俳優・佐藤 輝-13

あそびごころの 佐藤 輝の世界 俳優・佐藤 輝 - 13
2007年1月〜3月
     

2007年4月〜6月 14 新しいページへ 古いページ12 2006年10月〜12月
 
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  
  21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34
35 36 37 38 39 40 41 42  
 
2007年1月〜3月



連載エッセー「季語のある日々」最終回

 東京に桜の開花宣言が出た。
 日が沈む。ベランダの真っ正面よりは少し北寄りに沈むようになったし、6時近くまで明るさが残るようになった。そして、桜並木の提灯に灯が入る。

 去年4月4日に始まった新聞へのエッセー連載が、今日、終った。
 最終回は「卒業」。
  かつて体験した卒業は、大きな希望を持ちながらも少なからぬ不安が同居していた。でも今日の卒業は、一仕事をなし終えた、爽快感に満ちてカラリとしている。
 掲載された26回を振り返ると、(最終回はまだ手元に届いていないが)われながら良くぞ書いたものだと思う。

 「季語のある日々」というコラム名と、それに合うエッセーの内容、自作の俳句、それに写真が一体となって、読者に一つの世界を感じてもらいたいと思いながら書いた。「読者に感じてもらいたい一つの世界」は、その時々で、多岐にわたったが、基本はいつも、自分が本当に感じたこと、思っていることを素直に書いて、読者に「こんな風に日々感じながら暮らしている人間がいるんだな。自分なら、こう感じるけど」と、何かを考えてもらえるきっかけを提供することだった。そんな風に読んでくれた読者がいればうれしいが・・・、新聞には舞台のような直接的反応がないから、読者にお任せするより他にない。

 最初のうちは原稿の締め切り日よりかなり前に書き上げて推敲していたが、書くことが結構楽しく、段々慣れてくると、思いついたことをメモだけしておいて、締め切り近くになってから一気に書き上げるようになった。でも最初の下書きでは、字数が予定の2倍になるのは普通で、3倍以上になることもたびたびあった。そうなると、書く苦労よりも削る苦労の方が多くなった。

 このホームページなどは、言葉遣いも漢字も人名も地名も、自分が思ったことをそのまま書いているが( = キーボードを打っているが)、新聞には表記の決まりが細かにあって、こんな簡単な漢字でもルビをふらなきゃならないの!? と驚くことが毎回あった。喜劇王の「チャップリン」は「ッ」を抜いて「チャプリン」と書かなければならない!!! って、新聞は世間常識とかい離(乖離 = たがいにそむき離れること)している、と思った。そんなわけで、文章を書くことよりも、原稿を送った後に担当者とする校正作業の方が疲れる仕事だった。その疲れはあったものの、大きな成果があった。

 エッセー「季語のある日々」は、まさに「あそびごころの 佐藤 輝の世界」そのものだ。

                   輝 ☆彡 07.3.20


春の雪

 今週はじめに、所用で故郷・山形県庄内地方へ行ってきた。
 車で行くつもりでいたが、週間予報を見て、行きは良くても帰りがどうなるか分らないと判断し、山形新幹線が出来てから初めて、新庄経由で帰省した。列車の窓から、ゆったりと景色を眺めたい気持ちもあった。

 以前、新幹線が出来る前、陸羽西線から奥羽本線に乗換え待ちの時間の楽しみは、ホームで立ち食いそばを食べることだった。ここのそばの美味さは評判で、仲間うちで新庄が話題になると、立ち食いそばの思い出話が必ず出た。
 今回も30分の乗換え時間があるのを確認して、そばを楽しみに山形新幹線に乗った。山形県に入って、米沢駅から「米沢牛弁当」の車内販売がはじまった。この「米沢牛弁当」も僕は大好きで、販売員を呼び止めようかとちょっと声が出かかったが、数十分後に食べられる新庄のそばに期待して、声を呑んだ。
 さて、その新庄駅に着いて、昔のそば屋の面影を求めてホームの隅までキョロキョロと見回したが、あれぇ、ない! そば屋がない!
 改札係に尋ねると「ホームの立ち食いはなくなったが、駅ビルの中、歩いて直ぐの所にそば屋があって、立ち食いのように早くできますよ」との説明。そのそば屋に走った。
 息せききって駆け込んで「次の西線に乗るんだけど、そば、直ぐにできますか?」。店員は壁の時計を見て・・・、「うーん、ちょっと難しいのう。カレーライスだば直ぐ出来るんども」。・・・、(カレーを食べたくて「米沢牛弁当」を我慢したんじゃないッ!)あのそばが食べたかったのだ、と心の中で叫んだ。


