2009年2月〜2009年7月
青森・黒石市こみせ通りロケ‥‥
からっと晴れたし暑いし、もう梅雨が明けただろうと思った先週13日から、8月の名古屋・御園座『おしん 青春編』公演の稽古が始まった。
翌14日に、関東甲信越地方が梅雨明け宣言。
真夏の蒸し暑さが続く毎日、冬姿の稽古着を着て、汗びっしょりになりながら稽古をしている。再演なので基本は出来ているから、初出演の人は追いつくのが大変だが、稽古は快調、とんとん拍子で進んでいる。
時の経つのは早い×2。
酒田まつりの翌々日、5月21日。山や道沿いの崖に、野生の藤が房となって咲いている東北自動車道を北上し、青森県黒石市へ。
緑したたる黒石温泉の露天風呂に浸った翌日、市街地の中心「こみせ通り」にあるレストランでテレビドラマのロケをした。
こみせ通りとは、いわば新潟地方の「雁木(がんぎ)」のような、店から張り出した昔のアーケード。江戸時代に、冬の雪と、夏の暑さ避ける施設として作られたものだという。
このレストランのオーナーの役。
この時期、朝夕にはまだ寒さが残る青森だった。
輝 ☆彡 09.7.19
酒田まつり
それにしても‥‥
時の経つのは早い。
皆さん、暑くなったり梅雨寒になったりの天候不順な毎日をお変わりなくお過ごしですか? お久しぶりです。
何ともかとも、先月酒田まつりに行く前に書いてから40日以上もサボってしまったことになる。もちろん、サボるつもりなどまったくなかったのに‥‥。
その間に書くべきことは山ほどあって、書こう書こうと思いつつも、やるべきこと、片付けなきゃならないことが次々と続いて、結局毎日が、ああ今日も書かずに眠るなあ、お休みなさいと横になる毎日に‥‥。
書きたくないとか体調が悪くて寝込んだとかご心配をお掛けするようなことはいっさい無く、ただただ書く暇がなかったということで‥‥。
取り急ぎ写真だけでもと思いたったところです。ので、写真の説明やその間のエピソードなどは、おいおい書き加えますので、お見逃し無く、時々このページを覗きにおいでください。
輝 ☆彡 09.7.2
明治39年を最後に途絶えていた高さ20メートルの立て山鉾の再現は、酒田経済復興への願いがこもっている。
旧料亭「山王くらぶ」は、酒田の料亭文化を伝える資料館として現在酒田市が管理している。入口や二階の大広間(舞台付きで本当に広い!)にはお祝いの縁起物「傘福」が飾られている。
竹久夢二が逗留した「夢二の間」など、どの部屋も凝った意匠と手の込んだ細工が施されていて、ゆったりと往時の雰囲気に浸った。この建物の現役時代を味わいたかったなあ、と思った。
「おくりびと」の「NKエージェント」に近い日和山へのぼる坂道から祭りの催しが行われている中町方向を振り返ると、道の両側にびっしりと屋台がならび、祭りを楽しみそぞろ歩く人の波が。
本祭り前日の夜に、家の祭りそっちのけで小料理屋「まる膳」に集まってくれた高校同期の皆さん。
自分は神宿担当の町内会長で多忙の中、欠席のつもりだったのを祭りの行列を終えて顔だけでもと店を覗いたばっかりに、幹事から早速会費を徴収された渡部さん、スミマセン。ありがとうございました。
5月20日朝。酒田まつり400年の当日は祝福するような快晴!!!
吉村山形県知事も参列した昼の式台の儀に、僕も「酒田北前大使」という名の観光大使の立場で列席した後、長い長い行列をたっぷりと眺め楽しみ、重くなった足で「最上屋旅館」に帰ると、高校同期の当主佐藤幸徳さんが「祭りのごっつぉ」を準備して待っていてくれた。ありがたく嬉しい心遣い。まるで「おしん」の定次が「加賀屋」で祭り振舞いにありついた心地良さ。
夜8時を過ぎて、本当に黒山の人がかたずを呑んで見守る中、いよいよ立ち山鉾が動き出した。そして停止。
一瞬静まり返った中で照明が入ると、群衆からウワォゥと声にならない歓声があがった。立ち山鉾が生きている。
昼にばったり出会った「上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)」の白崎映美さんと一緒に感激にひたった。
21日も快晴。市役所の向かいにある「鐙屋(あぶみや)」を見学。ここは井原西鶴の「日本永代蔵」に書かれている旧廻船問屋。高校時代には市民会館で見た演劇公演の合評会などで日常的に使った建物。「おしん」の米問屋「加賀屋」もこのような作りの建物だったのだろうと再確認の見学。
道を隔てた、今は市役所の駐車場になっている場所に、実際に「加賀屋」という米問屋があったのだと聞いた。
酒田山王祭
400年
新型インフルエンザが国内で感染拡大していますが、お変わりございませんか?
