俳優・佐藤 輝-37
あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 37
2014年12月〜2015年7
 
        
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2014年12月2015年7月



心和めることの・・・ 

 本当に久し振りのアップ。七夕とは、余りにもピッタリな。

 演劇評論家扇田昭彦さんを送る会が昨日(6日)夜、池袋芸術劇場で行われ、僕も出席させていただいた。 

 会場は、仕事仲間の演劇評論家の皆さんや劇団関係者、劇作家、扇田さんが所属した朝日新聞文芸部の後輩の皆さんなど、600名の参加者であふれた。

 「辛口の評に悔しい思いをしたこともあったけれど、評して貰えたことが嬉しかった、扇田さんに心から感謝しています! !」などの言葉が次々と語られて、舞台作品を熱く愛した扇田さんの評論と人柄に励まされ支えられた多くの人たちの思いが凝縮したホットな空間だった。


 今年も、ただ一株のネジバナが、梅雨時のベランダを明るくしてくれた。





 去年の晩夏から咲き始めたおじぎ草は室内で冬を越して、今日は2輪、一昨日1輪、その前が4輪とほぼ毎日可憐ながら見応えのある花が心を和ませてくれている。


 母校・山形県立酒田東高校の関東圏在住卒業生で作っている「東京亀城会」50周年総会と懇親会が先月28日にあって、僕も参加した。

 届いた案内に「記念イベント おしんの小林綾子さんによるフリートーク」とあるのを見て、他のことはともかく、これは必ず出席しなければなるまいと、僕としては珍しく早々と返信はがきを出した。

 小林綾子さんが主演した舞台「おしん 青春編」(橋田寿賀子脚本、石井ふく子演出)に、僕は2008年7月の新橋演舞場公演と、翌年8月の名古屋御園座公演に出演した。役は少女のおしんが小学校入学を断念して初めて奉公に出た中川材木店の奉公人で、冬の最上川をおしんを筏に乗せて連れて行き、女中にいじめられるおしんをかばう定次の役だった。だから、成長して娘になったおしんの小林綾子さんと一緒の出演場面はなかったが、僕の心の中では、小林綾子さんは定次が行く末を案じた少女のおしんが成長した姿そのものだった。

 フリートークの途中にプロジェクターでその公演チラシの綾子さんと僕の顔が大写しにされたと思う間もなく突然ステージに呼び上げられた。


     


 既に気持ちは定次になっているので、小林綾子さんはあのおしんそのもの。
 「おしーんッ! !」「定次兄ちゃん! !」と互いに駆け寄ってハグ! ! 会場は一瞬息を飲んだ後で爆笑に。
 感動的な、楽しい再会だった。

 舞台の思い出などを語っている時に、綾子さんが「ヨーイサノマガーショー エーンヤコラマーガセー」と、定次が最上川を下る時に歌った「最上川舟唄」の掛け声を歌い出した。僕も直ぐに合わせて、二人一緒の「最上川舟唄」。





 追分け節の入りは「酒田さ行ぐさげ マメでろちゃヨイトコラサノセ」と僕が引き取ってワンコーラスを歌った。客席も笑いと手拍子で大盛り上がりの楽しい時間を過ごさせてもらった。

 その時の様子は「小林綾子オフィシャルブログ」6月28日の項「“もっけだのぉ”トークライブ」をご覧ください。

 心和めることの、ありがたき。

                     輝 ☆彡 2015.7.7


扇田昭彦さんを悼む 

 演劇評論家の扇田昭彦さんが一昨日22日に74歳で急逝された。

 あまりに突然の訃報を聞いて、僕はしばらくの間ただ呆然とした。

 扇田さんは日本演劇界のみならず世界の演劇界を俯瞰して評論した、レベルの高い知性と理性と教養を持つ数少ないトップクラスの評論家のお一人だった。

 舞台芸術を支える裏側の苦労まで丁寧に取材して書かれた扇田さんの評論によって支えられ励まされた結果、今日第一線で活躍できている演劇人がどんなに多いだろうかと僕は思う。


