俳優・佐藤 輝 -10

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 10
2006年2月〜4月分

  

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2006年2月〜4月分

ディズニーランド

 気が付いたら、今月初めての日記。

 春だ ! と気分一新。思い立って、新しいパソコンを買った。その設定やら初めて使うソフトの面白さについつい時間を取られてしまい寝るのは深夜。
 時代劇の出演にそなえてヒゲを剃ったらハックション!! 風邪をひいてしまった。
 そんな春の日々。

 糸を垂らしたような軌跡の印象をまぶたに焼き付けて、染井吉野の花びらが三々五々、スウーッ、スゥーッと音もなく垂直に散っていたのは先週のこと。今は八重桜や遅咲きの桜を包み込むように新緑が輝きを増している。

           

       俳優佐藤輝 東京ディズニーランド
   赤いコートにチェックのマフラーをつけた熊のプーさんを見付けてご機嫌! すぐに胸にピンでとめた。




 このあいだ、車で15分の近さに住んでいながら中々行く機会がなかったディズニーランドを、開園直後から閉園まで、久し振りにたっぷりと堪能した。



俳優佐藤輝 東京ディズニーランド



 好きなビッグサンダー・マウンテンが保守点検中だったのはザンネン! だったが、初めてのスプラッシュ・マウンテンはシーワールドのセンター・オブ・ジ・アースに匹敵する、病みつきになるスリルと水しぶき。カートの意外な動きが楽しい、これも初めてのプーさんのハニー・ハントと共に2回も乗った。



俳優佐藤輝 東京ディズニーランド
親友の豊島ディレクターが「輝ちゃんにそっくりだよ ! 」と言うのはカントリーベア・シアターのこの熊?


 スペース・マウンテンは何度乗っても、想像力が怖さを倍加させる面白さ。

 乗り物のほぼ全部を網羅して、今年初めての花火も楽しんで、童心に帰った。

                     輝 ☆彡 04.4.21


春が一斉に

 東京に、今年は春が一斉にやってきた。

 東北地方の春が桜も林檎も桜桃も梨も花が一斉に咲くように、遅かった梅と白木蓮と辛夷と沈丁花と早い桜が一緒に咲いて、春爛漫 !


俳優佐藤輝 撮影 桜並木

 僕の俳優人生で一番の恩人、元東宝演劇部プロデューサー・佐藤勉さんの告別式に向かう途中の江戸川の土手は春の草が萌えて、土手全体が緑色に盛り上がって見えた。

 近所の散歩道も春の陽を浴びて高い梢に白木蓮がほつほつと咲き、桜は2分咲き、雪柳がこぼれそうに咲いている。
      
      
 夜、その桜並木で今年初めての花見。急に開花したせいか、他には何組かのグループがいるだけで珍しく静かな花見になった。


      俳優佐藤輝 夜桜


 昨日は個人的な31周年記念日で、急に思い立って月島にあるスペイン料理のレストラン『スペインクラブ』で昼食。
 倉庫を改造した広い店内はゆったりとしていて、スペインから輸入した椅子テーブル調度品が落ち着いた雰囲気を作っている。『ラ・マンチャの男』公演中にも行ったことがある素敵な店だ。


俳優佐藤輝 月島 スペインクラブ


 ここの料理は微妙な味わいがあってとても美味しく、スペインで食べた料理にひけをとらない。
 スペインの発泡酒・カヴァで乾杯。これには羊乳から作られたラ・マンチャ地方のチーズ、ケソ・マンチェゴの塩味が良く合う。
 前菜もスープも鰈のソテーも豚バラ肉と白インゲンの煮込みも美味いし、量もきっちりと多い。パエジャが出てきたころにはもう満腹、だけどポストレ(デザート)は別腹。本当に良く食べた。

 初めて出会った珍味は亀の手の塩ゆで。海の岩場に生息している亀の手の形に似た「カメノテ」。貝殻のような頭の部分とその下につながるごわごわした筒の部分から出来ている。その筒をねじ切って中の筋肉部分にレモン汁をかけて食べる。しこしこした歯触りとじわっと広がるうま味が美味しい。見た目の悪さに尻込みする人もいるそうだが、味はクセがなくとっても素直だ。
 面白いのは頭の貝殻部分。そのきれいなモザイク模様は、バルセロナの聖家族教会を設計したガウディーの、タイル破片を張り合わせたモザイク模様にそっくりで驚いた。自然界から得たイメージを造形化したガウディー、モザイク模様の元は亀の手だったのかも知れないと思いつつ美味しく食べた。