ずいぶんご無沙汰してしまった、このページです。
掲示板のトラブルが続いていて、現在は書き込みができない状態だとのこと。何が原因なのか・・・? 早く解決して欲しいですね。
世の中にはゴールデンウィークがあったけれども、俳優のスケジュールはカレンダーにかかわらず曜日も時間もない仕事。
その間に、テレビドラマの衣装合わせやRO-DOKUの稽古もあり、 山形へそそくさと数日帰省をしただけで終わった。
高速道路料金が1000円になって相当込むだろうと覚悟して出発した東北自動車道だったが、順調な時に4時間半の距離を、行きは6時間、帰りは7時間半で到着した。
10数年前のお盆帰省の時、12時間以上かかったことを思うと、楽なものだった。
あの時は途中で諦めて、郡山で高速を降り、会津喜多方で喜多方ラーメンでエネルギー補給してたどり着いたのだった。
今日もRO-DOKUの稽古。
出演者全員が集まって唯川 恵作『手のひらの雪のように』を読む。今までは夫々が読む個人の稽古が続いて、久しぶりに皆さんと一緒の稽古。楽しみだ。
稽古の後、今夜、故郷山形の酒田市に自動車で向かう予定。
子供の頃、楽しみにして見た酒田の山王祭を見に行く。45年ぶり(?)に見る祭り。
昭和54年から「酒田祭り」と呼ぶようになったこの祭り、それ以前は山王神社の「山王祭」と呼ばれていた。1609年(慶長14年)に始まった祭りはその後一度の休みもなく続けられ今年で400年になる。記念すべき今年の祭りだ。
『おしん』の舞台にも山王祭当日の場面があり、僕が演ずる定次がおしんの新しい奉公先・米問屋「加賀屋」を訪ねおしんと再会を喜び合う。その時定次は、山王祭の豪華さを語り、祭りの酒肴をご馳走になる。そしてその後の夜祭りの場面で、おしんは酔客と連れ立って祭り見物にきた母親を見てしまう・・・・。
19日の宵祭りから20日の本祭りまでをじっくり味わいたい。
町中に電線が張られて運行が出来なくなり明治39年を最後に姿を消した高さ20メートルの大立て山鉾が、今年は復活するという。それも楽しみだ。
高校で同級だった友人の実家「山王クラブ」は明治20年代に建てられた料亭だったが、今は酒田の商人文化と歴史を伝える施設として公開されている。ここも初めて訪ねる予定。
そして祭りのごっつぉ(ご馳走)。玉子寒天や鱒のあんかけうどなど、庄内の祭りでごく普通の家庭でも出された定番のごっつぉを、明日のお昼にいただく。
また明日の夜には、僕の酒田祭り帰省を聞きつけた同級生20人近くが集まることにしたと連絡が来た。久しぶりに、故郷の祭りの雰囲気にどっぷりとひたることになる。皆との再会も楽しみだ。こんな嬉しいことはない。
今年の定次は、酒田祭りから大きなエネルギーをもらって演じられそうだ。
祭りの後は、青森県黒石市に回ってテレビドラマのロケ。同郷・山形出身の村川透監督と久しぶりにご一緒させていただく。これも楽しみ。
初夏の東北地方を走って、帰ってきたらRO-DOKUだ。
これがまた、楽しみだ。
輝 09.5.18
酒田まつり創始400年本年祭 ホームページをご覧下さい
http://www.sakata-kankou.gr.jp/matsuri/sakatamatsuri/index.html
吉村美栄子山形県知事を訪問
僕の故郷・山形県を舞台にした『おしん』が8月に名古屋・御園座で一ヶ月公演、その後11月から12月にかけて『おしん 少女編』が全国公演されることも決まったので、先週山形県の吉村美栄子知事を表敬訪問した。