 僕が、渋谷にあった劇団俳優小劇場に入った1968年に扇田さんは朝日新聞文芸部の記者になられて当時の小劇場運動を追い始めたと聞くから、ほぼ同じ時代を歩んで来たことになる。
 痩身ですっくと立つ扇田さんのお姿は、控え目なのに稽古場でも劇場でもすぐに目に付いた。

 急激な社会の変化に対応できなかった劇団俳優小劇場が閉塞状態から脱けきれずに何度も劇団総会を開き、結局解散に至った71年には、劇団へ続く鴬谷町の坂道で張り込みながら取材を続ける扇田さんのコート姿がしばしば見受けられた。


 僕は今から丁度20年前、95年6月の『ラ・マンチャの男』青山劇場公演にサンチョ役で初出演した。緊張の毎日が続いていた。

 忘れもしない6月19日の昼夜公演の間の休憩中、名プロデューサーとして伝説が残る佐藤勉さんが突然楽屋に入って来て、「良くも書いてないが、悪くも書いてない」と言いながら新聞のコピーを手渡してくれた。

 「複雑な三重構造が呼ぶ感銘」と題して扇田さんが書いた朝日新聞の劇評だった。
 僕のサンチョについては「サンチョを初めて演じる佐藤輝は好演だが、さらに個性を出してほしい。」とあった。毎日を不安の中で過ごしていた僕は、この文章を読んで少なからぬ自信と確たる目標を持つことができた。励まされ支えられた。

 その後、扇田さんは月刊ミュージカル誌に「サンチョ役の佐藤輝は新劇畑の出身で、1995年の公演から登場したが、体型といい、演技スタイルといい、初演から1985年までこの役を長く演じ続けた小鹿番にまるで兄弟のようによく似ている。とくにサンチョの佐藤がアルドンサの問いに答えて「旦那が好きなのさ」とひょうひょうと歌う場面がいい。このまま『ラ・マンチャ』組に長くいついてほしいと思う力のある役者である。」との評を書かれた。

 きちんと丁寧に見続けて書いて下さった扇田さんの評のパワーを受けて、僕はサンチョ役のみならずその後に演じた多くの役を、より深く、より高いレベルを目指して積極的に演じ続けることができた。励まされ、支え続けてもらって来た。

 今、こんな風に僕と同じ思いで扇田さんを偲んでいる演劇人が沢山いることと思う。

 本当に、日本演劇界は知性ある星を失ってしまった。

 扇田昭彦さん ! 早すぎる ! 逝かないで ! ! !

                     輝 ☆彡 2015.5.24




■2015年4月 佐藤 輝 出演

NHK FMシアター
4月25日(土) 午後9時〜午後9時50分放送

葬式の翌日、亡くなったはずの母が家に帰ってきた
母、逝かず




【出演者】
市原悦子 今井朋彦 千葉哲也 石橋蓮司
小林勝也 坂口芳貞 佐藤 輝 鈴木一功
大方斐紗子 原口健太郎
【作】
西山聡
【音楽】
小林洋平
【スタッフ】
演出:江澤俊彦
技術:久野裕大
音響効果:野村知成
 
【あらすじ】
   東北の限界集落・笹川村・山中地区の家はほとんどが農業を生業としている。
春なのにまだまだ寒い夜、阿部健(33)の母・絹子(66)が脳溢血で急死した。
健はひとり家に残される。
一方、村の皆から愛されていた人気者の絹子が生前気にかけて心配していたのは、
2年前に東京から帰ってきて以来、一向に村にとけ込もうとしない一人息子・健のことだった。
そんな絹子は、自分の葬式の翌朝、オバケとなって平然と家に帰ってくる……。
この世に未練を残しオバケになってしまった母の息子への情愛と、母をなんとか
成仏させるために、村にとけ込もうと努力を積み重ねる息子の成長を描いた物語。



桜満開 ! 春満開 ! !  

