俳優・佐藤 輝-14

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 14
2007年4月〜6月
     
 
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2007年4月〜6月



梅雨空 

 梅雨入りと宣言された14日には確かに雨が降ったけれど、その後の1週間はまるで真夏のような空が続いた。山形で見上げた空には、秋を思わせる巻雲が筋となって流れていて驚いた。
 そしてようやく今日、梅雨らしい雨が降りだした。

 マンションの大規模改修工事も最終段階。廊下の敷物工事の進行と一緒に、外周全体を包んでいた足場の撤収が屋上部分からはじまった。
 玄関ドア、廊下の敷物、塗装の色も変わったから、工事が終了したら見違えるようになるだろうと楽しみにしている。
 ベランダ部分の工事が終わったようなので、昨日、3月末から地上の空き地におろしておいた4鉢の椿と、クチナシ、紫陽花の鉢をベランダに運んだ。
 日陰になっていた紫陽花は徒長して間伸びしていたが、それでも薄水色の花を涼しげに咲かせ、一回り大きくなったように見えるクチナシは沢山の蕾と、芳香を夜の闇に放つ白い花をいくつも咲かせている。
 鉢の植物たちをなでながら「よく元気で帰って来たね ! 」 と、声をかけてやった。下におろさなかったエビネ、コナラのミニ盆栽、ネジバナに加えて一気に緑が増えたベランダ。これからは、朝の水やり、縁台での夕涼みと楽しい時間が増える。
 日本の野生蘭の一種・ネジバナは、丁度いま、砂糖菓子のようにキラキラに光り輝く5ミリほどの花を、ら旋状に咲かせている。虫眼鏡で見ると、この小さな花が、大きな蘭の花と同じ構造をしているのがよくわかる。雑草のように見える植物だが、とっても可愛く、美しい花で、僕の好きな花の一つだ。

 それにしても、・・・・金もうけ、名誉欲・・・。人間の欲にまみれた小汚い事件が次々と、よくもまあ起きるものだ。
 ミュージカル『レ・ミゼラブル』で、安宿のおやじ・テナルディが歌う「♪ ハンドルを ぶん回しゃ できるは牛肉もどき 馬のモツ 猫の舌 手づくりソーセージだよ」(岩谷時子訳詞)。
 物語の中の、200年近い昔のフランスの安宿のおやじの話だから笑って見ていられるが、それが先進国、美しい国・日本の、現在の、過去1年間だけでも180トンというひき肉の偽装事件では、吐き気がする。

 今、大問題になっている年金。
  掛け金を払っているのに記録がないって・・・、どうせ年金支払いは先の先のこと。問題になるとしてもその時にならないと・・・、その頃は自分たちも現場にはいない・・・、わかりゃしない。なんて、窓口の役人たちがフトコロに入れてしまった・・・なんてことも、なかったとは言い切れない。だって、支払いに当てなきゃならない掛け金を、赤字の施設を次々と建てて湯水のように使ってきた組織だもの。
 
 明日23日には、いよいよ12月の舞台公演の宣伝写真を撮るためのカツラ合せがある。
 ようしッ! 奇麗なネジバナと、クチナシの香りで、気分だけは梅雨空を忘れよう。

                  輝 ☆彡 07.6.22



届きました ! サクランボ 

 今朝、山形から佐藤錦が届いた !







 あれだけ花が咲いたのに、暖冬が影響して実になる途中で落ちてしまい、不作になった今年のサクランボだそうだが、その分、とても甘味の濃い、まさに砂糖のような「佐藤錦」だ。



俳優佐藤輝 山形市のサクランボ畑



 昨日までの3日間、用事で山形に行ったものの、その時は通りがかりの果樹園で見事に鮮やかな紅色のサクランボを眺めて記念写真を撮っただけで、口には入れずに帰って来た。そのザンネンな思いを慰めるようにして、後を追って宅急便が届いた !



俳優佐藤輝 奄美黒糖焼酎 浜千鳥の詩



 これは先月、九州から届いた原酒「奄美黒糖焼酎 浜千鳥の詩」。なかなか手に入らないものだそうで、初めて飲んだ。
 38度をお湯割りにしてちびりちびりと味わうと、甘味のある深くまろやかな味が口中に広がって、脳裏に奄美のサトウキビ畑と紺碧の南の海の風景が浮かんだ。
 土地土地の特産品には、味わう喜びと一緒に、その土地を感じる楽しみがある。

                  輝 ☆彡 07.6.19



ロシア大使館と『新宿 ラ・マンチャ』 

 駐日ロシア連邦大使、M・M・ベールイ氏の名前で、ロシア大使館から思いもかけないパーティーの招待状が届いたのは前月の初めだった。
 表題には "「トルストイ家の箱船・お伽の国日本」出版記念パーティー招待状 " とある。
 が、・・・・? 「トルストイ家の箱船・お伽の国日本」を刊行したディヴィスふみ子さんとは面識もないし、お名前も存じ上げてはいない。

 ロシアに知り合いは・・・、いない ! いるとすれば、『屋根の上のヴァイオリン弾き』で僕が演じた乞食のナフムの末裔がアナテフカの村に住んでいるか。でも、あれは物語の中の登場人物で、子孫がいるはずもない・・・・。
 これはまるで、別役実さんの世界から届いたような招待状ではないか。興味を持った。
 ちょっと「不思議の国のアリス」にでもなったような気持ちで、5月26日、旧ソ連時代に映画の試写会を見に行って以来40数年ぶりに、麻布台にあるロシア大使館に向かった。