高温が続いた山形県内は、開花宣言が出されてから数日で桜が満開。コブシもハクモクレンも水仙も、いっせいに咲き誇っていました。
吉村知事は今年1月末の選挙で、2期目を目指した現職知事を破り初当選。東北地方で初の女性知事となった方。分きざみの過密スケジュールを縫って時間を割いてくださった。
僕は先ず、知事選挙当選のお祝いと吉村知事への期待を述べ、『おしん』の山形県内での公演について「故郷を舞台にした作品に自分が出演できるのはとても嬉しいことで、その作品を地元で公演できるのは更に嬉しい。全編が村山弁と庄内弁の芝居。地元公演をぜひとも成功させたい。」と抱負を語りました。
吉村知事は「ぜひ、成功させてください。『おしん』は海外にも知られている山形を舞台にした作品。私も『おしん知事』として頑張ります。」と答えられました。
また、僕が『チャングムの誓い』でチャングムの育ての親カン・ドックを演じたことを知ると、「私は『チャングムの誓い』の(テレビ)放送を毎回見ました。佐藤さんはあのカン・ドックのような味のある役を演じられるのですね。」と僕の演ずる役柄に納得された様子でした。
温かな吉村知事に励まされて、今年後半の『おしん』にむけてグッとテンションがあがり、やる気まんまんです。
吉村知事には、持ち前の庶民感覚で、県民が安心して希望を持って生活していける県政を進めていただきたいと、心から期待しています。
輝 ☆彡 09.4.19
僕が高校時代を過ごした酒田市を中心に、生家がある庄内町の余目(あまるめ)駅など、アカデミー賞受賞映画『おくりびと』の舞台となった庄内地方はいまロケ地ブーム。
海と船が好きだった僕は放課後に、足もとに見える酒田港から日本海に浮かぶ飛島までを一望できる日和山公園にしばしばのぼった。その坂道の途中左側に典型的な和風建築の割烹料理屋があったが、その手前に隣接して大正モダン風というかレトロな洋館が建っていた。なんとも奇妙な取り合わせで、ミスマッチの不思議な感じが心に残っていた。
昨年、『おくりびと』を見た。
冒頭の地吹雪のシーンから、物語を包み込んでいる庄内の自然と風景の美しさを息をつめて見ていたが、主人公小林大悟がNKエージェントの求人広告を見て面接にむかう坂道にかかったとき、僕は「あぁ、日和山にのぼる道だ」とつぶやいた。
咲き始めたばかりの日和山の桜を楽しみながらすぐ下のNKエージェントに行くと、廃業してから時がたったはずの旧割烹小幡は、見学の観光客が出入りしている。『おくりびと』ブームに乗って営業を再開したかと思えるほどのにぎわいだ。
生家のある地名をとって『館椿(たてつばき)』と名付け、わが家のバルコニーで30年以上も大切に育てているヤブツバキは、写真の木の根元に生えていた実生苗(のっこ)。子供の頃、まだ雪が消え残る庭の奥まった一角に、この深紅の花が咲きだすのを待ち焦がれたものだった。
山形県の内陸部・村山地方と日本海側・庄内地方を結ぶ「山形道」にある「月山湖パーキングエリア」。駐車場の柵の外は、まだこんなに雪が残っている。そう言えば、後ろに白く見える月山は夏スキーで知られ、4月10日にスキー場がオープンしたばかり。これから山形は、ブナの新緑と山菜、サクランボとリンゴの花の季節だ。
さようなら〜ッ ! 金田龍之介さ〜ん !