俳優佐藤輝 月島スペインクラブ 亀の手 

 今日は晴天。桜も満開に近い。今夜は夜桜の下がにぎわうだろう。

                 輝 ☆彡 06.3.27


大恩人・佐藤勉プロデューサー

 佐藤輝のサンチョを生み育てて下さった元東宝演劇部プロデューサー、僕の俳優人生で一番の恩人・佐藤勉さんが昨日3月22日、87歳で亡くなった。ただただいっぱいにあふれる感謝の気持ちでご冥福をお祈りしている。

 親しみと尊敬を込めて「べんさん」の愛称で呼ばれた佐藤勉さんに初めてお会いしたのは1991年6月1日、森繁久彌さん出演中の帝国劇場『蘆火野』の楽屋だった。

 森繁さんを紹介して下さったのは西川産業の役員をしていた笠貫尚章さん。中国・長春市に、残留孤児を育てた養父母への感謝をこめて専用アパート「感謝楼」(後に「中日友好楼」と改名されたと聞く)を個人で寄付したことで知られる笠貫さんは、終戦で中国から日本に帰る引き揚げ団の幹部として森繁さんと苦労を共にし、森繁さんとはそれ以来個人的に親しい付合いをしてきた方だ。僕が演じた、中国生まれのロバ一文字号の生涯を描いた舞台『ろば』を観て感動した笠貫さんが、「いままでは誰から頼まれても芸能界の人を森繁さんに紹介したことはなかったが、あなたには頼まれてはいないけど是非とも紹介したい」と連れていって下さったのだ。

 森繁さんは直ぐに佐藤勉プロデューサーを呼んで「この佐藤クンは面白い役者だそうだから、何か合う役があったら出してやってくれ」と僕を紹介して下さった。勉さんは白髪の四角い顔を向けて僕の顔をじいっと見た。
 この方が、東宝のドル箱作品、『マイ・フェア・レディ』『ラ・マンチャの男』や森繁さん主演の『屋根の上のヴァイオリン弾き』『孤愁の岸』『赤ひげ診療譚』などのほとんどを作ってきた名プロデューサー・佐藤勉さんかと思うと身が震えた。

 間もなく佐藤勉さんから連絡があり、92年1月の帝劇公演・森繁久彌主演『明治太平記』に出演することが決まった。稽古に入る前の11月3日、森繁さんは現代劇俳優として初めて文化勲章を受章された。受賞祝賀パーティーが盛大に開かれ、僕も笠貫さんご夫妻と共に出席した。

 僕は40歳になった85年頃、「将来、60歳70歳になっても何とかミュージカルの舞台に立ちたい。そのためには今の体力を少しでもキープし続けることが大事だろう」と思って、ジャズダンスを基礎からレッスンし直していた。
 それを聞いた勉さんから「そんな先のことを言ってないで、来年(93年)の『マイ・フェア・レディ』に出なさい」と声がかかった。『マイ・フェア・レディ』は日本初のミュージカルとして63年に帝劇で初演された歴史ある作品。これが僕の外国ミュージカル初出演となった。(ミュージカル初出演は69年の『だから青春!』)

 大地真央さん演ずるイライザの父親・ドゥーリトル(上條恒彦さん)と「運が良けりゃ」を歌う酔っ払い仲間・ジェイミーを大阪・劇場飛天と東京・帝劇で演じた。チラシやポスターには破格の扱いで僕の写真が載った。その公演が終ると勉さんは「来年(94年)、テビエが森繁さんから西田敏行さんに変って『屋根の上のヴァイオリン弾き』をやるから出て」と話が来た。
 僕は、ぼろぼろの衣装に白いコップを首に下げた乞食のナフムの役をもらった。その稽古の最中に、勉さんが稽古場に入ってきて僕と稽古ピアノの中條さんを廊下を隔てた別室に連れ出した。ピアノの前で譜面を開いて、それを歌えと言う。初見、歌詞を確認する間もない。でも、中條さんが、僕が音を取りやすいように取りやすいようにと工夫して伴奏を付けてくれたお陰で、内容はともかく、ワン・コーラスを歌いきることができた。すると勉さんは楽譜の一番高い音を指して「この音もちゃんと出ていたな?」と中條さんに確認した。「ええ、十分に出ていました」と中條さんが答えると勉さんは「よしッ! 」とうなずいた。これが勉さんが僕をサンチョに決めた瞬間だった。その歌は『ラ・マンチャの男』で「旦那が好きだ」とサンチョが歌う「本当に好きだ」だったのだ。