 会場に入って、まずは誰か顔見知りはいないかと見回すと、華やかな笑顔で挨拶を交わしている女優の栗原小巻さんが目に入った。でも、僕との直接の接点はない、ハズ。(ひょっとして誕生日が同年同月の、僕が3月10日で、彼女が3月14日あたりだったか、という薄い接点。それで言うなら、吉永小百合さんは3月13日だったかな?  どっちにしてもカンケイない、か)・・・、振り向いた所に竹下景子さん夫妻がいた。竹下さんとは30年ほど前のNHK・銀河テレビ小説『夏の故郷』で岩手の同級生役でご一緒したが、ロシアとはいっさいかかわりがない、しぃ。・・・、ホールの奥の方に目をやると・・・いたッ! 完全な知り合いが。いやあ、これは随分とお久し振りのお顔だが、僕の顔を見てわかるだろうか?

 34年前に、観世栄夫さんもご一緒だった『天保十二年のシェイクスピア』で共演した中村まり子さんだ。その後、劇団動物園の舞台にも出てもらったし他の舞台でもご一緒したがここ10年くらいは会っていなかったかも知れない。視線が合ったので手を挙げると、彼女もわかったらしくにっこり微笑んだ。

 その瞬間、そのロシア大使館ミステリーツアーの仕掛け人の人物像に思い当たった。僕と中村まり子さん、そしてロシアをつなぐことができる人が、ただ一人いる。
 その人は、日本とロシアとの演劇・文化交流の推進に活躍し、モスクワ・ユーゴザーパド劇場やマールイ劇場などの演劇を日本に呼んでいる演劇プロデューサーの阿部義弘さん。この接点は阿部さん以外には考えられない。その阿部義弘さんこそが、34年前に澁谷・西武劇場の井上ひさし作『天保十二年のシェイクスピア』を製作したプロデューサーなのだから。

 中村さんも不思議な招待状の訳がわからないまま、ミステリーツアー的誘惑につられてやって来たのだと言う。そして、会場で出会った知人から「招待状は、阿部さんの関係からじゃないの?」と聞かされ、初めて阿部さんとロシアとの関係を知って納得し、会場の段取りをつけていた阿部さんを見付けて『天保十二年のシェイクスピア』出演以来34年ぶりの再会を喜んだと言う。

 供されたうまいウォッカに顔を赤く染めながら、招待状を受け取ってからこの不思議なパーティーに来るまでの心に描いた経過を互いに披露し合い、阿部さんの面白い計らいに感謝し、パーティーの本来の趣旨とはまったく関係のない盛り上がりになった。

 この後、意外で面白い発展があるのだが・・・、『新宿 ラ・マンチャ』の話は次回へつづく。

                  輝 ☆彡 07.6.13

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さようなら、観世榮夫さん

 昨10日にお通夜、今日11日は葬儀告別式が目黒区にある碑文谷会館で行われて、僕も最後のお別れに参列した。
 焼香しながら、お棺に花を入れながら、この34年間の「栄夫ちゃん」との思い出が頭をよぎった。

 『天保十二年のシェイクスピア』公演中、急に大雪となって自動車が走れなくなった日、箱根にゴルフに行っていた観世さんが開演に間に合わず、僕たち出演者が観世さんのセリフを振り分けてことなきをえた。また、観世さんのセリフの間違いがきっかけになって、話があっちに行ったりこっちに行ったり、客席がわいて「観世のじっちゃん、頑張れ ! 」と声が掛かって大受けになったこと。
 その『天保十二年のシェイクスピア』新潟公演の夜、共演していた稲野和子さんの実家の料亭で出演者全員で宴会をしたとき、観世さんが突然幇間(ほうかん = 太鼓持ち)芸を踊りだして、あの強面(こわもて)の観世さんからは想像もつかない、軽妙な踊りにみんながビックリして大喜びしたこと。(たっぷりの元手と観世さんの人生をかけた、すごい芸を見せていただいたことに感謝 ! )
 ブランドものの新しいサングラスをして『紅葉乱舞車達引』の稽古場に来た観世さん。稽古を見ながらそのサングラスをおもちゃにしていたが、そのうちに蔓を曲げはじめ、見る間にぐにゃぐにゃにした揚げ句、使い物にならないほどに壊してしまった。ああ、勿体なかった。(出演者は、稽古よりも観世さんの手元の方が気になっていた)
 渋谷・ジァンジァンでの『冬眠まんざい』。最後に、梁(はり)に縄を吊るして首をかける場面があるのだが、その梁を作るのために、観世さんは当時住んでいた赤坂の自宅から、2メートル以上もある太い竹を、担いで歩いて、渋谷まで持って来られた。作品を創るためには外聞をいとわない、情熱の人だった。
 新国立劇場で『子午線の祀り』を新キャストで公演することになった頃、観世さんと僕は疎遠だった。観世さんは早い時期から、新国立劇場の制作部に「佐藤輝昭を探し出せ、彼の連絡先を調べろ」と指示を出していたと聞いた。
 その顔寄せの時、作品について観世さんが説明していると、作者の木下順二さんが突然話をさえぎって「観世クン、もっと大きな声で ! 」と、注文をだされた。すると観世さんは、まるで演出にダメをだされた新人研究生のように素直に、「はいッ ! 」と返事をされた。このお二人の深くて長い師弟関係を理解できる、ほほえましいできごとだった。