 誰もが大好きな、待ちに待った春本番 !
 と僕は思っているが、
 いや、一番来て欲しくない大嫌いな季節と言う方もまだまだ多いのかも知れない。

 ラッキーなことに、僕には花粉症がないので、その春の苦しみを感じないでいられる。

 70年前の3月10日東京大空襲の日に、軒先まで雪が積もる大吹雪の山形で僕は生を受けた。

 そして翌11日は、東日本大震災から4周年。
 忌まわしい記憶の日々が続いての春満開。

 今年は一足早く春を告げるハクモクレンやコブシが咲き始めてから急激な気候の変化がほとんどなくて、白い花びらが強風に吹かれて無残に散り落ちることも無かった。


俳優佐藤輝撮影 桜並木


 そして桜が咲きだしたと思ったら急に気温が上がって1週間で満開 ! !

 日ごとに昼が長くなり太陽が真西に沈む。やっぱり春は良い。


 うわおぅ! サンチョ大好物のお菓子、スペインのマサパンとトゥロンがスペインから届いた !

 マサパンはトレドのサントトメ製だし、クリスマスに良く食べられるトゥロンは3種類の味 ! !
 マドリード在住で工業技術系の通訳などをされている山田進さんが、一時帰国の折にとお気を遣ってくださったのだ。

 実際には山田さんご夫妻とは2008年のマドリードでほんの数十分お会いしただけなのだが、旧知の友人のように思える。不思議な不思議なご縁が結んでくれた奇跡のような出会いだ。

 人生の大きな節目に砕かれそうになっていた心が、そのご縁でどれほど強く支えられたかと思うと山田さんにはどんなに感謝してもしきれない。


俳優佐藤輝 サンチョの大好物 マサパン トゥロン


 山田さんとの電話の中で「ドン・キホーテ第二部出版から400年を迎えて、スペインではセルバンテスの墓が調査されるとのニュースもありました」と聞いて間もなくの3月18日、NHKテレビに「マドリードの修道院でセルバンテスの遺骸が発掘された」とニュースが報じられた。

 『ラ・マンチャの男』のサンチョの役作りでスペインに行くたびにお参りした原作者セルバンテスが眠るトゥリニターリアス修道院の堂内と発掘の様子が映された。


俳優佐藤輝撮影 セルバンテス埋葬トゥリニターリアス修道院
ロペ・デ・ベガ通りの一角に立つトゥリニターリアス修道院


 俳優佐藤輝撮影 マドリード トゥリニターリアス修道院
 セルバンテスが眠るトゥリニターリアス修道院内の祭壇。


 『ラ・マンチャの男』のサンチョとして出演してから丁度20年。
 何かにつけてこの20年を振り返ることが多い。
 あの作品からは我が人生の大きな宝を授かった。
 スペインもその大きな一つだ。
 振り返るだけでなく、もう一度前向きにスペインに向き合いたいと思う。

                     輝 ☆彡 2015.3.31


坂東三津五郎さんを悼む 

 この20年の僕の心の支えのお一人だった、大切な方が亡くなられた。

 十代目坂東三津五郎さん。享年59歳。心からの合掌。

 1995年3月、当時の坂東八十助さんの忠兵衛、樋口可南子さんの梅川による大阪近鉄劇場での『近松心中物語 ―それは恋― 』(秋元松代脚本、蜷川幸雄演出)公演に急遽太鼓持ち弥七役で出演した。

 1月に阪神大震災があったばかりの大阪で、公演中の3月には東京で地下鉄サリン事件が勃発し何か世情が落着かない中での公演だったが、八十助さんは奮闘し力強く舞台をまとめてくださって、僕も大変お世話になった。