 95年6月の青山劇場『ラ・マンチャの男』公演、開幕を前にした舞台稽古の初日に楽屋に入ると、勉さんが「サンチョの靴を持ってすぐに来いとのこと」と知らせがあった。行くと、待っていた勉さんは靴が足に合うかと確認してから「その靴をはいて舞台の階段の上り下りの練習を何度もやってみろ。いいか、カーテンコールで階段を下りる時、誰が何と指示を出しても、無理をして急ぐことは絶対するな! 君が怪我でもしたらこの舞台が続けられなくなるのだから。わかったな? 」と強く念を押した。如何にこの作品やサンチョを大事に思っているかが伝わってきた。
 公演3日目だったか、楽屋の明りを落して横になっていた昼夜の間の休憩時間に、勉さんがわざわざ新聞に載った劇評のコピーを3枚ほど持ってきてくれた。「大した良くも書いてないが、悪くも書いていない」。安心させようという気持ちが言葉に表れていた。

 その後もこれらの作品に出演し、通算回数は『マイ・フェア・レディ』163回、『屋根の上のヴァイオリン弾き』は261回、『ラ・マンチャの男』は2005年までの10年間で449回にもなった。
 僕が出演した『ラ・マンチャの男』が6年ぶりの公演だったことなど、いま思い返すと、勉さんが『マイ・フェア・レディ』出演の話を僕にくれた時、勉さんの頭の中には『ラ・マンチャの男』のサンチョへの道筋が既に出来上がっていたように思われる。

 佐藤勉さんとの出会いがなかったら僕のサンチョは生まれなかったし、サンチョによって育まれた俳優・佐藤輝の今日も存在しなかった。
 佐藤勉さんは俳優・佐藤輝の大恩人。感謝しても感謝しきれない勉さんのご冥福を心からお祈りします。合掌。

                  輝 ☆彡 06.3.23


「今 支える 庄内の記憶」山形新聞記事 

 出演する芝居やテレビなどの台本を受け取って読み始めると、もう他のことには手がつかなくなってしまう。もちろん気も回らなくなる。
 稽古、公演に入ったらもうそれだけに集中する毎日だ。

 僕の仕事は俳優。お客さんに今生きていることを喜んで貰うのが仕事。それも、今地球上で公演されているどの作品よりも高いレベルで楽しんで貰いたいと思っている。そこまで仕上げるには全神経を傾けて役作りと演技に集中するしか方法はない。金銭には換算できない、膨大な時間とエネルギーが必要な作業だが、その方法以外では良い結果を出すことが出来ない。
 また、結果が出せたかなと一瞬は思えても、直ぐに「いや、あそこはこう解釈する方がより喜んで貰えるのではないだろうか。」などと止まるところを知らず次々と解決しなければならないテーマが千秋楽が終るまで出てくる。

 だから公演が終ると、その間に出来なかったモロモロが山ほど待っている。終ったばかりの舞台の感激の余韻にひたっていたい思いをかなぐり捨てて、頭を切り換える。
 この10日間はそのモロモロに集中して、ようやく一段落。自分を取り戻した。

      
      
「俳優 佐藤輝」を「今 支える 庄内の記憶」と紹介した2月22日山形新聞朝刊1面トップ「元気 山形」のインタビュー記事 

 先月22日の朝、故郷・山形に住む知人から「今朝は電話が鳴り止まなくて大変でしょう ? 」と電話がかかってきた。・・・ええッ! 何で? ・・・きょとんとした。 僕にとって何か特別の日ではないし、何事があったのかと一瞬不安になりながら「そんなことは何にもないけど・・・、何かあったの? 」と聞き返した。すると電話からは「・・・今朝の山形新聞の一面トップにあなたのことがデカデカと出ているよ! 」との返事がきた。
 山形新聞の一面トップ? デカデカと? ・・・だから「電話が鳴り止まなくて大変」な朝?
 確かに、山形新聞の編集者から「元気山形と言う特集に載せたいので」と2月の初めにインタビュー取材を受けはしたが、頭の中ではそれと「一面トップにデカデカ」とは結びつかない。が、電話相手に確かめると、記事の見出しは「元気山形」で「江東区のホテルで撮った、手を広げたカラーの写真も入っているよ」と言う。それを聞いて記事の内容には納得したもののその扱われ方を中々信じがたく、相手には失礼ながらその言葉を少々オーバーな表現だろうと、割引きながら聞いた。