 時代を背負う特に優れた能楽師兄弟として「観世三兄弟」と呼ばれた、長男・寿夫(ひさお)さん、次男・栄夫(ひでお)さん、弟で先代・銕之丞(てつのじょう)さんだった静夫さん。僕はこの「観世三兄弟」皆さんにお世話になり、芸に対する真摯な姿勢と、ものごとに対して毅然と自分の立場を貫く姿勢を教えていただいた。

 能・狂言はもちろん、新劇、映画、オペラなど栄夫さんが活躍された世界の広さを見せて、各界からの参列者があった。
 数十人が和して謡った「見送りの謡い」の荘厳な響きの中で、別れを惜しんだ。
 涙雨の中に別れのクラクションを響かせて棺を載せた黒塗りの車が走り出したとき、僕はたまらず「栄夫さ〜んッ!」と大きな声をかけた。

 思えば昨年12月6日、紀伊国屋ホールでの『黒いぬ』に出演していた観世さんを楽屋に訪ね、ご挨拶を交わしたのが生前最後の時間だった。
 『子午線の祀り』の舞台で2メートルもの高さから転落したこともあり、その後のお体のことを心配していたが、そんな影響を感じさせない舞台姿だったので「お元気そうで何よりです」と言うと、観世さんは「元気でもないよ。あっちこっち切ったりつないだりして・・・。」とおっしゃって「あんたの連絡先は変わっていないか?」と尋ねられた。
 その時一緒になった葉子さんから、観世さんが入院されていたことを初めて聞いた。今年の正月に、そのお見舞いを兼ねて、連絡先をあらためてお知らせする年賀状をさしあげた。それへのお返事はないままに、栄夫ちゃんは旅立ってしまった。

 栄夫ちゃんは、僕に何か連絡したいことがあったのだろうか。今となってはそれを知ることができない。

                   輝 ☆彡 07.6.11



観世榮夫さん逝去 

 2004年世田谷パブリックシアター公演『子午線の祀り』を演出された観世榮夫(かんぜひでお)さん(79歳)が、2007年6月8日朝、逝去されました。
 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 1973年に渋谷・西武劇場で公演した井上ひさし作『天保十二年のシェイクスピア』(出口典夫演出、阿部義弘事務所製作)で共演して以来、観世榮夫さんには言葉では言い尽くせぬほどのお世話になりました。

 1977年に僕が結成した劇団動物園に客員メンバーとして参加していただき、旗揚げ公演・ミュージカル『紅葉乱舞車達引(もみじまうくるまのたてひき)』では演出だけでなく、出演もしていただきました。また、多くの貴重な助言を頂戴しました。
 観世さんが語られた「俳優の仕事は日々新しい自分を発見することだ」は、今も俳優としての大切な心構えとなっています。劇団では『ろば』『むかし・まつり』も演出していただきました。
 劇団以外でも渋谷・ジァンジァンでの『冬眠まんざい』、『四谷怪談』、ロックミュージカル『落城』、民音の作家と音楽『水上勉・青江三奈 越後つついし親不知 越前竹人形 五番町夕霧楼』など、観世さん演出の舞台に多数出演させていただきました。

 特に1999年に新国立劇場が製作・公演をした木下順二作『子午線の祀り』では、観世さんの推薦により義経の配下「伊勢三郎義盛」役をいただき、観世榮夫さん単独演出となった2004年の世田谷パブリックシアター公演では、僕の代表作の一つと言われるほどの大好評をいただきました。これは観世榮夫さんが僕の中に育ててくださった「語り」の要素が実を結んだ結果だったと、感謝しております。

 榮夫さん! 安らかにおやすみください。

                  佐藤 輝 ☆彡 2007.6.8


俳優佐藤輝 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ 劇団動物園『紅葉乱舞車達引』演出観世栄夫さん
1977年9月、ミュージカル『紅葉乱舞車達引』演出中の観世栄夫さん。


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アクア・エクササイズ  

 先月初め、連休明けのプールに場違いなほど元気の良い娘があらわれた。

 場違いというのは、プール以外のトレーニングマシーンや、スタジオでのダンスやヨガ、エアロビのクラスには若いメンバーも男性も多く年齢幅は広いが、日中のプールは・・・、ほとんどが女性で、ちょっと目には、平均年齢70歳位かとお見受けする顔ぶれ。 (それでも皆さん、すごいパワーで、体が水中分解するのでは、と心配になるほどがむしゃらに激しい運動をなさる方もいる!  頭がさがります。もちろん、気休めや暇つぶしだけで来ている方も多々いるようですが・・。)

 そのプールの中央一番前に突然、セパレートの水着を着けた若い娘があらわれたのだ。エクササイズが始まると、背中の見かけから20歳前後と思われるその娘は、軽快にパワフルによく動く。今まで鍛えてきた体でなければこうは動かない、と思わせる動き。
 僕はいつも、中央寄りの最後列にいるので、彼女の後ろから動きがよく見える。これだけ動いて疲れを知らないのは、ヤッパリ20歳くらいだろうと思った。 僕は舞台で100%のパワーを出すために、トレーニングや稽古では120%出すように心がけている。だからレッスンの最後にはヘトヘトふらふらになっている。
 終わって顔を見ると、あれだけの運動をしたのに余裕の彼女は、もう少し歳が上の感じがした。

 彼女は激しい運動をするプログラムが好みのようで、そのクラスで何度か一緒になった。が、次の日の、よりハードなクラスでは一緒になったことがない。それで帰る時に「明日のクラスもきっと、あなた好みのクラスですよ」と教えてやった。