俳優佐藤輝 近松心中物語 太鼓持ち弥七


 4月までの2カ月公演を、僕はサンチョ役初出演となる6月の『ラ・マンチャの男』稽古のために3月一杯で出演を終えた。
 公演の中日祝いに僕の千秋楽も重ねて盛大に送別会を催していただいた一夜を強烈に思い出す。





 以来、直接お会いする機会は少なかったが、舞台を拝見したり、僕の留守の楽屋に三津五郎さんが励ましのメッセージを残して置いてくれたり、心ではずうっと繋がっていた。
 特に大和屋伝統の舞踊劇『馬盗人』の三津五郎さんの踊りの優雅なやわらかさ、品の良いユーモア、この見事さ素晴らしさには感動した。

 2012年8月に、新宿紀伊国屋サザンシアターで三津五郎さんの一人芝居と言うべき『芭蕉通夜舟』(井上ひさし作、鵜山仁演出)を堪能し、楽屋を訪ねて感想を述べさせていただいのが直接お目にかかった最後になってしまった。
 最後の場面、芭蕉の棺を載せて川を下る舟の船頭となって語る三津五郎さんは、それまでの三津五郎カラーを見事に脱いで生活感溢れた「俗」のエネルギーを見せてくださった。
 これから句会に行くとおっしゃる三津五郎さんに僕は即興の一句を献じた。

       俗も雅も 通夜舟ひとつ 蝉時雨  輝

 本当に、これからこそ歌舞伎界を背負って行く重鎮になる俳優だったのに! !
 惜しく、悔しい! !

                     輝 ☆彡 2015.2.25


新年2015年も・・・! !   

 気が付けば・・・、もう2月だ ! !

 ゴゥォーゴゥォーと吼えながらからっ風が強く吹いて、冬の青空。
 高層ビルのすき間に真っ白な富士山の肩や多摩の山並みがくっきりと眺められる。

 「朝日を受けた正月の富士山」のタイトルが似合いそうな富士山。





 去年12月23日、クリスマスムード満杯のディズニーランドに遊びに行って、駐車場ビル屋上からの富士山の眺め。


 開場時間に入場して、まずは絶対逃せない「プーさんのハニーハント」のファストパスをゲット。直ぐに「スプラッシュマウンテン」を目指したが待ち時間が長いのでここは後回しにして、待ち時間が少し短いこれも絶対の「ビッグサンダーマウンテン」に。

 長い時間をゆるゆると待って、窓から鉱山列車の元気な走行シーンが眺められるようになると、子供の頃には何時間も駅で汽車を眺めていたSL少年だった僕の胸はもうワクワク。





 いよいよもう並びくたびれた頃にたどりつくコーナーにはひょっとしてラッキーな瞬間が待っていることがある。

 遠景に「スプラッシュ・マウンテン」の歓声と水しぶき、白煙を吹き上げる「蒸気船マークトウェイン号」の汽笛とカヌーの掛け声、その後からカーブしながらゆったりと走る「ウエスタンリバー鉄道」、そして窓のすぐ下を左から右に轟音と歓声を満載して「ビッグサンダー・マウンテン」が駆け抜ける、その五重奏に立ち会えたときは待ち時間の疲れが一気に吹き飛んでハッピーな気持ちになる。
 今回も、やったー!

 「ビッグサンダー・マウンテン」に一日で3回も乗ったことがあるが、今回は2回。

 「プーさん」の時間まではまだ間があったので、31年前の開園当時に一度だけいかだに乗って渡ったことがあるトムソーヤ島に。
 当時の写真を見ては、シンデレラ城が遠くに見えるこんな風景はどこにあったのだろうと不思議に思っていたのが、トムソーヤ島にあったサムクレメンズ砦だった。

 トムソーヤのツリーハウスや洞窟、大きな岩山、つり橋と樽の橋など、生家の庭山の大木に登って遊んだ子供の頃の冒険心を思いださせてくれる。ここでもワクワク!


