんて、そんな失礼なことはできない。せめて訪問した足跡を残したいと思い、1階突き当たりに開いていた台所で働いていたおばさんに声をかけ、持っていた『チャングムの誓い』のチラシを名刺代わりに渡して、今度日本でカン・ドックを演ずる者ですと自己紹介した。
おばさんは喜び、「今、先生がいらっしゃるから」と急いで母屋に取り次ぎに行ってくれた。僕はその時までここで韓先生に直接お目に掛かろうなどとは考えてもいなかったし、先生はご多忙と聞いていたので、予定以外の突然の面会などは失礼なことで、先生に迷惑をかけるのでないかと、意外な事の成り行きにあわてた。
少しして韓先生が母屋から庭に出ていらして、やわらかに握手をされた。
その瞬間、最後の尚宮から黄慧性先生へ、そして韓福麗先生に伝わった宮廷料理人の魂が感じられて、僕は胸が熱くなった。カン・ドックが育てたチャングムの精神が今、僕の心にも伝わってきたように思われた。
いくつもの甕が並び、刻んだ野菜をざるに広げて干している屋上で、もてなしのお茶をいただきながら、しばらくの間、初対面の先生からお話をうかがった。
『チャングムの誓い』料理監修、宮廷料理の人間国宝・韓福麗先生と記念撮影
帰りに、授業が終わって無人になった実習室を覗くと、きれいに片付けられた調理台のまわりに、チャングムの志しを受け継ぐ研修生たちの熱気が残っていた。
その夜、コリアハウスで、韓国のもう一つの伝統に出会った。
地下鉄3号線忠武路(チュンムロ)で下車して直ぐのガソリンスタンド奥の道に入ると、コリアハウスの門。
太平舞、サランガ、ガンガンスルル、パンソリ、シナウイ、伝統楽器の演奏などを堪能。朝鮮文化のリズムとメロディーが心地よく、美しい舞に見惚れた。最後に、舞姫が客席に下りてきて数人の客を舞台に引き上げた。僕も引き上げられて、訳も分らないままに出演者に合わせて太鼓をたたき、一緒に手をつないで輪になってガンガンスルルを踊った。
公演中の撮影は禁止なので、終演後にロビーで記念撮影
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最終日は木曜日。前日に確認していた昌徳宮に、9時15分の開門と同時に入場した。
他の曜日にはガイドに案内されてのグループ見学しか許されていないが、木曜日だけはガイドなしで個人が自由に見学できる日になっている。それでこの日に昌徳宮入場の予定を立てていた。ここも『チャングムの誓い』のロケが行なわれた場所。
世界遺産に指定されているこの宮殿は1405年の建立で、日常の政務が行なわれた宜政殿が韓国に残る唯一の青瓦屋根であるように、古い建物が多く残っている。
国家的な大きな催しが行なわれた仁政殿
青瓦屋根が美しい宜政殿
そして広大な森のような庭園、秘苑。多くの池やあずまやが点在し、上り下りしてそれらを結ぶ道は、まるで山道だ。チャングムとミン・ジョンホが連れ立って歩いた道を、落ち葉を踏みしめながら散策した。
秘苑の奥の奥。大都市の中にいるとは思えない静かさ。
稽古用の韓服(ハンボク)を試着。(短足に見えるのはシャッターを押してくれた店員さんの背が高かったから)
伝統工芸品店やブティックが並ぶ仁寺洞(インサドン)で、韓国料理を食べるときには欠かせないスッカラ(スプーン)とチョッカラ(箸)を記念に買い、伝統的な韓服(ハンボク)をカン・ドックの稽古用に買って、ソウルをあとにした。
輝 ☆彡 07.11.4
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今は、・・秋 ?
1週間前の9月28日には最高気温が32.1℃もあったのに、2日後の30日には18.7℃、10月1日が19.7℃と、真夏から初冬へと一気に季節がかわった。今日は穏やかな秋日和にもどったが、地球温暖化の影響か、どう見ても変な天気が続く。こんな時は体調を崩さないように、細心の注意をするしかない。
人間は気温に合わせて着たり脱いだりできるけど、植物たちはそうはいかないから、変化に合わせて自分なりの反応をしているようだ。
一昨日の朝、バルコニーの鉢たちに水やりをしていてビックリ!
今の時季、咲いているのは8月の末から咲き始めたおじぎ草だけで、それも猛暑続きのせいか例年より茎が弱く、花数も少ない。それでもけなげに、数日置きに、ピンクの花を咲かせて心を和ませてくれる。
だから他の鉢たちは水をやる根元だけを見ていて、株全体を眺めることが少なくなっていたが、場所を移動しようとクチナシの鉢を持ち上げて驚いた。目の前に、何と美しい ! 純白の花が一輪、きりりと咲いている。そして、甘い初夏の香りが鼻腔をくすぐる! 狂い咲きと言っては可哀想な、一生懸命自然の変化に対応して咲いた立派な花。
この日は、14階の目の前を、赤とんぼが何匹もスイィーッスイッと飛び交った。
近くの散歩道の一角に、彼岸花が咲いている。見事に鮮やかな紅色の花は、良く見ると面白い形をしている。子供の頃は墓地や死人を連想させる花として忌み嫌い、チャンバラごっこに使う竹の棒などで、花茎を叩き折っていた。こんなに美しい花に無残なことをしていたと、大人になってから気が付いた。
太地喜和子さんの梅川、平幹二郎さんの忠兵衛が、森進一さんの歌う『それは恋』にのって、舞台に積もった大雪の中で道行き・心中をする場面が話題となった『近松心中物語』(秋元松代作 蜷川幸雄演出 朝倉摂美術 猪俣公章音楽)に、僕は幕開きでにぎやかに歌と踊りを競い合う太鼓持ちの役で出演したが、その郭の屋根に、ポツンポツンと彼岸花が咲いていた。美しかった。
彼岸花を見るたびに思いだす。
輝 ☆彡 07.10.5
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