 翌日やってきた彼女は「いつもスタジオでエアロビやヨガをしていたが、アクアも体に良いみたい ! 」と言う。僕は、アクアエクササイズの効果の大きさを力説し、11年前にジャズダンスのレッスン中に膝を故障して以来、アクアエクササイズを続け、このトレーニングによって故障を克服し再起できた話をした。
 彼女は僕のことを知らないようで「ジャズダンスは長いのですか?」とたずねてきた。
 僕は最初の劇団研究生の時にクラシックバレエのレッスンを受けてから、途中休み休みながらも、モダン系もふくめて42年間ダンスを続けてきたことになる。
 「そう、長いね。踊りも仕事の一部だから」と答えると、彼女は「お仕事って、・・俳優さん?」・・・。
 日本では、誰もが名前を知っている俳優が俳優であって、自分が知らない俳優は、無名の俳優として一人前の俳優と認めない、そんな雰囲気があるので、実は、面と向かってこういう質問をされるのが一番答えにくい。・・・「ええ」。
 俳優の世界を知らない一般の人には、俳優には仕事上ダンスやトレーニングが必要だなんて想像がつかない人もいる。でも彼女がすぐにその質問をしたということは、彼女は俳優の世界を知っている・・・。「ひょっとして、あなたも同じ世界で仕事をしている?」と聞くと、答えは「そうなんです」。
 なるほどなあ。同業者であれば、僕と同じような思いで、同じようにトライする人がいてもおかしくはない。彼女の前向きな頑張りを、自分が映っている鏡を見るように、妙に納得した。

 プールで会話が成り立つ仲間ができたことを喜んでいる。

                   輝 ☆彡 07.6.6 

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ファン 

 突然、横から声が聞こえた。「4月にあるのね ! 」。
 4月って? 今日が5月29日だから・・・、来年の4月のこと・・・? ああ、この人は来年4月の『ラ・マンチャの男』の公演のことを話しているんだ。
 「『ラ・マンチャの男』ね? ええ、来年4月に、帝劇で。」

 トレーニングで通っているフィットネスクラブ・ティップネスでは、ほぼ毎日顔を合せるメンバーが多い。それでも、それぞれがそれぞれの目的で来ている不特定多数の中の一人だし、僕は僕のトレーニングに集中したいから、言葉を交わす人は少ない。

 その、僕より年上と思われる女性も週に何度かは一緒になるが、話したこともないし、僕のことを知っているはずもないと思っていた人。その人が、プールに入る前に立った鏡の、隣りの洗面台から声をかけてきたのだ。
 それにしても、この人がどうして『ラ・マンチャの男』と僕の出演を知っているのかが不思議に思えた。

 僕のその疑問を読んだように、彼女が話した。
 「私、帝劇が好きでね、よく観に行くの。昨日も行ってきて、そしたらロビーに来年の『ラ・マンチャの男』の宣伝が置いてあって、あなたの写真も載っていたわ。」
  「ミュージカルが好きでね、いろいろ観てて『ラ・マンチャの男』も良いって聞くけど、今まで観たことがないの。昨日は『マリー・アントワネット』を観てきたの。今月はもう何度も観て、明日も観にいくのよ! 」

 『マリー・アントワネット』をそんなに何度も観た!?
 『ラ・マンチャの男』にも、毎公演の初日には必ず観に来るとか、公演中の土日には地方から何度も観に来る熱烈なファンも多いと聞く。
 そんなに何度も観るのは、『マリー・アントワネット』の作品に魅かれるのですか? それとも、誰か出演者に? と、ストレートに聞いてみた。すると、彼女は一瞬恥ずかしげな表情を見せて、口ごもりながら・・・「山口さん・・・」と小さな声で答えた。
  カリオストロ役の山口祐一郎さんのファンだったか。なるほど『ラ・マンチャの男』には縁がなかったわけだ。でも、来年はぜひ『ラ・マンチャの男』を観にきてください。

 作品のファンであれ、出演者のファンであれ、そこまで熱烈に愛してくれるファンはありがたいものだと思う。
 そうした熱い期待にこたえられる良い舞台を創るために、さあ今日もトレーニングにアデランテ ! !

                   輝 ☆彡 2007.6.2



夏の雲

 今日も午前中はヴォイストレーニング、午後は近くのフィットネスクラブ・ティップネスのプールで、「アクアバラエティ」というアクアエクササイズ

 プールの中で、音楽に合わせて水を押したり引いたりキックしたりジャンプしたり、体が熱くなるほど、汗をかくほどのトレーニングをする。水中運動は、浮力を利用して膝や腰にかかる体重負担を少なくし全身運動ができるので、筋力アップと同時に、呼吸器系、循環器系の強化ができる。

 120%のトレーニングをしたあとは、クールダウンを兼ねて、マッサージプールにゆったりと浸かって運動の疲れをとる。

 ふくらはぎや太ももにジェット水流を当てながら、大きなガラスの壁越しに見上げると、空は真っ青に晴れ上がり、そこにはもう、夏の入道雲のはしりがもくもくと白く輝いている。
 そうか、明日からもう6月だ。衣がえの、白いセーラー服の季節だ。