散りはじめた桜並木を、新一年生が喜びと緊張感を詰めたランドセルを背負って、これも初々しく晴れがましい両親と一緒に通る姿はほほえましい。今年はおだやかな春の日の入学式になった、良かったね。
わが家のバルコニーから眺める満開の桜並木
先週火曜日の早朝、思いがけない訃報が届いた。
俳優・金田龍之介さん、80歳。
名優と呼ばれるにふさわしく、重く大きな存在感は群を抜いていた。その存在感で一瞬にして役の世界を表現し、時には人の良い番頭を演じ、時には地獄を背負ったような極悪巨悪を演じる、スケールの大きな名優だった。僕が尊敬する、素晴らしい先輩俳優のお一人だった。
昨日5日、金田さんの告別式があり、車窓を流れる景色の中に時々満開の桜を眺めながら、東武線新越谷駅からほど近い式場にでかけた。
76年という長い芸歴と多くの人に親しまれ慕われたお人柄を示して、200以上もの供花に囲まれた棺の中のお顔は、眼鏡ははずされているものの、今にも「いつまで俺を眠らせておくんだ
? そろそろ起きても良いだろう ? 」と言い出しそうな、おだやかないつもの優しい表情。
亡くなる数日前には、病院に来た見舞客に、「暇だから、絵の題材になる写真でも持ってきてくれ」と頼んでいたと聞くと、あまりにも急な容体の変化を、ご自分でも納得出来なかったのではなかったかと思われる。
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』などの原作者・梅原猛さん、金田さんと出演者二人だけの芝居を演じた『サラ』の麻実れいさん、多くの舞台で共演された三田佳子さん、この三人からの真心こもった弔電披露を聞きながら金田さんの舞台を思い出すうちに、僕は涙が止まらなくなってしまった。
つい70日前の1月20日、事務所の集まりで久しぶりにご一緒し、隣りの席で酒を酌み交わし、お互いの健康を喜びあいながら共演した舞台の思い出や大阪の街、店のことなどをひそひそ話もふくめながらわいわいにぎやかに語り笑いあって、またの再会を約束したばかりだったのに。金田さんは偉大な俳優でありながら僕らのような後輩をもあたたかく迎え入れ包み込んでくれる、仏様のような包容力のある方だった。
今年1月20日、四谷三丁目の居酒屋でにぎやかに語りあったばかりだったのに・・・。
今から27年前、1982年(昭和57年)11月と12月、帝劇の秋元松代作蜷川幸雄演出『南北恋物語』でご一緒したのが金田さんとの最初だった。帝劇の舞台を二重構造に大工事して本物の泥田(浅草寺
裏田んぼ)を仕込み、そこで繰り広げられた金田さんの鈴虫権左と平幹二朗さんの青山左門の泥まみれの立ち回りは凄絶で、鮮烈だった。僕は頭をツルツルに剃って催促座頭・炭一を演じた。この作品には、その後同じ事務所に所属した故山岡久乃さんも出演されていた。
翌83年には、平さんと太地喜和子さんの紙吹雪の中の道行き、森進一さんが歌う主題歌『それは恋』でも話題になった秋元・蜷川コンビの『近松心中物語』大阪朝日座公演でご一緒した。金田さんの敵役・八右衛門の重さがあったればこそ現出できた絶賛の『近松心中物語』の世界だった。僕は太鼓持・勘八役。次の年に帝劇、86年(昭和61年)に近鉄劇場で再演されて、そのたびにご一緒した。
92年(平成4年)1月、森繁久彌さん主演の帝劇『明治太平記』で久しぶりにご一緒した。金田さんは大蔵大輔・井下清役。かっぷくの良い洋装の堂々とした存在感は、明治新政府の権力の強さを見せていた。僕は、五稜郭で破れた幕臣・森繁さんの石川金之助が隠棲した平井村の親爺甚助役。
93年(平成5年)7月、大阪・劇場飛天から始まった大地真央主演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』。94年に帝劇、97年は飛天と帝劇、計163回、金田さんは歌も踊りもあるヒギンズ教授の友人ピッカリング大佐で出演。素晴らしい歌声とステップだった。イライザが深紅の衣装で二階からおりてくるのを待ち受けるピッカリング大佐の感に堪えた「きれいだよ、ミス・ドゥーリトル」と言う声の響きが今も耳に残っている。金田さんのセリフがイライザの美しさを更に引き立てていた。僕はイライザの父・ドゥーリトルの酔っ払い仲間ジェミイを演じた。
93年7月、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』大阪・劇場飛天の楽屋廊下で。
この間、金田さんには楽屋生活でなにかとお世話になったうえに、大阪公演では新歌舞伎座近くにある行きつけのおでん屋さんや、通天閣近くの洋食屋さんに連れて行ってもらってご馳走になった。ホテル暮らしでも、天神祭でお好み焼きを買ってきたから部屋で一緒に食べようと呼んでくれたり、本当にお世話になった。また92年からは金田さんが所属している事務所さち子プロに僕も所属したので、更にお付き合いする機会が多くなった。思い出はまだまだある。
先輩として僕の成長を喜んでくれ、時には人生のアドバイスもしてくれるかけがえのない偉大な人を失った悲しみは尽きない。晴天の桜満開の中で旅立ちを見送ることができたのがせめてもの救いだ。
出棺のとき、動き出した車に向かって、僕は万感の思いをこめて「龍之介〜〜ェ ! 」と叫んだ。合掌
輝 ☆彡 09.4.6
明治座 三平物語 はお陰様で無事に公演を終了しました。
応援ありがとうございました ! !