 それから2日後、担当者から新聞が届いたと事務所から紙面のファックスが届いた。それを見てびっくりした。まさに朝刊の一面トップだった。
 カラーのコピーが丁度舞台稽古中の『OHダディー!』楽屋にも届いて、それを制作部が廊下に張りだした。
 スタッフや出演者が記事を読んで「すごい、輝さん! オリンピックの金メダルだね」と声を上げた。

              輝 ☆彡 06.3.17


『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました

『OHダディー! 』好評無事全公演終了 06.3.5

 熱い喝采と感激のご感想を沢山いただき、ありがとうございました。

 お陰様で5日の新潟県魚沼市小出郷文化会館大ホール公演をもって全公演を無事に終えることが出来ました。
 ご来場下さった皆様、応援して下さった皆様に心から御礼申し上げます。
 

俳優佐藤輝 新潟県魚沼市小出 新潟県魚沼市のJR上越線小出駅


 泊ったホテルは、在来線しかなかった頃に上野から故郷へ夜行列車や特急「いなほ」に乗って往き来する度に通ったJR上越線小出駅前。夜は星空、明ければ快晴の空と白銀の世界。少なくなったとは言え魚沼市は平地でもまだ2〜3メートルの積雪がある。

 客席数1136の小出郷文化会館大ホールに入場者は約400名。
 舞台から客席を見てはじめてその入場者数を知ったが、満員のホールかと思えるほどの反応の良さに驚かされた。良い観客に最後の公演にふさわしい充実した舞台を観てもらうことが出来て嬉しかった。


      俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! マフィア ドン・コルレオーネ
      舞台写真撮影・阿部章仁


 今まで余り縁のなかったキャラクター、ドン・コルレオーネ。
 ミュージカルの場合は役柄によって歌うから、オペラと違って音楽性よりも役の人物の気持ちや役柄が優先されることもある。が、今回のドン・コルレオーネは「オペラ好きのマフィアのボス」と言う役柄だからどんなに音楽性を優先させても良い訳で、歌好きの僕としては、心から楽しみ喜んで歌うことが出来た。
 こんなに気分良く歌える役は滅多にない。機会があったらまた是非、演じたい役だ。

                  輝 ☆彡 06.3.6



『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました


全公演を無事に終了しました。熱い応援、ありがとうございました!


オリジナルミュージカル・コメディー

OH ダディー !

作・作詞・演出 / 福田陽一郎 作曲 / 三木たかし

出演 / 川平慈英 / 堀内敬子 平澤 智 藤浦功一 花山佳子 / 高嶺ふぶき / 佐藤 輝
2006年2月25日〜3月1日 池袋・東京芸術劇場中ホール
 3月3日 東京・かめありリリオホール
     3月5日 新潟県魚沼市小出郷文化会館大ホール

俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! チラシ




『OHダディー! 』かめありリリオホール 06.3.3

『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました

 会場が変って葛飾区亀有の「かめありリリオホール」での公演。 


俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! スタッフ
開場前のロビーで、左から宣伝の小林真知子さん、僕、営業の林晴美さん、玉國裕子さん。舞台写真、チケットなどでお世話になりました。


俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! 企画制作オンタイム岩田さん
企画・製作、オン・タイムの岩田紗織さん。ご一緒の仕事は『34丁目の奇跡』『天国から来たチャンピオン』に続く3作目。『34丁目の奇跡』の稽古場と旅公演の初日が懐しく思い出される。


『OHダディー! 』千秋楽 06.3.2

 東京芸術劇場公演は大好評、無事に千秋楽を迎えた。

 ご来場下さった皆様、ありがとうございました。
 初めての役柄のドン・コルレオーネとバス停のジョーの二役を喜んで頂けて、楽しい公演でした。
 「老いたマフィアのバラード」には大きな拍手、投げキッスには爆笑と、客席の喜びが伝わってきてドンも大いに喜びました。