 夜になって、大雨洪水注意報ふさわしく、洗車機の中をドライブしているような土砂降り。梅雨も近い。

                   輝 ☆彡 2007.5.31



5月の風

 快晴の昨日はひさし振りに家の中を風が吹き抜けて、気持ち良い夕暮れだった。

 マンションの大規模改修工事が3月にはじまり、廊下に面した部屋の窓にかかっいている格子もはずされたので、窓を開け放つことができなくなっていたが、昨日ようやく、廊下側外壁の塗装がほぼ終わって、その窓格子が取り付けられたのだ。
 早速窓を大きく開けた。そしてベランダ側のガラス戸も。
 5月の風が、家の中を吹き抜けた。部屋の隅々にたまっていた、思いの淀みを一気に吹き飛ばすように。心の中までも洗われたすがすがしい気持ちになった。

 4月21日に書いたように、29年前に山形の生家から貰ってきた「黄エビネ」が今年も鮮やかに咲いた。が、一緒に貰ってきて育てていた「地エビネ」は、数年前に芽を出さなくなり、いつの間にか消えてしまっていた。
 前日帰省した折に生家でその話をすると、早速、葉と花芽が少しだけ伸びた地エビネの株を、土地付きで掘り上げ、持たせてくれた。帰京後に、見る見るぐんぐんと伸びた花芽は、渋くて派手で奇麗な花を咲かせてくれた。日本に自生する蘭も美しい。



俳優佐藤輝 撮影 地エビネ



 今年の花はそろそろ終わりだが、3鉢の地エビネは来年からも春ごとに、我が家のベランダで目を楽しませてくれるだろう。

 先週、今年最後の竹の子汁を食べた。筍は僕の大好物。



俳優佐藤輝 故郷山形県庄内地方の竹の子
故郷の地元紙に包まれて届いた、新鮮な筍とウド。



 鶴岡市藤島に住む兄が、大きいのが出たからといって9日に送ってくれた朝採りの竹の子を、僕が茹でて孟宗汁に。パリンパリンと奥歯で割って食べる歯ごたえの美味さは孟宗汁の醍醐味だ。薄く小さく切っては、この豪快感はない。

 11日に新橋のChokai(鳥海)であった、例の酒田東高校同期の「分科会」と称する飲み会も「旬の筍を食す」会で孟宗汁を堪能した。
 冷蔵していた残りを再度、竹の子ご飯と孟宗汁にして、今年の竹の子の食い納め。

 この間、5月の風に乗って、面白い舞台を幾つも楽しんだ。

 新宿・THEATER/TOPSで観た劇団道学先生『あたらしいバカをうごかせるのは古いバカじゃないだろう』(中島淳彦作、青山勝演出)は、若者の夢が溢れていた1970年代のフォークの時代を描いて秀逸。中島作品は宮崎・油津を舞台にした作品が何といっても面白い。

 新宿・シアターアプルの『小松政夫 VS コロッケ 昭和 ギャグ パレード』は、コロッケの物まねがテンポ良くて楽しめたが、折角のライブなのだから、淡谷のり子、郷ひろみ、五木ひろし、ちあきなおみなどの物まねを、もっとたっぷり見せて欲しかった ! 以前、コマ劇場で観た三田邦彦、コロッケ、今陽子が出演した『ミタ・コロ・コン』が腸捻転を起こしそうに面白かったから。

 三軒茶屋・世田谷パプリックシアター『上々颱風シアターLIVE ! 2007』は、「絵本『ハラホロの涙』出版記念 - ハラホとヒレハの物語 - 」と題して、ヴォーカルの白崎映美さんと西川郷子さんの絵本の朗読から始まるファンタジックなライブ。
  アルバム『あったりまえだ』に入っている乗りの良い曲が多く、ミュージカル『阿国』の歌との関係も見えて楽しめた。びりびりと泣けた。

 今日も晴れた。窓を開けよう。
 5月の風は、心地よい。

                   輝 ☆彡 07.5.22

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山形写真レポート

 ゴールデンウィークの帰省の写真をこのページにUPすると、元気よく掲示板に書き込んだのは2週間も前のこと。
 _(._.)_ ・・・、時の経つのが早すぎると思いながらも、スミマセンと、平謝りに謝っています。
 そんな訳で、とりあえずは、写真を・・・ご覧ください。

 さて、ここはどこ? 何をしているの? と想像する楽しみをあじわっていただきたく・・・。
 写真の説明はおいおい、毎日少しずつ付けていきますので、お楽しみください(笑)


          俳優佐藤輝 天童市 ビストロ バ・マル
天童市にあるビストロ "パ・マル"



 天童といえば山形の民謡「花笠音頭」に「♪〜 花の山形 もみじの天童」と歌われ、温泉と将棋の駒の生産、ラ・フランスの生産量日本一で知られているが、こんな洒落た素敵なビストロ(気楽に入れるレストラン)もある。
 去年の秋に初めて入って食事をし、やみつきになりそうな予感がしたレストラン。

 「パ・マル」は、フランス語で「なかなかいいね」という意味だそうだが、店の雰囲気、居心地の良さ、そして味の良さは本当に「なかなかいいね ! !」 だ。安くてボリュームたっぷり、庶民のビストロ。

         ビストロ "パ・マル"  http://pas-mal.net/


       俳優佐藤輝 天童市 ビストロ パ・マル
ボタン海老とホッキ貝のサラダ



   俳優佐藤輝 天童市 ビストロ パ・マル



     俳優佐藤輝 天童市 ビストロ パ・マル
     仔羊モモ肉のステーキ



俳優佐藤輝 天童市 ビストロ パ・マル



 ああ、カメラを忘れて来てしまった! 携帯電話で撮ってもらったらサイズが小さい!