 「スプラッシュ・マウンテン」のファストパスを確保した後は「プーさんのハニーハント」に。

 このプーさんの冬バージョン人形。
 もう何年も前にプーさんコーナーで買ったものだが、プーさん本体のバランスがとても良く、赤いコートも細かなステッチが入った丁寧な仕立てで、僕のお気に入り。洒落たチェック柄のマフラーも僕好み。冬のディズニーランドには必ず一緒だ。





 それにしても、ザンネンながらその後はこんなに丁寧な作りの人形に出会っていない。


 蜂蜜のほのかな香りを鼻腔に印象付けて、興奮しながら「プーさんのハニーハント」から出てくると外ではパレード。

 折良く丁度プーさんが目の前にやってきた !  ラッキー !





 待ち時間が20分となったハートの女王のバンケットホールでゆったりと食事した後は、「ウエスタンリバー鉄道」「カントリーベア・シアター」「イッツ・ア・スモールワールド」「トゥーンタウン」「スプラッシュ・マウンテン」「カルーセル」、クリスマスバージョンの花火ショー、そして今回が初体験、シンデレラ城がスクリーンになる映像ショーのプロジェクション・マッピング「ワンス・アポン・ア・タイム」! !





 「ワンス・アポン・ア・タイム」は音楽と映像に加えてシンデレラ城やその前の塔からも花火や炎を吹き出す、想像以上に大がかりで美しいショーだった。びっくりした。

 その上、滅多に入らない「カリブの海賊」、そしてもう一度「ビッグサンダー・マウンテン」! !





 楽しんで、開放されて、22時35分の退場になってしまいました。何と、ハッピー! !
 ディズニーランド、ありがとう! !






 暮には山形へ、時々はホワイトアウト状態の地吹雪の中を走って正月帰省。

 高校時代には酒田へ汽車通学で通った余目駅(庄内町)。
 国鉄(JR)羽越線と陸羽西線が通っている。

 久し振りに余目のラーメンが食べたくて駅前の「かなめ食堂」に。
 煮干しなどの魚介出汁ながらクセが無くコクのあるあっさりスープ、それに自家製ちぢれ太麺で僕好み。





 凍えていた体が、汗をかくほどにぽかぽかと温まった。

 酒田みなと市場まで足を延ばして、よし蟹、ハタハタの味噌田楽、鯛の塩焼き、安全安心の地元新鮮野菜などをたっぷり仕入れ、夜はいただき物の酒田の「初孫」純米吟醸や鳥海山の伏流水を使ったどぶろく大吟醸をゆったりと味わいながら大宴会。よし蟹は味噌汁にして、これがまた美味い ! !
 持ち帰って東京で食べるには、酒田市麺類食堂組合が売っている「酒田のラーメン」が中々の良い味。


 帰京した翌日には、暮に案内をもらっていた劇団SBZの新年会でお台場にある大江戸温泉物語に。

 うわぁ! でかい! 気持ちいいっ! !

 ゆったりゆったり大浴場に浸かってから更に露天風呂にたっぷりこ。

 体はポッカポッカで、12月の『忠臣蔵』で共演した皆さんと乾杯した途端に、もう真っ赤ッかのとろん。


 今年は初詣のことを全く考えないで正月を過ごしていたが、10日に浅草のROXゆめまち劇場公演を観ることになり、それならばついでではなくてちゃんと初詣をしようと浅草寺にお参りした。

 聞きしに勝る外国人観光客の多さにはびっくり。特にアジア系の、それも団体グループではない、家族連れかと思える小人数のグループが多い。





 観劇後に、『忠臣蔵』を観て喜んでくれた知り合いの新仲見世通りの店に新年の挨拶をして、再度雷門前に。

 これで今年がパキッと始まったような気がするから、不思議なものだ。





 例年、秋の終わりには寒さで枯れてしまうおじぎ草。

 去年は遅くまで元気よく緑が残っていたので捨てるに忍びず、鉢をリビングに入れて水やりを続けていたら先月15日に、立派な花を一つ咲かせた。

 その翌々日にも花をつけ、今また新しい可愛らしい蕾をつけている。

 毎朝、多いときには九羽ほどの雀たちが、ベランダからこのおじぎ草を覗いては何かを囀っている。

 今年も早々にトレーニングを再開して、体調絶好調 ! !