 俳優佐藤輝 撮影 JR陸羽西線 清川から庄内平野へ
陸羽西線が庄内平野に入る


 庄内平野に雪はなく、曇っているものの、鳥海山も月山も、平野を囲む山々がぐるりと見渡せた。この時期にこんな眺めは珍しい。正月に行った時にはあった、村外れの雪囲いはもう撤去されている。車で来れば良かったかな?

 翌日は朝から冷たい雨が降り、昼過ぎからは霙まじり、夕方には吹雪になって、見る間に雪景色となったたそがれが、碧暗く暮れた。やっぱり列車で来て良かった!
 その吹雪の中の陸羽西線を、東京に帰るために再び新庄へもどって来た。
  今度は新幹線の発車まで50分の余裕がある。そばを食べる時間は十分にある。さあ、昨日のリベンジだとそば屋の入り口に立ってがく然とした。何と、既に「準備中」の札が目の前にぶらさがっている。ああ、何と縁のない新庄のそば。店内は明るく、美味そうにそばを食う客の顔がガラス越しに見えるのもしゃくの種。

 客待ちのタクシーの屋根にはもう10センチ以上も雪が積もっていて、駅前の広場も暗く、ただ重たげな雪が降っている。
 この人影のない街で開いている食堂などまさかあるわけないだろうと思いながら目を凝らすと、駅前通りの少し先に、温かそうな色の看板の明りが見えた。心の寂しさを満たすには、何かを食べるしかないと、広場を横切った。ほんの数分の道なのに、頭にはすぐに雪がつもった。
 「一茶庵」、この店名はそば屋だ! 閉店しないうちにと、急ぎ店に入った。
 天ざるの大盛り。これが、大当たり。落胆の後だからという訳でもあるまいが、実に、実に、美味かった。大いに満足して店を出た。この店に出会わなかったら、新庄と新庄のそばは俺には縁がない、などと嫌いになっていたかも知れない。

 翌日、庄内に電話すると「吹雪で、積雪35センチ。今シーズン最高の積雪になった」との話。

                   輝 ☆彡 07.3.9


松たか子さんのジャンヌ・ダルク
 
 房総の菜の花畑の黄色い写真が早々と紙面を飾り、暖冬の影響で、早春というよりは、もはや春そのもの。
 春にふさわしく、13日、「ひばり」(ジャン・アヌイ作、蜷川幸雄演出)を、渋谷・シアターコクーンで観た。ミュージカル『ラ・マンチャの男』でご一緒している松たか子さんがジャンヌ・ダルクを演じている。

 松さんは、「フランスを救え」との神の啓示をうけて軍隊の先頭にたって戦い、反対派に捕らえられイギリスに売られ、1431年に19歳で火刑に処せられた少女ジャンヌ・ダルクを、はつらつと、しなやかに、激しく演じた。最後に、自由な人間であることを選んだジャンヌ・ダルクを、リアルに感じさせてくれた。素晴らしい舞台!

 この芝居も上演3時間を越す。そのほとんどがセリフ。
 僕が今まで、理屈っぽくて好まないでいたジャン・アヌイの科白(せりふ)劇を、芝居の構成をくっきりと見せた上で、登場人物の人間像、関係をリアルに表現した蜷川演出は、観る者をぐいぐいと惹きつけてまったく飽きさせない。登場人物が生きている。観客は、宗教裁判の傍聴人のように、身動きしないでじっと裁判の行方を見守っている。う〜んッ、さすがの蜷川さん。
 火刑台に立つことと引き換えにしても人間としての自分の心に従ったジャンヌ・ダルクの思いに、観客は、今の自分の姿を照らして観ている。今の、芝居。
 
 初雪が降らないまま、バレンタインデーに春一番が吹いた東京。
 今月は、納得の素晴らしい舞台に二つも出会えて、嬉しい春だ!!