 上のメニューの写真は昨年秋に撮ったもの。
 ここにも味を追求しているシェフがいる。味良し、量良しで、腹いっぱい。時間をかけてゆったりたべられる庶民のビストロ。シェフの名は結城優輔さん。

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俳優佐藤輝 山形県 出羽三山 羽黒山 杉並木 石階段
出羽三山信仰の中心・羽黒山の参道。『継子坂(ままこざか)』。      



 羽黒山は、僕の精神世界を支えている大きな力。(エッセイ『再生』参照)

 出羽三山神社境内の入り口、隋神門をくぐると急な下り坂、『継子坂(ままこざか)』。
 羽黒山は西暦593年の開山と伝えられ、1400年の歴史をもつ羽黒修験道の中心地。月山、湯殿山とともに出羽三山と呼ばれる。うっそうと繁る杉木立をぬって、石の参道が続く。



俳優佐藤輝 山形県 出羽三山 羽黒山 祓川



 『継子坂』を下って右に曲がると、やがて祓川(はらいがわ)にかかる朱塗りの神橋を渡る。上流の崖からは須賀の滝が流れ落ちる。昔、参拝者はこの祓川で身を清めて登った。



俳優佐藤輝 山形県 出羽三山 羽黒山 爺杉と五重塔
樹齢1000年の『爺杉』と国宝五重塔。塔は平将門寄進と伝えられ、現在の塔は約600年前の再建。
 今日は先を急ぐので、ここからUターン。

      出羽三山神社 http://www.dewasanzan.jp/

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俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町の融合料理レストランまごころ
庄内町といえば、やっぱり融合料理の『まごころ』。ズワイガニとウルイのサラダ。さっぱりシャリシャリ感とカニのうま味が絶妙なハーモニーを楽しませてくれる。



 今日のランチメニューはこの後、トウモロコシのスープ、カプチーノ仕立て。ヒラメのオイル焼きと月山筍、コシアブラ、アスパラガスのフリート。庄内豚のワイン煮込み。
 デザートが庄内青きな粉シフォンケーキ、黒蜜シャーベット、あんず甘煮コンポート。そしてコーヒー、カプチーノ。
 それぞれ地元の食材を生かした創意と工夫が、新しい味を創りだしている。料理の皿が運ばれてくるたびに、期待でわくわくする。

     融合料理の『まごころ』 庄内町猿田37−1
     TEL 0234−45−0775



俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町の融合料理レストランまごころ
話題の「庄内豚」のワイン煮込み。とろりととろけるうま味 ! !



 庄内町で残念だったのは、高い評判を聞いて今度は行こうと楽しみにしていた、創作料理『寺胡家』というレストランが閉店してしまったという話。場所も確認していたのに、ひと足遅かった ! ! 
 僕にとって幻のレストランとなってしまった『寺胡家』の味。いつか必ず味わいたいと期待している。



俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町役場で原田眞樹町長と
故郷・庄内町の原田眞樹町長と。この身長差でも同じ庄内人。
原田町長は「住民満足度日本一のまちは、みんなで作る!」と、日本一の町作りをめざしている。



俳優佐藤輝 山形県天童市 遠藤登市長と
天童市、遠藤登市長と。
天童の歴史と観光・産業を熱く語る遠藤市長。話が面白く聞きほれて、ついつい長居をしてしまう。



 晴天に誘われて再度、春スキーの月山を越えて庄内平野へ。



俳優佐藤輝 山形県鶴岡市 いこいの村 庄内
鶴岡市にある『いこいの村 庄内』のチューリップ畑。湯野浜温泉、庄内空港に近い。



 庄内に行ったらやはり、何度でも融合料理の『まごころ』へ。



俳優佐藤輝 山形県庄内町の融合料理レストランまごころ



 今日は今日で、別のランチメニューを用意してくれた、その心意気に感動。
 ふぐの刺し身、平田赤ネギ添え。トウモロコシ・スープ。鯛カマの塩焼き、コシアブラ・フリート、レモン添え。庄内豚と蕪のロースト。



俳優佐藤輝 山形県庄内町の融合料理レストランまごころ



 デザートがマンゴ・ムース、グレープフルーツ・シャーベット。
 続けて来られたお店はメニューに苦労するかも知れないが、毎日通いたくなる、新鮮で飽きのこない料理の数々だ。



俳優佐藤輝 山形市のそば屋立花 板そば 肉そば
山形市のそば屋『立花』。そばの香りと甘味が引き立ち歯ごたえ良い写真の『板そば』のほど良い硬さが、のどに快感 !
他に、河北町が発祥といわれる鳥肉のダシがきいた冷たい肉そばも美味い。『立花』のはつゆの濃さが程よい。山形のそばにはなぜか別注文のげそ天がピッタリの相性。



 山形市と天童市を結ぶ、『立花』の前の通りの両側はサクランボ畑が続く。サクランボ畑には、収穫期に雨が当たって実が裂けるのを防ぐ雨除け設備があるから、すぐにわかる。

                輝 ☆彡 07.5.17(20)

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庄内町・響ホール ダンス・ライブ
 
 本当に、不思議な縁というものはあるもので、僕の人生などはすべてがその不思議な縁で結ばれているような気がする。

 毎週月曜日に近くのフィットネスクラブ・ティップネスでレッスンを受けているジャズダンスのインストラクター、越智麻由民(おち まゆみ)さんから「5月に、山形でのダンスライブにゲスト出演することになった」と話を聞いたのは先月初めのこと。
 山形県は僕の故郷。地元で「山形」と言えば山形市のことなので、てっきり山形市での公演と思い、会場と日時の詳細を教えてくれるように頼んだ。