                     輝 ☆彡 2015.2.1


水戸黄門が主役の『忠臣蔵』、無事に千秋楽 ! !  

 ご来場、あたたかなご支援、ありがとうございました ! !

 お陰様で、お客様が口々に「面白かった」と喜びの笑顔で感想を語ってくれる舞台を作ることが出来、無事に千秋楽を終えることができました。心から御礼を申し上げます。


 俳優の道を志して丁度50年の年を、出演者39人もの大がかりな舞台で、ストーリーを引っ張っていく主役・水戸黄門役として、長台詞を覚え、テンポ良く動き回り(ジャンプも回転も)、歌い踊り、槍を持って立ち回り、小過はあっても大過なく無事に演じきって締めることが出来るのは心から嬉しいことです。これからの50年に自信が持てました(笑)カッカッカッカ ! !

 このような又と無い機会を作ってくれた劇団SBZ代表の山本太郎さんと脚本・演出の和希太平さんに感謝しています。

 また、大道具の移動も切掛けも衣装替えも多い舞台を段取り良く支えてくれたスタッフの皆さまと、小過に迅速に対応して支えてくれた共演者の皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです。


 
 劇団SBZ『忠臣蔵 〜元禄仇討ち裏事情〜』公演パンフレット


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
1幕第1場 江戸城中
怪僧・隆光のまやかしに惑わされて庶民を苦しめる「生類憐みの令」を出した将軍綱吉を諌める為に犬の毛皮を献上した水戸の御老公。
水戸黄門が退出すると、「殿中松の廊下にて刃傷沙汰が起きましてございまする ! 高家筆頭吉良上野介様が、播州赤穂の浅野内匠頭様に切りつけられました ! 」との知らせが・・・。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
吉良邸
殿中松の廊下刃傷事件はかわら版屋によって大々的に市中に広まった。その矛先は悪者とされる吉良上野介に。水戸黄門は、竹馬の友であり大日本史編纂をも手伝ってくれた「吉良ちゃん」と呼んでいる吉良上野介を訪ねて事件の真相を解明しようとする。もう一人の主役・吉良上野介役は松元信太朗さん。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
吉良上野介が浅野内匠頭から受け取ったラブレターを見せながら事件の経緯を語っていると、なぜか浅野内匠頭の亡霊が現われて・・・仕方話の中に、なぜか黄門様も一緒に踊っていた !?
解決策を模索し、江戸を離れて水戸に来ないかと勧める黄門様の前で、吉良ちゃんは激しくせき込んだ。聞くと「胸に腫れ物があり、余命わずか・・・」との話。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
浅野の家臣達の長屋
気になるのは赤穂の城代家老大石内蔵助ら浅野の家臣たちの動向。すでに探り始めていた黄門様の手の者、助さん(助六)と格さん(お格)の報告は「浅野のご家中の者たち、本所緑町の長屋に」。黄門様は「越後のちりめん問屋の隠居光ヱ門」として大石が経営する長屋に潜入。そして、黄門様は大石に誘われて吉原へ・・・。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
吉良邸
長屋で浅野の家臣たちの気持ちを聞いた助さん格さんと吉原から帰ってきた黄門様は吉良ちゃんに報告。大石への評価は二つに別れた。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
黄門様の「大石の本心を探るには、奴の通う吉原が一番 ! ! 」の提案に吉良ちゃんも乗って、家臣共々吉原へ。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸光圀
吉原