                  輝 ☆彡 07.2.17


寒鱈まつり 

 バレンタインデーの翌日となった昨日の朝、予期せぬ宅配便が届いた。
 誰だ、誰だ、送りそこねたチョコレートをあわてて送ってきたのは? と、受け取ると、故郷・山形から、日本海でとれた新鮮な寒ダラ(鱈)とヤリイカ! 

 先月、地元の酒田鶴岡で開かれた「寒鱈まつり」は、暖冬で雪がなく、例年なら吹雪の中で熱い「ドンガラ汁」をふうふう言いながら食べるのに慣れている参加者はなんだか気抜けしたという。

 日本海側と北日本が吹雪で荒れた昨日は、東京も手袋なしでは外に出られない、この冬一番かと思える冷たい北風が吹き荒れ、「ドンガラ汁」にふさわしい寒さ。夜は気合いを入れて台所に立ち、宅配便に入っていたレシピと自分の舌を頼りに「ドンガラ汁」を作り、こりこりしたヤリイカを刺し身にして、我が家の「寒鱈まつり」を楽しんだ。汗をかきながら腹いっぱい、ああぅっ、うまかった!! 大満足!! やっぱりこの時期、一度は「ドンガラ汁」を食べないと落ち着かない。感謝感謝の庄内の味!!!


 俳優佐藤輝 山形県庄内地方日本海の鱈ドンガラ汁


 「ドンガラ汁」のドンガラは、鱈の胴のドンに、全部という意味の庄内弁の「ガラミ」がついた言葉と理解している。(が、ひょっとして「鶏ガラ」のガラなのか? とも)。「ドンガラ汁」とはつまり「鱈の内臓と骨を煮込んだ汁」で、味噌と酒粕で味付けする。だから、本来は鱈の身は入れない。
 参考までにレシピを。
 1. 湯を煮立たせ、適当に切ったキモ(肝臓・アブラワタ)をよく煮る。
 2. 煮えたらキモを取り出し、ドンガラを煮る。
 3. 煮えたら白子(タツとも言う)とキモを加える。
 4. ひと煮立ちしたら、味噌、酒粕で味をととのえ、豆腐を入れ、おろし際に長ねぎをいれる。
 5. どんぶりに盛りつけたら、岩海苔をうかべて、熱々を、いただきま〜す!

 バレンタインデーには、激励の言葉とともにチョコレートをありがとう!

                  輝 ☆彡 07.2.16


井上ひさし作『私はだれでしょう』

 昨夜、新宿南口の紀伊国屋サザンシアターで、こまつ座公演・井上ひさし作『私はだれでしょう』を観た。
 面白い! 正味4時間の上演時間がまったく長く感じられない。中味がしっかり詰まっている。

 最初に予定していた初日に台本が書き上がらず初日を延期したばかりか、2回目も延期、3度目にようやく本番が開いた「遅筆堂」面目躍如の舞台。
 あれだけのセリフを短期間で覚えて、歌い踊った出演者の苦労を思うと、こちらまで胃が痛くなりそうだが、そんな苦労を少しも感じさせない安定した盛り上がりと緊張感のある良い舞台だった。

 2本の筋の一方を引っ張る記憶喪失の山田太郎役は、去年2月にミュージカル『OH ダディー!』で共演した川平慈英さん。舞台に心地よいリズムを作り、ソフトに仕上げたエンターテイメントがユーモラスな雰囲気で客席を包み込んだ。
 タップを踏みながらの股旅演歌『勘太郎月夜唄』には客席が笑いと大きな拍手。つい2日前、6日のエッセーに、子供の頃に『勘太郎月夜唄』を歌い踊ったエピソードを書いたばかりだった僕も、大いに喜んだ。終演後に楽屋の慈英さんを訪ねて、思わず抱きついてしまった。