 連休前になって越智さんが「会場のこのホール、知っていますか?」と、ライブの案内はがきを持ってきてくれた。
 これがビックリ!! 見れば、会場のホールは、知っているも知っている、僕が生まれて育った庄内町(旧余目町)の響ホール!! 生家から歩いて10分の距離にあり、8年前のホール・オープニングの催しにパネリストとして参加したし、別所哲也さん、藤村俊二さんと共演した『天国から来たチャンピオン』をホールでの演劇初公演として満員のお客さんに楽しんでもらった。演劇についての講演、『響・映画村』での若尾文子さんとの対談など、何かにつけて深いかかわりを持っているホール。

 そのホールで僕のジャズダンスの先生、越智さんが踊る。これも、人生の不思議な縁といえる。
 この機会に声を大にして「越智さんの、素晴らしいダンスをぜひぜひ見てくれ! 」と故郷・庄内の皆さんに向けて言いたい。

 越智さんのダンスは、しなやかな身体を駆使して、ダイナミックに、これこそがプロのダンスといえる熱い思いのこもった表現をする。

 越智さんは3月24日に、中野区にある、なかのZEROホールで催された骨髄バンク登録推進運動「命のつどい」に「K'z dance」カンパニーのメンバーとして出演し、町永一美さん振付の「ガイア」と「kiss from a rose」の2作品を見せてくれた。この2本とも、20人のダンサーが40人にも見える厚い構成で、もっと見たい、拍手を終わらせたくない、と思える素晴らしいダンスパフォーマンスだった。

 その舞台で越智さんがペアを組んだダンサーが伊藤豊継(いとう とよつぐ)さん。彼は東京と山形で活動していて、今回、その伊藤さんがプロデュースする響ホールでの公演「プロダンサー'S LIVE 『 Si-n シーン 』」に越智さんはゲストとして出演する。

 今までまったく縁がなくて山形は初めてという越智さんに、故郷・庄内の5月の心地よい風と土地柄の良さをいっぱい感じてもらいたいし、ふるさとの皆さんにはぜひとも、プロの表現者・越智麻由民さんの素晴らしいダンスを楽しんでもらいたい。

                  輝 ☆彡 07.5.7


     日時 : 2007.5.12 (土) 開場18:30 開演 19 :00
     会場 : 山形県庄内町文化創造館 響ホール(大ホール)
     前売券 : 大人 ¥3000 小人 ¥2500 当日は共に¥500増
     案内ホームページ http://ch-i.mania.cx/i/



2008年『ラ・マンチャの男』

 1年後、2008年4月のミュージカル『ラ・マンチャの男』帝劇公演のスケジュールが正式に発表されて、刷り上がったばかりの宣伝チラシが届いたと、事務所から連絡があった。

 公演は1年先だが、ほぼ2年半ぶりの公演だから、その2カ月前位から稽古に入るだろうし、役作りなど出演者としての準備はその前にしておかなければならない。
 そんな訳で、気持ちと体はシャキーンとサンチョ態勢に切り替わった。だから、今朝のヴォーカルトレーニングも「♪ だァんな〜が〜、す〜きィなの〜さ〜・・・」と快調快調 ! !

 450回目のサンチョに向けて、気力充実の4月24日。

                  輝 ☆彡 07.4.24

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待望の三春滝桜

 昨日20日、長年の念願がかなって、満開の三春滝桜(みはるたきざくら)に対面できた。

 桜の花が人一倍好きな僕は、何年も前から、福島県三春町にある滝桜を、ぜひ見たいと思ってい。が、桜の花を本当に楽しむには、やはり満開の時期の晴れた日でないと色が淋しくなってしまう。そして無理な望みだが、できることなら回りに人がいないときに静かに眺めたい、と思っていた。
 満開と平日と晴天、この三つの条件が重なる日を待ちながら、17日に満開になったと知って、毎日そわそわしながら週間天気予報とにらめっこ。
 そして昨日、条件はそろった。が、午前中に予定があった。そこから直行できるように、自動車で家を早く出て、朝の混んでいる都心を運転した。

 福島の天気予報は晴れのち曇り。何とか晴れているうちに、明るいうちに着きたい。(そうでないと、何しに福島まで行ったのか、わからなくなってしまう。笑)
 予定を終えてから昼過ぎに東京を出発、東北自動車道を290km。南関東は満開の八重桜が混じる新緑がひろがり、所々で大きな鯉のぼりが泳いでいる。北関東から那須高原にかけては、まだ若葉は萌えず、山桜と白木蓮が咲いている「北国の春」。

 東北道から郡山で磐越道に入り、船引三春インターチェンジでおりて、3時間ほどで三春町に着いた。福島県内はどこも桜が満開。そして晴れている。車を停める間ももどかしく、駐車場から走った。