 舞台は多くのスタッフによって支えられている。
 今回もプロ意識に徹したレベルの高いスタッフが舞台を支えてくれている。皆さんが明るく楽しく仕事をしているから出演者も朗らか軽快。テンポの良い舞台が出来た。スタッフに大いに感謝! 感謝! です。
                    輝 ☆彡 06.3.1


『OHダディー! 』楽屋 06.2.28


      俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! マフィア ドン・コルレオーネ
衣装を付けると表情はオペラ好きのマフィアのボス、ドン・コルレオーネに。


俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! ドン・コルレオーネ 川平慈英
芝居ではピストルを突き付ける間柄だが、楽屋では楽しいアミーゴの川平慈英さんと。


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! オンタイムプロデューサー初見正弘さん
企画・製作、オンタイムのプロデューサー・初見正弘さんと。初見さんとの仕事は『34丁目の奇跡』『天国から来たチャンピオン』に続く3作目。


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー!
ボスの歌も生演奏のバンドの皆さんに支えられている。左からViolinの長崎真音さん、Reedsの近藤淳さん、佐藤の右はDrums丹寧臣さん、指揮とKeyboardの荻野清子さん、Bassの岩切秀麿さん。


『OHダディー! 』開幕 06.2.25

客席は爆笑と拍手の連続! ホント!
二役の早変わりが見事! 二役に気付かないお客さんも?
そして最後の真実の暴露!

        
俳優佐藤輝 2006年ミュージカルOHダディー! 鳳蘭さんから蘭鉢



『OHダディー! 』舞台 撮影・阿部章仁


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! マフィア ドン・コルレオーネ


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー!

『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました


『OHダディー! 』舞台稽古 06.2.24


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー!


『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました


OH! マフィアのボス! 衣装合わせ

 『OHダディー! 』の稽古は順調に進んでいる。

 川平慈英さん、堀内敬子さんは初演にも増して快調。初参加の3人組、高嶺ふぶきさん、花山佳子さん、それに僕も作品の流れになじんで夫々の持ち味を出している。僕のあの難しい歌も何とかクリアー出来た! ! !
 バージョンアップした新しい『OHダディー! 』が出来つつあり稽古場は楽しい雰囲気に包まれている。

 特にバレンタインデーの14日には、女性の出演者やスタッフからチョコレートやハートの袋に入ったお菓子を貰った男性陣がいつにも増してにこにこ顔に。
 そのムードに乗って全幕を場面ごとに小返しして細部を確認。演出の福田さんが「うん、良くなった」とおっしゃる程にまとまって来た。最後の仕上げに向かって弾みのついた稽古場。

 稽古後には全員の衣装合わせ。
 衣装を付けた出演者は自然に夫々の役柄の雰囲気になって、その変りように笑い声や歓声が上がった。


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! マフィア ドン・コルレオーネ 衣裳合わせ マフィアのボス、ドン・コルレオーネの誕生! 渋い〜ッ!


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! 衣裳合わせ
えっ? この衣装は? ・・・ドンの子供時代? 夢の場面? お楽しみに!


                  輝 ☆彡 06.2.15


『OHダディー! 』顔寄せ、歌稽古

 『OHダディー! 』の稽古場となった墨田区横川の「すみだパークスタジオ」にスタッフ・出演者が全員揃って「顔寄せ」があり、その後、歌入り読み合わせと歌稽古が行われた。

 2回目の出演となる川平慈英さん、堀内敬子さん、平澤 智さん、藤浦功一さんは余裕の表情。僕を含めて初出演の高嶺ふぶきさん、花山佳子さんは新しい世界に出会う興奮と緊張感が漂う。


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! 稽古


 3人の新たな参加によって『OHダディー! 』の作品そのものが初演とどう変っていくか、スタッフには新たな期待がふくらんでいる。


俳優佐藤輝 ミュージカルOHダディー! バンドマスター荻野清子さん
音楽監督助手・稽古ピアノ・バンドマスターの荻野清子さん。覚えにくい歌の部分も、そっとピアノで支えて覚えやすくして下さる、優しいスタッフ。

 優れたスタッフに支えられて、明日からは細かな稽古に入る。

                   輝 ☆彡 06.2.7

『OHダディー!』のほかの写真、舞台写真などは『OHダディー!』出演記録に移りました



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