5月9日(土)朝9時〜12時 NHK-BSハイビジョン
好評だった明治座公演『三平物語』が舞台中継されます。
■2009年3月 舞台出演
◆平成21年明治座3月公演
林家いっ平 改メ 二代 林家三平襲名記念公演
三平物語
2009年3月1日(日)〜29日(日) 人形町・明治座
全席指定 A席 12,000円 B席 5,000円
2009年春の明治座で、思いっきり笑ってください ! !
佐藤 輝が演ずる役は !? さあ、お楽しみに ! !
原案:海老名香葉子 作:金子成人 演出:水谷幹夫
【出演】 風間杜夫 熊谷真実 池内淳子(特別出演)
山川恵里佳 菅野菜保之 不破万作 佐藤 輝 小宮孝泰 でんでん
二木てるみ 森宮 隆
岡部征純 佐藤銀平 水島涼太 宮路佳伴 鴫原 桂 品川恵子 松本美奈子
『三平物語』千秋楽、そして桜満開
先月29日の明治座公演『三平物語』千秋楽から、あっと言う間の1週間。
お客さんが入り、反応も評判も良かった公演の打上げは、人形町の居酒屋で楽しく盛り上がった。僕も久しぶりに思いっきり気持ち良く飲んで、二次会のカラオケではふわふわの酩酊状態で歌った。
その前日28日、故郷の山形県庄内町から原田眞樹町長夫妻と仲間のみなさんが上京して『三平物語』を観劇し、僕を激励してくださった。それに合わせて在京の「東京庄内会」の皆さんも観劇、休憩時間にそろって楽屋を訪ねてくれた。
原田町長ご一行8名と「東京庄内会」の皆さん
事前に原田町長からは、庄内こめこめチームが生産した庄内町自慢の特別栽培米「山形県庄内町産 スペシャルコシヒカリ」5袋と地酒が楽屋見舞として届けられ、僕はそれを池内淳子さん、風間杜夫さん、熊谷真美さんに「故郷の庄内米」と説明しながら直接プレゼント。皆さん、「山形の米じゃなくて、庄内の米なのよね
! 」とひとしきり庄内地方のことを話題にしながら大喜びで受け取ってくれた。こうした広がりが、大いに故郷庄内の宣伝になる。
当日は、僕が上京直後に知りあい、以来応援していただいている「東京庄内会」の斎藤まり子さんが手作りの「庄内風ぼた餅」をどっさり届けてくれた。故郷のぼた餅は東京の菓子屋で売っている小さく硬いおはぎと違って、大きくぼったりしている。一度に何個も食べてしまう僕の大好物。斎藤さん手作りのこんぶの煮物と一緒に各楽屋に届けると、これも一斉に喜びとお礼の声が返ってきた。
劇場前ののぼりの前で原田町長ご一行8名と記念撮影
皆さんの熱い応援の気持ちが二日間、楽屋を庄内デーにしてくれた。本当にありがたく嬉しい、故郷からの応援団だった。この感謝の気持ちは言葉にならない。
千秋楽の打上げは花見を兼ねるかと思われたが、開花宣言してからが遅く、昨日今日あたりが満開になった東京の桜。
バルコニーから見える桜並木は、家族グループの花見でのんびりにぎわっている。
輝 ☆彡 09.4.5
海老名香葉子さんと恩師・早野寿郎先生
今月出演している明治座公演『三平物語』は「林家いっ平 改メ 二代 林家三平襲名記念公演」と銘打っている。
その林家いっ平さんの「二代 林家三平襲名」興行が、今日上野鈴本演芸場で始まって、涙ぐんで口上を述べる兄正蔵さんと、涙ぼろぼろで高座をつとめる襲名したばかりの三平さんの姿をテレビニュースが報道していた。二人のお母さんで舞台『三平物語』の原案を担当している海老名香葉子さんは写っていなかったが、どんなにか喜び、天国の三平さんに報告していらっしゃることだろうと思った。
いやあ、香葉子さんと僕の間に、いや、風間杜夫さんも加えて三人の間に、こんな思いがけないご縁があったと知ってびっくりした。そのご縁があったからこそ僕は『三平物語』に早野甚八というこの役で出演することになったのか・・・と、ゾクッとした。
香葉子さんが三平さんとの思い出をつづった本「おかみさん」が劇場ロビーでは襲名記念グッズなどと並んで売られている。
楽屋で出演の合間にその本の目次を見て目がくぎ付けになったのは「第三章 孤児だった」の中の「早野寿郎先生」! !
早野寿郎先生は、僕が所属した劇団俳優小劇場の演出家で演劇の基礎をしっかりと教えてくださった恩師「早野先生」と同姓同名だ。・・・落語界と演劇界との結びつきか?