俳優佐藤輝 撮影 福島県三春町 満開の滝桜



 ああ、滝桜。スゴイ美しさ。しばらく、ただただ呆然と見惚れた。その存在感に圧倒されて、言葉はない。来て良かった!
 花は、鮮やかな染井吉野を見慣れた目には、少し青白くくすんだ薄紅色に見える。垂れ下った細枝に小さな花がこぼれるように咲き、風が吹くとしぶきを上げて落下する滝のように揺れる。高さ12m、東西25m、南北18.5mに張った枝を支えている幹は根回り11m。樹齢1000年以上といわれるごつごつと黒く太いその幹には、白髪の桜の精が宿っているように見える。
 この三春滝ザクラは、根尾谷の淡墨ザクラ(岐阜県本巣市)、山高神代ザクラ(山梨県北杜市)とともに日本三大桜と称されているそうだ。以前対面した根尾村の淡墨ザクラと同じように、年ふりた巨木が持つパワー・霊気が感じられて、自分が今を生きている喜びと生きる勇気をもらった。  



俳優佐藤輝 撮影 福島県三春町 満開の滝桜



 山の中に生えた一本の、この滝桜を愛でて人々が訪れるようになったのはいつのころからなのだろう。一体、どれくらいの人たちが、この桜に心震わせたのだろう。その、多くの心の震えを、この滝桜は太い幹と張りだした枝で、すべて受け止めてくれているように思えた。



俳優佐藤輝 撮影 福島県三春町 満開の滝桜



 夕方5時ころになると、滝桜は西側の丘にさえぎられて陽が当らなくなった。次々とやって来た観光バスが帰って行く。
 滝桜から受けた心の喜びに満足して磐越自動車道に乗った。真っ正面から浴びた大きな春の夕日が心地よい夕暮れだった。

                  輝 ☆彡 07.4.21



俳優佐藤輝 撮影 ミニ盆栽コナラの芽吹き
先週4月11日に書いた、芽吹いたばかりのコナラ(小楢)。白銀のビロードのようなうぶ毛が光っている。



竹の子汁

 東京の花見の季節は竹の子の季節。

 竹の子は、子供の頃からの、僕の大好物の一つ。特に竹の子汁は、熊本産や鹿児島産が店先へ出始めた時から、産地が北上して、和歌山産、靜岡産、最後に関東ものが出ておしまいになるまで、何度も食べる。
 そんなわけで、今年ももう3度も食べた。

 故郷・山形県庄内地方では、竹の子の味噌汁、竹の子汁は春の味覚の代表で、どこの家でも日常的に食べるが、作家の藤沢周平さんの出身地に近い湯田川温泉の孟宗汁は特に知られている。
 庄内米の炊きたてご飯と竹の子汁、それにうまい漬物で腹いっぱいになる。竹の子汁は、春祭りに呼ばれて行っていただいた赤飯にも相性が良かった。
 それぞれの家にそれぞれの味付けがあるようだが、我が家で作る竹の子汁は母から受け継いだシンプルな味。
 茹でた竹の子を厚さ1センチほどに大ぶりに切って、これも大ぶりに切った生揚げと一緒に鰹節のダシ汁で煮て、味噌と酒粕で味を整えるだけ。これで、竹の子のうまさが十分に味わえる。
 僕は軟らかいよりは、少し硬めの方が好きだ。しゃきしゃきした歯ごたえが何とも言えない快感で、春の大地のエネルギーを噛みしめているような気がする。だから、手間はかかってもやっぱり生から茹でて作る。すでに茹でた竹の子も売っているが、あの水っぽい竹の子は筍ではない。旬に食べてこそ竹の子汁はうまい。
 そんなわけで、今夜も竹の子汁だ。

                  輝 ☆彡 07.4.12



春霞

 そんな訳で、4月2日には、ベランダの外に組まれた工事用足場全体が、白い紗幕で包まれてしまった。
 その結果は、ベランダからの街の眺めが、すべて春霞の中にあるように、ソフトトーンになってしまった。

 これが3カ月続くと思うと気が重いが、春霞の中に住んでいると思うと、何か、仙人にでもなったような、ちょっと面白い気持ちにもなる。

 ベランダに置いてあった沢山の鉢は、下の駐車場横の空き地に、先週、移動させた。大輪椿のバーバラクラークも、舘椿も、日暮も、侘助も、そこで咲いている。竹林もそこにある。だから、晴れた日にはわざわざ下まで行って、ジョウロで水やりをする仕事がふえた。

 部屋には、白いうぶ毛をつけた芽吹いたばかりのコナラ(小楢)のミニ鉢植えと、開花直前の黄エビネ、それに若葉を摘むためのサンショの鉢植えだけが残っている。

                  輝 ☆彡 07.4.11



花に嵐の・・・

 昨夜は遅くなってぴゅーぴゅーと吹きまくる雨風がベランダを洗うほどだったが、その前に、3晩連続となった夜桜を楽しんだ。
 日曜日の今朝は快晴。桜並木の下は花見の場所とりがいっぱいになっている。
 気持ち良いエイプリルフールで4月がスタート。



俳優佐藤輝 撮影 満開の桜並木
工事の足場のすき間から桜並木を見る。南ヨーロッパの古い街並みに似ている、この下町の眺めが好きだ。(パティオ・中庭がないのがちょと違う)



 温暖になったこの季節、例年ならこんな日はベランダのテーブルでランチが楽しみ。でも今年は、マンションの大規模修繕が始まって、建物全体に足場が作られ、これからはその外側をネットが覆う。数日前までは我が家の直ぐ上の屋上にあった給水塔の撤去工事が連日続き、騒音の出るヘルメットをかぶっているような毎日が続いた。12月に出演する作品の資料などを読んでも、なかなか頭に入らなくてこまった。

 あ〜あぁ、今日は作業が休みで、嘘のように靜か。ほっとする4月1日。
  昼の花見を楽しもう。

                  輝 ☆彡 07.4.1

                           
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