吉原では大石が、恋い焦がれている吉野太夫のもとへ。そこにアルバイトで見習いの太鼓持となった黄門様と吉良ちゃん。新造たちは何と、小林平八郎、清水一角、須貝義隆、山吉新八ら吉良の家臣たちだ。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 徳川光圀
吉原の外
大石の本心が仇討ちだと知った黄門様は、大石に自分の正体を明かした上で吉良ちゃんと浅野の経緯の真相を話そうとするが、自分の正体を唯一証明する印籠は助さんに預けたままで、持っていなかった。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
長屋前
「吉良ちゃんに何と言えば・・・」と落胆する黄門様に助さん格さんが持ってきた情報は「怪しいかわら版屋が扇動して・・・、そのかわら版屋たち、隆光の寺に。それにあの者たちの走りはまさしく忍びの走り。」
「一時も早く吉良ちゃんのもとへ ! 」黄門様の一声に「忍法テレポート ! 」とジャンプ。
かわら版の内容から、公儀の政に対してことごとく諌言を呈してきた黄門を陥れるための公儀の罠と考えた黄門と吉良ちゃんは、大石たちが討入りしやすいように、12月14日に大々的な茶会を開くことを決めた。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
茶会が済んで寛いでいる黄門様の元に、隆光たちの動向を探っていた格さんが傷を負って駆けつける。「矢張り裏で糸を引いていたのは柳沢吉保とあの隆光めで御座います。・・・助さんは、私を逃がさんと一人で・・・。」
「先方にはこちらの動きが全て漏れており、大石らの討入りを利用しご老公様のお命を・・・それも隆光の手の者によって・・吉良様はじめ赤穂の者たちまで全てを亡き者にし、仇討ちの巻き添えでご老公様が殺されたことにするつもりです。」
「この私の命を狙う為に、その様な恐ろしい企てを !・・・これは腐れ切った公儀との戦いだ。」黄門様は「大至急大石ら赤穂の者たちにこのことを知らせるのじゃ ! 」とお格に全権委任の印籠を託した。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
お格が出ていくと間もなく、隆光を先頭に隆光配下がなだれ込んできた。必死に黄門様を守って奮闘する吉良主従。ほっと一息ついたところに茶会の時から所在が不明だった剣豪小林平八郎が姿を現わした。良いところに強い味方が現われたと皆が喜んだのも束の間、小林平八郎は仲間を次々と切り捨てた。平八郎は吉良ちゃんの忠実な配下を演じながら隆光たちに情報を伝えていた公儀の犬だったのだ。
小林平八郎と吉良ちゃんの一騎打ち。固唾を飲んで見守る黄門様の耳に山鹿流陣太鼓の響きが。格さんから事情を知らされた大石たち赤穂浪士が黄門様に助太刀しようと吉良邸に駆けつけたのだ。
堀部安兵衛と小林平八郎の一騎打ち。


俳優佐藤輝 劇団SBZ忠臣蔵 水戸黄門
その間に吉良ちゃんが隆光の槍で刺された。黄門様が分けて入って吉良ちゃんを抱き起こしたが、吉良ちゃんは致命傷と胸の病で降る雪を見上げながらこと切れる。そこに聞こえてくる四十七士の勝鬨と「隆光を打ち取ったぞ ! ! 」と叫ぶ堀部安兵衛の勝利の雄叫び。
黄門様は絶命した吉良ちゃんの心に届けるように「吉良ちゃん、聞こえるか、あの勝鬨を ! ! 」 
降りしきる雪と勝鬨の響きの中で、黄門様は笑うように泣いていた。
黄門様と吉良ちゃんが、腐れ切った公儀との戦いに勝ったのだ。



 今回も多くの皆さまに観ていただき、励まされ、支えられました。ありがとうございました。

 多感な高校時代を送って俳優人生への出発点となった山形県酒田市の副市長丸山至さんと商工観光部長安藤智広さん、商工観光部観光振興課長宮崎和幸さんが、吹雪の酒田から観に来てくださいました。終演後のロビーで笑顔一杯で「とても面白かった」と実感を込めた感想を伺うことができてとても嬉しく、多いに励まされました。
 楽屋見舞いとして酒田産の地酒と沢山のお菓子もいただき、故郷をPRすることもできました。このような生きの良い舞台を故郷の多くの皆さまにも観ていただきたいものだと切に思っています。