『三平物語』は落語家を描いた演劇として結びついているが、僕が知っている範囲では香葉子さんと僕の恩師の「早野先生」が結びつく接点があったとは考えられない。それにしても、ありふれた名前ではない「早野寿郎」さんの同姓同名は・・?
そのページを読んで、本当にビックリした。香葉子さんが書いた「早野寿郎先生」は、20年の時を隔てた僕の恩師・早野先生と同一人物だったのです。
要約すると、昭和20年3月10日の東京大空襲で孤児になった香葉子さんが知り合いを頼って埼玉浦和の中学に入学した時の担任が、後に俳優小劇場を結成した早野寿郎先生。先生は、子守りの手伝いで学校を休みがちだったけど成績がよかった香葉子さんを見込んでか、学芸会の演劇の脚本と演出と主役を香葉子さんにやらせてくれました。その早野先生の温情は、孤独でささくれた香葉子さんの心に深くしみいったとのことです・・・・。
俳優としての僕の心を支えてくれている、あの「演劇の神様」を教えてくれた、僕の・・・早野先生。劇団俳優小劇場の養成所で僕の後輩だった風間杜夫さんの先生でもある、早野先生。その先生が香葉子さんの心に残る恩師の「早野寿郎先生」だったとは。そして今、『三平物語』で結ばれている。これは奇遇としか言いようがない。僕の役名「早野勘八」は早野先生とはまったく関係がないのだが、偶然とは言えないような不思議なご縁を感じる。
早野勘八を演じながら、客席の後ろから僕の舞台を見ている「演劇の神様」と今は亡き「早野寿郎先生」の気が感じられる毎日だ。
輝 ☆彡 09.3.21
追記 劇団俳優小劇場は早野寿郎さん、小沢昭一さんなど偉大な先輩たちによって1960年に結成され、ユニークでエネルギッシュな演劇創作を続けて当時の新劇界の最先端を疾風のように駆け抜け、1971年に解散したが、その短い間に劇団の魅力に魅かれて集まってきた多くの若者を受け入れた。僕もその一人であり、養成所の後輩には、風間杜夫さんをはじめ、伊佐山ひろ子さん、伊武雅刀さん、加藤健一さん、市毛良枝さん、岡本麗さん、小宮和枝さんやシティボーイズの斉木しげるさん、大竹まことさん、きたろうさんなど、多くの才能がいる。これだけの意欲ある若者たちを引きつけた魅力ある劇団だった。
『三平物語』劇評
世の中は、本当に明るい笑いを求めている。だからこそ明治座の客席は連日、春の大潮の鳴門の渦潮のような大きな笑いの渦が起こっているのだ。笑って笑ってこの世の憂さを吹き飛ばしたい、そんなお客さんの熱気が感じられる客席。
12日の東京新聞夕刊に、「焦点絞り人間性色濃く」と題する演劇評論家・津田類さんの劇評が載った。
「コンパクトにまとまって、明るいのがいい。高座での一席も楽しい。さすが風間(杜夫)のテクニックだと感心させられた。」「周りがしっかり支えて面白い舞台になった。」と好評。観劇したお客さんは、まったくその通りだったと納得する劇評だし、観ていない人にも舞台の成果を知ってもらえる、嬉しい内容の劇評だった。
この好評の舞台は29日が千秋楽。舞台は生ものです。観ないときっと悔いが残ることになるでしょう。定額給付金を前借りしてでも、ぜひぜひ明治座においでください。
輝 ☆彡 09.3.20
明治座『三平物語』中日
気持ち良く晴れ上がった春の日差しを浴びながらはためく、出演者の名前が染め抜かれたのぼり旗を眺めながら、明治座に楽屋入り。
劇場南側の道は西風が吹くことが多いらしく、のぼりの文字が左から右に裏向きになっていることが多いのだが、今朝は珍しく東風なのか、どののぼりもきちんと表向きの文字になっている。