 井上ひさしさんの『今 ! 』に感心して、劇場を出た。

                   輝 ☆彡 07.2.9


湯島の白梅

 頭で考えたり想像するだけでは俳句を作れないのと同じで、「季語のある日々」の題名でエッセーを書くには取材が必要だ。

 昨日の午後、気温15℃に誘われて、湯島天神に観梅に出掛けた。30数年ぶりになる。
 折しも受験シーズンで、家族連れや友達同士、同格祈願のお参りが途切れることがない。熱心に願い事を絵馬に書いて奉納している。参道には甘酒などの屋台が並んで客を呼び込む。何か、心がウキウキする。
 木によっては一輪の花もつけていないが、社殿の左に立つ白梅の大木は、一面に満開の花をつけて輝いている。


 


 右手に回り込んだ所にある背の低い木にも花が咲いている。カメラを近づけられるから、デジカメのオートフォーカスでもピントが合いやすい。撮りながら近づくと、良い香りが・・・梅の香りだった。

                  輝 ☆彡 07.1.28


ラ・マンチャの風車

 新聞に「スペイン」や「風車」の文字があるとパァッと目に飛び込んでくる。昨20日、『スペイン風車の丘へ』と書かれたテレビ番組欄を見て、夜の放送を期待した。

 そのテレビ東京の番組『地球街道』「高橋克実 ラ・マンチャの男になりたい」で紹介されたスペインの風車の丘は、首都マドリー(マドリッド)から南に車で約200km行った所にある、サフランの産地としても知られるコンスエグラの風車だった。


 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ コンスエグラの風車群 コンスエグラの風車


 番組を見ていてあれェ!? と、耳を疑ったことがある。
 このコンスエグラの風車の映像にかぶって、「この風車が、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」というようなナレーションの説明があったこと。
 僕は、『ドン・キホーテ(Don Quijote de la Mancha)』の物語の中でドン・キホーテが戦いを挑んだ風車は、コンスエグラからさらに東に約50km行った所にあるカンポ・デ・クリプターナの風車がモデルだというのが定説だ、と信じていたからだ。
 ナレーション同様に、番組案内にもそのように明確に記されている。
 これは定説を覆す世紀の新説か? 単なる大間違いか? その意図は?

 1995年に松本幸四郎さん主演のミュージカル『ラ・マンチャの男』のサンチョとして初出演することになり、役作りのために、前年94年11月から12月にかけてスペインを訪問した。ラ・マンチャ地方を中心にして、『ドン・キホーテ』の作者・セルバンテスと『ラ・マンチャの男』のドン・キホーテとサンチョにかかわる土地を訪ねた。
 
 その時、スペイン政府観光局から貰ったラ・マンチャ地方の資料には、「カンポ・デ・クリプターナ」について次のように記述されている。
 「逃げるな、憶病者め」と叫びながら巨人だと思いこんでしまった風車の群に突進する主人公。あの有名なシーンはここでくりひろげられたとされています。物語には30から40の風車があったと記述されていますが、現在では10基たっていて、いかにもドン・キホーテの世界らしい趣が喜ばれています。

 そして、この資料の「コンスエグラ」の項には、ドン・キホーテとのかかわりについての記述が一言もない。つまり、ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はカンポ・デ・クリプターナの風車だということが、スペイン政府観光局も認める定説になっているのです。
 カンポ・デ・クリプターナの観光案内所のホセ・ルイスさんも「ここには『ドン・キホーテ』の物語に書かれていると同じ、30基以上の風車があった」と説明してくれました。
 以来2005年まで6回、ラ・マンチャ地方を旅しているが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車はコンスエグラだ」という説は1度も聞いたことがないし、資料に出合ったこともない。
 去年の正月に放送された番組で、松本幸四郎さんが訪れたのもカンポ・デ・クリプターナの風車でした。