俳優佐藤輝 忠臣蔵 水戸黄門 酒田市副市長丸山至さん
水戸黄門の佐藤 輝と酒田市副市長丸山 至さん


俳優佐藤輝 酒田市副市長丸山至さん 商工観光部長安藤智広さん 観光振興課長宮崎和幸さん
左から商工観光部観光振興課長宮崎和幸さん、水戸黄門の佐藤 輝、酒田市副市長丸山 至さん、商工観光部長安藤智広さん


 千秋楽の舞台には東京近辺に住んでいる高校同期の10名が観劇会を催し、豪勢な花束を持って来て応援してくれました。そして終演後の食事会にも全員参加し、楽屋片付けなどで遅くなった僕を待っていてくれました。

 僕の初舞台から、劇団動物園時代、ミュージカル時代、折に付け同期の誰かが観てくれて励ましてくれました。生徒たちに佐藤輝の演技を見せたいと、私財をもつぎ込んで、勤務先の学校の演劇教室を企画し招いてくれた同期生もいました。


俳優佐藤輝 酒東39会 水戸黄門


 今回も、個々に来てくれた同期生もあり、同郷の「東京庄内会」でご一緒した方たちもあり、『ラ・マンチャの男』のサンチョ初出演以来全公演を漏らさず観てくださっている方も、この50年を振り返ると支えてくださった皆さまとのご縁のありがたさを感じます。



 今公演が初舞台と言う若い出演者もいて、その出演者たちを僕自身がその歳の頃にはどんなことを考えて何をしていたか、何を求めていたかを重ねて見ていました。

 芝居作りには、出演者の演技力を見極めてキャスティングする責任者がおり、台本に書かれた作品のイメージをしっかりと持って演出プランを示し全体をまとめていく「演出」がいる訳だから、僕はそれに沿った最小限の補完的な助言をすることはあってもただ先輩だというだけで横から口を出して演技を指導することはしない。
 それとは別に、助言を求められれば、積極的に求める人にはできる限りのアドバイスをする。本質は理解していないのに傍目八目だけで自分の好みを押し付けてくる「助言」(声をひそめて正反対の「助言」をしてくれる人さえいる)を同時に何人からも受ける事を嫌というほど経験しているから、他の出演者にはそんな無駄なエネルギーを浪費させたくない。特に若い出演者には。

 最初のアドバイスだけでぐんぐんと伸びる若い芽もあれば、努力は見えるのにその成果が見えない芽もある。
 ぐんぐん伸びる人はその途上で格好つけなどの変なクセを身に付けないこと、浮かれないこと。狭い小さな世界で甘んじない、外にはもっともっとスゴイ奴がいる。
 成果が見えない人は人一倍いや人五倍くらいの努力を惜しまないこと。
 どちらも演技者表現者としての感性が大切、それだけを求めること。努力をしない天才より苦労して努力した人の方が実を結ぶ。そして志を持って更に高いレベルを目指すこと。

 僕が演じた今公演の水戸黄門役を「矢張り凄かった」「渋い存在感」「迫力がある」「あんなに身軽に動けるね」「声がちゃんと響いてる」など評価してくれる感想が多く、皆さんがそのように満足してくれたことに感謝しています。が、僕はまだまだ物足りない、もっと深く、もっとレベルの高い表現ができたハズだと反省している。少なくとも納得できるパーフェクトさが無かったのは悔しい。

 だから次を目指す。その時点で、世界で最もレベルの高い表現と納得できる演技を目指す。

 ありがとうございました ! !

                     輝 ☆彡 2014.12.12





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