今日16日は3月公演『三平物語』の中日(なかび)。でも、公演日数で数えると、昨日の15日が本当の中間点だったから、もう折り返し点を過ぎて後半に入っている。
楽屋に入ると、明治座からの楽屋見舞いとして、日本橋・うさぎやの美味しいどら焼が届けられた。熱いお茶をいれて、どら焼をいただく。上品な甘さが元気をくれた。今日は11時開演の1回公演。
午後の日も心地良く温かく、駅から帰宅する緑道の道すがら見上げると、澄んだ青空に白木蓮がぽっかり浮いたよう咲いていた。
道を通るときには気が付かなかったが、バルコニーから眺めると、道沿いの大きなコブシの樹の梢という梢にも白い小さな灯のようなたくさんの花が咲いている。
昨日までは枯れ枝のようだった鉢植えの山椒にも、色鮮やかな緑の新芽が芽吹いた。
桜並木が続く緑道には提灯が吊り下げられて、花見の季節を待ちかねている。
嬉しい季節。春本番間近だ。
輝 ☆彡 09.3.16
3月10日、誕生日
明治座『三平物語』は今日も爆笑が続いている。そしてお客さんの入りが日に日に良くなっている。出演者としても嬉しい。
舞台にテンポが出て、上演時間は30分休憩を2回入れて3時間45分ほどになった。
2幕ではこんな衣装で登場の早野勘八。去年10月の『新宿・歌声喫茶の青春』でも確かこんなルパシカ姿だったような。
7日、昼の部が終わったら楽屋の頭取部屋前に集合との連絡があった。「そうか、今日が誕生日の出演者がいるからそのお祝いだな」と合点してそこに行くと、用意されたテーブルの上に大きなケーキが5つも並んでいて、「3月生まれの方はテーブルの奥にどうぞ」と5人が呼び出された。熊谷真美さん、山川恵里佳さん、小宮孝泰さん、斉藤健太さん、そして僕。ケーキそれぞれには5人の名前が書かれている。まさにサプライズ
! ! !
あらあらあらと思っている間にケーキの上の3本ずつのローソクに火がともり、共演者全員による「ハッピー・バースデイ」の大合唱。歌の最後に「ローソクを吹き消して」と指示されて、あわてて自分の名前のプレートが飾ってあるローソクを吹き消した。
すると今度は出演者全員からのお祝いのプレゼントが手渡された。僕は二木てるみさんからいただいた。
5人が誕生の日にちと何歳になるのかを発表して、その度にわいわいとはやし立てられる。僕は「10日に、(3本のローソクを指さしながら)30歳になります」。悲鳴ともつかない爆笑がおこって大笑い。先に「10日」と発表した熊谷真美さんと感動の顔を見合わせて「3月・・10日
! !」とうなずきあった。
風間杜夫さん、池内淳子さんが計画して他の共演者に声をかけてのお祝いだと言う。あれだけのセリフと格闘して覚え、毎日の長時間の出演でお疲れだろうのに他の出演者に気を遣って下さる、何という嬉しい思いやり。公演中の誕生日は初めてで、こうして共演者の皆さんに祝っていただけるのは格別に嬉しく興奮した。
楽屋に帰ると、切り分けられたケーキが名前の入ったお祝いプレート付きで届けられた。
プレゼントと共に記念写真。
プレゼントの包みを開くと、中からはステキな白のバスローブが! !
感謝感激の誕生日前祝いだった。おいしいケーキを食べながら、目はもう、うるうるになった。
そして晴れ間の出た今日、3月10日。
朝からお祝いのメールが届き、楽屋では熊谷真美さんがお祝いのチョコレートをプレゼントして下さった。
初めての公演中の誕生日。印象に残るステキな1日に乾杯だ ! !