 スペイン在住の知人に資料を調べてもらった。
 すると、2005年の『ドン・キホーテ』出版400年を記念してスペインで出版されたドン・キホーテのガイド『RUTA DE DON QUIJOTE』(『ドン・キホーテのルート』 ,Empresa Publica de Castilla - La Mancha出版)には、コンスエグラの風車について、11基の風車が紹介されていて、その文中で、
“Algunas fuentes situan su origen en el siglo XVI, pero parece que no hubo molinos en Consuegra antes del XVIII.”
“(風車の)起源は16世紀に遡るとする文献もあるようだが、18世紀以前コンスエグラに風車は存在しなかったと思われる。”
と記述しているとのこと。
 だとすれば、セルバンテスの『ドン・キホーテ』が出版された1605年当時、コンスエグラに風車は存在せず、モデルにもなりえない。
 また、カンポ・デ・クリプターナの風車について『RUTA DE DON QUIJOTE』は、
“.... Amena porque en ella podemos situar, segun la opinion generalizada de los cervantistas, la aventura mas popular y conocida de El Quijote , el combate contra los gigantes que resultaron ser molinos,........”
“・・・というのもキホーテの中で最もよく知られまた人気のある冒険は巨人、実際は風車との戦いの場面は此処であるというのがセルバンテス研究家達の一般的な意見だ。”
と説明しています。

 物語のモデルと主張する説は各地にあるが、「ドン・キホーテが戦いを挑んだ風車」のモデルについては新説が出る余地はなく、カンポ・デ・クリプターナだとする説が間違いなく定説になっています。


 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ ドン・キホーテが戦いを挑んだカンポ・デ・クリプターナの風車群
これがドン・キホーテが挑んだ風車のモデル、カンポ・デ・クリプターナの風車



 日本の旅行社の観光ツアーでは、カンポ・デ・クリプターナを巡るツアーもあるけど、「ドン・キホーテ」ゆかりの地 ラ・マンチャ地方の風車へご案内 ! 、とか、「ドン・キホーテゆかりのコンスエグラ」「ドン・キホーテのラ・マンチャ地方の風車」などと説明してコンスエグラに案内しているツアーも多く見られる。マドリーから古都トレドを経由して南のアンダルシア地方に向かうルート上にあるコンスエグラの方が、移動に便利だからなのかも知れないが、これでは「ドン・キホーテ」をイメージする人は、そのコンスエグラの風車が、ドン・キホーテが挑んだ風車のモデルだと思いこんでしまうだろう。思いこむのは、思いこんだの人の勝手だというのだろうか・・・。

 ドン・キホーテが挑んだ風車だとか、『ラ・マンチャの男』の風車だとか限定して言わないかぎり、ラ・マンチャ地方の風車として、どちらも僕は好きな風車です。でも、サンチョの心が本当に高鳴るのは、セルバンテスの小説のモデルとして定説になっているカンポ・デ・クリプターナの風車。


 ミュージカル『ラ・マンチャの男』サンチョ カンポ・デ・クリプターナの風車群
カンポ・デ・クリプターナの風車


 ああ、あのカンポ・デ・クリプターナの丘に早く帰省して、ラ・マンチャの大平原をサンチョの気持ちで眺めたい ! !

                   輝 ☆彡 07.1.21


初もの・サクランボ !

 明けましておめでとうございます。

 おだやかに明けた2007年を、みなさんはどのように迎えられましたか?
 僕は、「こいつぁ、春から縁起(演技に!)が良いや !」の気分で、新年を迎えました。この幸せを、みなさんにもチョットおすそ分けしましょう。


 俳優佐藤輝 山形県天童市のサクランボ佐藤錦


 日本一早いサクランボ。半年早いけど本物です。
 4日のテレビニュースで「初出荷」として放送されたのがこのサクランボ。
 桐箱に丁寧に並べられた300グラムのサクランボが3万円になるそうです。
 この初ものに出合ったのは、将棋の駒の生産量日本一と温泉で有名な山形県天童市役所。新年のご挨拶に伺った市長室で、僕の好きな鮮やかな赤色の「佐藤錦」が、ぴかぴかに輝いていた!


         俳優佐藤輝 山形県天童市若松観音 めでためでたの若松さまよ


 花笠音頭に歌われた、鈴立山若松寺にお参りした。境内に「めでためでたの若松さまよ 枝も栄えて葉も茂げる」の歌詞を刻んだ石碑があって、めでたい気持ちが倍加する。天童市の東北部の山中にあり、若松観音として親しまれ、来年、開山1300年を迎える古刹。


 俳優佐藤輝 山形県天童市若松寺 若松観音から村山盆地


 ここからの眺めは絶景。麓の村から、天童市街を含む村山盆地と、その先右手に葉山が一望出来る。


 俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町の融合料理レストランまごころ


 降雪の心配がないので、日本海に面した庄内平野まで足を延ばし、庄内町余目にある、去年の秋に食事して気に入った例の融合料理「まごころ」で、またもランチを楽しんだ。
 店内は清潔で、日光の取り入れ方も工夫され、地元で活躍する洋画家の絵を展示しているこの空間が、心のゆとりと食事への期待感を高めてくれる。


 俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町の融合料理レストランまごころ
 オードブルは「庄内キスのマリネ、梅肉風味」。


 俳優佐藤輝 故郷山形県庄内町の融合料理レストランまごころ
 クリームのあっさりした甘さが生きた「カボチャ・スープ」の次は、「庄内黒ソイと小エビのソテー、赤ワイン・ソース」。


 次に食べた「庄内豚と白蕪のソテー、クレソン添え」は、さっぱりした中に蕪の甘味とクレソンが微妙に響きあっている。そして見た目も美しく楽しいデザートにコーヒー。前回はパンを食べて美味かったので、今回はライスを頼んだ。
 一人で、ゆったりと1時間以上食事して、満足し、満腹になり、それで2100円也。
 ご馳走さまでした。ああ、満足!!!


 俳優佐藤輝 撮影 山形県天童市若松観音から村山盆地と月山、朝日連峰


 快晴 ! 再度、若松観音にお参りして、冷たい風もなんのその、絶景を眺め楽しむ。
 素晴らしい眺めだ。右手の葉山(1462m)は勿論、正面に雪をかぶって真っ白い月山(1984m)、その左手に屏風のように続く朝日連峰の峰々が、気持ち良さそうに冬の日を浴びている。この時期にこんな天気は奇跡的だというが、その奇跡に立ち会っている爽快感は何ともいえない。

 絶景を眺めて直ぐに、天童市の遠藤登市長を訪ねた。

 市長室には、冬の時期に出荷される村山地方特産の「啓翁桜(けいおうざくら)」が飾られ、この恵まれた天気と、昨日のサクランボ出荷のニュースが話題になった。
 すると、いつの間にか、その話題のサクランボが僕の前に出されていた。エッ?! ホンモノ?! ・・・、ええ、ホンモノ。頂いていいのかなあ? 「どうぞどうぞ。昨日、農協から届いたもので」と、市長さんが勧めてくれた。


 俳優佐藤輝 山形県天童市役所試聴室 さくらんぼ佐藤錦の初物


 「今日、市場に出たばかりだから、まだ口に入れた人はいないだろう」。ということは、僕が、今年最初にサクランボを食べる人となるわけだ。でも、こんな時期に出るサクランボは固くて味も薄いに違いない、と思いながら口に入れた。

 シアワセー!
 あの最盛期にうなって食べる「佐藤錦」の上品で濃い甘さが口に広がる。半年も早く、それも2粒も! (1粒が1000円位になるらしいゾ)。何という幸運なタイミングのご挨拶になったことか。

 思いがけず、目の正月、舌の正月に出会った故郷での正月。 本当に、今年は幸運に恵まれそうな、幸先の良いスタートとなった。

                   輝 ☆彡 2007.1.6





                          ページTOPへ

2007年4月〜6月 新しいページへ 古いページ
 
2006年10月〜12月 
       
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  
  21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42  
Copyright©2003-2022 TERUTSUU All Rights Reserved 記事・写真の無断転載を禁じます。