輝 ☆彡 09.3.10
爆笑続く明治座『三平物語』初日
予報よりも早く小雨が降り出した浜町。
だけど、明治座の客席は外の天気とは打って変わって、爆笑が続く陽気な春の晴天の気分に包まれた。世界を覆う不景気風も吹き飛ばしそうな勢いで、お客さんは4時間笑い続けた。
林家一門が日替わりで出演する2幕のゲストコーナーに今日は、今月21日に二代目林家三平を襲名するいっ平さんも駆けつけて、先代三平さんそっくりの「どぅもすみません」「よしこさん」を連発して客席を沸かせた。
稽古中には出ていなかった思いも掛けないトチリもあるにはあったが素晴らしい初日の舞台だった。お客さんが大喜びで帰られたことが何とも嬉しい。
明日は明日のお客さんとの出会いがある。明日のお客さんがどんな反応をしてくれるか、楽しみだ。
輝 ☆彡 09.3.1
明治座『三平物語』明日開幕
明日の『三平物語』開幕をひかえて、昨日今日と明治座で舞台稽古があった。
34年ぶりの明治座出演。だから明治座がビルになってからの新しい舞台は初めてだ。
今日、久しぶりに晴れ間が見えた劇場前の道沿いには、看板出演者の名前が染め抜かれた色鮮やかな9本の大きなのぼり旗が春風にはためいて、初日を迎える期待感が高まる。また、土曜日とあって、人形町の下町情緒を楽しむ家族連れが甘酒横丁あたりからそぞろ歩いて来て、のぼり旗を背景にして写真を撮ったりしている。
30分の休憩が2回入る3幕の舞台は上演時間3時間50分。そのうち僕の出演は1,2幕だけ。
3幕には風間杜夫さん演ずる林家三平の高座独演会があるが、これが三平さんそっくり、と言うよりは物まねではなく、実に上手い、面白い。
3月29日の千秋楽まで、ぜひおいでください。
輝 ☆彡 09.2.28
衣装合わせ
『三平物語』明治座初日まで6日。
明治座の稽古場で続いていた稽古が、先週18日から、西新宿の「新宿村スタジオ」に移った。いよいよ最後の追い込み。
「新宿村」での稽古は、去年10月の『新宿・歌声喫茶の青春』に続いて2回目になる。歌声喫茶「トロイカ」のマスター、木崎役の衣装合わせをしたのも「新宿村」だった。そして決まったロシアの民族衣装、ルパシカを着て通し稽古もした。
『三平物語』の衣装合わせが一昨日稽古場であった。
僕が演じる早野勘八役は、若き日の三平さんと知りあい、共に新しい笑いを求めて苦闘した三平さんの盟友。時代を先取りするようにして、三平さんより一歩先に喜劇俳優として有名になった人をモデルにしている。
3つの場面に登場する早野勘八の衣装は3パターン。
共に苦闘した時代の2パターンはすんなりと決まって、久しぶりにダンスホールで再会する場面での衣装は・・・。用意してあったのが、何と
! 緑のルパシカ ! !
演出の水谷さんが直ぐにOKをだしたのでそのルパシカに決まったが、同じ場面の衣装を着た三平役の風間杜夫さんと顔を合わせて、「ぷっふぅー」と吹きだしてしまった。
時代背景が近いとはいえ、別の2公演でこんな特殊な衣装を立て続けに着ることになるとは思ってもいなかった。
思い出をたどると、僕の記憶に残っているルパシカ姿の人はみんな新宿で出会った人ばかりだったことに気がついた。
新宿とルパシカに、僕はよっぽどの縁があるようだ。
輝 ☆彡 09.2.23
ドンガラ汁パワーでベサメムーチョ
日は長くなり、春めいた陽気になってきました。
近くの中学校の梅の木が、それぞれ紅と白の花を咲かせています。
先月、故郷庄内にすむ兄が、日本海で獲れた寒ダラを送ってくれたので、我が家の寒鱈ドンガラ汁祭りをしました。「鱈腹」とはうまく言ったもので、冬の寒鱈の腹は丸々と太っています。その一本をさばいて送ってくれたのです。
ドンガラ汁は庄内地方の故郷の味。鱈のアラのぶつ切りと豆腐を煮込んだ味噌汁で、本当に体が温まる。キモのうまいこと、またふわふわしたダダミ(白子)のとろけるような甘さ。
3日連続でドンガラ汁を鱈腹食って元気を付け、先週から『三平物語』の稽古に入った。
今日は「顔寄せ」がありました。明治座の三田社長さんをはじめ演劇製作部のみなさんと全出演者・スタッフが対面して挨拶と手締めをする儀式。林家三平さんの未亡人で『三平物語』の原案者でもある海老名香葉子さんもおいでになって、その後の稽古にも立ち会われた。
寄席で出直しの前座修業している三平さんを、僕が演じる友人「早野勘八」が訪ねる場面の最後に、早野勘八は楽屋太鼓を手のひらでたたきながらなぜか「ベサメムーチョ」を口ずさむことになった。
そんな訳で今夜は家で、「ベサメムーチョ」に合わせてひざをたたいている。あの名曲「ベサメムーチョ」をご存知ですか? メキシコで作られて1950年代に一世を風靡した「いっぱいキスして」と言う意味のラテンの名曲です。
さて、この「早野勘八」なる人物、実在のある人をモデルにしているのだが・・・、それは舞台を見てのお楽しみ。
明日11日は世の中は休日だけど、僕らは稽古。ダンスホールの場面。ここでは早野勘八がマンボを踊る設定になっている。が、どんな振付になるのか・・・・。きっと汗びっしょり。ここで、ドンガラ汁からもらったパワーで頑張らねば
! !
輝 ☆彡 09.2.10
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